古代史は謎がいっぱいだから面白い
2025/08/03 09:07
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投稿者:トマト - この投稿者のレビュー一覧を見る
空白(古代日本)の4世紀といいますが、研究者たちの努力で少しずつ解明されつつあるようでワクワクします。
邪馬台国の所在地問題で各地で論争があります。どこもがそれなりに信ぴょう性があり自分なりに考えるのも良いです。
本書は、分からない所ははっきり分からない、と言い潔いです。
なぜ、京都ではなく奈良(ヤマト)から発展したのか?全国の勢力圏はどうなっていたのか?海外との交流はどうなっていたのか?
意外に当時の日本(ヤマト)は海外のことを視野に入れていた事実に驚きました。とてもグローバルです。
分かりやすい地図がもっと載っていると良かったな、と思いました。
(紙の本で読みましたが、電子版でも同じだと思うのでレビューを投稿しました。やっぱり、自分は紙の本が好きです)
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<目次>
第1章 邪馬台国と古代中国
第2章 最新研究で迫る邪馬台国連合
第3章 「倭国大乱」と漢王朝の崩壊
第4章 卑弥呼✕三国志~知られざるグローバル戦略
第5章 卑弥呼の最期と歴史の断絶
第6章 「空白の四世紀」に何が起きたのか
第7章 ヤマト政権と朝鮮半島情勢
第8章 倭の五王と激動の東アジア
第9章 「日本」はいかに誕生したか
<内容>
「古代史」と銘打っているが、2世紀から6世紀辺りまでの日本史を、最新の研究と東アジア史の中でおさえていくもの。高校の教科書レベルをベースにしているので、教科書の歴史がどう書き換えられているかがよくわかる。私が授業で使っていなかった、石上神宮の「七支刀」や新しい発掘成果がわかるので、新年度の授業では使ってみたい。
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なんかとても楽しみに読みましたが、NHKの本だけあって、奇抜な仮説や物事の断定がなく、わくわくもドキドキもすっきりもない、もやもやした内容でした。
テレビも多分見たけど記憶無し、、、。
このところyoutubeで見た、元樫原考古研究所の研究員さんが書かれた邪馬台国は奈良盆地にはなかった説の本を次はぜひ読んでみたい。
2025-008
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少し前から、書店店頭や書評などで「伽耶・任那」と題した新書をよく目にする。気になっているが未読のままだ。
そんな折、NHK出版のこちらを見かけたので読んでみた。
卑弥呼を中心とした、邪馬台国からヤマト王権、そして「日本」成立までの古代史を探る、、、というより、その謎を探るための、近年の発掘や調査による最新の学説、推論、予想などを、必要以上に煽ることなく淡々と伝えるもの(さすが、NHKというところか)。
奈良出身者としては、だんぜん邪馬台国は大和の地に、卑弥呼の墓は箸墓古墳であって欲しいと願うが、DNA鑑定やAIを駆使した最新の科学的調査を以ってしても、まだ断定するまでには至らないようだ。
中国に残る史書の記録や、「日本書紀」、発掘された刀剣、石碑の残る碑文から、日本の古代の王朝の姿を探ろうとする多面的アプローチが面白い。
タイトルにあるように、グローバルヒストリーから考察を深めるのは、まさに近年の傾向などだろう。朝鮮半島との関係のみならず、東アジアやシーレーンにまつわる考察、軍事力、あるいは交通・運搬手段としての馬の伝播から遠く中国の向こうの騎馬民族の影響までを探る。
なるほど、伽耶/任那の本も、人気なわけだ。本書を読んだ上で、そのうち、そっちにも当たってみよう。
古墳の発掘調査が宮内庁の許可マターで、なかなか進められないのは、いかがなものかと思わんでもない。
もう、皇室のルーツが天孫降臨に結びつかなくてもいいじゃないか。渡来人であろうと、なんならユダヤ人がその祖にあっても、むしろ、面白くなるのではなかろうか?
