つゆのあとさき・カッフェー一夕話(新潮文庫)
著者 永井荷風
銀座の有名カッフェー「ドンフワン」でトップを張る女給君江は、うぶで素人のような雰囲気ながら二股三股も平気な女。そんな彼女の身辺でストーカーのような出来事が起きるが、君江は...
つゆのあとさき・カッフェー一夕話(新潮文庫)
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商品説明
銀座の有名カッフェー「ドンフワン」でトップを張る女給君江は、うぶで素人のような雰囲気ながら二股三股も平気な女。そんな彼女の身辺でストーカーのような出来事が起きるが、君江は相も変わらず天性のあざとさで男たちを悩殺し、翻弄していく。しかし、にわかにもつれ始めた男女関係は思わぬ展開を呼び……(「つゆのあとさき」)。荷風が女給の身の上話を聞き取った小品も収録。(解説・川端康成、谷崎潤一郎)
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『断腸亭日乗』レビューと同期させた小説レビューの試み
2025/02/26 10:05
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kapa - この投稿者のレビュー一覧を見る
スタートさせた『断腸亭日乗』レビュー、『日乗』だけで物足りないので、小説も同期させて読むこととした。現在昭和六年まで読んだ。ちょうど昭和六年の「つゆのあとさき」の新しい文庫本が新潮社から出版されたこともあり読む。
『つゆのあとさき』は、震災後の銀座カフェーで働く女給君江を主人公とした小説。カフェーではかつての待合や料亭と違って手軽に男が遊ぶことができる。花柳界のような旧弊な約束事もない。震災前が芸者の時代だったすれば、震災後はカフェーの女給の時代、大衆化が進んでいる。女給は「素人的な玄人」で、君江は「男がどんなに怒っていても結局その場に至れば訳もなく悩殺することができるものと、あくまで自分の魔力に信頼して安心している」女で、「あざとく、かしこく、したたかに」男たちを悩殺し、翻弄していく。
荷風は昭和になってカフェー女給の生態に興味を覚え、毎日のように銀座の酒肆太牙(タイガ)に通っていた。大正期芸者を主人公とした『新橋夜話』や『腕くらべ』を書いた荷風が今度はカフェーの女給という新しい女性を取り上げる。江戸レトロ趣味の荷風は意外や時代の変化に敏感なのである。「つゆのあとさき」は、梅雨前後の季節感を感じさせるが、震災前後の銀座の変貌も見ている。帝国ホテル、日比谷公園、数寄屋橋、尾張町(現在の銀座四丁目)交差点など、「モダン都市東京」の風景がとらえられていく。君江もこの「モダン都市」の一つの風景である。
では荷風は女給をどのように見ていたのか?『日乗』にはよく女給が登場するが、例えば太牙の元女給お久。偏奇館まで押しかけ度々金を無心、警察沙汰となった「実に恐るべき毒婦なり」。荷風は過去の経験から「凡て自家の経験を誇りて之を恃むは誤りのもとなり、慎む可し慎むべし」(『日乗』2/10/8)と大いに反省。巻末に収載された川端康成書評では、荷風は君江を嫌悪していると評しているが、この経験が影響したのか。しかし康成は、荷風は女給も君江も「嫌悪しながらも、愛着せずにはいられなかったのだろう。この作品も成功はそこにある」と喝破する。荷風は常に新しい時代の女性像を見ていた。例えばカフェに入り浸っていた同じ頃3/12/20噂話に登場する「高助」は、「生来の淫乱に輪をかけて盛に色を売るのみならず」「誰彼の差別なく舞台と云わず便所といわず猫の交尾するが如く身をまかす」ような「賤妓」。しかし自分のために「生涯を誤りたる男のことを忘れず、恥を忍び常人の成し得ざることをして金をつくり、行く末其の男と苦楽を共にせむことを願へるは、人情酷薄なる当今の世に在りては誠に感ずべきことなり」と「新時代の貞女烈婦」「当代立志伝中に其名を掲げて然るべきものなるべし」と評価する。
このような見方は荷風「休戦後」の小説の登場を予言しているようだ。そこには新しい「生=性」を受けとめる女性を描いた佳作が多い。生の快楽に自ら進んで身をまかせていく「裸体」の佐喜子。また、戦争で死んだ家族の墓を建てる相談を寺と相談したおかげで浅草であった娼婦狩りの難を免れた「吾妻橋」街娼の道子。
愛する男のために尽くす女性、恋愛という精神的な行為よりより赤裸々な快楽追及をよしとする女性、「街娼」という職業の女性を特別視するのではなく、目の前の一日をたくましく生きていく一人の女性、彼女たちを捉える荷風にはあたかい眼差しが見て取れる。「つゆのあとさき」は登場人物をそれこそ客観的に描き、乾燥した筋が続くのだが、君江の感情的な行動を描いて終わるのは、君江への「愛着」である。「つゆのあとさき」は、戦後の新しい女性像を描く小説の始まりの作品であるともいえる。