投稿元:
レビューを見る
著者が百年の孤独を読みながら浮かぶ連想に従って脱線を繰り返す、という内容のエッセイ。
著者と年代が近くないと脱線で引用される内容に乗れないかもしれない。TVドラマそれでも家を買いました、ドリフターズのコント、ドラクエ3など。
タイトルにあるような代わりに読んでもらってる感じはしない。むしろ逆に読書は他人に代わってもらえない、同じ物語でも読む人が変われば読み方も変わることを浮き彫りにしているような。
百年の孤独のストーリーを順を追って紹介してくれるのでざっくりとした内容の把握にいい。10年以上前に一度読んだきりだったので大半を忘れてしまっていた。文庫になったので読み直そうか。
投稿元:
レビューを見る
大河長編を読むのに必要な力は、気力・体力・読解力だと思っていたが、これを読んで読解力を脱線力に変えてしまってもいいと思った。自分の見たもの聞いたもの読んだものや経験を物語に引き寄せて読むことは自分なりの読書の快楽。そして他人の読みと一緒に読み進めていくという稀な読書経験もこれまた面白い。
投稿元:
レビューを見る
『百年の孤独』を読むことが途中辛すぎて、読み切る助けになればと同時に読み始めた。
内容に対するツッコミは同意できて楽しかったが、著者とジェネレーションギャップがあり、著者の狙いの脱線の部分のネタがあまり分からず、『百年の孤独』だけの話をしてほしい…と思ってしまった。
代わりに読むという試みは斬新でよかったので、もう少しわかる脱線ネタであれば楽しんで読めた気がする。
投稿元:
レビューを見る
「百年の孤独」は、もう読んでしまっているのだけど、代わりに読むとはどのようなことなのかと思い、代わりに読んでもらおうと思って、代わりに読むを読みました。代わりに読んでもらうという体験を本当にしたのかはよくわからなかったけれど、ほかの人はどんな読み方をしているのかを知って大変面白かった。小説を読んでると、読み進めるうちに、そういえばあの映画で似たような話があったよな、とか、この人はまだ生きていたのか、とか、この話は実際にあったことなのかな、とか、この言葉の意味はどういうこと、とか、引っかかって脱線して、考え込んだり、グーグルさんに教えてもらったりして、そうこうしているうちに話の筋がわからなくなって、前に戻らざるをえなくなって、戻ったはいいが余計にわからなくなったりしながら読んでいるけど、同じだよね。読み終えるまでの過程が面白い。小泉今日子のドラマ、ミスドの闘いなど作者自身によるエピソードが面白かったな。読後に、この本をきっかけに出版社を立ち上げ雑誌を創刊していることを知り、少し注目してます。
投稿元:
レビューを見る
しかも早川書房で出す(笑)
→『百年の孤独』は新潮社刊
もちろん、代わりによんでもらった
この解説?を読んでも
なんか読んだ気になりそうな感じはする。
しかし、やっぱり本編読んでからだと
「そう!そうなのよね!」といった気持ちで
さらに楽しめると思います。
あと、読みながら「この展開はアレに似ている」
と著者の思い出のテレビドラマや
昭和の流行のネタに脱線していくのも
また妙におもしろかった。
投稿元:
レビューを見る
すごく面白い試みだと思う。「百年の孤独」読むにあたって、この本を携えて、一章ずつ交互に読んだ。
各章の最後に、
「先が気になる人はぜひ本屋さんへ走ってください」と書かれているのも好感が持てた。
で、結果から言うと、「百年の孤独」が面白くなりすぎて、この本は途中から必要無くなった笑
友田さんの世界観は、ガルシア・マルケスとはスケールが違いすぎて、同時には読めなくなってしまった。
せっかくの試みなのに、腐してしまうようで申し訳ないのだが。日本のサブカルチャーの連想ゲームとマジックリアリズムの同時並行は無理でありました…。しかも、友田さんの嗜好は男性的なサブカルの世界なので、(最初の方はそうでもなかったので、女性かと思っていた)私の嗜好とは少しずれていたかも。
投稿元:
レビューを見る
『百年の孤独』の余韻を味わいたくて読んでみたが駄目、自分には合わなかった…180ページでストップ。
将棋の封じ手の話、双子の同級生の家の玄関が網戸だった話など、脱線話のエピソードにひとつも共感できず。本当にそんな風に考えるかなあ、盛ってるなあ、つまんないとしか思えなくなり読むのが辛くなった。「代わりに読む」というコンセプト自体は好きだけに残念。自分の感性に合わなかっただけかと思う。
投稿元:
レビューを見る
Twitterかなにかで知って以来、読みたいものだと思っていたが、お茶の水丸善で発見。
度々挟まれる、百年の孤独とは関係のないドラマや映画の写真が、どこかユーモラスで、笑いが込み上げ、購入決定。
真面目な文章でありながら、どこかユーモラスなニュアンスが漂う文筆家がおりますが、
とんさんからもそれん感じる。
