現代においての『老子』の意義
2005/10/13 00:36
10人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:白楽 - この投稿者のレビュー一覧を見る
『老子』ではありのままの、自然な姿を理想としている。そのためには知を棄て、無欲になれ、と説く。この老子の思想は、知識を基に成立している現代社会においては、あまり実用性は高くないといわれる。だが、はたしてそうだろうか。たしかに、村社会へ返ることはできないかもしれないが、無欲恬淡の精神や不争の哲学、物質の相対論などは、現代に生きる我々が大いに参考とすべきものである。それらの思想を無視して実用性に欠ける、などと言うのは間違っている。訳が分かりやすく書かれているので、初学者の方や、何か中国古典が読みたい、という方にはおすすめしたい一冊である。是非、老子から実生活に役立つものを酌みとって欲しいものだ。
『老子』に描かれた自然思想を明快に説いてくれる一冊です!
2020/02/27 12:36
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、我が国の中国思想研究の第一人者である金谷治氏によって書かれた「老子」の説く教えを詳細に、かつ分かり易く解説した一冊です。実は、『老子』は中国春秋時代の哲学者であり、道教の始祖ともされる老子によって書かれた書物で、孔子の教えが書かれた『論語』とともに中国では非常によく読まれてきた名著です。この『老子』には、人間は自然世界の万物の一つであるという自然思想を貫く姿勢が奨励されており、人間の知識や欲望が作り上げた文化や文明に対しては懐疑的な立場が描かれています。「無知無欲であれ」、「無為であれ」、そして「自然に帰って本来の自己を発見せよ」といった『老子』に記された思想を明快に説いていきます。
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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
有名な孤児だがわかりやすく解説されているのが特徴。学校で習うよりも奥深く学習できる。参考書としては最適。
著者の解釈には独自のものがあるようだ
2005/05/05 20:15
7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:萬寿生 - この投稿者のレビュー一覧を見る
論語と並ぶ中国の古典。儒教と並ぶ中国の二大思想の道教の基本教典。無為自然とか、人口に膾炙する言葉が多数ある。老子自身が言っているように、言葉で表せない道を、言葉で説明しようとしているわけで、曖昧模糊として良く解らない。しかし、二千年以上も古典として尊重されてきているのだから、それなりの価値があるはずである。とはいうものの、現代社会において、指針としてよいものやらどうやら、疑問にも思う。いまさら物質文化を否定して、村社会にも自然にも戻れない、というのが現代人の本音ではないのか。電気、自動車、携帯電話、インターネット、がないと生きられない。そのような現代人の生き方を反省する鑑とはなるが。著者の解釈には、馬王堆墳墓から出た帛書や先人の研究を参考にしたうえで、独自のものがあるようである。小川珠樹や武内義雄の老子も、比較のため読んでみたくなった。
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投稿者:風 - この投稿者のレビュー一覧を見る
老子の思想は深遠なりて理解し難くも理に叶っている。現代において実用性には欠けているが言っている事自体は間違ってはいない。それが実践できるならばどんなに高尚であろうか? 老子の説いたことが解りやすく並べられており理解はしやすいが実行しがたい。よって心の底からは理解しがたくなっている。うわべだけを理解せずどこまで深遠の境地に至れるかが思想の鍵となってくる。しかし老子の真意を理解し得たならばそれは自信になり幸福をもたらせてくれるであろうことを保証する。
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大器晩成。大人物は完成に時間がかかる、
を超えて、いつまでも完成しないありよう
に大器としての特色がある。
でき上がってしまうと形が定まり、
形が定まれば用途も限られる。それでは
大器ではない。
最近の専門職業礼賛とは逆だが。。。
さて。
荘子と比べると多少世俗寄りか。
功利主義を否定するフロー体験と関連あり
そうな世界観。
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老子の教えの要諦は「自然の摂理に従ってシンプルに生きよ」ということだと思う。その意味では、本書は老子の教えの反して、回りくどい。いかにも大学教授といった感じの文体で、お偉い先生の講義を聴いているような気分になる。
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争わず無欲であれ、という内容が心に響いた。
決して満足を知らないことが悪であり足るを知るのが本当の満足というものらしい。足るを知るものは富むということわざは老子の言葉だった。
戦国時代に生まれた背景を考慮するとこの思想の切実な面が見えてくる。
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老子は、前職で一度読み終えている。上善如水に表れる思想は、国のトップではなく、国を支える国民が素晴らしいと解釈できる。一方無為の薦めが記載されているため、孔子の言行録「論語」の立身出世を謳う書籍とは対照的だ。
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論語同様読む度に新しい発見がある懐の深い本。
