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投稿者:ニッキー - この投稿者のレビュー一覧を見る
スターリンの伝記などスターリンものは、内外に数多く書籍がある。しかし、新書や文庫など手軽に読めて、なおかつ分かりやすくないような濃いものは、あまりなかった。本書は、入門書や基本書としてお勧めである。
スターリンの評価
2020/01/24 20:10
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投稿者:雄ヤギ - この投稿者のレビュー一覧を見る
世界史の中でもトップクラスで評価の分かれる人物スターリンについて取り扱っている。否定的なものとしては、工業化政策や外貨獲得のために農民を犠牲にしたこと、多くの党員を粛清したことなど。肯定的なものとしてはこれも工業化政策やナチスに対する勝利など。本書はスターリンに対する大幅なイメージの転換より、評価が分かれていることを伝えようとしている。
生まれた国が悪いのか、それとも彼が悪いのか・・・・
2023/12/30 15:19
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投稿者:和田呂宋兵衛 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ヒトラーと並んで、20世紀最凶の独裁者と言われるスターリン。
ヒトラーは、今でも先進諸国を中心に少数の熱狂的な支持者があるが、
母国ドイツでは一般に、口にするのも忌まわしい犯罪者とされている。
スターリンの評価はどうか。
日本には彼の名を冠したロックバンドがあったが、奇をてらってつけたらしく、
大概の国では、スターリンをプラスに評価する人は、思想の左右を問わず、まずいない。
ところが「母国」ロシアでは、近年彼を「偉大な指導者」として評価する動きが高まっているらしい。
(正確には、彼の出身は黒海とカスピ海に挟まれたカフカース地方・現ジョージア共和国だが)
この内外の評価のギャップはなぜかという問題意識から出発して、彼の生い立ちから死に至るまで、
人物と事績を丁寧に追うことによって、彼の実像をとらえようとしたのが本書である。
貧しい靴職人の家に生まれ、キリスト教の神学校に進んだ優等生の少年が、
社会主義の反体制運動に目覚め、退学処分を受け、シベリアへの流刑から逃亡したりするうち、
レーニン率いるボリシェビキ党の有力な幹部となっていく。
革命の先達マルクス、レーニンのような天才的な閃きは、彼にはなく、
どちらかというと「努力の人」らしい。
ボリシェビキが権力を握り共産党と改称した後、スターリンは蔵書のリストを作らせ、
貪欲に勉強を始める(本書144~147ページ)。
先輩レーニンや政敵トロツキーは、第一次大戦後、ヨーロッパでの社会主義革命に期待をかけたが、
それは起こらなかった。
スターリンは、ソ連独力での革命建設を目指し、レーニンの死後トロツキーを追い落とし、
「一国社会主義」の路線を取りだす。
レーニンは、晩年の著書「国家と革命」で、共産主義の下では国家は「死滅」すると説いたが、
スターリンの指導の下、軍と秘密警察を中心とする国家権力は強化され、
「社会主義の祖国ソ連」を守れという、ナショナリズムの色が濃くなっていく。
急速な重工業化と軍備強化が進む中で、農民が巨大な犠牲を強いられ、
反対者とみなされた者は容赦なく「粛清」され、処刑・流刑の憂き目にあうようになる。
しかしながら、この強力な軍事国家建設なくして、ソ連が第二次大戦でナチス・ドイツの猛攻に耐え、
戦後はアメリカに対抗する強国となれたであろうか。
今もロシアでスターリンの評価が高いのは、この辺にあるらしい。
従来、晩年のレーニンの言及を元に、スターリンの「粗暴」さが恐怖の独裁を招いたとされてきたが、
著者はこれを批判し、レーニンの行った「赤色テロル」を指摘して、こう述べる。
『歴史上の大量殺害は、多くは政治指導者の「粗暴」さよりも、自分の主張への過度の確信と結びついている。』(本書131ページ)
この怖さは、共産主義に限るまい。
独裁政治を進める中で、妻は自殺、息子は酒乱になり、晩年は誰も信じられなくなって孤独の中で病に倒れる。
側近に発見されたが、パニックか故意か、すぐに医者は呼ばれず亡くなり、
彼の死後、娘はスターリンの姓を捨てる。独裁者の末期は悲しい。
ソ連が崩壊して30年以上経つ。
ロシアは共産主義を捨てたはずだが、トップには元・秘密警察の親玉が据わり、
スターリンそっくりの政治が今も行われている。
そもそもロシアという国に、民主主義、平和主義は似合わないのだろうか。
