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ナショナリズムの克服 みんなのレビュー

  • 姜尚中, 森巣 博
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みんなのレビュー13件

みんなの評価4.1

評価内訳

13 件中 1 件~ 13 件を表示

紙の本ナショナリズムの克服

2003/12/31 23:24

無責任な巨根自慢

7人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:KENSEI - この投稿者のレビュー一覧を見る

本文中の表現を借りれば森巣が「オレのチンポコは世界中で通用するぞ。すごいだろう〜」と言い、姜が「いいなあそういうチンポコうらやましいな〜」と撫でている、ようにしかとれないのですが。それが〈克服〉なのだろうか。日本人“硬い”論から、どこが進歩しているのかは不明である。
ただ、さまざまな学問の世界における、日米の癒合体制批判の本としてなら、評価はされるべきなのかもしれない。

ずっと避けてきた(有り体に言えば嫌いな)論者である二人の対談ということで、思想の精髄が理解できればおもしろいだろうと、初めて姜・森巣両氏の本を手に取った。しかし実のところ、対談本は最初に読んではいけない本のようだ。
ファンや、両者の思想に共鳴する素地を有した人間なら、断定される結論や悪口も“電光のように(山本夏彦)”通じる。
だが保守的な言説に共感を覚える身としては、どうも反感や疑念を抑えることができない。いままでの言論の文脈を理解していれば問題ないのだろうが、説明不足かつ飛躍しているように感じる。反論をしたくて仕方がなくなる。
以前「反米という作法」(小林よしのり・西部邁)を、「新聞は朝日に限る」と常々断言している友人に貸したら、「わかるけどムカツクんだよ!」と感想が返ってきた。その気分が少し理解できた。

一番納得できなかったことは、この二人に日本を支えていくという気概がまったくないことだ。外側から無責任に囃し立てていることだ。
ナショナリズムや国家が融解するとどうなるのか。「どうなっても俺たちには都合がいい」という、二人の思惑しか読み取れない。結局世間に甘えているだけなのではないか。
もし国体を破壊したいのなら、姜は東大を出るべきだ。少数民族の発言を伝えるのに必要だから、東大の先生やっているのだろうか。筋が違うだろうというのが、素朴な感慨だ。
森巣も“電車の中でスポーツ新聞読んでるオッサン”代表のつもりらしいが、オッサンたちはオーストラリアでヒモなんかやってない。日本中のオッサンがそうなったら、誰が社会を支えるんだ。とくに森巣は論敵が逃げ回っている、と豪語しているが、単に相手にされていないだけなのでは……?

右翼的な言説はすべて観念が根底だという発言もあったのだが、二人の左翼的な言説も、観念から発しているように感じる。
こうなってくると、言葉の虚しさを感じずにはいられない。
左翼的な言説を信奉する者には、興味深い記述がある本なのだろう。しかし私にはまったく見つけられなかった。
もし機会があれば、他の著作を読んでから再度判断したい。
(結局ネグリの「帝国」を読まねば理解できんのか? あんな厚い本を)

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紙の本ナショナリズムの克服

2004/10/19 15:33

獅子身中の虫

20人中、16人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:佐伯洋一 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 今再びこの本を読んでみた。実に、強烈に腹に据えかねる思いがする。書評の鉄人である塩津計さんが正鵠を射た書評をされておられるので、私ごときが何を言う必要もないとも思うのですが…。

 ひとつ考えなければならないのは、この姜氏は日本人ではなく、日本のナショナリストがこの地上から消滅しても全く痛くもかゆくもないということだ。いや、彼も日本で金を稼いでいる以上痒いくらいは思うかもしれないが、しかし日本からナショナリストが消滅すれば、彼ら在日の立場というものは確実に向上する。これだけは間違いない。

