投稿元:
レビューを見る
「当時のおとなたちは、だれもが戦争を生き延び、戦後を生きていた。」(p.105)
言葉づかいや戦中戦後の実体験など、細かい違いはたくさんあるけれど、著者の“おとうさん”と、亡き母は同じ年。そのせいか、そこかしこに両親の生きた時代の気配を感じて懐かしかったし、“おとうさん”のことを誇らしく語る比呂美さんの愛が伝わり、私まで胸がいっぱいになった。読書案内としても素晴らしいし、装画にも愛!
投稿元:
レビューを見る
いかな伊藤比呂美の作品といえども、今回はさほど期待していなかったのだが。
でも、伊藤比呂美の作品だから、すぐに買って読む。
タイトルから、お父さんの名前が「りゅう」なのかなと思った間抜けな読者。(私)
「エルマーのぼうけん」の原題であった笑
その翻訳の話から始まる。
そういう話ね、と思って焦点を合わすと、すぐに裏切られる。(いい意味で)
子供向けの翻訳の問題点はありながら、それでも貪るように読んだ子供時代の思い出へ。
そういう話になるのね、と思ったらまた違う方向へ。
娘に全集を買い与えた優しいお父さんの全体像が、娘の手によって暴かれていく。
あちこちに寄り道しながら、どんどんお父さんの人生へ。
お父さんの人生が立ち上がっていくのがとってもスリリング。
今までの伊藤比呂美のエッセイから想像される「お父さん」は、アメリカに行ってしまった無鉄砲な娘の帰りをひたすら待っていた寂しがり屋のお父さんだった。
娘に引きずられるように嫁ぎ先の熊本に引っ越してきたのに置き去りにされた脇役だったのだが。
(だから、あんまり期待してなかった)
そのお父さんの物語はすごかった。
只者ではなかったです。お父さん。
伊藤比呂美がなぜ、こんなにも自分の心を鷲掴みにするのかの、謎が解けた。まさに血脈。
このお父さんが、ひとりぼっちで、係累のない熊本で、娘のアメリカからの帰省を待ちながら暮らしていたのだと思うと、家族の景色が変わってくる。
また今までの作品を読み直さなくてはいけないではないか!(喜んでそうします)
伊藤比呂美の作品は、エッセイなのか、はたまた小説なのか、やはり詩なのか。
いつのまにか、いつものように、伊藤比呂美の言葉の海に漂っている感覚が気持ちいい。あっちに行ったり,こっちに帰ったり、その思考の流れに乗るのが、たまらなくいい。
胸が苦しくなるような、温かくなるような、人間に対する愛おしさに満ちてくるような、伊藤比呂美の情に興奮した。
ホント好きだと再確認。
唯一無二の存在です。
投稿元:
レビューを見る
濃いなぁ。伊藤比呂美さんのエッセイにハマって何冊か続けて読んだことあるけどほとんどが彼女自身の最近やご両親の晩年の頃の話だったからこの本で描かれるご両親の若い頃の話はなかなかの衝撃で。詩人の文体はところどころ読みにくく、でもまたうって変わってつるつるとリズムに乗ってすっと染み込んできたりと不思議な一冊だった。最初のエルマーのぼうけん話で挫折しそうだったけど最後まで読んでよかった。
いろんな家族の形があるなぁ。男気たっぷりで魅力的な父親、ファザコンの伊藤さん、幼い頃から苦労した母親、母娘の確執と軋轢や愛憎、ご家族全員の濃密で波乱に満ちた生き様、関わり。楽しいこともキツイこともぐちゃぐちゃにどろどろと生きて老いさらばえて死んでいく人間というものを赤裸々に描いていく伊藤さんの文章を読むと、いつもしれっと日々生活しながら見ないフリをしている人生の摂理を目の前にぶん投げられるようでハッとさせられる。
言葉と家族とくんずほぐれつの格闘をしてきた伊藤比呂美さん。児童書の読み方も独特な視点で新鮮で面白かった。ただ、父親が老いて衰えてから読み始めて集めた池波正太郎と藤沢周平の本が詰まった本棚を「老い木や枯れ木の山のような無残な光景」と書くのは納得いかないな。他にもちょいちょい失礼な発言があるけどまぁそれも含めて気になる作家さんではある。
投稿元:
レビューを見る
途中、お父様への愛情が苦しくなって、数日読むのがストップした。
そしてラストのお母様への言及で、涙がボロボロ出た。
伊藤さんのご両親のお話や思い出を、下品な言い方をすると、興味津々な感じで読み始めたのだった。
ところが読み進めるにつれ、亡くなった母、施設に1人残った父、もうすぐ売りに出すことになった実家、両親に買ってもらった、でもほぼ処分してしまったたくさんの児童書など、完全に自分と照らし合わせて読んでしまって、ものすごく悲しくなってしまった。この慌ただしいはずの年末、喪中のため特に正月準備もせず、時間があるので楽しみにしていた本を読んでいるのに、こんなに切なく悲しくなるなんて。
投稿元:
レビューを見る