なおタイトルは、昔のドラマ「非情のライセンス」主題歌、「昭和ブルース」のもじりです。
スターリンの犠牲となった方々には申し訳ないが、天知茂の歌声が、本書にはよく似合う。
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投稿者:名無し - この投稿者のレビュー一覧を見る
「歴史は繰り返す」ということを改めて教えてくれる1冊。フィンランドへの侵攻や東欧諸国への支配はあまりにも有名だが、旧ソ連の各国への支配もその中に入っている。レーニンの後任者がトロツキーだったら、また違った歴史になったのかもしれないが。
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投稿者:エムチャン - この投稿者のレビュー一覧を見る
スターリンは、名前は知ってましたが、どんな人物か初めて知りました。生い立ちから晩年まで詳しいです。あの非情な性格はこうして作られたのですね、あの頃のソ連は、寒くて貧しくて……みたいなイメージでしたから。
マルクス教レーニン派の冷酷な大主教
2024/07/31 16:45
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投稿者:森の爺さん - この投稿者のレビュー一覧を見る
カール・マルクスが主張した共産主義は高度な資本主義国家における共産主義革命が発生することを予言していたが、実際には資本主義国家としては遅れたロシアにおいてレーニンが主導した1917年の10月革命により社会主義国であるソ連が誕生した後、この二人を教祖とするマルクス・レーニン主義(マルクス教レーニン派)となったのだが、この共産主義という新興宗教とも言える思想は、20世紀においてナチズム以上に世界に厄災をもたらしており、教祖レーニン亡き後の冷酷な大主教とも言える存在が「鉄の男」スターリンであり、本書においてはその冷酷な独裁者であるスターリンの評伝を新書版として要約して書かれている。
ロシア帝国支配化のグルジア(現在のジョージア)に生まれたスターリンは神学校時代に革命運動に身を投じ、ボリシェヴィキの中で頭角を現して行った結果、10月革命後に発足したソ連指導部においては、あくまでも最高指導者であるレーニンの支配下の幹部の中の一人であったが、レーニン死後の指導部における主導権争いに勝利して最高指導者となり、大粛清により政敵を抹殺することにより、独裁者としてその死までソ連の最高権力者として君臨したが、その評価についても、冷酷かつ無慈悲な独裁者という見方もあれば、独ソ戦に勝利してソ連を米国に対抗する超大国に躍進させた大政治家と評価する見方も存在し、その評価については現在でも割れている。
スターリンが最高権力者となってからの政策として、重工業化の推進を行うための穀物の飢餓輸出があり、コルホーズによる農業の集団化とその収穫物を収奪して輸出したことにより、農村においては飢餓が発生する惨状を招いたが、餓死者まで出した重工業化の推進が、軍事産業の成長を招いた結果として独ソ戦における勝利につながっているのは確かである。 ただし、農業の集団化は農業生産の停滞を招き、ソ連時代を通じて農業生産の停滞がネックとなったし、重工業の発展の陰で軽工業の遅れは生活水準の向上の妨げとなった。
外交においては、独ソ戦に至るまでの過程でのポーランドの分割、バルト三国の強制併合、更にはフィンランドとの冬戦争においてソ連は完全に侵略者であり、戦後は衛星国とした東欧に司祭とも言える自らの子分の独裁者を置いて支配することにより、東西冷戦構造の産みの親となっているが、ソ連型社会主義の行き詰まりによりその冷戦構造も20世紀中に崩壊している。
そして大粛清は自らの重工業化の推進により発生した農村における餓死者の増加という失政による権力の揺らぎを、反対勢力となりうる存在を反革命勢力として抹殺して行くことにより盤石にしているのだが、その累は政敵の家族にも及んだし、一般市民も粛清の対象となっており、第二次世界大戦後はその不足する労働力の補完するために日本も含めた捕虜を強制労働で酷使している(シベリア抑留等)。
本書においては政治家スターリン以外にも家庭人としての生涯も取り扱われており、普通に息子であり、夫であり、父親であったのだが、同時にあの冷酷な大粛清を行う冷酷さを併せ持っていたということである(ただし、冷酷さという点ではレーニンも同じようなものかも知れない)。そして晩年にはその判断力の衰えが顕著になりながら、その死まで最高権力者の座に留まるが、その死に際しては、スターリンがヒトラーに「私のヒムラー」と呼んだベリヤの関与を推理する研究者も多いが、まああり得る話ではある。