 これから戦争が起こるとしたら、それは日本からしかけるのではなく、中国からということになる。客観的に見てそうであろう。なにしろ、日本には軍隊も法律も徴兵制も何にもないのだから。その中国が戦争を仕掛ける要因こそ、反日をあおる「愛国主義教育」換言すればナショナリスト教育のはずだ。
 姜氏が日本のナショナリスト(愛国心)を確信犯的に消滅させようとする前に、本当に彼に正義があるのならば、中国こそとめるべきではないか。日本から愛国主義を毟り取った共産一派の彼が、そのことを一番理解しているはずだ。分かっていて、日本をこの上まだ骨抜きにしようという、彼の根本目的が透けて見える。

 国旗掲揚、国歌斉唱を拒むバカが教師としてふんぞり返っているが、それでどうやって子供に教育をするつもりなのだろうか。姜氏に言わせると、国家斉唱は好ましくないことのようだ。こんなことは間違っているに決まっている。彼ぐらいの男にそれが分からぬはずはない。これでは、なんだかんだと理由を付けて、この日本を自分の住みよい形にしようとしているといわれても仕方ないではないか…

 まったく、弁護の余地がない話である。われわれはこれ以上騙されるべきではない。石原慎太郎氏は靖国神社でいつも何を祈っているのかと聞かれ、こう答えた。「どうか、この日本が他国の属国にならないよう見守って下さい…とです」。中国の出先機関である左翼かぶれに惑わされるようなことになっては、また日本はその国家としての威信を失い、諸外国に笑われる羽目になる。姜氏などまだよい方である。彼は日本三悪などとされているが、我が日本人の中にはもっと凄まじい売国奴がたくさんいる…島田伸介氏は番組を降板してまで、身を挺してある大阪地区の人物の参院選当選を阻んだ。彼は、具眼の人である。
 

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紙の本ナショナリズムの克服

2003/02/25 17:50

サヨクかぶれの在日が書いた愚書

14人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る

姜尚中は何をそんなに恐れているのかさっぱり理解できない。
日本では天皇制打倒を目指すサヨクによって、ナショナリズムは
長らくタブーとされてきた。「愛国主義は軍国主義に直結する」
というアレだ。その流れで国歌である君が代も国旗である日の丸も
「血で汚れた天皇制礼賛の象徴」とされ学校では国旗を掲揚すること
も、国歌を歌うことも禁じられてきた。それはほとんど成功した
かに見えたが1990年代に始まったサッカーブームがこの
サヨクの長年の努力の成果を一瞬にして吹き飛ばしてしまった。
サッカーの国際試合では、どこの国でも試合前に国歌が斉唱
され国旗に対し敬意が払われる。世界中どこの国でもやっている
ことを日本だけが行わないのはおかしいと、清く正しい老若男女は
我も我もと君が代を歌い日の丸を公然と振るようになった。日の丸
だけでない。軍国日本の象徴である旭日旗(海軍旗、軍艦旗)さえ
白昼堂々公然と振られるようになった。相手が中国だろうが韓国
だろうが旭日旗は中天高く掲げられるようになった。この現実が
姜尚中には悔しくてならない。残念でならない。「あと一歩で日本人
全員を洗脳し弱体化し分裂させることが出来たのに」しかし疑問で
ならないのが姜尚中が憂え恐れるのが「日本のナショナリズム」に
限定されているということだ。ナショナリズムが克服されなければ
ならないのならアメリカでも欧州でも克服されなければならないし
まして中国や韓国でもナショナリズムは克服されなければならない
はずだ。それなのに姜はこうした諸外国のナショナリズムはひたすら
無視して日本の状況だけを問題視し日本人に対してだけ「ナショナ
リズムを克服するよう」語りかける。おかしいではないか。私には
克服すべき「危険なナショナリズム」は日本よりも韓国や北朝鮮に
あると思うがどうか。思い返されるのは日韓ワールドカップ試合に
おける韓国サポーターのマナーの悪さ、視野狭窄な偏狭な愛国心
表現の数々だ。イタリアに対し「今日はイタリアの命日となる」
「イタリアに死を」「とっとと帰れ、地中海へ」という下品な
横断幕が韓国のサッカー場を埋め尽くした。「おいおい
それは無いだろう。もっと大人に成れよ韓国人」と思った日本人は
数知れない。あまりに悪い韓国人の応援マナーに激怒した飯島愛さん
なんか「韓国人ってサイテ−。もう一生キムチなんか食べない」と
まで言い切っていた。姜尚中が「ナショナリズムの克服」を語り
かけるべき相手は文明が進みマナーの進んだ日本ではなく姜尚中の
祖国韓国であり北朝鮮であるべきなのだ。

