あたりまえを捉えなおすこと
2025/04/13 08:56
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投稿者:とらとら - この投稿者のレビュー一覧を見る
あたりまえだと思っていたことを、あたりまえではないかもしれないと捉えなおすと、いろんなことを見つめなおす機会になるんだなと、改めて思いました。結婚制度や家族とかのことも視野に入れて、幅広く論じられていて、刺激になりました。いくつかのお勧めの本も紹介されているので、手に取ってみようかと思っています。
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2025.12.15-2026.02.05
ある時期から、私の認識していた「アセクシュアル」が「性的惹かれがない人」だけを指すようになった、と感じた。はじめにこのラベルを知った時は「恋愛的な惹かれ、また性的惹かれもない人」に当てはまっていたのに、ここ数年他人に自身の性的指向を開示する機会がある場合、「私はアロマンティックでアセクシュアルである」と説明するが増えた。
その実感から、自身の中の「Ace/Aro」への理解は古く、知識は変化しているかもしれないと思ったことがこの本を読むきっかけだった。
結論から言えば、この本を読んだことで、改めて自分の中に漠然といた「強制的(異)性愛」という社会への疑問や不満が一気に輪郭をもった気分だった。
ここについては本文にあった
p214-l1
一般的に当たり前とされてきる枠組みそのものを組み直すことが重要になるのです。
が非常にしっくりきている。
私には「恋愛のコード」というものを現実の中やフィクションの中で自然に捉えることができない。
恋愛を題材にした創作物なども楽しむことができるが、ある時から私はそういった作品を楽しめている時「初めからこの物語は恋愛が発生しますよ」という条件を頭に入れてから、「その流れが来る前提」で構えて見ていることに気がついた。
それを実感したのはジブリの「海が聞こえる」という作品をリバイバル上映で見た時だった。
何の前知識もなく見ていたが、主人公がヒロインを恋愛のコードで好きだということを、別の第三者(映画内のキャラ)が指摘するまで一切気がつくことができなかったのである。
それは、主人公の行動は私にとって違和感を持たないほど「当たり前に日常で起きる親切・善性」だったからである。「好きだからこうしてあげあい」という前提が日常の中で生まれていることに、気がつくことができなかった。どこでその親切心が恋愛のコードに切り替わったのか、そもそも初めからそうだったのか、今でもわからない。
映画の感想を見たり、人に話すと「鈍感?」、「え?なんで?」と聞かれることが多く、世界というのは私が思っているよりずっと「恋愛のコード下に置かれている」のかもしれない、と気がつくことになった。
p212-l9
そのような戦略として、ぱっと見では「普通」であるにもかかわらず、実はそうではない(かもしれない)という気づきを与えるという実践が挙げられます。
これは本来であればマイノリティに向けられている言葉なのかもしれないが、私の中では間違いなく社会に対してこの言葉が向けられた。
ぱっと見では「人として当たり前の親切」であるにもかかわらず、実はそうではない(恋愛のコードかもしれない)という気づきがあったのだ。実際、異性からのコードを読み取れず嫌な思いを自分も、相手にもさせてしまってきたと思う。
今回今本を読んだことで、前提条件をまず疑うこと(相手も自分と同じだとは限らないこと)、また、一般的に(もしくは自分の中で)当たり前とされてきる枠組みそのものを組み直すことが重要になる、というのを念頭��置いて社会と関わっていきたいと思った。
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引用>しばしば「LGBT問題」という言い回しが使われることがありますが、この表現はまるでLGBTが存在することが問題であるかのような印象を与えてしまいます。LGBTに関する論点は、「LGBT問題」ではなく「異性愛規範の問題」「シスジェンダー中心主義の問題」と呼ぶべきです。それと同じように、本書で考えてきたことは「Aro/Ace 問題」ではなく「強制的性愛の問題」なのです。
上記の文章に集約されている。これからの社会の変化に期待したい
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新書はたまに読むことがあるが、かなり論文に近い形式を取っていると書かれていた。それが個人的にはすごく勉強になりよかった。
著者がシンプルにかしこいと感じながら読んだ。かなり良著というか、情報量がミチミチに詰まっている。
自分はAro/Aceではないが、LGBTQコミュニティでAro/Aceの人や、自認はないがそうだと思われる友人もいた。
恋愛や性愛について考えることが好きなので、この本はかなり良い本だと感じた。
また、著者の専門領域であるフィクトセクシャルについても、きちんと知ることが初めてで新しい発見が多く、よい読書体験となった。
