紙の本
こうなったら読みましょう
2018/12/30 16:32
6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Otto Rosenthal - この投稿者のレビュー一覧を見る
未読の段階と読書感想を披歴するシーンごとに分類され、堂々と語るため心がまえも解説してくれます。
待望の文庫化で求めやすくなったので、買って読むべし!です。
紙の本
読書のための読書
2020/02/05 10:38
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ひな - この投稿者のレビュー一覧を見る
人から評判を聞いて読んでみました。これはすごい本です。読書についての今までの謎や悩みが、きれいにに整理されたような感じです。年月をおいて再読したいです。
紙の本
本は読んでいなくてもコメントできます!という驚きの一冊です!
2019/01/24 15:25
5人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書は、フランスの論壇で活躍するピエール・バイヤール氏によって書かれた驚きの一冊です。同書の表題にもあるように、著者は「本は読んでいなくてもコメントできる!」と断言します。しかし、読んでない本にどうやって意見することができるのでしょうか?私たちは不思議に思いますが、そこは鬼才と言われる著者が、分かり易く、そいのテクニックを教えてくれます。非常に興味深い書です!
紙の本
まじめな本
2017/10/22 22:02
5人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:L - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルはアレですが、いたってまじめな読書に関する考察本でした。一言で「読んでいない」といってもいろいろな「読んでいない」があることに気づいたのが一番の発見です。
紙の本
痛くて面白い
2021/05/30 16:44
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:H2A - この投稿者のレビュー一覧を見る
読書という趣味、制度、いやひとつの小さな世界で堂々と渡り合う方法を語ったハウツーもの、のような題名で意表を突く。しかしハウツー的なところより、大学教員が実はあの名著を読んでいないか通読しただけという告白もの(もちろん作中の記号の用法から見れば意図的にそうしているので字面どおり受け取れない)、もうひとつは突き詰めた読書論としての側面に惹かれた。後書きにもあるように作者は自ら自由な読書を敢えて実践し、読者を担いでみせる。日々感じているプレッシャーからは少し解放され気楽になれた。
紙の本
読んでない本を語るために本を読む矛盾
2019/02/26 17:36
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投稿者:Andy - この投稿者のレビュー一覧を見る
全く読んでない本から、読んだけど内容を忘れてしまった本まで、状況別に本を語る方法についてまじめに書いてある本。これをあえて読んで得られるものがあるかは人を選ぶでしょうね。
3人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kobrin - この投稿者のレビュー一覧を見る
この本はタイトルに反して難しい本である。著者に会うことはなかなかないが、そういうところまで気を配っていることは良いことである。しかし、例示がなかなか私にはピンとこなかった。内容もなかなか難しく、読んでいて私には苦痛に感じられた。
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面白かった!
買ってからずっと温めていて、そろそろ積読やばいしこの本を読んで積読解消させるか…と読んでみた本。
本を全て読む必要はない。むしろ読まない方が、本の内容に引っ張られず、自分に向き合い自由に語ることができるという話だった。
・そもそも本を「読んだ」とはどういう状態か?「読んだ」と「読んでない」は白黒つけられるものではなく階層的なものである
・本を読むことは本を読まないことと表裏一体
・他の本との関係性、位置関係を知り、全体の見晴らしをつかむ。あえて流し読みをする
・自分を形成してきた本は個人によって異なる。同じ本を読んだとしても、自身の背景、捉え方などにより解釈が異なるのは当たり前である
文章が固くて哲学的でわかりづらいが、自分が本を読む状況で考えてみるとなんとなく理解できたかも。
確かに、色々な作家や作品について読まないまでも多方面から情報を入手し、「この作家の作品はミステリー、この作家の作品は恋愛もの…この人は激しめ、この人のは柔らかい…」という風に自分の中である程度ラベリングし、読まなくても何となく語ることができる。これにもっと自信を持ち、読んでいないことを恥だと思わなければいいということか。
面白かったけど、各章小説を基に事例紹介されているのが気になる。小説は結局のところ創作であって作者の思い通りに進んでいくので、現実とは違う。
ピエール氏が実際どのように堂々と語っているのかもっと知りたかった。
あと「自分は読んでいないが他者は読んでいそうな本を挙げて、読んだ人が多いと勝ち」という屈辱ゲーム楽しそうだからやりたい。
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なんて刺激的なタイトル!