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紙の本ナショナリズムの克服

2003/04/28 11:03

実体験の特殊性と学問の普遍性

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:KAZU - この投稿者のレビュー一覧を見る

対談集というものは、かくも不完全燃焼だという印象を読者に与えてしまうものなのであろうか。

東大教授として日本の学問の頂点にある姜尚中氏の発言内容にはかなり落胆した。氏の個人的体験のみを語るのであれば、それは「実体験の特殊性」である。そこで「ナショナリズムの克服」という命題への挑戦はストップしていることを氏は気が付いていないのであろうか。学問は、その個人体験(別に体験しなくても思考だけでもよいのであるが)の特殊性から「普遍性を導き出す過程」とそれを「体系化した結果」にあると私自身は考える。体験量だけで測れば、森巣博氏の膨大な異文化体験の方が圧巻であり、「森巣博教授と、学生姜尚中さんの、ナショナリズム何でも質問箱」といったタイトルのほうが、本書にピッタリだと思える。

人々の経済的生活が豊かになればなるほど、宗教的、民族的、あるいはナショナリズム的問題は解決の方向へと向かう。経営コンサルタント・大前研一氏の名言である。著者両氏に欠けていると思える点は、ナショナリズムの克服に対する経済の要素をあまりにも軽視しすぎていることであろう。それでも、教授である姜尚中氏は、森巣氏の「西欧で一番名の売れている日本人の知識人は誰か?」という問いに対し、「大前研一氏です(笑)」と答えざるを得ない。この(笑)の意味は氏自身の教養を示すバロメータであることを氏は認識していないようである。

そもそも、本書を読んでも、なぜ「ナショナリズムを克服しなければならないのか?」という一番根底にある学問の出発点が全く見えてこないのは残念である。もし、克服の目的が「精神的、経済的に豊かな生活を送るため」であるのなら、本書はその方向が180度逆に向いている、というのは言いすぎであろうか。

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紙の本ナショナリズムの克服

2005/03/17 03:31

ナショナリズムの無益さ

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る

ナショナリズムと言えば、国粋主義に繋がる言葉という風に思われるが、本書を読んで正にそういう考えが、バカバカしいものかを知った。姜氏は、「朝まで生テレビ」でもお馴染みの在日2世、森氏は、本書で初めて知ったが、オーストラリア在住の日本人でまったく自由に生活している自由人である。この二人の対談という形で本書は構成されている。姜氏は、在日2世という立場から、日本の又は、世界のナショナリズムについて述べ、森氏は日本人的自由人という立場から述べられている。在日の問題、日本の閉鎖性の問題等、初めて知る知見も多く、楽しく読めた。

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紙の本ナショナリズムの克服

2003/01/13 15:34

すっきりできる反ナショナリズム書

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:vio - この投稿者のレビュー一覧を見る

 たとえば、通りで目鼻立ちがはっきりしていていほりの深い顔をしたイタリア系の人とすれちがったとき、ぼくはその人を「日本人」かもしれないと思ったことはない。もしかしたらその人が日本国籍の持ち主で、日本に長く住んでいる可能性もあるのに。そんなことは考えもせずにガイジンと決め込んでいた。
 こんな見方がおかしいことをこの本を読んでいて気づいたが、もっと過激なことに本書は人間を〇〇人や〇〇民族という枠にはめ込んでみる見方そのものを不可能だと否定している。民族は強者が弱者をつくりだすためのスティグマだという。そして弱者が立ち上がる武器としてのみ民族という言葉が意味をもつべきだとされる。
 本書はおもしろい考え方のオンパレードだ。「日本人にしかわからない日本の心や神髄なんてものは、じつは日本人にもわからない」。「少数者や異物が排除された社会というのは多数者にとっても住みづらい社会なんだ」。
 強者にとっては弱者をつくりだして排除すればいろいろ楽ちんかもしれないが、それではなにも前向きなことは生み出せない。数的に言えば、強者<弱者なんだから、強者のいうままに統合されるナショナリズムの病気には気をつけようと思う。本書はその処方箋として最適ではないだろうか。

