蓮池薫さんが翻訳
2024/10/03 16:57
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投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
ネタバレ
韓国作家の作品を拉致被害者の一人、蓮池薫氏が翻訳した。読み始めは文体がなんだか硬いなあ、蓮池氏がまだ翻訳に慣れていないからかなあと思っていたのだが、もちろんそれは思い過ごしで、読み進めていくうちにこの伊藤博文を暗殺した男を描くこの作品にはこの文体しかなかったのだ理解できた、安重根は暗殺後、裁判中にこう語る、「おれは暇で伊藤を殺したわけではない。おれは伊藤を殺さなければならない理由を世界に伝えるために伊藤を殺した」、韓国の平和を乱し、数十万という韓国人をハエのように殺した男を東洋の平和のために殺したと。この作品は安重根という男を英雄視することなく、「おまえの行いが人の道理と宗教の教えに反しないと考えるのか」と考える彼の師、ウィルヘルム神父を登場させて、その暗殺という行動を冷静に描き切っている
勝つか、負けるかではなく、自分にとってやらねばならないことがある
2024/06/16 08:29
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投稿者:あお - この投稿者のレビュー一覧を見る
1910年、韓国併合。初代韓国統監、伊藤博文。
ハルビン駅。銃撃。
韓国青年、安重根。
これらの言葉はかつて受験のために記憶したが、断片として頭の中で混在しているのみであり、一つの大きな出来事として像を結ばなかった。
安重根が何を思って伊藤を銃撃したのか。小説なのだからそこに書かれていることが完全な事実かどうかは置いておいても、歴史の表面的なことしか知らない身にはとても気になるテーマだった。
本作は、ハルビン駅で安重根と伊藤博文が相見えるその時より数年遡ったところから始まる。伊藤側の動向と、安重根側の動向が交互に描かれ、やがて伊藤はロシア財務長官との会談のためにハルビンへ向かうことになる。一方で安重根は、朝鮮の国権回復の糸口を探るべくウラジオストクに向かう道中、伊藤がハルビンに来るという情報を得る。
伊藤は東京から大連、奉天、長春を経てハルビンまで鉄路で向かう。安重根はウラジオストクからハルビンに向かう。
こうして、交差するはずのなかった二つの道の上を、二つの点が互いにどんどん近づいていく。ハルビンという、言ってみればゼロ地点で両者が邂逅を遂げるまでの緊迫感、臨場感がひしひしと伝わってくる。何が起こるのかはすでに分かっているが、それでも「どうなるの、え、どうなるのこれ」とハラハラさせられ、ページをめくる手が止まらなかった。
人が何かとんでもなく大きなことを遂行する時、我々はその原動力となった心理について考える。
安重根には愛国心があり、排日思想を持っていた、というのは必ずしも間違いではないと思うが、ある意味結果として我々の目にそう映っているだけであり、個人の内面というより深いレベルに落とし込んで考えると、安重根は常に自らの≪居場所≫を探していたのではないか。
内部から腐敗しきって崩れかけ、他国の侵略を許している状態の故国を受け容れるのは心理的に容易ではないと思う。それでも故国を自分から切り離すことはできない。生まれた国は自己のアイデンティティを構成する一要素だ。しかし安重根にとってはそれらがどうにもうまく結びつかなった。地上のどこにも帰属意識を持てないでいた。
また、生まれたばかりの長男の乳臭い匂いから引き出された悲しさは、命と死のサイクルが自然の秩序としてずっと同じように、地上で起きている出来事などまるでどうでもいいような風に回り続けている事実と、実際の地上の様子との乖離から来たのだろうか。それらが相まって、安重根は自らの行く道を定めるべく、その胸中を家族にも、自らに洗礼を施したカトリック教の神父にも、打ち明けることのできないまま孤軍奮闘していたのではないか。
そして銃撃後に神父と獄中で面会した時、安重根は東洋の平和という自らの大義の根底にある深層心理を表出したことで、初めて魂の安息を得ることができたのではないか。大罪を犯した信徒に告解を施した神父は、彼の口からどんな言葉を聴いたのだろう。
帝国主義の嵐が吹き荒れた時代、奪われる側の国には支配に抵抗する者、自分の利益のために強者に迎合する者、時局に興味のない者、搾取し尽くされ立ち上がれない者、様々な人間がいただろう。その中で、大勢を目の前にして個人が身一つで立ち向かうのは普通に考えれば無謀である。
しかし安重根は自分の生き様を諦めなかった。あらゆる方面から活路を見出そうとしては失望し、また光に導かれながら、自らの道を探していた。彼の生は間違いなくきらめいていた。
そのきらめきは、抑圧され、もがき苦しんでも、屈することなく、自らの見つけた光に向かってただ突き進めと、我々に語りかけている。
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投稿者:BB - この投稿者のレビュー一覧を見る
