新版　蔦屋重三郎　江戸芸術の演出者

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大河ドラマをより楽しむために。

元々は1988年に出版された物なので、かなり古い研究書になるのかもしれない。

現代の人だと蔦谷重三郎と言ってもピンとこない人が多いような気もする。私もレンタルビデオのTSUTAYAがイメージできるくらいで、重三郎の人となりや、その業績や出版文化への寄与や影響を認識していたわけではない。

とにもかくにも、蔦谷重三郎はその人間的魅力と人脈を武器に、天明から寛政期にかけての出版界で成り上がり人気版元になった。山東京伝や歌麿写楽と組んで数多のベストセラーを発行し人気を博したのだが、幕府に睨まれて財産を没収されたり、人気戯作者が罰っせられたりした事で、社会風刺に富んだ黄表紙は出版しにくくなり、全盛期は割と短く終わってしまった。

おそらく、当時の絵師は芸術家というより職人に近い側面が強いと思うので、あまり後世の目で見て芸術性の側面だけを強調する論には与したくないのだが、本書ではその側面がやや強く出てきている様な気もする。

ともあれ蔦谷重三郎は大河ドラマの主人公であるのだが、吉原出身でありそこをサロンにして人脈を広げたり洒落本の発行や、案内書を出していた。ドラマではそこをどう描くのだろう。吉原は遊里であったが「苦界」でもあったわけなので。

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新版　蔦屋重三郎
江戸芸術の演出者

著者：松木寛
発行：2024年10月8日
講談社学術文庫
初出：「蔦屋重三郎～江戸芸術の演出家」（日本経済新聞社、1988年）。2002年に講談社学術文庫。巻末解説を加えて本書（新版）。

2025年の大河ドラマ・蔦屋重三郎に関する小説は何冊か読んだが、本書は学者が書いた学術書である。日本美術史が専門で、東北大の助手を経て東京都美術館の学芸員という経歴。重三郎の生涯（概要）と周辺人物との相関図を知りたくて読んだが、そう簡単ではなかった。それについては、谷津矢車著「蔦屋」や「憧れ写楽」といった小説を読んだ方が分かりやすい。

本書は重三郎の出版元としての実績を辿るにとどまらず、彼と関係のあった絵師や戯作者などの経歴などについても紹介するとともに、彼らの作品内容に関しても解説する。とりわけ浮世絵については、その中身についてまで比較検討し、いかにも美術館の学芸員らしい詳細な解説をほどこすため、蔦屋重三郎の生涯について概要を知りたいだけの人は、途中で投げ出してしまうことが多いかもしれない。先に小説を読んでからの方が分かりやすい。ああ、これは小説でいうあの部分のことだな、これが根拠になっているんだな、などと納得できる。

重三郎は、江戸の吉原に生まれた。父親は尾張、母親は江戸出身だが、詳しいことは分かっていない。何らかの理由で両親と離別し、喜多川氏が営む蔦屋（屋号）の養子となり、吉原で茶屋を経営していた。この茶屋は遊郭的な茶屋ではなく、お茶を出す文字通りの茶屋だった。その後、重三郎の生涯を追うには下記がポイントになりそうである。

・茶店からはじめ、吉原の引手茶屋軒下で書店「耕書堂」を経営
・鱗形屋が出版する「吉原細見」というガイドブックの卸しと小売りを始める
・自らも「吉原細見」を出版し、版元デビュー
・新進気鋭の版元として成功したのは、企画力と、吉原の茶屋での接待攻勢。有力な絵師や戯作者などの作家を接待で囲い込み、プロデュサーとしての腕を発揮
・日本橋にも蔦屋を進出させて本格的な版元に
・田沼意次の政策に乗って成功するが、松平定信に代わって言論弾圧を受け、寛政３年に舌禍事件を起こして財産を半分没収、有力戯作者も失う
・黄表紙（絵入りの戯作）、狂歌本、浮世絵（美人画、役者絵）において、有力作家や絵師を発掘して大成功
・絵師では、喜多川歌麿と東洲斎写楽を発掘。勝川春朗も発掘したが見切りを付けた（後に二代目重三郎が葛飾北斎として育てる）
・戯作では、絵師でもある山東京伝が代表