すごい!とにかく、すごい!まずは愛読した児童文学の翻訳について。戦後の男性作家による翻訳の優れた点、引っかかる点。性差を巡って人称、会話の扱い方、時制や方言などの文体、何を足して、何を省略しているのか。ここまではっきり示されると、お見事としか言えません。
そして、子どもの頃の本や思い出から辿り始めた父母の人生。あちこちに足を運び資料を集めて、どんどん浮かび上がってきた事実。大正11年14年生まれで、「戦争」を背負い続けて生きてきた父と母。ふたりの青春時代が明らかにされていく過程は、熱気を帯びていて圧巻でした。さらに、両親だけではなく、同じ時代に生きた日本の大人たち、そして第一次世界大戦に従軍していたイギリスのファンタジー作家たちにも、話が広がっていったのがこの本の魅力です。
(105ページ)
当時のおとなたちは、だれもが戦争を生き延び、戦後を生きていた。全集の企画者も、翻訳者も、編集者も、そして買ったおとなも、私の父も、心のどこか奥底で、まさしくそれを、子どもたちに、私に、手渡したかったのだしか思えないのです。
家から出ていけ。漂流しろ。路上で暮らせ。逃げろ。闘え。
(202ページ)
かれらは戦争の傷を負った男たちなのではないか。
最後に。どうでもいいことですが、自分はシートン動物記ではなく、ファーブル昆虫記派です。
投稿元:
レビューを見る
高橋源一郎の飛ぶ教室の伊藤さんでお馴染みだけれど、こんな家族の物語があったとは・・・
両親を赤裸々に、同姓の母には終始辛辣に。
しかし、最後には愛を確かに感じました。
戦争という時代を生きた人の証、記録に残し、こんな時代があったことを知ること、大きな意味があると思う。
投稿元:
レビューを見る
声が聞こえてくる語りのような文章だった。ばらばらな話が、読みすすむうちにゆるく有機的に結びついて、お父さんという人間と生きた時代を浮かび上がらせる。大好きなお父さんの物語は、やがて戦争へと繋がっていく。
筆者は幼いころ親しんだ児童文学にも家族や戦争の影を見る。ここら辺の考察?はおもしろかった。意識したつもりはないのに、最近選ぶ本が戦争に関わるものが多いのはどうしてだろう、と思っていたが、ある時代の著書にはすべからく戦争の影響があるのかもしれない。それほどすべての人が巻き込まれた出来事だったんだろう。それを読みとれるようになったと言うことなのかもしれない。
自分の存在していない時間の親の人生を探ることの意味を考えた。そこにある癒しは、何から来るんだろう。
投稿元:
レビューを見る
この本の出版を鈴木智彦さんのポストで知った。ヤクザ世界を追っているジャーナリストだ。伊藤比呂美さんの作品はあまり読んだことはない。お父さんのりゅうって彫り物のことなのか…と興味が湧いた。
親子のことは、どこまでも個人的なことだ。父が映画に出て来そうな運命をしょっていても、娘が売れっ子の文筆家でも。父娘の関係はとても良かったみたい。だからなおさら生前はその背中をあえて見たりはしないのかな、伊藤さんはお父さんの彫り物がどんな絵柄だったか思い出せなかったそうだ。
お父さんの人生を探偵のように探索しつつも、幼い頃からの、読みものの記憶が重なる。お父さんが与えてくれた児童文学…大人になって原著で読み返すように、大人なった伊藤さんが父の人生を読み解いていく。でも、それはなかなか客観的な作業とはいかない。記憶を辿りつつあれこれ推量しては、「(資料の先を)続けます」と進む。このテンポが絶妙で、ふとんを被って児童文学を読み耽るようなワクワク感がある。
資料探しは鈴木さんが伴走していたことも分かり、なるほどだった。
あまり反りが合わなかったというお母さんのことが終章に触れられていて、それも良かった。
親をひとりの人として見ることは、自分もその歳になってみないと分からないことが多い。伊藤さんの親子の話だけど、もちろん自分の親のことを思い出しながら読んだ。わたしの父の背中には龍はいなかったけれど。
投稿元:
レビューを見る
取り上げられている児童文学についての思い出、考察などなど、自分が小さい時にまた子育てをしている時に触れたものばかりだったので興味が尽きなかった。また、敬愛するお父さん、反発しつつだったお母さんへの当時の思いと、大人になってから改めて彼らの人生を掘り下げることによって得た感慨が、息苦しほどに濃密で苦しさと哀しさと温かさに溢れ描かれていた。
エルマーは、私は自分の子育てのタイミングでざっと読んだだけだったのだが、そんなふうに解釈できること、また原作と訳でのニュアンスの違いにそんな違いがあることは全く知らなかったので、改めて読み直してみようと思ったし、著者の伊藤比呂美さん自身への興味を掻き立てられた。
(ほぼ、存じ上げていなかったので)
また、シートン動物記ファーブル昆虫記両方とも、著者が読んだ同じもので読んだと思う。(シートンも良かったが、どちらかというと私はファーブル派かな?)
