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電子書籍

字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ みんなのレビュー

  • 太田直子 (著)
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みんなのレビュー4件

みんなの評価3.5

評価内訳

  • 星 5 (1件)
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  • 星 3 (1件)
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  • 星 1 (0件)
4 件中 1 件~ 4 件を表示

そ〜だそ〜だと言いたい事柄のオンパレード

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:アルテミス - この投稿者のレビュー一覧を見る

『世界の中心で愛を叫んだけもの』が先にあることを知っていたので、あの『セカチュー』が出たとき「パクリタイトルじゃね〜か」と思ってしまった。だから、それを更にもじった本書の書名も、好きでない。パロディとしてもオリジナルより長すぎて上手くない。

 だが、気にくわないのはそのくらい。書名は、実は編集部が勝手に決めたそうだから、著者の文章で抵抗を覚えるところはほとんど無いことになる。
 細かいことを言えば、著者の嫌いな「(笑)」に私は抵抗が無いということはあるが、そのくらいは違わないと気味悪いというものだ。

 著者は字幕屋。映画の字幕の原稿を書く人である。
 ということで、この本の柱はふたつ。映画屋としての苦労話と、物書きとしてのいまどきの言葉遣いへの疑問である。

 売らんがために内容を捻じ曲げてでも「泣ける話」にしたがったり、画面から状況を読み取るべきシーンにも字幕で説明させたがったりする配給会社との攻防戦が前者。
 著者は何も、芸術的にこの方が優れている、という見地から配給会社に抵抗しているわけではない。まっとうな感覚からすればそれは変じゃないの?と言っているだけである。

 そういえば、字幕でなく吹き替えだが、『西太后』という映画にオリジナル音声には無い説明的なナレーションがやたらと入っていて、それがまたやわらかい声の女優さんだったもので「これは児童向けの歴史教育ヴィデオかい!」とげんなりしたことがあったなあ。あの映画にはしわがれ気味の渋い声のナレーションの声の方が合ってたと思う。
 著者には、ぜひ配給会社との攻防戦を続けていって欲しいものだ。(くれぐれも干されない程度に、だが。)

 字幕というのは画面にあわせて次々と変わっていってしまうものである。ということは著者は普段今どきの日本人に瞬時に理解できる文章を書かなくてはいけないということで、言葉の変化に敏感。それが後者である。

 著者と私は年齢が5歳しか違わないので(私の方が下!)言語感覚が近く、そ〜だそ〜だと言いたい事柄のオンパレードである。

 過剰なまでの禁止用語の自主規制。
 私の勤める出版社でも、昔の本の一挙復刊などの企画があがった時など、前は使えたけど今はダメな言葉がないかどうかをチェックする作業が、編集部校閲部だけでは手が足りないとて(あ、これもいかんのか)私たちの部署にまで読んでくれ〜と回ってくることがある。

 「させていただきたがる人々」。これも同感。多用されすぎる敬語はうっとおしい。著者があげているものの他にもうひとつ私がうっとおしいのは、「あげる」である。「あげる」は既に謙譲語でなく丁寧語であるという意見を仮に受け入れたとしても、度が過ぎるほど使う人というのがたまにいる。

 友人がとある料理番組について、献立自体はいいんだけど、その料理研究家が作ったものは食べたくないと言ったことがある。
 その先生の説明というのが、「お鍋にお湯を沸かしてあげて、そこによく洗ってあげたほうれん草を入れてあげて……」という調子なのだそうだ。深〜く納得した。そんな人の手で作られた料理なんて気持ちが悪い。

 朝日新聞が著者に取材したところによると、著者はこの本を一杯やりながら書いたのだそうである。
 おかげで文章におふざけが過ぎるところも無いではない。だがその方が著者の本音が表れていて面白い。保身に走っている部分までがストレートにそう書かれていて、映画字幕屋というのは気苦労が多いんだなあと察せられる。