科学や、学会より、まだ皇室の威光のほうが強いのかね。
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国を治めるのに、古代のリーダーたちは土木技術、鉄、馬を重要視していたようである。歴史はグラデーションであると改めて感じた。
分からないことが多々ある。これほど好奇心がそそられる分野もそう多くはない。
そして、これからは異分野融合がスタンダードとなる時代であることを強く認識した。曖昧な根拠ではなく、物理学や古気候学の知見に基づいて謎を解明していく様は読んでいて痛快だった。
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邪馬台国という勢力が中国の文献に登場する3世紀。そこから日本の歴史は視覚化されるのかもしれない。その後「空白の4世紀」と呼ばれる時代をはさんで、5、6世紀ごろの日本がどのようであったのか。2024年3月にNHKで放送された内容を編纂して書籍化したもの。
邪馬台国はどこにあったのか。少なくとも江戸時代から問われてきたテーマだ。最新のCGやAIを使った研究によって多くのことがわかってきた。当時の中国や朝鮮半島の状況を当てはめると、倭国の外交も興味深い。とかいうと期待しちゃうけど、結局、本書を読んでも邪馬台国がどこにあったのかはわからないし、どうやって近畿にヤマト政権ができたのかもわからない。NHKだからなのか、波風立つようなことは言わないのだ。ただ、最新の研究ではこうなっていますよというのがわかる。
それがおもしろいともいえる。邪馬台国と対立してきた狗奴(くぬ)国は、文献では邪馬台国の南にあったとされている。けれど、当時の地理的な感覚では方角に誤りがあって、狗奴国は、邪馬台国の南ではなくて、実は東にあったのかもしれないというのだ。邪馬台国をリーダーとする連合が九州・中国地方にあったとして、その東、近畿あたりに狗奴国があったのなら、狗奴国がヤマト政権に発展していったのかも、なんて想像が膨らむ。
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昨年3月放送の「NHKスペシャル 古代史ミステリー」の取材ネタの新書化である。テレビ番組だからわかりやすく刺激的、かつ最新の説を追っている。しかもNHKなので、出てくる考古学者は全員第一線級だ。とても信頼が置ける。目を通しておくに如くはない本である。今年1月発行。
2-3世紀の邪馬台国問題とヤマト王権の成立について、最新学説がかなり整理されて書かれていた。お陰で私の「仮説」が、現代の「有力な学説」と全然矛盾しないということが、改めて確認できた。
即ち、私の「仮説」はこうである。
倭国大乱は2世紀の中ばに起きた。何故か。この時期2世紀前半にかつてない大洪水時代が10年ほど続き、その直後に大旱魃時代が起きた。人々は小さな村を捨てて大きなクニに入らざるを得なくなり、王が生まれる。民衆が王を欲していた。しかし日本は、大きなクニが小さなクニを従え多数の奴隷を作って中央集権化をはかるという、中国モデルの手段を取らなかった。
私は、その一つのロールモデルが、吉備国の170年ごろの楯築遺跡上でのプロモーションにあったと考える(と言ってるのは私だけ)。倭国王でかつ吉備国王帥升の墓、楯築墳丘墓の儀式の場に、河内、出雲、北九州、讃岐などの王を一堂に集めて、龍神信仰の秘儀を担保に連合体を作らないかと相談したのだ。と、私は物語を考えている。この時に鳥取の青谷上寺地遺跡の倭国大乱を想起させる「青谷の虐殺」が一つの契機となった。最新の人骨研究は、私の仮説を全て証明していた。
しかし、吉備の楯築の実験は徹底しなかった。倭国大乱を収めたのは、3世紀初め、210年代、有力な吉備でもなければ、伊都国の九州でもない、当時未開の土地だったヤマトの纏向を舞台に、吉備、伊都国、河内、讃岐の「談合」により「邪馬台国連合」を作ったことである。本書は、私の仮説以外にあと2つ書いているが、私はあまり説得力はないと考える。
その後の纏向遺跡の推移については省略する。
(以下、私の備忘録。無視してください)
・吉野ヶ里遺跡で2023年発掘された石棺墓(弥生時代後期)の石蓋に記された線刻は天体図だった可能性が高い。首長クラスではないが「特異なキャラクター」の墓だった。
・放射性炭素年代測定とは、 木切れや骨片などの試料に含まれる炭素14の量を測定すれば、元となった動植物がいつ活動を停止したのか知ることができる測定法。しかし、若干誤差はある。
・年輪年代法とは、ヒノキやスギに関しては、1980年代からの研究で、今から3000年前迄は遡ることができる基準パターンが作られている。しかし、日照のばらつきがあるため、木材は100年を超える年輪数が必要。結果、大型建物の構造材に限られる。
・酸素同位体比年輪年代法とは、木材の年輪に含まれるセルロースの酸素同位体比を、年輪幅の代わりに指標とする方法。凡ゆる樹木で測定可能。中塚武は過去2600年分のデータセットを作った。コレにより、纏向遺跡の木材の伐採年は231年。卑弥呼が親魏倭王になる8年前になった。
・邪馬台国連合九州説根拠‥‥ 日本書紀に卑弥呼の記載がない。
・邪馬台国連合近畿説根拠‥‥ 九州から関東までの土器の出土。箸墓には、近畿になかった貼り石の跡(出雲の四隅突出墓)、九州伊都国の墓に鏡を埋める習慣(アマテラス信仰)、吉備国の特殊器台、瀬戸内の積み石の技法が箸墓にもある。
・倭国大乱は何故起きて、どうしてまとまる必要があったのか?