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＜予備知識＞

・江戸と上方の版元
明暦（1655-58）：江戸で出版業が企業として確立
万治（1658-61）以降：鱗形屋など江戸の重心となる書肆が登場、ただしまだ京都系が優勢
元禄（1688-1704）以後：京都・大坂から江戸へ移っていく
宝暦（1751-64）：江戸での出版部数が上方を上回る、江戸出版資本が上方資本より優位に

・版元の違い
江戸の版元は享保（1716-36）に、書物問屋と地本問屋に分けられた
物の本：儒学書、仏教関係諸、歴史書、医学書など、山東京伝の黄表紙「御存　商売物」によると、「唐詩選」「源氏物語」「徒然草」、年代記、儒書、「庭訓（ていきん）往来」、石摺、「塵劫記（じんこうき）」など。書物問屋が取り扱う
地本：草双紙、絵双紙など。「御存　商売物」によると、黄表紙（青本）、洒落本、読本、錦絵、浮絵、一枚摺、吉原細見、咄本、長唄本、道中すごろく。地本問屋が取り扱う

・17-19世紀の有名書物問屋は、
日本橋通南一丁目の須原屋茂兵衛が有名。
日本橋通南三丁目新右衛門町の前川六左衛門。
江戸長谷川町の松会市郎兵衛。

・地本問屋は
大伝馬町の鶴屋喜右衛門が有名、書物問屋でもあった。
鱗形屋孫兵衛
山本九左衛門

田沼意次の時代になり、豊かな個性と鋭い知性で、天明・寛政期（1781-1801）の文化を江戸時代の頂点にまで押し上げたとして脚光を浴びているのが、蔦屋重三郎と須原屋市兵衛。

延享：1744～1748
寛延：1748～1751
宝暦：1751～1764
明和：1764～1772
安永：1772～1781
天明：1781～1789
寛政：1789～1801
享和：1801～1804

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＜重三郎のおいたち＞

寛延３（1750）年正月７日、丸山重助（尾張出身）、広瀬津与（江戸出身）という両親のもと、江戸吉原に生まれる。
本名は柯理（からまる）、通称を重三郎。兄弟の有無は不明。
７歳の時、両親が何らかの理由で離別し、喜多川氏の経営する商家・蔦屋に養子としてもらわれる。「蔦屋」は屋号。

天明３（1783)年、重三郎は自分の事業が軌道に乗ったので日本橋通油町に住居を移し、両親を新居に迎える。

蔦屋は、吉原中之町の茶屋蔦屋利兵衛、あるいは、吉原江戸町二丁目の蔦屋理右衛門を当てる説があるが、確認されていない。

安永２（1773）年、重三郎は新吉原大門口五十間道の左側に書店を構え、鱗形屋から毎年発行される吉原細見の卸し、小売りを始めた。
（引手茶屋蔦屋次郎兵衛の軒先を借りて開始）
安永６（1777）年、同じ五十間道の家田屋半兵衛の跡に移転（出典不明）

◎「吉原細見」
貞享（1684-88）まで遡るその歴史。享保中期（1725年頃）以後から盛んになり、版元も増加。鱗形屋孫兵衛、相模屋与兵衛、鶴屋喜右衛門、相模屋平介、三文字屋亦四郎、山本九左衛門らの名が。
元文３（1738）年から版元は鱗形屋と山本の二者だけになり、両者が春秋２回ずつ刊行。
宝暦８（1758）年を最後に山本が手を引き、鱗形屋のみに。

・重三郎の版元デビュー
安永２（1773)年、吉原細見「這婥観玉盤（このふみづき）」（勝川春章画）、安永３年正月に「細身嗚呼御江戸」（平賀源内序）を売り出す。
安永３年７月には初めて版元として、遊女評判記「一目千本」（紅塵陌人・こうじんはくじん、北尾重政口絵）を刊行
安永４年７月、吉原細見の小売取次者の地位から、突如出版社に転じて、最初の吉原細見「籬（まがき）の花」を出版
安永５年春からは、蔦屋版と鱗形屋版の２種類となるが、天明３（1783）年からは蔦屋の独占となる。

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＜黄表紙＞

・黄表紙とはなにか
赤本（���宝ころ～寛延ころ）、黒本・青本（延享ころ～安永４）は、童話や民譚、歌舞伎や浄瑠璃の筋書き、伝説や軍記物、敵討つ、怪談などが題材でその絵解きに主眼が置かれた稚拙な内容
そのような草双紙に飽き足らない恋川春町と鱗形屋孫兵衛が、写実的文学の流行の風潮を察知して安永４（1775）年に新しい文学スタイルを発表『金々先生栄花夢』。春町創案による黄表紙文学。文学と絵画を合体させた「視覚的文学」。