歴史の教科書で、伊藤博文を暗殺した人物としてその名を聞いた安重根だが、日本では一般にその名前以外あまり知られていないのではないか。韓国では「抗日義士」として称えられる一方、日本では政治家が「犯罪者」との認識を示す。
本書はそんな安重根がなぜ、伊藤の暗殺に至ったのか。その生い立ちから青春までを追う。蓮池薫さんの訳で私たちが触れられる著者キムフン氏の文章は淡々としている。極東の暗い雰囲気も相まって、冒頭からしばらくは正直、退屈さを覚えた。
しかし伊藤の目、安重根の目で語られるハルビンを通して、当時の権力者の思惑や歴史が描かれる。歴史小説であり評伝として、気づいたら引き込まれていた。
韓国ではヒョンビン主演で映画化もされたらしい。
見比べるのも面白そうだ。
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日本は明治維新から駆け足で拡大し、日清、日露戦争の後〈列強〉といわれる陣取り合戦に名乗りを挙げる。
高校で習う〈朝鮮半島併合〉は、単に地図の色が変わった程度。
当然ではあるが人の血が流れていることを、この本は伝えている。
「伊藤博文」は、幕末に吉田松陰の下で学んだ長州藩志士。維新後に初代内閣総理大臣(その後何度も再任)を勤め立憲政治を進めたことはもちろん、日清戦争の下関条約締結で清朝末期の西太后とも関わりが深く、昭和の千円札でも馴染み深い、明治の重要人物。彼を銃で暗殺した「安重根」という人物に光を当てた物語。
恐らく膨大であったであろう資料をもとに、客観的な文章を心がけて綴られた物語は、淡々としていて好感が持てるのみならず、かえってこの物語の本質を理解しようと試みる気になるほど。
「暗殺」という陰湿で嫌悪感の強い事件でありながら、深みのある物語である。
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前々から安重根の物語は読みたいと思っていた。この「ハルビン」は安重根に肩入れするために伊藤博文を貶めていることなどはなく、事実に多少の脚色を施しながら淡々と描かれている。寡黙ながらも毅然とした安重根の実行力とその正当性がよく伝わってきた。
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出版社(新潮社)
https://www.shinchosha.co.jp/book/590194/
「試し読み」あり。
安田浩一による書評「読書好日」(朝日新聞)(20240817)
https://book.asahi.com/article/15390969
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韓国側からの見方により、安重根が一方的に正義だとは思わない。だからと言って日本側の朝鮮統治や安重根に対する裁判の経過と結論はまったく正しくないけれど、それぞれの立場で依拠する論理が理解できてしまう。どちらにも正しいと思わせるところがあるから難しい。そしてそういった国家の論理を超えて存すると思われる宗教の立場においても、これらを救うことはできないことをこの小説は示してしまう。その意味ではある意味絶望的である。ただ、作者は後記において、安重根の青春を描きたかったと述べており、その意図を鑑みると、この小説の描きたいところを理解することができる。
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ハルビンの駅で伊藤博文を銃撃した安重根(안중근)を描いた小説。安家は黄海道の海州で代々暮らしてきた地主だ。安重根は安家の長男だった。一人で山に入り数か月も家に帰らず、時にはノロ鹿を銃で撃って持ち帰ってくるような青年だった。キリスト教の洗礼を受けていたが、神父には上海にいくとだけ話した。そして上海では思ったほど人に会えず一年して戻って来た。そして村で小さな学校を開いて子供に地理や国史などを教えていたが、もどかしさを感じていた。そしてしばらくして神父にあいさつに行った。ウラジオストクに行くと。神父は何故そこに行くのかと問うたが、安重根の答えを待たなかった。安重根という男を知っていたからだった。これで安重根の軌跡は伊藤博文の軌跡とハルビンでついには交わることになる。何故安重根は伊藤を銃撃したのか。それは朝鮮人全てが知っていると。朝鮮の山野に夥しい骸が眠っているのは伊藤のせいだと。それを日本人はほとんど知らない…。
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安重根の意識は戦争状態であり、暗殺は敵国のリーダーの影響がないものにしたということだった。当時、彼の行為は理解されることなく、信仰していたカトリックからも罪人扱いにされていた。テロ行為だからね。でも、戦後になって名誉回復になった。
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韓国側と日本側、それぞれの立場で正しさは変わってくる。この小説からのみ読み取るのであれば、どちら側も理解できる。作者はあとがきで安重根の青春を描きたかったと述べている。そういう意味ではこの小説の描きたかった事を理解することができる。
