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電子書籍

コトバの謎解き ソシュール入門 みんなのレビュー

  • 町田健 (著)
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みんなのレビュー4件

みんなの評価4.0

評価内訳

  • 星 5 (1件)
  • 星 4 (3件)
  • 星 3 (0件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)
4 件中 1 件~ 4 件を表示

期待以上に分かりやすい

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る

 著者・町田健氏には「言語学が好きになる本」「生成文法がわかる本」といった言語学関係の本が多数ありますが、実のところこれまでの本を読んでも私は少しも「わかる」ようにはなりませんでした。今回もあまり期待はしなかったのですが、たまたまジュネーブ出張が決まって、このスイス出身の言語学の泰斗にまつわる本を読んでみるのも一興かなという、非常に気まぐれなきっかけから手にしたものです。

 この本は失礼ながら期待以上の分かりやすさでした。ソシュールの言語学がいかに当時までの言語学の流れから見ると斬新な内容であったかについて大変分かりやすく書かれています。言語学が知的で冒険的な科学であることが平易な言葉で綴られているのです。

 それはおそらくこれまでの著者の本が研究社出版という言語学の専門出版社から出されていたのに対し、本書は比較的目線を下げた編集方針を専らとしている光文社の手になるものだからでしょうか。ソシュールの故郷へ向かう飛行機の中で一気に読んでしまいました。

 せっかくジュネーブに来たのだからと時間を盗んで、157頁に写真が掲載されているジュネーブ大学まで行ってみました。感慨深い思いにひたれたのも本書のおかげです。

 あくまでソシュールの言語学を中心にして論述されているので、これを読んで興味を持ったという人には「はじめての構造主義」(橋爪大三郎/講談社現代新書)をお勧めします。ソシュールの言語学がその後いかに豊かな発展を遂げていったのかを詳しく知ることが出来る良書です。

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ちょっと中途半端

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ソシュールが着眼したことは、当時としては画期的なことであり、その後言語学以外の多くの分野にも新しい局面をもたらした。現在、社会科学に関心がある人には避けては通れない人物であり、思想である。
 
 本書では、まず言語学の歴史に簡単にふれた後、新しい言語学の成果をふまえながら、ソシュールの仕事を解釈すると同時に、その限界も指摘していく。そして、ソシュールの登場によって言語学以外の分野が受けた影響、そして構造主義へとつながっていく流れまでが解説されていて、親切である。ただ、多くのことに言及し過ぎたため、ソシュールの学説の全体像が見えにくくなっているように感じた。この本は新書であり、一般書であることを考えると、詳しいことは、現代思想の入門書や丸山圭三郎の『ソシュールの思想』にまかせ、ソシュールの考え方だけをもっと丁寧に解説するとよかった。
 
 難解とされるソシュールの学説だが、用語及びその訳語の分かりにくさが第一因であろう。新しい考え方に新しい用語が必要になるのは避けられないが、この用語選び、日本に導入する際の訳語選びが非常に重要である。ソシュールの場合、「共時態」「通時態」や「不易性」「可易性」はまだなんとかイメージがわくが、「ラング」「パロール」を「言語」「言」、「シニフィアン」「シニフィエ」を「能記」「所記」と訳されても専門外には意味不明だろう。ソシュールに限らないが、学者が少しでも早く海外の学説を紹介したい(自分が最初の紹介者・発見者になりたい)のは分かるが、よく理解してから訳語を決めてくれないと、それに続く学者や我々専門外の人間がいらぬ苦労をさせられる。いっそ、まったく新しい用語でソシュールの学説を訳し直したらどうかと思う。町田先生、どうでしょう。
 
 というわけで、この本で初めてソシュールにふれる人は途中で何度か用語を確認したくなるでしょう。それには『ソシュール小事典』を座右に置いておくと便利です。

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意外なことに、言葉が通ずる理由を学問的に説明することはかなりの難題らしい