・苦境
銭形屋は安永８年に黄表紙が４１種→６種に激減（７年に何かあったはず）
蔦屋は安永６年まで順風満帆、７年からピタリと止まる
天明期に入ると銭形屋は消えていく

・重三郎の奇跡
安永９年、それまで４年間に20種程度の出版実績、鱗形屋の没落で窮地と思われていたのを、この年15種も刊行。黄表紙８、洒落本１、吉原細見２、咄本（はなしぼん）２、往来物２。
重三郎が最初に手がけた黄表紙８種のうち、朋誠堂喜三二が３種ある。喜三二はほぼ鱗形屋の専属作家的で恋川春町とならぶドル箱作家だった。それを使った。
鱗形屋は手代徳兵衛が他社の出版物を無断出版し、孫兵衛も江戸追放処分になっていたと思われる。そこにつけこんだ。他の大手版元から見れば格下の蔦屋が取り込めたのは、日頃の付き合いか？
喜三二と北尾重政が両輪として支えることになる。

黄表紙業界
・安永年間：
鱗形屋-春町、喜三二が以下の版元を完全にリードし独走
鶴屋-柳川桂子（けいし）、文渓堂
伊勢屋
岩屋
・安永末から天明初期
鶴屋、伊勢屋、岩戸屋が、巻き返しを図って、鱗形屋を引き継いだ蔦屋-喜三二ラインに激しく対抗
鶴屋-山東京伝、芝全交（安永9～）
奥村屋-市場通笑（安永8～）
西村屋-伊庭（いば）可笑（安永9～）
伊勢屋-桜川杜芳（とほ）（天明元～）、南杣笑楚満人（なんせんしょうそまひと）（天明3）、
岩戸屋-伊庭可笑（安永8～）
松村屋-市場通笑、南陀伽紫蘭（なんだかしらん）（安永9～）

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＜狂歌本＞

天明期の特徴は、狂歌の大流行。穿ちと笑いの文学である黄表紙・洒落本と「天明狂歌」と呼ばれる文芸運動は、同じ根から派生した兄弟文学。

参加者は、狂歌師のほか、
戯作者では
朋誠堂喜三二（狂名：手柄岡持、てがらのおかもち）
恋川春町（酒上不埒、さけのうえのふらち）
絵師では
北尾政演（身軽折輔、みがるのおりすけ）
同政美（麦藁雄魯智、むぎわらのおろち）
喜多川歌麿（筆綾丸、ふでのあやまる）
役者では
五世市川團十郎（花見のつらね）
妓楼主では
大文字屋（加保茶元成）
扇屋（棟上高見、むねあげのたかみ）

狂歌本は、かつて地本問屋が出版した例がないわけではないが、書物問屋の領分と考え、そこの進出する考えなどなかった。ところが、蔦屋重三郎はこの常識の裏をかき、狂歌界に鮮やかな進攻をかけた。意表をつかれた地本問屋たち。重三郎が狂歌界の要人たちを押さえていたため、反撃できない。
蔦屋による狂歌絵本の最初のヒット作は、「吾妻曲（あずまぶり）狂歌文庫」（政演画、宿屋飯盛撰）

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・天明３年　浅間山大噴火、天明の大飢饉始まり
・天明５年　物価高騰で庶民困窮
・天明６年　田沼意次が老中罷免、将軍家治歿す
・天明７年　将軍家斉、松平定信老中首座
・天明８年　松平定信将軍補佐に、意次歿す

＜黄表紙出版と舌禍事件＞

西村屋与八：馬喰町の永寿堂、鱗形孫兵衛の二男で西村屋へ養子に、地本問屋のエリート中のエリート、本を出したいなら頼みに来いというタイプ
蔦屋重三郎：上記とは好対照、才能に惚れ込むと投資を惜しまない、パトロン的タイプ

天明―寛政初期の江戸芸術は、現実の泥沼に咲いた美しい花。戯作者も浮世絵師も、社会の動きとは無縁でいられず、天明末期～寛政初期の黄表紙のある部分が、政治や社会の実相に迫り、矛盾点や欠点を鋭く穿つ。先頭を走るのは、蔦屋重三郎出版の黄表紙だった。
喜三二、春町、京伝、三和。