今後はなるべく字幕に目くじらを立てずに映画を見ることにしようか。

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字幕文化と日本語どちらも大切にしたい

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:折鶴 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 生まれ故郷の浅草は、映画の出発点でもあった。六区の街を着飾るように流れる
ネオンサイン、彩りも鮮明にそびえ立つ映画館、まさに一大絵巻の風がそこから発
信されていた。銀幕の世界を盛り上げてきた字幕屋稼業。「映画が誕生して一世紀
余り、日本で初めて映画に字幕がついたのは1931年」のことで、以来今日まで「字
幕文化は、映画翻訳の王道として」生き続けてきたのである。
 ≪活弁、吹き替え、字幕≫と、映画を楽しむ我々に、素晴らしき文化を貢献して
くれた主人公たちではないか。本書では「外国映画の翻訳にまつわる」苦労談や、
せりふという「生きた言葉」を通して、翻訳文も日常に密着した自然体でまとめて
いる。翻訳での絡み、製作会社との駆け引き、裏舞台での限りない手法などが分か
れば、一味違った映画の醍醐味を感じとれるだろう。
 字幕屋が指摘する「いまどきの日本語」に、やたらと多い<混ぜ書き語>。一例
だが「だ捕・誘かい・ばん回・危ぐ・そ上・じゅ文・真し」これはなんだろうね、
字幕には殆んど使えない。「新聞の見出しにもよくある《漁船だ捕される》。これ
ではまず《漁船だ》と読んでしまう。次に《補される》」と読んで、なにか変だな
と気付く、字幕の一場面では気付いた時には時遅し、それでもあなたは字幕映画を
観賞するだろうか。見出しでは納まっても字幕では通らないのだから。
 最近頻繁に使われている敬語や接続語、巷には「お・さん」が乱れ飛んでいる。
なにもかも使えばよいというものでもないだろう、まるでごり押しのようだ。某テ
レビでやっていたが、「社長が部長の部下に、社長室まで部長に来るように」部下
はどれだけ敬語を使えばよいのか? あなたは分かりますか。
 字幕屋が指摘する“乱れた日本語”知らず知らず使ってしまう、これからは少し
でも襟を正した使い方を心がけよう。日本語を引き継いてくれる子供たちのために
も。

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「字幕は空気のように」。職人さんだなぁ。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みす・れもん - この投稿者のレビュー一覧を見る

あなたは字幕派?それとも吹き替え派?
最近は外国映画を吹き替え版で観る方が増えているというニュースをしばらく前にテレビで知って驚いた。私は断然、字幕派だからだ。その方が臨場感が伝わると思うし、映画自体の雰囲気が味わえるような気がするから。
吹き替え派の方々が言うには、字幕だと読むのが面倒になるとのこと。
外国のTVドラマだと吹き替えの声のほうが馴染んでいる場合があるので、両方楽しんだりする。「フルハウス」「フレンズ」「名探偵ポワロ」「刑事コロンボ」などのDVDを観るときは吹き替えのほうが多いかもしれない。けれど、ストーリーがわかっているので、字幕版の音声を聞きながら英語の聞き取り練習をすることも。

さて、字幕を創っていらっしゃる方が書いた本ということで、お堅い日本語批評本かと思っていた本書。読んでみると、かなり柔らかいので驚いた。帯に「爆笑御礼申し上げます。」とあるけれど、そのとおり、数カ所で爆笑してしまったほどだ。かなり軽い口調でポンポンと言いたいことを書いているという印象。字幕屋さんの苦労というか、愚痴というか、文句というか、そういうことがいろいろと・・・。ただそれが、ネガティブな感じではなく、笑い飛ばせるような雰囲気で書かれているので、読んでいて気持ちがいい。