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紙の本ナショナリズムの克服

2008/10/31 11:00

笑いこけてしまった。

13人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:りっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

 まじめな姜さんに、破天連な森巣さんの組み合わせが絶妙。他の書評を見ても、この反応の数。みんな、面白かったのねぇ。
「俺のチンポコ」論。そうなのよ、「男の女の付き合いには、それよりもまず愛!!愛でしょ!!」なんて本に叫んでもしょうがないのだけれど・・・「草の葉民主主義」にも笑ったし、フランスでホームシックになった日本人がマックに並ぶ姿も、姜さんが思わず「信用できない」と言う姿も目に見えるよう。
 ご自分のナショナル・アイデンティテイで悩んだ姜さん、日本では多数派だったから、その事では悩むことなく、人種差別以前のゴミ扱いで、「人間はみんな同じ」と悟られた、森巣さん。立場が違うからこそ、丁々発止のやり取りが面白い。二人とも人間性が豊かなんだなぁ。
 第一部は、ナショナリズム/自由をめぐる対話- 東大教授、豪州博打打ちに会いに行く
 と題して、石原慎太郎の差別的な発言とそれを容認する空気の分析から始まり、姜尚中教授の特別課外授業「日本ナショナリズム小史」。
 近代になってから登場した「国体」。戦後のスキャッパニズム=SCAP(連合軍指令部)と日本政府の談合体制。「軍事的なものがそぎ落とされることにより、かえって、1920年代以降の社会構造がより強化され」、「政治的な部分はほぼアメリカによって代替されました。だから、ナショナリズムなきナショナリズムのような現象が起きたんだと思うんです。それが、経済ナショナリズムだった。」「それが、うまくいった。その理由の一つに、アメリカがアジアの問題をかなりかき消したことが、非常に大きかったと思うんです。」
 このあたりが「慰安婦なんかいなかった」「南京大虐殺は捏造」発言につながるんだな。なるほど。
森巣 大東亜共栄圏は、政治的には挫折したけど、経済的には温存されている
姜 日本は東南アジアに対する賠償という形で、経済的に進出していく可能性をアメリカによって与えられたんです。そして
森巣 経済的成功とともに。日本特殊論、日本人論の登場だ。
で、森巣さんの「ちんぽこ論」も登場と相成る。
森巣 それが90年代になって、バブルが破裂すると同時に、「俺のチンポコは大きいぞ」とも言えなくなった。それで困った挙句に「俺のちんぽこは(小さいかもしれないけど)硬いぞ」と言いだす連中(「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーとか)が跋扈しだす。
姜 ややどぎつい表現ですが、的を射た発言ですね。
と、姜さんまでつい「俺のちんぽこは繊細だ論」を言い出して、森巣さんに落ちを取られちゃって、私は笑いこけてしまった。
 日本人の男性の自信の無さがようくわかる比喩です。
 笑ってばかりもいられないんだけどね。姜さんがいうには、日米談合体制にしがみついて、失われた20年。「一挙に改革をやると同時に、そこから生まれてくる副作用を、是正しなければならない。これはもう、冷房と暖房を同時にやるようなもの。ブレーキとアクセルをいっしょに踏まなききゃいけないようなものなんです。だから、改革をやろうとすると、必然的に、ダッチ・ロールになっちゃうんです」。まさしく、ダッチ・ロールしている現状です。国会も、株価も、石油のお値段も。
 続いて、姜さんの悩み多き青春時代の告白。
「自分にだけしゃべらせてずるいぞ」ということで、森巣さんの「イージーライダー」体験の告白と「民族」についての特別課外授業。
 「楽しいことさえしていれば、人間は間違わない」、「bumに国境はないんだ」、「社会的上昇志向さえ自分の内部で殺してしまえば、実は世の中というのは簡単なんだ。楽しい生活ができるんだ」。森巣さんが体験から得た言葉は、どれも納得できる。
森巣 民族などという概念は、構造主義以後の学者たちが鮮やかに解体したように、成立しようがない。要は、抑圧と収奪の理念によって立ち上げられた、差異の政治学なのですね。「われわれus」と「かれらthem」の間に境界線を引き、「民族的」抑圧や収奪を容易にしていく。「民族」は、まさに、西欧近代が生んだ植民地主義・帝国主義の理論であり、概念なんです。
 そして、「西欧近代」が創造、捏造した概念の中でも、とりわけ「民族」は、人間社会を喰い尽くすタチの悪い病です。
 はっはっはっ・・・「民族」は病だったのかぁ。
森巣 「それは、日本国民全体が在日化したということですね。」
 姜 「ああ! 僕が、今それを言おうとしてたのに(笑)。
 こういう会話が楽しいねぇ。深刻な問題なんだけれどね。フツーの日本国民が福祉から外されていく。年金、医療、生活保護。雇用の問題も。冗談ではなく、「プリーズ・フィール・アット・ホームレス」です。 
 そして、「福祉国家の外にいたから、治安管理の一番の対象として見られていた」在日の人たちと同じように、豪邸を見に行こうとただ歩いていただけで逮捕されてしまう世の中になっていく。怖いですねぇ。
 アメリカ国内でも、新自由主義に対する批判、金融資本への規制を訴える声が高まっている。森巣さんのこの言葉が胸にずんと響いたよ。
「例えば、バングラデシュの縫製工場で、勤勉に禁欲的に、ほかの人とは比べものにならないくらい働いて、ウエーバーの言うような富が得られているかというと、経営者を除けばそんな人は誰もいない」
 真面目に働いている人がそれなりの成果が得られる、誰もがそれなりに幸せに暮らせる、そんな世の中にしなくてはね。
 あとがきの姜さんの言葉、「私個人について言えば、民族についての両義的なこだわりをありのままに受け止められるようになっていたのである。それはこれまで経験したことのないような稀有な体験であった。その意味で対話は何よりも私の中に変化をもたらしてくれたのである。」
 著者に変化をもたらすほどの対話。対談の真価がひかる一冊でした。
 この本で紹介されたスチュアート・ホール、ミシェル・フーコー、キャロル・グラック、ノーマ・フィールド、テッサ・モーリス=スズキ、ジョン・ダワー、ポール・ギルロイ、ハリー・ハルトゥーニアン、酒井直樹、ハートとネグリ、そして、森巣さんの本ももっと読みたくなっちゃった。
 