本文中に出てくる多重見当識については、こちらのブログ記事も参考になった。
http://kagurakanon.net/article/190996942.html
また、こちらで知ったが、松浦優さんは「アセクシュアル/アロマンティックな多重見当識=複数的指向--仲谷鳰『やがて君になる』における「する」と「見る」の破れ目から(『現代思想』2021年9月号「〈恋愛〉の現在」所収)」も書いており、こちらも作品を読んでいたため気になった。
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勉強になった。表向きはアセクシュアルとかの存在宣言と社会運動みたいなかんじだけど、セクシュアリティ/ジェンダーをめぐる社会学の入門書にもなっていて優秀だと思う。ジェンダー社会学まわりの面倒な概念を確認したい人にもよいと思う。
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自分は絶対にアセクシャル/アロマンティックではないと思う人にこそ本書を読んでほしい。特に第5〜7章。
性に対してどのような考え方が社会で主流、そして規範とされているのかを知ると、社会の歪みが見えてくる。説明のための言葉を本書からいただきました。
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図書館本
数字的なものはなんとなくしっくりこなかった。
細かすぎて、どこまで数字が確実に実態を捉えているのか納得できなかったというか。
人は十人十色で同じ性格の人なんていないんだから、性の多様性を枠で仕切ることってできるのかな。
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LGBTや性的マイノリティの存在が知られるようになって(2015年に渋谷区と世田谷区にできたパートナーシップ制度で公的な書類にその存在がはじめて記載されたという意味)そろそろ10年になるが、セクシュアリティや恋愛について自分が常識だと思っていたことをぶん殴られたような本だった。
自分がどれほど自由にものごとを考えているつもりでも、自分が経験してきたこと以上の考えを何の刺激もない状態で自由に考えることは難しい。
読んで、自分が自由になれた気がしたし、恋愛や性愛の解像度が上がったように思う。
企業や自治体開催のLGBT研修を受けると全てわかったような気になってしまいがちだけど、これはその先を行くので、本当に多くの人に読んでほしい。
文体がとても読みやすいので、流れに乗るとするする読めるのもおススメ。
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わかりやすい。自分は孤独になりやすい種類の人間っぽいなということをわかりやすく実感した。フーコー入門になっているところがいい
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「アセクシュアル」「アロマンティック」についての歴史、概念、状況、などの本。
論文っぽいので、軽く読むにはちょっと労力が必要。
結局、何でもありうるんだな、という感想。
人それぞれセクシュアリティはあって、現状、異性愛が優遇されている社会なので、どのセクシュアリティでも生きやすい社会になるように議論していく必要があるなーって。
他者に「性的に惹かれる」とはどういうことか?
はなんとなく分るんだけど、
じゃあ「恋愛的に惹かれる」てどういうことなの?どういう定義なの?
って疑問があって、、、要するに友情と恋愛との違いが「性的な惹かれ」があるかどうか?なのかなと感じていたので、その辺のことを知りたかったのだけど、、、
そういう単純なものでもない位、人それぞれで、定義づけできないんだな、ということだけはわかった。
もう少し、簡単に説明してあるものを読んだ方が良いのかもしれん。
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アセクシャルやアロマンティックについて学べる入門書的な新書があればいいのに、と思っていたところ、こちらの本が刊行された。やったー。
自分なりにアセクシャルやアロマンティック、Aスペクトラムなどについて学んできたつもりだったが、読んでみると、すでにわかっている部分もあれば、初めて知る内容もあり、非常に興味深かった。
特に第3章「Aro/Aceの実態調査」にある “『性的』なるものを捉え直す” という節で、マスターベーションや性的空想について、一般的に想定されている内容を再考しようとする試みがあり、おもしろかった。自分自身でも腑に落ちる点が多くあった。
『アセクシャル/アロマンティックとは何か』、『Aro/Aceの歴史』、『Aro/Aceの実態調査』、『Aro/Aceの差別や悩み』、『強制的性愛について』、『セクシュアリティの装置』、『結婚や親密性とセクシュアリティがいかに結びつけられているか』、『Aro/Aceの周縁化を捉えるには』、『Aro/Aceを通してこそ見えてくるもの』といった章立てで構成されており、フーコーなどの引用もあるが、やさしく再構築して解説されているため、十分に読み取ることができた。