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:レム - この投稿者のレビュー一覧を見る

コトバがなぜ通じるのか、これを学問してその本質を探るのが言語学なのだという。そしてソシュールは、近代言語学の開祖とも呼べる人物だ。
多くの人は、普段の生活でコトバが通じる理由について、あまり意識しないのではないだろうか。これは、なにげなく呼吸していることの医学的な重要性を深く意識しないのにも似ている。ところが、である。意外なことに、言葉が通ずる理由を学問的に説明することはかなりの難題らしい。言語学の真髄は奥が深くて未解明なことも未だ多いという。
だが著者は、ソシュールが説いた言語学を分かりやすく咀嚼して解説している。コトバの意味と音には何ら関係はなく社会の約束で成り立っており、それぞれが区別して分析されることや、どの言語であろうとも文章は単語が一列に並んで形成されることの意味など、興味を惹く内容が続き、著者の語りかけるような文体も印象的だ。
実は、私の身近に一向に話しが通じない方がいて、常々「同じ日本人なのにこの人にはなぜコトバが通じないのか」という疑問を持っていた。その後かなり時間を要したのだが、どうもその方が独自に物事を解釈しているということが分かってきた。私はこの経験がきっかけでこの学問領域の存在を知ることとなった。
この本を読むことで即座に先のような困った人物への対策が講じられる訳ではないが、言語学を応用して考えてみるのも楽しいものである。例えば、昔の人が、当時は解明できないような自然現象の原因をとりあえず「妖怪」という存在に置き換えたのも、言語学的にみるとひとつのコトバなのか、などと思ってしまう。また、絵画や映像における図像学(イコノロジー)も、視覚を通じてメッセージを送る意味で、やはり一種のコトバなのかもしれない。事実、ソシュールの言語学は後の記号学への発展にも大きく影響を与えている。
本書は、コトバの「意義」を考えるきっかけとなる一冊である。

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『コトバの謎』についてちょっと考えてみる。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:緑龍館 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ここ数年、構造主義や構造主義生物学、認知科学の入門書などを読みながら、ソシュールや、『シニフィエ(所記)』『シニフィアン(能記)』などの概念に出会い、かなり興味を覚えていたもので、本屋で目に留まったこの本を買い読んでみました。
言語学者によるこの本は、言語学の考え方や、ソシュールの思想をとても易しく説いています。言語学の基本を「単語」においていたソシュールに対して、現代言語学では「文」の方に比重が移ってきている為、ソシュールはもう過去の人、という考え方が大勢を占めている、でも決してそんなことはないんだよ、というのが主眼点みたいですが、ここ最近彼のことを知ったぼくにとって、ソシュールの考えはとても新鮮なので、そこらへんの論点はよく分かりません。
 コトバというものは、誰もがみんな使っているものですが、一歩進んで考えると、とても根本的なもの、あるいは一番根本的なもの、人間を人間たらしめる所以でもあるわけです。そこでもう一歩進んで、「じゃあ、コトバとは一体何なんだろう」、「なぜ、人は言葉で自分の考えを表現して、また他の人と通じ合うことができるのだろう」ということを考えるとよく分からない。何の気なしに当たり前だと思っていたことが、実は全然当たり前じゃなかった、全然分かっていなかった、というのが、ソシュールに一番最初に会ったときのショックでした。
 コトバというものは、この世界のいろいろな事物・事象を表現するカタログではありません。コトバの本質とは、この世界のいろいろな事物・事象を「分ける」ということですが(人間は「分ける」ことによって、「分かる」ことができる)、この世界とは、もともとそのように「分ける」ことのできるものではありません(従って「分ける」という作業は根本的に、恣意的〔適当、いいかげん〕なものになる)。アナログな世界を、デジタルに無理矢理分けてしまうのが「コトバ」。分けられないものを無理矢理分けてしまったのが、不幸の始まり。人間の理解の限界、あるいは科学の限界、といったもんもこの根本的なところから由来するんだろうな、とか思ったりします。でも、人間というものは本当にデジタルなものしか、分けられたものしか理解できないんでしょうかね。音楽や絵、芸術といったものは、ひょっとして人間のこの世界に対するアナログな理解表現の一手段なのではないだろうか?そうすると、芸術と「記号」との根本的な関係というのは、どうなるんだろう?言葉を持たない他の動物の、この世界に対する理解というのも、多分「分ける」という能力によるものなんだろうけれど(外敵とか食べ物の学習とか)、そうすると、「言葉」、「理解」、「知性」といったものは、「分ける」「世界の分割」といった概念で括ることができるのかな。「分ける」ことによらない「理解」というものは、ありえないんだろうか。とか、いろいろな「疑問」が出てきますね。
 ちなみに、以上のことはこの本のテーマではなく、この本を読んでのぼくの個人的な感想です。本書ではあまりこれらの事柄に関しては扱っていません。

→ 緑龍館 Book of Days

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