 

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紙の本ナショナリズムの克服

2003/04/06 08:16

キィワードは「国体」と「民族」

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ちひ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 日本で行われている「ナショナリズム」の小史をまとめた章や、「民族概念」の解体を行っている章、また著者である二人の著名人の半生と転換点が赤裸々に語られている章もあり、それぞれのスタンスの背景をうかがい知ることも出来る。

  「右も左も共同性のフィクション性を認めるのなら、
   再想像を続ける責任と義務があると思うのです」。
                    (本文より)

 現在では右も左も「ナショナリズム」がフィクションに過ぎないことを認めているのだそうだ。ならば‥‥。

 「ナショナリズム」という極めて曖昧な概念を分解すると、さしあたって「国体」と「民族」が重要なタームになる。そして両者をじっくり分析すれば、「ナショナリズム」が、抑圧する多数にとって極めて都合のよい装置であることがわかるだろう。

 通読するまでもなく、「九・一一」以降、急速に捏造の度合いが強まりつつある「文明の対立」その他、世界を単純な二項対立に押し込めて誤解しようとする浅薄な思考を脱却するヒントとなるだろう。もちろん、この国では「文明の対立」の構図を受け容れる側が多数派である。だが多数派であること、それ自体に何の意味があるのだろう。わたしにはわからない。