著者の伊藤さんとは、多分10くらい年齢差があると思うが、彼女の描く昭和の風景に既視感を感じる。また特に「暴力の港」の章、戦後の混乱期の中での父親の姿を、痕跡を辿りつつ想像していく様子、良いこと悪いこと戦争とどう向き合っていくのかなどなど、考えさせられることも多かった。
彼女の子育てやアメリカでの話も読んでみたいと感じた。
投稿元:
レビューを見る
『わたしのおとうさんのりゅう』伊藤比呂美(左右社)を読む。本のはじまりのところに、「店内を何も持たずに歩いていた人々が、何年か経つと、手にコーヒーを持って歩いたり、コーヒーをテーブルに置いて座って本を読んだりするようになり、それからまた何年か経つと、コーヒーを片手に電子書籍リーダーをのぞきこんでいるようにいるようになりました。その頃には、本のコーナーが削り取られて、雑貨や何かが置かれるようになり、私もプレゼント用に、いろんな物を買いました」と書かれていて、書店の重い移り変わりをさらっと読者の視点で描いていた。この本も、著者の自分史ということになるのだが、上記と同じように、父や母や絵本のことなど重要なことがさらっと自然に辻褄あわせ織り込まれていて、眩しいなあっと思っているうちに読んでしまったのだ。
投稿元:
レビューを見る
不思議な文体、読みにくいが何か魅力ある。
父母の過去を調べる、自分の読んだ児童文学を読み返す。トリトル先生を読みたくなった。
投稿元:
レビューを見る
題名から何の本かと思ったら本人も含めて家族の話だった。『エルマーの冒険』から始まって私も子供のころに読んだ本がたくさん出てきたが、大人になって『エルマーの冒険』を原書で読んで「ぼくのとうさん」ではなく語り手が女の子なのではないかと推理するところはさすが言葉が商売の作家だ。Rで始まる名前ばかりの6匹のサルのうちルーシーだけがLで始まるのが、LucyでなくRuthie(?)だったとわかったときの快感はいかばかりだったかと同じく言葉が商売の私もよくわかる。ちがうのはさすが作家の想像力、推理力。好きだったというお父さんのことは苦労してまで資料を入手してあれやこれやと想像している。それからあまりよく思っていなかったらしいお母さん(とはいうものの、苦しいときに母親の前で泣いたなどという記述があることからして、うちの親子関係より格段に近しかったのは間違いない)、その両親についてもいろいろ考えをめぐらせ想像している。やはり濃いつながりの愛情のなせる業だと思った。いろいろあった人生だったらしいことは知っているが、子供のころに有り余る愛情を受けて育ったことがよくわかる。
この著者の『良いおっぱい悪いおっぱい』を読んだ記憶があったので私より年上だとばかり思っていたら、同じ歳だとわかってびっくり。
投稿元:
レビューを見る
お父さんがヤクザだったなんて、物書きにとって最高の題材だと思う。刺青って、今ではファッションの部類だけど、若気の至りとはいえ、やっぱヤクザの印なんだな。著者の愛情も感じられて、エッセイとしては素晴らしい本。
投稿元:
レビューを見る
1960年代、戦後しばらくしてから出版された「エルマーのぼうけん」。昭和世代の私にとっても最初の読書体験であり、本を読む人生の原点でもある。
この本をはじまりとして、本を与えてくれた父親(印刷所に勤めていてゲラ刷りを持ち帰ってくれた)の思い出を中心に、そのドラマチックな人生が明らかになり、昭和の戦前戦後が語られる。
表紙の絵はこの父親が書いた、著者本人の姿のようだ。
投稿元:
レビューを見る
面白かったです。比呂美さんのファンなので。お父さんがヤクザでお母さんが芸者というのは初めて知りました。人が生まれて、老いて死んでゆくのは自然の摂理なのだと思いました。