中塚武の気候の変化研究により「紀元2世紀は数十年周期で気候が激しく変動した。AD127年は、過去2600年間で1番降水量が多かった年。AD100年にも洪水。AD130-170年にかけて旱魃が起きた。その後20年間は小さめの洪水、AD200年ごろにまた旱魃が起きた。つまり食糧不足による争いが起き、クニがまとまっていった。やがてそれはクニ同士の争いになるのは必至だった。そのための政治連合だった。ただ、誰がイニシアチブを取ったのかは、未だ謎である。
・伊都国東遷説‥‥ 伊都国の勢力が近畿に移って邪馬台国連合の礎を築いた。根拠は、「一大卒である当時伊都国だけが纏向をつくる力を持っていた(柳田康男)」、鏡の文化で内行花文鏡の花びら模様は太陽の輝きであり太陽信仰を表している。纏向の建物群が太陽を意識していることとも一致している。
・近畿勢力説‥‥もともと近畿地方にいた勢力が中心になり、邪馬台国連合を形成した。唐古・鍵遺跡には最大の銅鐸があり、銅鐸を作って近江、紀伊、土佐、播磨、但馬、丹後へ大型銅鐸を配った。
・談合説(寺沢薫)‥‥特定のクニがイニシアチブを取ったわけではない。纏向の建設を担ったのは、伊都国連合と吉備国。纏向型前方後円墳は楯築の出っ張りを一つ無くすと一致する。ホノケ山からは鏡と武器が出土。倭国大乱で伊都国の力が衰え、漢王朝の崩壊で、談合が必要になった。そこで決まったのは、伊都でも吉備でもないヤマトになり、女性を王とした。特定のクニが権力を持たないのだから、卑弥呼が特別な軍事力を有していなくても成立する。
・卑弥呼共立で各地の王の均衡を保つ役割を果たしたのは、中国春秋戦国時代に天子を共立することで、各地勢力が直接衝突しない仕組みを築いていた、周王朝の神格化である。この叡智が日本に輸入された可能性は十分にある。
・漢王朝の崩壊は卑弥呼の邪馬台国を後押ししたが、一方で日本列島に新しい兵器(鉄の鏃)ををも呼び込み、邪馬台国連合に対抗する勢力(狗奴国)までも台頭することになった。卑弥呼はコレに対応することになる。
・青谷上寺地遺跡 110体の人骨、男性35女性17を確認、男性30〜40歳代、女性15〜20歳が多い。成人推定身長男性162センチ、女性148センチ。膝関節に炎症がある人、潜りで耳が聴こえにくくなった人、子供の頃栄養不足の人、成人3例幼児2例が結核に罹患していた。戦闘の跡は頭蓋骨を割られた、遠くから弓矢で傷を負わせて近づいて切りつけた人骨。頭部が切断され焼かれていた、13-29個体。武器で傷つけられて110点はほぼ即死状態。
・32個体のDNA検査で、母系の血縁が認められたのは3個体のみだった。青谷上寺地は人的交流が活発だったのか。(←他の可能性は言及していない。即ち、他所からやってきた兵士の人骨であったという可能性)32のうち、31個体が渡来人系で縄文人系は全体の3%に過ぎなかった。
・魏志倭人伝では狗奴国は邪馬台国の南ではあるが、歴代地図では日本国は逆さまになっている。よって、東海から東北にかけての国だった可能性がある。実際、前方後方墳の国々だった。コレらの国とは言葉も風俗も違い、ことごとく対立した可能性がある。
・卑弥呼の魏への使者の難升米は、かつての倭国王・帥升の一字を戴く有力者だったのではないか。
・漢魏洛陽古城跡は河南省にあり、日本から2300キロ離れている。帯方郡から許可を貰い、旅した。東西約3.9キロ南北約4キロの都だった。城郭に囲まれたその都に入った時に、倭国の人々の驚きはいくばくだったろう。
・卑弥呼が破格の待遇で金印を受けたのは、呉国を牽制する目的があった、という説が多勢。卑弥呼には魏と呉とのキャスティングボードを握っているという自覚があったのかもしれない。呉国側にいた公孫氏政権と魏が戦ったのは238年。その最中に公孫氏の案内で魏に行ったのは考え難い。よって、卑弥呼が魏に行ったのは景初2年ではなくて景初3年、239年であるとNHKは考えている。