 なお、「ナショナリズム」と「同朋愛」や「郷土愛」とを混同してはならない。そんなことをしてしまうと、「クニ」というひとつ言葉で「land:国土」「country:人々の集団」「nation:政治的統一体」「state:国家機構」というまったく違った概念を混同したときと同じ誤謬に陥ってしまうだろう(これらの概念については 江口圭一 『日本の侵略と日本人の戦争観』 岩波ブックレット365 が詳しい)。

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紙の本ナショナリズムの克服

2003/02/20 01:49

人生は博打だ。必然性を求めない方が気持ちがいいこともあるような気がする。

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Shinji@py - この投稿者のレビュー一覧を見る

緊張感あふれる対談。読み出したら止まらなかった。こんな本は久しぶりだ。日本を離れた時に感じた、なんとも言えないある種の心地よさを思い出した。頼れるものもなく、自分はただの英語の苦手なアジア人なんだ、と思った時の心地よさの理由がなんとなくわかった気がした。

例えば、自分の前で国境線が引かれたり...。大学入試の合格・不合格でも、就職活動でも、企業のリストラでもなんでもいい。利益が得られるかどうかを分ける、適当に引かれた線はいろいろある。多くの場合、はっきりした線引きの理由はないから、外に閉め出された人は割り切れない。すると線の中にいる人はその線の妥当性を躍起になって説明しようとする。つまり外の人の悪口だ。もちろん外の人はあきらめるしかない。ただ、その悪口が耳に残って、さらにやりきれない。

「一億総在日化」という言葉がこの本の一つのキーワードになっている。グローバル化のもと、自己責任ということがよく言われる。つまりは政府が国民に、福祉国家としての機能が国民全体に行き届くとはかぎらないことを認めて欲しいということだ。そして、福祉国家の恩恵を受けられない者は治安管理の一番の対象と見られる。簡単に言えば、閉め出された者は準犯罪者扱いされるということだ。それはまさに今まで在日韓国・朝鮮人の置かれてきた立場だ。そう考えると「在日」の問題は、今後誰にでも降りかかりうる問題だ。

ナショナリズムの嫌な感じの訳がわかったような気がした。得をする人の範囲を限定する理由付けの代表なのだ。民族による差別化を認めれば、次はすぐに、性別、出生地、職業、学校歴、宗教、その他いろいろなものによる人間のランク付けを連想してしまう。上の方には絶対入れてもらえないよなぁ...とか、つい考えてしまって、また憂鬱になる。本文中にも出てくる、留学中に英語の発音を直されて怒ってナショナリストになっちゃうエリートの人とかが実はちょっと羨ましい。

言い古された言葉だが、人生は博打だ。博打に負けるのがこわいから、出生とか身分とかなんらかの区別によって国や企業にあらかじめ勝つことを保証してもらいたくなる。誰だって危険な思いはしたくない。森巣博の肩書きには国際的博打うちとあったが、ぼくはその肩書きをその差別化による保証をあてにしないで生きる人という意味に受け取った。そのせいか、重いテーマを扱っているにも関わらず、読書後の印象はさわやかだ。あてにしない(できない)方が気持ちがいいのかもしれないと思ったら、もやもやしていたものが少しだけ晴れた気がした。

近代化におけるナショナリズムの考察もさることながら、姜尚中が在日韓国人としての自分の半生を語るところがこの本の一番の見所だ。この個人史があるから姜尚中の言葉に説得力がある。

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紙の本ナショナリズムの克服

2003/02/23 00:49

特別なんだ(笑)

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:深爪 - この投稿者のレビュー一覧を見る

70年代の経済的成功以来、日本人になんとなく染み付いてしまっている「自分の国は特別なんだ」という思い。それはどういうわけだか、私のなかにも漠然としてあります。終盤、西欧近代の植民地主義・帝国主義が生んだ「民族」という概念の解体に至るに及んで、タイトルの意味、なぜ「克服」なのかが見えてきます。克服すべきは、多数者の側というか、全ての者なのです。

この重厚な内容を一見カジュアルに、かくも読みやすくまとめてあるなんて。全部を理解できているとは思いませんが、とにかく読めてしまう。読後、整理されて残るものがある。なんと巧みな構成、なかなかの仕事だと思います。
そんなに笑ってられない内容なんですけど、しかしまあ(笑)の多い対談です。