字幕を創るという作業は、映画の演出と似ているのかもしれない。その台詞の表現の仕方一つで登場人物の印象を変えてしまう可能性もある。だから、その映画自体を何度も観たり、台本を熟読したりして、映画の世界を理解しなければ、字幕を付けることはできない。ときには、その国の歴史や文化を知る必要だってある。大変な作業だなぁと改めて思う。それに、「読むのが面倒だ」という方々が増えつつある今日この頃。字幕に用いる言葉にも難易度の高いものを使うな、という要請もある様子。より短く、簡潔に、そしてできるだけ正確に。難しいよ、この作業。正確であればいいというものでもないし、原作通りであればいいということでもない。字幕には字幕のルールというものがあるわけだ。台詞一つ一つが単独で存在しているのではなく、前後のストーリーの台詞でいろんな部分をフォローし合って、成り立っている。原作通りに訳せばいいのなら、楽だろう。けれど、それじゃ字幕がメインになっちゃって、大事な映画自体を楽しめなくなってしまう。「字幕は空気のように」。それがあることを感じさせない字幕が理想なのだそうだ。

配給会社の思惑によっては、表現を変えさせられたり、削りたくない部分を削らされたり、逆に入れたくもない台詞を入れさせられたりといろいろと不満もあるようだ。その気持ちはわかるなぁ。泣ければいいってもんじゃないでしょ、というのは私もよく思う。「感動させよう、泣かせよう」というあざとさが見え隠れする映画は、好きではない。映像を見て、そこから何を酌み取るかは人それぞれであるし、それを強要されたくはない(強要されもしないけれど)。

最近は、映画館に行くと、人気のある外国映画には必ずと言っていいほど「字幕版」と「吹き替え版」がある。「吹き替え版」は子供用というわけでもないのは前述したとおり。そのうち「字幕版」が無くなってしまわないかと私も不安になる。本当は言語そのものを理解できればいいのだろうけれど、それを達成するまで映画が楽しめないとなると、それもまた非常に困る。永遠に邦画以外は楽しめない、ということにもなりそうだ。「字幕版」よ、消えないで!と心から祈る。

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字幕は言わば翻訳の「芸」なのである

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 映画の字幕翻訳者のエッセイである。タイトルを見れば凡そどんなことが書いていあるのかは想像がつく。
 字幕というのは単なる翻訳ではなく、限られたスペースに、限られた時間で読める、限られた字数の漢字と仮名で、外国語の意味を日本語の意味に置き換える作業である。そういう厳しい制限の中で繰り広げられる、言わば翻訳の「芸」なのである。
 僕自身も洋画を観ていて、「おお、直訳としては邪道だけど、意味と雰囲気を同時に伝える見事な字幕だ!」と感激したり、「ははあ、限られた字数の日本語にするには、こう訳すしかなかったか。なるほどなあ」と納得したり、時には「それは違うだろ」とひとりごちたりしていることがある。明らかな誤訳を指摘するメールを配給会社に送ったこともある。
 普段からそういう風に字幕に対する関心が強い人間にはなかなか面白い読み物であった。実は濃霧で飛行機の出発が遅れたときに空港の売店で買ったのだが、一日で読んでしまった。
 ただ、僕が読んで驚いたのはここで紹介されているような個別の翻訳のテクニックではない。そういうことは読む前から想像のつくことだった。僕が驚いたのは、作者が英会話が得意ではないと言っていること、そして、辞書を引きまくって字幕を完成していると告白していることだった。
 僕は字幕翻訳者というのは口語英語のかなりの使い手で、もちろん仕事に辞書は用いるだろうがもっぱら耳で聞いて書き下しているものと思っていた。ところが英語の映画の場合はほぼ100%英語の台本があって、それを見ながら訳して行くと言う。考えてみれば当然なのだが、初めてその事実を知って驚いた。そして、英語を職業としている人が、英会話はからっきしダメなどと平然と書いていることにさらに驚いたのだが、それは多分、字幕翻訳は単なる逐語訳の作業ではないという作者の自負の裏返しなのではないだろうか。そういう論点はすんなりと頭に入ってくる。
 そして、終盤で作者がもうひとつ語気を荒らげて嘆いている点──それは昨今日本人の読解力が落ちて幼稚化しているということ。これもなるほどという感じで説得力がある。
 こういう主張を通じて、この本が単にテクニカルなものに終わるのではなく、映画産業や文化を論じるに至っていることに、1映画ファンは好意を抱きながらこの本を読み終えたのであった。

by yama-a 賢い言葉のWeb

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