こうした本が存在すること自体が、Aro/AceやAスペクトラムの人たちにとって支えとなり得るし、これを読むことで、少なくとも現時点で定義されているAro/Aceについて知ることができる。
刊行された意義の大きい一冊だと思う。
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性的マイノリティの地位がいくらか確保されつつある風潮のなかでも、結局アセクシャル・アロマンティックの実在性という意味では、筆者が研究題材として取り上げているという二次元オタクのような存在ですら肯定できる理念なのかは、LGBT等でもそうであったろうが弱者側が自己承認するにはある程度振り切ったくらいに世間の目が変わらないと弱者ゆえの葛藤があるように思う。(ポリティカル・コレクトネスの行き過ぎのような問題もあろうが)
ひとまずはアセクシャル・アロマンティックの定義から、性欲はあるもののといったようなある種都合の良いように見える存在の包摂まで、なおのこと不可視化されやすいAro/Aceというものを見つめる概念道具は攫うことができた。
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オタクはもしかして自分も…‥と思ったことある人もいるのでは? その辺の話もあったりしたし、Ace/Aroに限らず周辺的な話も多くて面白かった。発想がない人が減ると良いよね。一時期より世間の恋愛至上主義の空気は薄くなった気はするけれど。
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昨冬のドラマ『冬のなんかさ、春のなんかね』でもアセクシュアルの人物が登場した。これがこの言葉との初めての出会いで、その後頭の片隅で気になっていたところ本書と巡り合うことができた。
前半はAro/Aceの歴史や定量的な調査の内容という具体的な話題が続く。ところが後半はいきなりフーコーの思想に接続し、「セクシャリティの装置」という用語に着眼することで、社会において抑圧されるAro/Aceの実態を照らし出していく。
後半で最重要となるキーワードは「強制的性愛」である。婚姻という社会制度として一般化されている仕組みは、性的な関係が前提とされている。恋愛と性愛の一体化によって、そこから逸脱する性愛を前提としない親密性が社会から見えにくくなり周縁化される。
さらに踏み込むと、性愛から距離がある立場に対しても社会の視線は冷たい。例えば、それは非モテや独身への風当たりの強さもその一つだろう。性に対してポジティブである立場が正常と認識される価値観が、知らないうちに内面化されている恐怖を感じる。
著者は、Aro/Aceは二項対立ではなく、スペクトラムであるという。年齢や環境で自認が変化する可能性を許容している。個人的に、20代のころと30代後半の現在で性に対する価値観や欲求は確かに変化しているという実感がある。この感覚を受け入れることも広い意味で「強制的性愛」に囚われない価値観の発芽であると思いたい。
本書が取り扱う内容は射程が広い。ジェンダーや人種、メディアとAro/Aceとの関連性まで論考は及ぶ。その根底にある「強制的性愛」を前提とした構造に対する問題意識に触れる体験は、ちょうど性愛との距離に違和感を覚えている今の自分の感覚を見つめなおす良い機会となった。私の視野を間違いなく広げてくれた一冊である。
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Aro/Aceについての説明だけでなく、Aro/Aceの視点から(異)性愛世界において当たり前とされている恋愛・性愛がらみの諸々に突っ込んでいく内容で、Aro/Aceというトピックに縁のなさそうな人ほど読んでほしい本。
自分自身恋愛的/性的関係性の実践に関心がないことで何か不快なことを言ってくる人々が周りに特にいなかったのであまり困ってないと思っていたが、実は今の社会構造の中で生きているだけで不利益を被ることがあるのだとわかった。
差別は排除(「恋愛感情が無いなんて普通じゃない」という非難)されたり存在を抹消(「まだいい人に出会ってないだけ」と言われカミングアウトを否定される)されたりというコミュニケーション上で起こる差別の他にストレートに金銭や生活が絡んでくるような法や社会経済の構造による差別もあるので、個々人が"寛容な"マインドを持ってそれで解決というわけではない。
同性婚に関しても単に可能にするだけでなく結婚に付いてくる様々な権利義務を外し、結婚を最小化する必要がある。そもそも婚姻関係単位の福祉システムそのものが(この国においては異性愛の)恋愛的指向や性的指向を持っていてそのような関係に至りやすい人々を特別扱いする不公平なもので、自立した大人二人の関係に特に保護は要らないのだから完全個人単位やケアする人―される人(親子など)単位にすべきだが、日本という極めて保守的な国でこんなコストのかかる大工事ができるのは何十年後になるのやら……と仄暗い気持ちになった。