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地元の図書館で読む。非常にバランスのいい本です。僕は、ロシア史に何の知識もありません。それでも、困ることはありませんでした。
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どんな難問でも自分こそが解決できるという自負心と、どんな失敗をしても絶対に自分の非を認めず全て他人に責任転嫁できるだけ厚顔さがないと、”独裁者”にはなれない。
何が詩を書く少年から独裁者へと変貌させたのか、興味はつきない。
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スターリンの伝記。彼は決して生まれながらの「怪物」だったのではなく、家族を思いやる普通の人間であったことが分かる。
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青年期から殺伐とした革命運動に身を投じた結果、政治における組織論の重要さに早くから気づき、また組織内の敵・味方を峻別する鋭敏な感覚を身に付けていったスターリン。その結果、彼は革命成就後も「社会主義-資本主義」という国家外部におけるイデオロギーの対立を国家組織内部の「体制-反体制」という構図に投影してしまう。これが第一次世界大戦におけるそれよりも多くのロシア国民犠牲者を出し、後世まで彼の評価が定まらない最大の原因である「大粛清」に繋がったと著者はみる。
本書の出色はレーニン没後の共産党内部における権力闘争の記述。第一次世界大戦により荒廃した産業の再建策についての深刻な対立の結果、スターリンが政敵として後に追い落とすトロツキー等の主張に結局は沿った形で(しかし方法としては比較にならないほど苛烈なやり方で)農業を犠牲にし工業の発展を優先するに至るまでの経緯が、当時のロシアを取り巻く国際情勢やスターリン自身の性向と絡めながら理路整然と描写されており、非常に判り易い。
本書で紹介されるスターリンの少年期の詩や、レーニンの著作を詳細に読み込んでいたというエピソードからは、自分が心酔する対象に無心に打ち込む「素朴な優等生」というイメージが浮かび上がる。この一途さが農民の虐待や大粛清等に寄与した一方で、(政治的要請によるものではあっても)少数民族の権利を尊重し、ロシアそのものの国内事情を重視する「一国社会主義」の提唱、さらには工業化の成功による第二次世界大戦の勝利など、ロシア国民によりアピールする結果に繋がったのは間違いないだろう。ある国における最大の成功と最大の失敗の原因が同時に一指導者に帰せられるとしたら、彼に一体どのような歴史的評価がなされるべきなのだろうか。
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冷酷な独裁者としてのイメージが強いスターリンだが、ロシア国内では依然として支持する声が多い(ロシアで最も偉大な政治家は誰か、というアンケートで3位になるほど)。
スターリンは何をしたのか。何が国民を惹きつけるのな。ヒトラーとの違いは何なのか。湧き上がる疑問を、生い立ちから歴史を辿り答えてくれる。
歴史を評価する際に、政治と倫理という異なる尺度が混在すると問題が複雑になるのだと、考えさせられた。
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ロシアで歴史認識を二分するスターリンの評価。倫理と政治を峻別していた当時の風潮を強調し,急進的な農業集団化と工業化が不可避であったこと,それが第二次世界大戦の勝利に直結したこと,フランス大革命など変革に際して混乱が伴うのは普遍的現象であること等を挙げてスターリン擁護に回る歴史学者も少なくない。
本書は今も物議を醸し続ける独裁者スターリンの評伝。生い立ちから,革命思想への傾倒,内戦,権力闘争,膨大な死者を出した穀物調達と大テロル,ヒトラーとの,そしてアメリカとの戦争まで辿っていく。
二人の妻を病と自殺で亡くし,母親の葬儀にも行けず,息子はドイツの捕虜収容所で死亡,晩年は老化と猜疑心に悩まされるという,まあ当然だけど個人としては不幸な人生だったんだなぁ。もちろん餓死したり粛清された犠牲者,抑圧された国民の方が不幸ではあるのだが,権力者の悲哀もそれはそれであるわけで。そんな環境を作り出す人間社会というものの闇に想いを馳せつつ読了。
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有名すぎるソ連の独裁者、その生涯と、その行動に対する分析、国内と諸外国の評価など、多岐にわたる視点から書かれています。スターリンとはどういう人だったのか、なぜあのような判断・行動をしたのか。当時の帝政ロシアからソビエト連邦への変遷の中での人々の思い、希望なども交えつつ書かれていますので、非常に分かりやすかったです。