タイトルだけ見ると、ハッタリを推奨するようなふざけた内容の本だと勘違いされそうだが、
実はフランスの大学教授が読書について真摯に考察したアカデミックな内容の本。
常に本を読まなければと強迫観念に駆られている(まさに自分のような!)人間にはぜひ読んでもらいたい。
本なんて読んでいなくても堂々と語っていいのだ。
例え精読していたとしても解釈の仕方は人それぞれなのだから、何を語っても正解も不正解もない。
例えば「ハムレット」なんて何万人?もの人々が研究していて、それぞれに異なる意見があるのだ。
だったらちゃんと読んでいなくても堂々と語ってしまっても問題ないだろう。
そもそも本を「読んだ」とはどのような状態か。
本は読み始めた瞬間から内容を忘れていくのだ。本について語るのは内容というよりも
大まかな記憶について語ることだ。
「自分の判断で有益と思ったこと」、「自分の判断力が吸収することができた議論や考え方」
頭に残るものはそれだけだ。
それはその時の自分の置かれた状況によって、本の内容が改変されたものだ。
と、まあ硬いことを書いたけれど、
本は絶対に読まなければならないものではないし、
読む場合は頭から最後まで読むなんてことをしなくてもいい。
どんな読み方をしたっていいのだ。
これから読書をしようと考えている人は気楽に本を読んでみましょう。
ところで、僕が本当にこの本を読んでいるのか、
それとも読んでいないのかは内緒にしておこうと思う。
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軽いエッセイ的な読み物なのかと思ったら、しっかりとした哲学的論考であった。
それゆえに、全体をしっかり理解したとはとても言えないんだけど、諸処でくすくす笑いながら読了。とくにティヴ族にハムレットを読む話が白眉でした。
最近では読んだ本の中身なんて片っぱしから忘れるので、わたしにとってはすべての本が(忘)であって、こうしてブクログに記録を残すことでかろうじて自分が感じたことを現世に留めている感じ。本書でもさいしょのほうでモンテーニュが「自己消失をくりかえしている」(読んだものどころか、自分が書いたことも忘れてしまう)と記されていて、少し安心した(笑)
読んだ本と読んでいない本の境界って、ほんと、どんどん溶けていくのよ。だから、もう、読む行為が楽しくてそのときにいい時間が過ごせていればよしとしようという気持ちになりつつある。自分はザルどころかトンネルのようなものなので、せめて面白かった本については、ブクログやツイッターで「面白かった!」と言っておこうと。そうすれば誰かひとりぐらい奇特な人がその本を手に取ってくれるかもしれないから。
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《目次》
◇I 未読の諸段階(「読んでいない」にも色々あって……)
・1 ぜんぜん読んだことのない本
・2 ざっと読んだ(流し読みをした)ことがある本
・3 人から聞いたことがある本
・4 読んだことはあるが忘れてしまった本
◇II どんな状況でコメントするのか
・1 大勢の人の前で
・2 教師の面前で
・3 作家を前にして
・4 愛する人の前で
◇III 心がまえ
・1 気後れしない
・2 自分の考えを押しつける
・3 本をでっちあげる
・4 自分自身について語る
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題名が刺激的であるが、これはたいへん示唆に富む読書論である。買った本の積読状態が続き、さらに新たに読みたい本がそれに加わって、はたして自分は一生のうちにこれらの本を読み終えることができるのであろうかと慨嘆していた矢先、この本はまさにそんな思いに捉われていた自分にとっては、まさに天からの啓示のようであった。
著者は、書かれている内容を知るという重圧から自らを解放して、それらの本を手掛かりにして、自分自身のことを知るべきだと説く。確かに、歴史的な評価がある程度定まっている、いわゆる「名著」の類の本を前にすると、ついその内容を理解することばかりに注意が向けられ、自己をどう発見するかという視点が疎かになる。
それまでの自分の読書の経緯を振り返ってみて、「読書のための読書」になっていたのではないかと反省させられた。一生のうちに読める本の数は限られている。これからは、どう自分を発見するかという視点で読書するようにしていきたいと思う。
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挑戦的・挑発的なタイトルで、また、そういうタイトルの本を読む、という矛盾をはらんだ本だが、これがなかなかどうして非常に真面目で非常に面白い本。
どんなに多読であっても世にあるほとんどの本を読むことなく一生を終えるわけで、その意味で読書家とそうでない人の差など全体から見れば誤差にすぎないかもしれない。「読む」という行為も、読んだ/読んでないという0と1の関係ではなくて、名前も聞いたことのない本から、人づてで聞いたことのある本、他の本で言及された本、ざっと流し読んだ本、何度も精読した本、あるいは読んだけど忘れてしまった本まで、極めて微妙なグラデーションの中にある。そのように「読む」を考え直してみると、われわれが本を「読む」と言う時それはいったいいかなる概念・行為なのか、という問いが立ち現れる。とするならば、われわれが「語る」ことができるのは本当に読んだ本だけなのか、読んでいないからといってその本について「語る」ことができないと言えるのか。
と、感想を書いてはみたが、ぼくが本当に本書を読んだのかどうかはわからないわけなんだよな。
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「読書」という行為を軸にした文芸批評・教養論です。
読書という行為は往往にして、無自覚に考える以上に読書経験から乖離するものであり、しかも読書行為そのものが教養において重要視されます。この構造を理解することで、読書行為に縛られずに望ましい読書経験を得ることと教養の体面を保つことは可能です。
本に書かれていることはその他の本に書かれていることとの関係性によって位置付けられるものであり、さらにその関係性は一冊の本の中でもあるページに書かれていることと他のページに書かれていることの関係性とも並行します。そしてその内容は外的要因(時間や状況)によって変化しうるのみならず、昔読んでなんとも思わなかったが今読むと刺激的だったとか、或いは逆に読んだ傍から忘却が始まる、その後読んだ本によって本の価値が書き換えられるといった内的要因によっても容易に変化します。このようなダイナミックな性質も含んだ自分の読書の総体を<内なる図書館>とします。
そしてまさにこの本のタイトルにもあるように本について語るということ、つまりコミュニケーションにおいては、話し手と聞き手の双方が別々に有するダイナミックな<内なる図書館>の間の話であり、それは容易に「耳の聞こえない者どうしの対話」になります。
その中で著者が読書から得る本質的に重要なことは、読書から受ける刺激を通じて、創造的に批評することであると結論付けます。
もっとも、こうしたことが出来るのは、既に本を批判的・相対的に読むことが出来るある程度の教養が必要です。結びではこれを踏まえ、学校教育においても読んだことのない本について話すプログラムがあっても良いと(半ば冗談に)書いています。とはいえ、著者の主張を忠実に考えれば、出てきた創造的批評はその人自身の発見となるので、いずれにせよ効用はあると言えます。
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なんかニヤニヤしながら読んじゃった。面白い。べつに読まなくても「どんな本か」という位置づけを知っていれば十分、とのこと。
京極堂の師匠もそうおっしゃっていましたね。
本と本は繋がっているし、人間は日々変化するし忘れるので実際読まなくてもOK、ということで励まされる(?)本でした。