・240年卑弥呼たちに金や絹が送られ、243年には卑弥呼が使者を送り奴隷や織物などを魏に奉じた。
・247年卑弥呼死す。3世紀から4世紀にかけて、東北・東海の前方後方墳は、特に愛知、群馬辺りで急激に前方後円墳に変わっていることがわかる。卑弥呼の死後、前方後円墳体制は急激に完成していった。
・箸墓から古墳に版築が採用された。これは中国から持たされた技術。強度は飛躍的に強くなった。古墳の技術は都市を作る。水路や土手の版築。前方後円墳体制とは、高い技術力の貸し借りができる体制だったのかもしれない。
・纏向遺跡の3世紀前半の溝から大量のベニバナ(日本自生でなく、大陸から技術者が招かれ工房が開かれた)の花粉。日本最古のベニバナ染め工房で日本未自生のバジルも発見。かなりの中国の技術者が纏向に集まったと見るべきだろう。
・炭素14年代で調べて箸墓の土器から計測すると、240年から260年の間だった。箸墓古墳が卑弥呼の墓である愕然性はかなり高い。
・これ以降は空白の4世紀、倭の五王等々の記述に移り、私の興味外なので、斜め読み。富雄丸山古墳(奈良市・4世紀後半)の東アジア最大の蛇行剣とダ龍文盾形銅鏡についてのかなり詳しい解説は面白かった。
本書で2箇所、昨年9月に亡くなった松木武彦さんのインタビューが採用されている。松木武彦さんは、107年後漢に遣使した倭国王帥升は吉備国の王だったという説を唱えた最初の人だった。私はその説に支えられて、私の仮説を作ったのである。番組取材時には、未だインタビュー出来るまで元気だったのだろう。後書きで、特別に哀悼の意が捧げられていた。
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古代史研究の最近の状況が解説してあった。読んでいてもなかなかスッキリと整理できない点も多かったが、まだ結論が出ていない領域も多く、あまり1つの説に偏りすぎないようにあえて中立的に書いているので、やむなしか。NHKスペシャル取材班による執筆であり、内容は信頼がおけると思う。
古代史研究の最前線について、一通り目を通せたような気がしたので、今後別の本も読みながら、日本古代史の理解を深めていきたい。
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邪馬台国や卑弥呼くらいの時代から古墳時代を経てヤマト王朝あたりまでをほぼ時系列順に、中国や朝鮮半島との関係性にも注視しつつ解説した一冊。
2010年以降の最新の調査結果も反映されていて、特に富雄丸山古墳から出土した蛇行剣と盾型銅鏡の話は興味深かった。
刀の変遷の過程が分かるという意味でも貴重だったのか。
最新の調査結果を反映させつつも、結論を決めつけてはおらず、あくまでこういう成果が得られていると割とフラットに記載されていたことに好印象を得た。
この知識を得て自分ならどう解釈するか、考える余地がある読書はありがたかった。
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副題の「グローバルヒストリーで迫る」の通り、当時の東アジアとの国際関係というグローバルな視点で古代日本の実像に迫る一冊。魏志倭人伝の年代記載や科学的検証からすると、箸墓古墳が卑弥呼の墓と考えるのが妥当と思った。宮内庁の古墳の調査を許可しない方針は相変わらずで、日本の古代研究の足枷にしかなっていない。調査の結果、どのような物が発掘された所で皇室の権威を毀損する事はないと思うのだが。
昔から良くあった「邪馬台国の場所」を推測するばかりでなく、なぜ古代の倭国が三国時代の魏や南北朝時代の宋との関係を求めたのかなど、広い論点で古代日本に迫っており、楽しく読めた。
