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電子書籍

今日の芸術~時代を創造するものは誰か~ みんなのレビュー

  • 岡本太郎 (著)
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みんなのレビュー3件

みんなの評価4.8

評価内訳

  • 星 5 (3件)
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3 件中 1 件~ 3 件を表示

―未発掘の概念や理念に光をあてた岡本太郎―

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:レム - この投稿者のレビュー一覧を見る

  この本を読むと、「いやったらしい」という言葉がよく目に付く。 これは岡本太郎(どうしてもフルネームで書いてしまう・・・)の著書でよく用いられる言葉だ。 「いやったらしい」という感覚は、決して快感に類するものではなく、むしろその逆だ。 そして「いやったらしい」対象とは、それを見たときに、さっさと背を向ければ良いのになぜか拒絶できず、逆に惹かれてしまう不可解なものだ。 岡本太郎は本書で、「いやったらしさ」を感じさせる不快な存在は、実は自己に内在しながらも認識されていない概念や理念の一片に触れる何かと常識との間のギャップの具現化なのだ、ということを述べている。 そのような対象から目を離せないのは、自己との関係を断ち切れない何かを無意識のうちに感じて後ろ髪を引かれるからであり、不快な感覚が生ずるのは、解決できない感覚の表出ということなのだろう。
   
  岡本太郎は芸術という手段を用い、「いやったらしさ」を感じさせる作品で「いまだ光に照らされていない未発掘の人間の概念や理念」を社会に浮かび上がらせてきた。 これは決して彼岸のような、悟りを得なければ到達不可能な場所にあるのではなく、何かのきっかけで会得できるものであると、本書の中で岡本太郎は何度か述べている。 一方で、個人や社会が全体的にその概念の範囲を未発掘の領域まで広げてこれを会得した場合は、もう既に既知の概念領域との間のギャップは存在せず、常識的なものとして受け入れられ、同時に「古いもの」になる、ということが書かれている。 そして、タイトルにある「今日の」という形容詞は、芸術の世界では、「新しい」という意味の時間的な位置づけ以外に概念の到達領域の広さのような意味があるとの主張が随所に垣間見える。
   
  先述の未発掘の概念や理念は、ジョルジュ・バタイユGeorges Batailleの言うところの「人間のばかばかしくて恐ろしげな闇」( 「バタイユ入門」)にかなり近いだろう。 岡本太郎は、フランス滞在期間中にバタイユと交流があったことは良く知られている。 ナチスドイツの軍靴の音が近づく1930年代のパリにおいて、岡本太郎はバタイユの設立した反ファシズム思想集団「コントル・アタックcontre attaque(「対立攻撃」の意)」や秘密結社「アセファルacephale(「無頭人」の意)」に所属し、脱会した後も二人の交流は続いた。 岡本太郎の思想や発言にはバタイユとの交流から相互に強く影響しあった形跡が随所に認められるとされる。 この「人間のばかばかしくて恐ろしげな闇」は、フロイトの言うエスesと同一だとされる。 エスは、無意識の熱きエネルギーの大海であり、規制や法律といった「超自我」によって社会規範などの枠に押さえ込まれている状態にある。 制約を受けない年代の子供たちが描く自由闊達な絵は、エスの噴出なのかもしれない。 全ての子供が天才だとは言わないが、現に彼らはやがて「絵の描き方」やさまざまな「約束事」を知り、絵が上手くはなってもたいていはつまらなくなっていき、そして「大人」になってしまう。 しかし、岡本太郎は、作品のみならず、生き方そのものを通じてこのエスの放出を社会に提案し続けた。
   
  東京の青山にある岡本太郎の自宅は、現在は『岡本太郎記念館』となって一部が公開されている。 入り口で靴を脱ぐと、そこにはスケッチブックが置いてあって、入場者は子供も大人も伸び伸びと絵や文を描いている。 故人となった今もなお、終えることのない岡本太郎流の意思疎通手段かもしれない。 アトリエも覗くことができる。 そこには、仕事場が生前の状態のまま保存されており、画材の他に、ゴルフバッグまで置いてある。 描きかけなのだろうか、たくさんのキャンバスも立てかけたままだ。 奥からひょいと岡本太郎が出てきそうな雰囲気だ。 ただ、以前はまだ油彩用の油のにおいがずいぶんと残っていたが、最近はそれも薄れてしまい、少し寂しいものを感じる。

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ありがとうございます。

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投稿者:ろくなな - この投稿者のレビュー一覧を見る

岡本太郎さんに感謝します。

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太郎は実は変人ではない

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ハムム - この投稿者のレビュー一覧を見る

この本を読む前に、太郎の「自分の中に毒を持て」を読んでいたので、
今日の芸術はそれと比べると、大分言葉遣いが丁寧な印象を受けた。
(もちろん、自分の中に毒を持ての情熱的な言葉遣いも好きだけど。)

絵が好きな人間からすれば、「わかる、わかる。」と同感したり、
「おお、ナルホド。」と納得することが多いのではないでしょうか。
たとえ絵に興味がなくても、話題は絵に限定されていないので、十分楽しめながら読める本だと思います。
太郎の芸術に対する考えを、この本等を通して味わうことは、個人的にはとても貴重な経験です。
この岡本太郎の考えに触れれば、
少なくとも、「変わり者」「相手にしちゃいけない」みたいな固定観念
からは解放されるのではないか、と思います。

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