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スターリンとか独裁者はイメージがつけやすいから、みんな知ったような気になっている。とりあえず悪党。でもロシアでは偉大な人でもある。こういう人物こそきちんと知っておかなければいけない。
大事なのは、なぜ悪いのか。なぜ悪いことをしなければならなかったのか。冷静に知識を得ること。
この本は広く浅くスターリンを知る本である。そしてスターリン寄りのところもある。各歴史的事件についてウィキペディアを見ながら読むといい。
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p14 父の暴力、母の愛
スターリン(ソソ)は幼少期に酒飲みの父に母子ともに暴力を振るわれたと言われる。それ故に優しくしてくれた母への愛と英雄思想が生まれたという研究もある。しかし、当時のロシアでそういう家庭は珍しいものではなかっただろうから、それが決定的とは言えないから注意されたい。
p27 スターリンの性格
スターリンの性格を幼少期から検討しているものは、独裁者としての彼のイメージに合致する資料を用意してきているように思える。詩才などをみても、幼いころからそんなに暴力的だとは判断できないと思われ。
むしろ、学業も優秀で、詩の才能もあり、家族を愛する手紙など、多彩な才能の持ち主であったことだけはわかる。
p33 クリミア戦争
クリミア戦争で英仏に敗北したロシアはヨーロッパでの後進性が露呈した。アレクサンドル2世は近代化政策をとり、農奴解放などを実施した。当時の知的エリートはクリミア戦争での敗北をきっかけにヨーロッパの先進的思想に強い興味を抱き始めた。社会主義や無政府主義など新しい社会にあこがれ、それを獲得するには革命が必要であるという考えに至った。クリミア戦争が大事な契機である。
p56 スターリンの若かりし頃
スターリンの若き日々は革命の実行部隊だった。社会主義の勉強は浅かったようで、漠然とした革命的ロマンティシズムに没頭する男だった。若いころから功名心や支配欲に囚われた腹黒い人間というよりは、もっと単純な人間だったようである。
p59 スターリンと十月革命
ボリシェビキが権力を集めた1917年十月革命。この時スターリンはボリシェビキの古参の党員として頭角を現し始めた。それまでは理論よりも実行力を重視する革命家だったが、1903年シベリア流刑から徐々に経験に基づく革命思想を持ち始めたようである。
p90 スターリンの論文(民族自決について)
スターリンは民族自決についての論文を書いており、ロシアに多数散在する少数民族の自決権を社会主義は擁護すると述べている。この主張がロシア共産党のその後の少数民族からの指示につながった。
p92 スターリンとレーニンの考えの違い
レーニンはヨーロッパの先進的社会主義をロシアでも実現させることを考えていた。理論重視だった。
スターリンは理論よりも現実の社会主義革命の達成を優先していた。革命が達成すればスムーズに社会主義への移行が始まると単純に考えていたようである。この点、小難しい理論派よりも活動的なスターリンの方が民衆にとって身近で理解しやすい存在であったようである。
p144 組織腐敗のしくみ
ロシア共産党の人事制度に「ノーメンクラトゥーラ制」というものがあった。建前上階級の存在しないソ連では政治の要職に就くものを名簿(nomenclatura)に登録し、そこから順次割り当てるという制度にした。その結果、その名簿に載って要職に就くのは共産党に忠誠を尽くす者のみになり、共産党の一党独裁は完成した。これは1923年から始められ、早い時期から共産党の支配が可能な仕組みができていたのである。
「スターリン詣で」という役職斡旋のご機嫌伺いもあった。
p187 スターリンの権力欲
1932年の段階で、第二次大戦を乗り切るにはロシアに急進的工業化が必要であるとスターリンは政策を強行した。都市化の進行と輸出のため厳しい穀物調達を実行し、ウクライナなどでは飢餓も発生した。この政策に対抗し、党を除名されたり逮捕された者が多数出た。
この時のスターリンの権力欲は、彼自身が折れたら政策が水の泡になり結局ロシアの破滅しか待っていないという強い義務感にも支えられていたのだろう。それほど権力に縛られていたのである。
p203 粛清の責任