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いつも利用している図書館の新着本リストで目についたので手に取ってみました。
NHKスペシャル「古代史ミステリー」の書籍化とのこと。紹介文にあるように、「最新の発掘調査とAI・DNA分析などの科学的アプローチ」による成果も紹介されていましたが、正直なところそれほどのインパクトなかったですね。
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一回朝鮮半島史を通してさらったほうがよさそう。高校から大学教養のころに習ったのとはそれなりに変わっているようだ。日本史だって30年前とは結構違うんだから朝鮮半島はもっとだろう。
鉄と馬と土木技術としての撞き固め(字がちがうかも)。の伝播の話。人の交流が今よりずっと盛んなのは命の重さがどこにいても今より簡単に死んだこととも関係しているのだろう。
タイのこちら側、ベトナムから、西域までとロシアの手前、日本からフィリピン超えて華僑圏までの通史の本があるといいのだが。
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・邪馬台国はどこの国が主導権をもっていたのか。3つの説が挙げられている。一つは伊都国遷都説。2~3世紀の間に誕生した纏向古墳を造る技術をもっていたのは伊都国だけだったとすることに由来。続いて畿内勢力説。近畿出土の大きな銅鐸から、近畿の有力者たちが邪馬台国の母体、あるいは中心勢力となったのではないかとする説。最後に談合説。特定のクニがイニシアチブをとったのではなく、談合で卑弥呼を邪馬台国の王としたとする説。
・2世紀末の後漢王朝は幼帝が続いたため、その母親の一族である外戚と、皇帝の身の回りの世話をする宦官の対立があった。加えて天災飢饉の続発もあり、184年に黄巾の乱が起こり、魏晋南北朝時代へ。
・208年、赤壁の戦いで呉と蜀の連合軍が魏の曹操の水軍を大敗させる。以後、魏はクシャーナ朝を同盟国として呉と蜀を挟み撃ちに。
・239年に卑弥呼が親魏倭王に封ぜられたのも、魏の挟み撃ちの戦略の一環と考えられる。
・220年、曹丕が後漢の献帝からの禅譲で魏の皇帝に。221年、劉備が蜀の皇帝に。229年、孫権が呉の皇帝に。
・313年、高句麗が楽浪郡を滅ぼす。
・420年に宋、439年に北魏が成立。高句麗は両面外交をとっていたため、宋は百済や倭国にも称号を与えることでパワーバランスの維持を図った(例えば、478年に雄略天皇は安東大将軍に封ぜられている)。倭王としても、朝鮮半島南部が危うくなると鉄資源を得られなくなるため、百済との関係が重要だった。
・ヤマト王権は527年の磐井の乱を鎮圧すると、地方支配の強化に乗り出す。軍事的要衝には直轄地として屯倉を、豪族を地方官に任命して地方支配を任せる国造、さらには民衆を支配する部民制など。
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古代ゲノム研究が現在進行形で行われていることに驚き。特に青谷上寺地遺跡の人骨DNAから縄文人と渡来人の混血の仕方が推定できるように、科学が歴史解釈に新たな、正確な視点をもたらしているところが面白い。
日本という国は大陸との交易の中で生まれたことがよく分かる。鉄、馬、土木技術が大陸からもたらせれ、日本もまた与える物があり互いに益を見出し、時に争いながら国作りをした時代。現代よりも大陸は近かったように思う。
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一気に読み終えた。最新の学術成果をもとに、古代日本と東アジアのダイナミックな関係を浮き上がらせる。ひとつの仮説を示すだけでなく、いろいろな説を併記する点も、この本を信頼できる点。