・天明８年「文武二道（にどう）万石通（まんごくとおし）」朋誠堂喜三二
・天明８年「悦贔屓蝦夷押領（よろこんぶひいきのえぞおし）」恋川春町
・天明８年「時代世話二挺鼓」山東京伝
・寛政元年「鸚鵡返文武二道（ふたみち）」恋川春町
・寛政元年「天下一面鏡梅鉢」唐来参和
・寛政元年「飛脚屋忠兵衛仮住居梅川　奇事中洲話（きじもなかずは）」産業鏡伝

「文武二道万石通」と「悦贔屓蝦夷押領」は大評判となったが、作者は２人とも藩の留守居役。
喜三二：秋田藩留守居役筆頭で120石
春町：小島藩士で御留守居添役→御年寄本役で120石
十ヶ月に及ぶ田沼意次と松平定信の争いや、松平定信に対する批判が鏤められた内容。

強まる圧力の中、寛政元年の「天下一面梅鉢」は作者名や版元名を隠して出版されたが、ついに絶版の命が出た。重三郎と参和に鉾先は向けられなかったが、幕府の圧力を身近に感じた参和は、以後２年間、戯作の筆を断ってほとぼりが冷めるのを待った

この年「黒百（こくびゃく）水鏡」（出版元不明？）の筆者である、石部琴好は、手鎖数日間のあと、江戸払いとなった。

喜三二は天明８年の「文武二道万石通」で藩主佐竹公から「多少の威圧を受けた」という。喜三二は留守居役の立場から、喜三二号を譲り、戯作界から身を引かざるを得なくなった。

春町に対しても寛政元年４月、松平定信から密かに召喚の話があった。彼は病気を理由に応じず、それを気に病んだのか７月に病死する。自殺説も流れた。

この２年で３人もの戯作者を失った重三郎にとって、最後の切り札は山東京伝。浮世絵師としても才能があり、北尾重政の弟子、政演の名で作画活動をしていた。黄表紙、洒落本、浮世絵、狂歌（身軽折輔の名）、骨董集のような考証学にも進出。
しかし、寛政２年に京伝は考えを変えた。前年に圧力を受けた「黒百水鏡」の挿絵を描いていたため罰金刑を受けたことと、寛政２年に結婚生活に入ったことがあった。引退の噂は戯作愛好者たちに広がったため、重三郎は必死に説得をする。

寛政２年５月に幕府が出した出版取締令は細かな規制があって、出版界には脅威となっていた。
・書物双紙類の新規の仕立ては無用
・時事をすぐに一枚絵���どにして板行するな
・新板物で「猥成儀（みだらなるぎ）異説を取交（とりまぜ）作出候儀」は特に厳重に取り締まる
・好色本は絶版
・必ず作者と版元名を入れろ
・双紙絵本などで古代のことによそい「不束成儀」を作り出すのは禁止、など

京伝は、寛政３年正月出版する洒落本３冊の準備に、２年の春ごろからとりかかり、７月中に原稿が仕上げた。重三郎も受け取って原稿料を払った。10月に町触が出て、この３冊がそれに触れることは分かっていたが、すでに板もできていたので、行事に見せたところOKが出て出版された。
「仕懸（しかけ）文庫」「錦之裏」「娼妓絹籭（きぬぶるい）」

寛政３年３月、京伝は手鎖50日、重三郎は財産半分没収という厳しい処分を受けた。

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＜浮世絵＞

喜多川歌麿は、幼い頃から鳥山石燕を師とする。石燕は狩野派の末端に連なる町絵師、役者似顔絵の創始者にも数え上げられる。歌麿のほか、恋川春町、清水燕十、栄松斎長喜など排出。鳥山石燕と北尾重政は俳諧仲間として大変に親しく、歌麿にとっては重政も実質的には師に値する人だった。デビュー後しばらくすると重政の影響を強く受けていく。

天明期の浮世絵美人画で飛ぶ鳥を落とす勢いがあったのは鳥居清長。

美人画ではまだ鳥居清長に及ばなかったが、歌麿は「狂歌絵本」というジャンルを得たことで、それまで誰も踏み込めなかった芸術領域に突入した。そして、重三郎と歌麿は、それまで役者絵で用いられてきた大首絵を美人画に応用した新様の作品を出した。群像による美人全身画で一世を風靡する清長に対抗。