最初読んだ時は意味が分からなかったが、
三年ぶりに再読したら文の一つ一つに価値を感じた。
富や名声や賢さを捨てて無知無欲になり、
この世の根源である道に従う事を説きつつも、
それは生きていくための方法であり、
現実の問題への対処法を多く扱っている。
老子の説く無為は何もしないことではなく、
問題が小さいうちに片付けてしまうため、
何もしていないように見えることであり、
そしてそれを出来るのが聖人らしい。
老荘思想として一つにまとめられているが、
現実を否定している荘子とは結構違う。
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NHKの「100分で名著」が5月に「老子」を取り上げたので、併せて読むテキストをどれにしようかと思ったが、ここはやはり講談社学術文庫から中国思想の大御所である金谷治先生の著書を選んだ。100分で名著のテキスト・放送に併せて並行して読み進めることができた。
金谷治先生は冒頭で
「人間が人間らしく生きるというのは、ふつう力みかえって生きることである。われわれがいろいろの場合に『頑張ってね』と口ぐせのように言うのはそれを示している。」
と言っている。
これに対して老子は「無為無欲」になってその本質に立ち返ることが人間の幸せである。力みかえることをやめて自然態であれ。」と説いているのだと言う。
「老子」は上篇・下篇に分かれており、上篇は第一章が「道」で始まることによって「道経」とよばれ、下篇の「徳経」と対していることにより「老子道徳経」とも呼ばれる。
全体を通して言えるのは言葉にしてはっきりとは名指ししないものの、孔孟の儒家に対する激しい対抗意識が見て取れる。むしろ儒教をベースにしてそれに反論を加えるところから老荘思想が成熟していったのではないのだろうか。
今回100分で名著の放送とそのテキストとも併せて読むことができたので、あらゆる章を熟読できたようだ。以下に「100分で名著」のレビューを抜粋しておく。
--------------[以下抜粋]--------------
東アジアで最も多く読まれている中国の思想書といえば「論語」だそうだが、これに勝るとも劣らないのが道家の始祖といわれる「老子」だそうだ。「上善若水」「小国寡民」など現代の日本にもよく知られて残っている言葉がある。いわゆる負け組とか社会的弱者向けともいわれ、「心の処方箋」としてブームになっているという。この老子の説いた思想を「道(Tao)」と呼ぶ。では「道(Tao)」とは何か?
・天地や宇宙を生み出す根源
・万物造成のエネルギー
・自然(おのずからしかり)
と蜂屋氏は説明している。
「がんばらなくてもいい」「あるがままのあなたでいい」というようなメッセージが多く「癒しの書」といわれる反面、リーダーに対しては「権謀術数の書」という一面を持っているのも事実。孫武の兵法書「孫子」に共通する部分も多い。
「論語」は得意のときに読め
「老子」は失意のときに読め
といわれているそうだ。その意味ではやはりドロップアウトした人に向けて書かれているのだろう。
「無為自然」という言葉が出てくる。これは「自ずから然り」で「何ら作意をしないこと」という意味だ。ただ一切何もしないことではなく、作為的なことは何も行わないことだそうだ。それが老子のいう「無為自然」の理想のあり方なのだという。それが道(Tao)。
最終的には社会からはずれているからバカボンのパパ語で表現するとわかりやすいそうだ。
「バカをつらぬくのだ」
「赤ちゃんは最強なのだ」
「ヘリくだってえらくなるのだ」
「近道は間違う道なのだ」
「なるようになるのだ」
「まっすぐな人はぶれぶれなのだ」
これでいいのだ!
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「世界の難問題も、必ずやさしいなんでもないことから起こり、世界の大事件も、必ず小さなちょっとしたことから起こるものだ。」
無知の状態での生活をすすめる思想。多くの不幸があるのは、人間が様々なことを知ってしまったからだと説く。つまり、ステーキを食べたことが無い人は、ステーキを望まないのと同じである。知識が欲求に繋がり、現在の生活が”足りている”という認識を失ってしまう。
年をとって、生きるのに疲れてから読むのが良いと思う。若いうちは、大きな目標を持ちながら生きていたい。今から無知無欲の生活を目指すのは、強者に搾取されてしまうだけだ。
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個人で老子の思想を取り入れるのはいいと思いますが、政治で老子の思想を取り入れるのは非現実的だと思います。
1.この本を一言で表すと?
・自己を自然から探す
2.よかった点を3〜5つ
・78 天下水より柔弱なるはなし(柔弱の徳)
→物事を受け入れる柔軟さを持つ人が強いということだと思う。固定観念に縛られないようにしたい
・71 知りて知らずとするは(わかったと思うな)
→知ったと思ったところに落とし穴があると忠告してくれている感じ。
・33 人を知るものは智(外よりも内を)
→自分自身を理解するのは本当に難しいことと思う。自分で満足できれば十分幸せであると思う。ただ自己満足との区別は難しそう。
・81 信言は美ならず(結びのことば)
→大げさなことや立派そうに聞こえる言葉は中身があるのかよく吟味しなければいけない。人に与えながら自分が豊かになるのは理想的。
2.参考にならなかった所(つっこみ所)
・65 古の善く道を為す者は(智をすてる政治) など理想の政治像について
→国を治めるのに知恵を不要とし、無為がよいという考えは賛同できない。現代の国の状況からいうと無為では滅んでしまうと思う。
3.実践してみようとおもうこと
・何度も読み返す。
・自分自身の弱みを見つめなおす。
4.みんなで議論したいこと
・道とはどういうものかイメージがつきましたか?
・無知無欲になれますか?