第一章の「日本ナショナリズム小史」だけで姜氏の著作『ナショナリズム』のダイジェスト版といってもいい内容だそうです。これだけ読むだけでも、もやもやしたきな臭いものがすっきり退治された感じです。
普段あまりなじみのない、難解な用語の解説も随所に施され、親切な本です。

半生の激白ともいってもいい内容を惜しげもなく語り尽くした姜氏には、激しく迷い悩みつつもそれを乗り越えていく尊厳のあるパーソナリティに大いにリスペクトを覚えるのに対し、謎の博打打ち・森巣氏は、その謎がさらに深まってしまい、他著への興味をしっかりそそられます。
異色のコラボレーションですが、討論の行き先は揺るぎなく定まっています。

敗戦後の日米談合による「経済ナショナリズム」の誕生論、福祉国家の限界によって見える一億総「在日」化論、「グローバリゼーションが国家を必要とする」論など、目から鱗の論説も数知れず。

何が正しくて何が正しくないか、容易に規定し得ないアンビバレントな世界情勢の中でなお、さえた見通しというか世界観をキープしている人たちがちゃんといます。あまたの情報、特にそのヴォリュームに惑わされることなく、何が真実かを選り分ける眼をもたなければ、と背筋を伸ばす今日このごろです。

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紙の本ナショナリズムの克服

2003/01/05 00:35

動機

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:矢野まひる - この投稿者のレビュー一覧を見る

 作家にとって書くことが生きることであるのと同じように、学者にとっては勉強することが生きることなんだな、と初めて思わされました。

 姜氏の個人史的なパートは圧巻。こういう人の言葉は(わからないところがあったとしても)本当に頭にはいってくる。学生時代、三島由紀夫の割腹とほぼ同時に、両親が日本に帰化した在日2世の焼身自殺に遭遇したこと。在日韓国・朝鮮人の学生運動に関わったこと。中国やロシアの社会主義は、行動様式や価値観や民族の慣習などにより(欧米とは違って)スターリニズムを招いたとする近代化論に強迫的な想いが募ったこと。近代化論の根拠となったマックス・ウェーバーを検証しようとドイツに渡ったこと。帰国し指紋押捺を拒否して犯罪者扱いされたこと。結局、押捺したこと。バブル真っ盛りの東京の盛り場が、昭和天皇「崩御」のニュースとともに真っ暗になり衝撃を受けたこと。そこから研究者としての活動を本格的に始めたこと。在日二世のこの人にとって、政治や経済や歴史や哲学を勉強することが生きることだったんだと伝わってくる。

 相方の森巣博氏の博識かつとらえどころのなさも相手に不足なし。オーストラリア在住の国際的博打打ちってなんじゃい、それは(笑)。氏はハートとネグリの「帝国」(Empire)という著作に大変な衝撃を受けたのだそう。

−ハートとネグリによれば、「帝国」とは、内部矛盾を外部化することによって、成立してきた。ところが現在では、世界のどこをどう探しても外部なんてものはないんだ、ということを指摘しているわけです。偉そうだな、俺も(笑)—

 終章近く、難民問題や関東大震災時の朝鮮人虐殺を例に取り、外部がなければ共同体の幻想は成立しないという対話を受けて森巣氏の引用するこの1節がすとんと胸に落ちてきた。

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紙の本ナショナリズムの克服

2002/12/18 16:31

これは高尚な漫才である

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ヲナキ - この投稿者のレビュー一覧を見る

いざ投稿しようと思ったら<のらねこ>さんに先を越されていた。あまりに秀逸な書評だったので自分の書いた文章が急に恥ずかしくなり、投稿に二の足を踏んでしまった。にもかかわらず書評を送ってしまったのは、「せっかく書いたのだからボツにするのは勿体ない」という気持ちと、「こんなに面白い本はぜひとも宣伝しておかねばなるまい」という変な使命感からだった。