寛政3～5年ごろまでは、蔦屋重三郎と喜多川歌麿の蜜月時代と呼ぶに相応しい。ところが、寛政5年末または6年のある時点から、一転して冷たくなる。重三郎による写楽への傾斜が絡んでいることは間違いないだろう・・・

なお、寛政７年頃に関係は復活し、名作の一つ「青楼十二時」を蔦屋から出版。

○寛政期の浮世絵
喜多川歌麿と豊川豊国が二大勢力

歌川豊春―豊国―国貞、国芳
豊国には各版元が群がったが、とくに西村屋与八と和泉屋市兵衛。西村屋は清長人気に翳りが見えてきたのでなんとしても。しかし、蔦屋と歌麿人気には、まだかなわなかった。

勝川派の写実的精神を受け継ぎながら、歌麿や清長の美人画に見る洗練された美意識を接ぎ穂させ、時代にマッチした新感覚で作品を作り出す。美人画、役者絵の区別なく、両者に適応力を発揮できる弾力性。

重三郎は、豊国―西村屋の組み合わせに脅威を感じてはいなかったが、関心は役者絵にあった。安永以来の〝勝川政権〟に倦厭。美人画は清長から歌麿へ〝政権交代〟がスムースに行われたが、役者絵はポスト春章に誰が来るのか、過渡期だった。

・葛飾北斎
気に留めたのは、勝川春朗（のちの葛飾北斎）だった。武士出身、安定生活をなげうって、好きな浮世絵の道へ。勝川春章の弟子に。寛政3年ごろに重三郎は春朗を含めて役者絵を刊行。しかし、重三郎による評価は高くなく、寛政6（1794）年初頭ごろには春朗の出版をやめる。兄弟弟子の春英にも期待して出版したが、浮世絵の常識を超えた���期的な作品を望んだ重三郎の期待には応えられなかった。

・東洲斎写楽の発掘＞
待ちに待った偉大な才能は、東洲斎写楽との出会いだった。寛政6年5月に出版。大判雲母摺の大首絵。一気に30種近く(28図)同時出版。
第２期は、寛政６年７～８月、全身像、30数種。
第３期は、寛政６年11月、顔見せの時期、64種。１期と２期は、上位から下位まで役者を総花式に描いたが、今回は人気役者が中心。だが、作品は期待に反し、魂の抜けた形骸だけのものになった。
第４期も凋落は止まらず、彼の消息は途絶える。

第３期には、写楽としては初めての間判（あいばん）という判型による大首絵が登場する。間版大首絵と相撲絵のあるものに、写楽ではない誰かが描いた贋物が存在する（著者が1985年「写楽の謎と鍵」という論でそれを証明）。

絵師が役者を描く場合、
「中見」：歌舞伎の舞台を見て制作する直接的方法
「見立」：何らかの手本を使う間接的方法
第１期と第２期は、中見で描かれたと思われる。だが、第３期は歌舞伎が始まる前に狂言作者が描いた絵組をもとに、他の役者絵なども参照しながら制作するという見立で作品を描くことを、重三郎から要求されたのではないか。

それが写楽の制作意欲を侵食しはじめたのではないか。第２期の人物ポーズを転用したり、勝川派作品における背景の表現方法を模倣して対処しようとした。歌舞伎鑑賞の印象を、自由で直截な表現で描き出すのを身上としていた写楽には、歌舞伎を見ずに描けという方が無理だった。重三郎の大失敗だった。

細判で四苦八苦していたのに、今回は間判でも描かなければならない。締め切りが迫るなか、切羽詰まって替え玉を立てたのではないか。知人の一人に、他人の描いた絵を真似するのが上手な男がいて、彼に頼んだ。相撲絵についても、影武者を使った。重三郎は見抜けなかった。

寛政７年正月を最後に、２人の関係は終わる。

寛政８年秋、重三郎は重病に。脚気らしい。
寛政９年５月６日、危篤の重三郎は、自分の死を当日の昼12時だと予言したが、死ななかった。しかし、夕刻に死亡。享年48。

＊耕書堂の番頭・勇助が二代目蔦屋重三郎となり、葛飾北斎は代表作を出版することになる（解説より）。