Wikipediaでは以下のように記載されていた。
開化派の流れを汲むカトリック教徒であるが、華夷秩序を主張した旧守派及び東学党や、後継たる天道教及び一進会とは終生敵対したため、民族主義者としての立場は不明確とされている。そのため、生前に本人が何を明確に主張していたのかは、はっきりとしていない。親露派との関係性は不明。1909年10月26日に韓国併合阻止のために尽力していた伊藤博文をハルビン駅構内で襲撃し暗殺に至った。ロシア官憲に逮捕されて日本の関東都督府に引き渡され、1910年3月26日に処刑された。獄中で「東洋平和論」を執筆。大韓民国の建国以後、韓国の民族主義で象徴的な位置づけとなった。
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安重根の名前だけが記憶されどんな人物か知らないままでした。母親の代からのウィルヘルム神父との交流や明洞大聖堂のミューテル司祭に、西洋の修道士たちに来てもらい朝鮮に大学を建て、国の発展のための人材を育てたいと提案するシーンなどは安重根の人物像が具体的になるストーリーでした。
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世界史で安重根を学んだが、読後は安重根をより身近に感じることができた。
この本を読む前は伊藤博文を暗殺した人物だという知識しかなかったが、安重根が何を感じ、自分の命を投げ捨ててでも何を訴えたかったのかを読後に何度も考えさせられた。
特に暗殺後の裁判における安重根と検察官との駆け引きはリアルで非常に興味深かった。
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キム・フン著、蓮池薫翻訳の『ハルビン』が、図書館からやっと届いた。
1909年10月26日、ハルビンの駅で安重根が元朝鮮統監の伊藤博文を射殺。安重根と伊藤博文が、それぞれこの日にいたるまでが交互に描かれる。
作者の視線は、安重根にも伊藤博文にも偏っておらず、ほとんど感情的な描写もなく、淡々と二人を追っていく。
安重根が逮捕されたあと、検察官はあくまで政治的イデオロギーと切り離した自供を引きだそうする。しかし、安重根は祖国のために、伊藤が何をしたかを知らしめるために暗殺した、という言葉以外は語ろうとしない。
その言葉には一切ブレも迷いも、後悔もない。
安重根のそのまっすぐな怒りは、なぜ、どこから生まれたのか。それは日本人読者への大きな宿題だ。
それにしても、残された妻子はさぞ苦労をしただろうという思いは拭えない。
ハルビンに行く前も、放浪していた安重根。
帰ってきて数年経つとどこかへ旅立ってしまう。
妻が妊娠しても、子どもが生まれても。
安重根は、ハルビンで伊藤を暗殺する直前妻子をハルビンに呼んでいる。朝鮮にいるのはあまりに危険だからと、知人に頼み連れてきてもらうのだ。
しかし、家族も友人もいない言葉も違うハルビンで、残された妻子はどうやって生きていけというのか。
安重根は命を捨てる覚悟があったとしても、残された家族には想像を絶する苦労が強いられただろう。
作者のあとがきによると、妻の記録はほとんど残っていなかったという。
フォトジャーナリストの安田奈津紀さんが、韓国人だった父親の出生を辿ろうとしたとき、祖父の情報はたくさん集めることができたが、祖母は全くといっていいほど記録がなかったのだそうだ。女性が歴史から消されてきたということを感じた、と話していたことがあり、この本を読んでそれを思い出した。
安重根がなぜ伊藤博文を暗殺するに至ったかを考えることも大切なことだが、歴史に名前が残されたなかった人々のことを想像する力も、私たちには必要だと思う。
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歴史小説ということで読む前は身構えていたけれど、すごく読みやすくストーリーに没頭できた。今まで読んできた本と繋がるところもあり理解が深まり、だけどまだまだ知らないことが自分には沢山あって、知りたいことも増えた本でした。読んで良かった。
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ハルビンで日本の初代首相伊藤博文が暗殺されたことを、暗殺者安重根や韓国側からの目線で書いたノンフィクション(だと思う)。
とはいえ、私自身は日本側からの視点でのこの事件の詳細はよく知らない。
日本は韓国を併合しようとしていたのだから、当然多くの韓国人は日本に対して良く思っていなかっただろうと考えていたが、この本にはそのような韓国人の激しい感情はほとんど書かれていない。
伊藤が暗殺された後の韓国人、少なくとも上層部の人たちは、日本に謝罪し、喪に服し、伊藤の死を悼んでいた。
日本も同様、伊藤の暗殺に対して、激しい怒りに出ることもなく、裁判も当時の法律に則って静かにきちんと、安重根への取り調べを何度も行い進めている。
もちろん死刑にはなるのだが。
韓国で安重根は英雄視されていると聞いたので、この本には韓国人のもっと激しい感情が描かれているかと思ったが、そうではなかった。
私は歴史を知らなすぎるのだと思う。