1936~38年の間に政治犯として134万人がとらえられ、68万人もの人が処刑された。当時の政治犯は党への抵抗者だけでなく、政策事業の失敗者も破壊工作者として責任を負わされたり、スパイ嫌疑をかけられた当上層部の妻や愛人、聖職者など党の方針に従がえない者、スパイ嫌疑のあるドイツや日本に近い異民族の人々など幅広かった。これはスターリンによる手が下されただけでなく、地方官の責任転嫁の犠牲や政治闘争の謀略などもあり、厳しい規則の負の側面の暴走という側面もある。スターリンの持つ政治目標を達成するための強すぎる意思が、いつのまにか正義の感覚をマヒさせた。それ故に「大粛清」は起きてしまったといえる。粛清の原因はスターリンの人格だけで片づけられるものではない。
p226 スターリン背水の陣
1942年のドイツ戦線で敗北を重ね、スターリングラードや南カフカスが危機的状況になったスターリンは、軍に厳しい指令を発した。戦時に戦地撤退など弱気を見せた士官を集めた部隊を被懲罰部隊として激戦地の前線に配置し、さらに士気の上がらない師団の背後に特別阻止部隊を置き、逃げ出すものは打ち殺すという恐怖指令を出した。大戦力をつぎ込んで戦果をあげられないソ連軍に背水の陣をしかせた。
p227 スターリンの厳格さ
スターリンの最初の妻との息子が1941年にドイツ軍の捕虜になった。ドイツはそれを利用したがスターリンは息子を特別扱いすることなく、息子ヤコフは捕虜収容所で亡くなった。「ヤコフはどんな死でも母国の裏切りよりも望んでいる。」スターリンは母の死に目に会うことなく、自分の政務を優先している。それほど党首として厳格な意識で職務についていた。
p228 戦術と戦略の区別
スターリンはあくまで実務的な人間で、戦地での戦術と戦略の区別を持っており、きちんと戦術は指揮官に任せ、自分は政治的戦略に注力した。士官への信賞必罰の態度をきちんと持っていて、実に冷��であった。
p239 ドイツ分割への懸念
第二次大戦後のスターリンの懸念は米ソ対立になかった。そもそも資本主義の発展版が社会主義という理念だから、あんなに過激な冷戦になるとは予想しなかった。それよりも、ドイツや日本が復讐戦を始めることの方を危惧していた。ナポレオン戦争で分割されたドイツはその時から愛国主義者が力を持ち始めて、のちの普仏戦争での強さを見せた。その再現を防ぐため、ドイツの分割は繊細に扱うべきだと考え提案していた。冷静な指導者である。
p248 ギリシアへの内政干渉
スターリンは戦後に米ソで対立する気はなかった。それほどの余力が残っていなかった。しかし1946年のギリシア内戦でソ連がギリシアの共産政府を支援すると米英はトルーマン・ドクトリンを発してそれに対抗してきた。ソ連はその支援がギリシアへの内政干渉にまでなるとは考えていなかった。米英とむきに争うほどギリシア情勢はソ連にとって重要ではなかった。ソ連はギリシアへの支援を中止し、ギリシアは民主主義国として独立したが、スターリンは米英のソ連への姿勢を疑うようになった。
p250 マーシャルプラン
スターリンが米国と覇を争う意志を持ったのはこの政策が出されたから。マーシャルプランは、戦後のアメリカの経済調整策(モノ余りを輸出する)の側面と民主主義勢の拡張という対外政策の側面がある。
ソ連も戦後の疲弊はひどく、マーシャルプランの援助は受けたかったが、対抗者の施しを受けるのは共産主義の指導的立場として憚られた。スターリンはこれをもってアメリカがソ連の弱体化を狙っていると確信した。これに対抗してコミンフォルムを作った。
p267 朝鮮戦争
ソ連は朝鮮戦争に積極的に加担しなかった。米ソの軋轢を深めることをしたくなかった。支援部隊も中国軍に偽装し、表立たないようにした。
p277 スターリン欠乏症
ソ連国民はスターリンの死に涙した。ソ連を偉大な力で牽引してきた指導者の死は、人々をある種の不安に陥れた。
たしかに酷いこともあったが、スターリンがいなければソ連が自壊していたかもしれない。彼に頼っていたところも多分にあった。拠り所を失ったとき、人は自然と感情的になる。
スターリンにより人生が狂ったものもいる。しかし、その者も彼の死に涙した。自分の人生を解雇して泣いたのか、将来への光が見えて泣いたのか、いずれにせよスターリンの存在の大きさを物語る。
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スターリン寄りの本だった。しかし、それだけのものがあった。
スターリンはイヴァン雷帝かピョートル大帝か。毛沢東かポルポトか、それともナポレオンなのだろうか。
しかし、スターリンはやはり時代が生んだ巨大な指導者だったと思う。月並み。
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スターリンという人物の概略を知りたかったので読んでみた本。著者のいうところでは,一般に持たれているような残虐非道の政治指導者ではなく,国内外での評価も相半ばしているそうだ。