ただ、全編通して読んでみると、
いやいや、筆者は結構シリアスである。
百年の孤独もなかなかにシリアスである。
単行本ではるか昔に買って読んでいた百年の孤独だが、
まったくもって新鮮な気持ちで伴走をしていただいた気持ちになり、壮大なこの百年記が、かつて読んだ時には神話のようなファンタジーだと感じていたものが、
(ファンタジーが苦手)
実にリアルな通低音が終始響いていた事に気づくのであった。
本編とは別に、好きで始めた事が大きく広がっていく、その動きに感銘を受けた。
私もかつて、某インディーズグループのファンクラブを勝手に立ち上げ、中野ブロードウェイのタコシェでファンクラブの会報を置かしていただいたことを思い出した。
まだまだ動けよ、自分。
という勇気も生まれた。
とんさん、ありがとう。
投稿元:
レビューを見る
話題の『百年の孤独』。
書店で手に取ってみたけど無理だな、と思った。
けど、どんな内容なのか気になるから検索してたらこの「代わりに読む」に出会った。
脱線が面白くてクスクス。でもこの脱線のネタは世代によって通じないんじゃ?でも面白さは伝わるか、とも思ったり。
登場人物の名前が同じのばっかりでやっぱり無理。
代わりに読んでくれてありがとう。読破した気分になれた(笑)。
投稿元:
レビューを見る
『百年の孤独』の読書会に参加表明したけれど、あの本を再読するには骨が折れると思って、代わりにこちらを読むことにした。
百年の孤独のメインエピソードがちゃんと書かれているので読書会のための復習になったけど、改めて『百年の孤独』って変な作品だと再認識させられた(いい意味で)。本篇の既読者にとっては、代わりに読んでもらえたと思う人も多いんじゃないかと。
著者も、よくあの本のエピソードから似通ったようなストーリーを思いつくなと感心するばかり。脱線しまくりだけど、読書ひとつでこんなに世界が広がるなんて凄い。
少女に何が起こったかの話がめちゃくちゃ気になって、Wikiで確認してしまった。脱線楽しい。
★…4.5
投稿元:
レビューを見る
『百年の孤独』を読む自信がなく手に取ったが、こちらもまあまあ分厚い本で怯みながらなんとか読み切ることができた。やっぱり途中から、誰が誰で、誰の子供なのかがわかりにくくて難しかった。なんとなくのストーリーはわかった気がする。
文章を読むときに一番印象に残るのは、筋書きよりも説明できない手触りみたいなものだと思う。筆者の脱線もそれを伝えるためなんだろうと思ったが、やっぱりその手触りをどう受け取るかは人によって違うだろう。
正直ますます原著を読める気がしなくなったが、大まかにストーリーがわかっているほうが手触りに集中できそうな気もする。いつか読めるといいな。
投稿元:
レビューを見る
待望の文庫化が話題になった『百年の孤独』。
この世界的名著を『代わりに読む』という奇書。
しかし、著者にそれを動機付けた『百年の孤独』は、それ以上の奇書カモしれないと読後思うなど。
(勿論、底本は未だ未読です)
投稿元:
レビューを見る
「百年の孤独」と同時進行で読みました。
代わりに読んでもらったのかどうかはさておき、ガイドブック的な役割であるのは確かかもです。「百年の孤独」に挫折しかかっている方がいるなら、こちらの方をおすすめしたい。
途中の脱線も、必要なものとして受け入れられるくらいの脱線でした。
投稿元:
レビューを見る
文庫版「百年の孤独」とセットで買ったものの、やっぱり最初は自分ひとりの力で読みたいと思い、「百年の孤独」読了後にこちらを読みはじめた。
「代わりに読む」とは何なのか、書きながら著者は考えていく。
同時に「百年の孤独」のシーンについてツッコミを入れつつ、そういえば……という感じで昔見たドラマや映画などの話にそれて、ときにはそれらのエピソードと「百年の孤独」の物語が併走していく。
著者と年齢的には近いけど、ドラマや映画などを熱心に観てこなかった私は、その部分についてはよくわからなかった。
わかる人ならもっと楽しめると思う。
「百年の孤独」を読了後にこちらを読んだせいもあり、代わりに読んでもらった!とは思えなかったけど、一緒に読み進めている感覚はあった。
それはそれで面白かったし、評論や解説本の一方通行な受け取り方とは違って、「友だちと同じ本を読みながらゆるく雑談してる」みたいな、双方向な感覚があった(実際にはもちろん一方通行だけど、あくまでも感覚的に)。
真面目な評論や解説本、謎解き本もいいけど、この本のように気楽に読めて楽しめる併走本が古典などの読みにくい作品の隣にあったら、もっと読書のハードルが下がると思う。
投稿元:
レビューを見る
「百年の孤独」を読んだ後だったので
なんだか楽しく読めた
「百年の孤独」
がなんだか愛おしく思えてきた
もう一度読んでみたい
いや、何度でも読んでみたくなった