5.全体の感想
・老子は、聖人というより悟りを開いた人または仙人みたいな人だと感じました。
・各章ごとの解説がとてもわかりやすかった
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金谷治さんの講談社学術文庫から出ている『老子 無知無欲のすすめ』。老子道徳経 上下編 計81章。底本は王弼本。馬王堆から出土した帛書の内容を吟味し、積極的に取り入れている。本文の翻訳は、逐語訳を離れ、多少の言葉を補って理解を助けるようにしている。また、脚注や解説も充実し、理解の助けになっている。
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”金谷治さん訳注の『老子』。“現代人と古典とを直結するよう配慮”された訳文が読みやすい。サブタイトルは「無知無欲のすすめ」。
ガツガツせず自然体をよしとする老子の言葉は耳になじむが、以下の2文の厳しさにはドキリとした。
★他人のことがよくわかるのは知恵のはたらきであるが、自分で自分のことがよくわかるのは、さらにすぐれた明智である。他人にうち勝つのは力があるからだが、自分で自分にうち勝つのは、ほんとうの強さである。(p.113)
★聖人に短所がないのは、かれがその短所を短所として自覚しているからで、だからこそ短所がないのだ。(p.215)
「権下」や「不争」など、相手に対するやわらかな姿勢も、実は、内なる厳しさや強さが表現されているのかもしれない。
読了後、本書に対して親しみを感じつつ、一方でそんなことを考えた。
<キーフレーズ>
道、水、無知無欲、明智、無為自然、さかしらの、権下・不争の徳
<読書メモ>
・「道」はからっぽで何の役にもたたないようであるが、そのはたらきは無尽であって、そのからっぽが何かで満たされたりすることは決してない。満たされていると、それを使い果たせば終わりであって有限だが、からっぽであるからこそ、無限のはたらきが出てくるのだ。(p.25)
・「最高のまことの善とは、たとえば水のはたらきのようなものである。水は万物の生長をりっぱに助けて、しかも競い争うことがなく、多くの人がさげすむ低い場所にとどまっている。そこで、「道」のはたらきにも近いのだ。」
#上善は水の若し、が登場。「水」のたとえが意味するものって、こういうことだったんだ。
・この「道」をわがものとして守っている人は、何ごとについてもいっぱいになるまで満ちることは望まない。そもそもいっぱいにまでなろうとはしないからこそ、だめになってもまた新たになることができるのだ。(p.56-57)
#”いっぱいになりきると再生の活力が消える”→十分な満足を貪らない
・君主がこせつかずに悠然(ゆったり)として、ことばを慎んで口出しをしなければ、それで仕事の成果はあがり事業は完成して、しかも人民たちはだれもが「自分はひとりでにこうなった」というであろう。(p.65)
#大上の政治。
★世俗の人びとはきらきらと輝いているが、わたしだけはひとりぼんやりと暗い。世俗の人びとは利口ではっきりしているが、わたしだけはひとりもやもやとしている。ゆらゆらとまるで海原のようにたゆたい、ひゅうひゅうとまるで止まない風のようにそよぐ。多くの人はだれもがそれぞれ何かの役にたつのに、私だけはひとり融通のきかない能なしだ。わたしだけはひとり、他人とは違っている。そして、母なる根本の「道」に養われることをたいせつにしているのだ。(p.74)
#なんだかしみる…。
★他人のことがよくわかるのは知恵のはたらきであるが、自分で自分のことがよくわかるのは、さらにすぐれた明智である。他人にうち勝つのは力があるからだが、自分で自分にうち勝つのは、ほんとうの強さである。(p.113)
#!!
・内なる「徳」を深く豊かにたくわえた人は、ちょうど赤ん坊のありさまにも似ている。赤ん坊には蜂やさそりや蝮(まむし)のたぐいもかみつかず、猛獣もつかみかからず、猛禽もうちかからない。骨格は弱く筋肉もやわらかいが、握りこぶしは固い。(p.171)
#知を棄て欲を忘れて無心になる = 嬰児への復帰
★聖人はまた人と争うことがないから、だから世界じゅうにかれと争うことのできるものはだれもいないのだ。(p.203)
#逆説的な強さ。権下・不争の徳。
★聖人に短所がないのは、かれがその短所を短所として自覚しているからで、だからこそ短所がないのだ。(p.215)
#知りて知らずとするは…
・天の道?自然のはこびかた?は、すべてのものに利益を与えて害を加えることはない。聖人の道?やりかた?は、いろいろなことをするとしても、他人と争うことはない。(p.241)
・老荘の道家(どうか)のほうでは、そうしたあるべき人間の姿の追求よりは、あるがままの本来の自然な人間にたちかえることによって、世界の騒乱は静まり、人びとの安定した暮らしが復活すると考えた。(p.248:解説 より)
・それによって考えられる人物像は、ほぼ紀元前300年頃の隠君子、世俗の外にあって超然としながら、しかも世俗の混乱と特に民衆の苦しみを救いたいと念願する憂世の哲学者であった、ということである。その他のことは一切わからない。(p.263:解説 より)
<きっかけ>
人間塾in東京 10月の課題図書。”