<ナショナリズム>という少々厄介な題材を扱った対談集も、この森巣博というエンターテイナーの手にかかれば高尚な漫才の台本へと変わる。森巣氏がときに道化役となり、わざと卑俗な方向に話を脱線してくれることで、ボクのように無知蒙昧な読者も姜氏の展開するアカデミックなナショナリズム概論に難なくついていくことができる。「スポーツ新聞を読んでいるオッサンにも理解できるように、<ナショナリズム>の問題を姜先生に易しくレクチャーしてもらう」という氏の企図どおり、痛快な二人の語り口にぐいぐいと引き込まれてしまう。その絶妙の掛け合い、テンポの良さが、軽妙洒脱な東京漫才を思わせる。

特に、森巣氏が戦後の日本人論の変遷を独自の<ち〇ぽこ・モデル>を使って揶揄しているくだりがめちゃくちゃ笑える。めざましい経済成長によって自信を回復した時代に現れた日本人論が「俺のち〇ぽこは大きいぞ論」で、その尊大な態度はバブルの崩壊とともにやや謙虚な「俺のち〇ぽこは硬いぞ論」へと修正される。しかしイチモツというのは常時元気なわけではないから歴史的なバックグラウンドでその危うさを補完しようとしたのが「俺のち〇ぽこは古いぞ論」。それでは物足りないとばかりに、文化ナショナリズムを「俺のち〇ぽこは繊細だぞ論」だと称する姜氏の発言も可笑しいが、「それは早漏と同義じゃないですか」と悪ノリで返す森巣氏がまたイカしている。

「なにゆえに日本人は自らを特別な民族とみなすのか。」その脆い論拠を突き崩し、荒唐無稽な単一民族幻想を糾弾する。在日韓国人としてナショナリズムの狭間で苦悩してきた姜尚中氏と、国際的ギャンブラーとして数十年間外部から日本を見続けてきた越境者:森巣博氏だからこそ、その言説には実体があり説得力が感じられる。こんなに明解でタメになる本には滅多とお目にかかれない。姜先生に関して言えば、他にも吉見俊哉氏との共著『グローバル化の遠近法』(岩波書店刊)というマストな一冊があるので、ぜひ本書と併せてチェックしてほしい。個人的には後日、森巣氏の著作を読み漁ってみたいと思う。

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紙の本ナショナリズムの克服

2002/12/16 23:57

意識化されない不幸と意識せざるをえない不幸

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:のらねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 民族も国家も、所詮人間の都合で勝手にでっちあげられた人為的な概念にすぎない。すぎないのだが、日常の生活や個人のアイデンティティの根幹と容易に結びつきやすい……いや、分かちがたいがために、実態以上に強固なものとして理解される傾向があるように思う。特に近代に入ってから発明された、「民族」と「国家」を無理に結合させた「国民国家」というフィクションは必要以上に強力になりはじめ、そのチカラが前世紀の二度の大戦や紛争、あるいは、昨年の9.11などの遠因になっている面も否定できない。
 民族も国家も、所詮、ドグマなんだけど、「一種の共同幻想」として一笑にふせない「重さ」を持つことは、どうにも否定できない「現在の現実」だ。
 ただ、情報機器や航空機など、技術の進歩のおかげで、ボーダーラインとしての国境、は、以前ほどの強固さを持たなくなってきているのも事実。本書は、一国内に多数の民族を擁する多文化国家への道を歩んでいる国、オーストラリアに在住する自称博打打ちの著述家森巣博と、在日二世コリアンの学者、姜尚中との対談という形で進行する。ほぼ同世代の同時代人でありながら、国家や民族へ帰属意識が希薄な者と、否応なくそれを自覚せざるを得なかった者との、かなり率直な意見交換が交わされているわけだが、表面的には平易を通り越して下品な方向に向かいがちな言葉遣いになりがちであるのにも関わらず、その分、かなり率直に「現実」を見据えているのも事実で、国家や民族、それに経済までをも包括した、過去の結果としての現在、現代の帰結としての未来の「われわれの世界」の姿を、かなり真摯に見据えているようで、読んでいてとてもスリリングだったし、かなり興味深かった。

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