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みんなのレビュー3件

みんなの評価4.5

評価内訳

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3 件中 1 件~ 3 件を表示

国際世界の光の当たらない、もう一つの「民族浄化」

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:妹之山商店街 - この投稿者のレビュー一覧を見る

「国連安保理決議を迂回して行われた軍事攻撃はイラクではなく
このユーゴで最初に行われたのだ」
1999年、国連安保理決議なしで、宣戦布告もなく
ユーゴ空爆が行われた。
ミロシェビッチ政権による民族浄化からコソボのアルバニア系住民を
守るという口実で、「人道的介入」という名の下に空爆が行われた。
確かに空爆前から相互の衝突による死傷者が出ていた。
セルビア側からの蛮行があったのも事実である。
しかし被害が質的にも量的にも飛躍的に増大したのは
実は空爆開始後なのだ。
空爆開始に激昂したセルビア民兵による、アルバニア系住民宅への
放火、殺人、追い出しにより90万人もの難民が生み出された。
78日間に及ぶ空爆後、コソボのセルビア人20万人が
難民となってセルビア本国へと追い出された。
コソボに残ったセルビア人3000人が誘拐・拉致され
1500人の遺体が確認されている。
UNMIK(国連コソボ暫定統治機構)とKFOR(コソボ治安維持部隊)の
統治下にあるにもかかわらず。
数々の証拠と共に、国際機関に何度も訴えているが
犯人は一人として検挙されない。
KLA(コソボ解放軍)は、NATO部隊と共に、旧ユーゴ連邦軍と戦った後
そのままコソボの警察などの公的機関の要職に就いているのだから
当然の結果だろう。
KLAはその後、隣国マケドニアに軍事侵攻し、支配領域を拡大している。
コソボは「世界で一番親米的なイスラム教徒のいる地域」だ。
アルカイダ、タリバンなど米が育て、支援した組織が
その後、米を標的にする。
KLAもまたそうならないという保証は全くない。
現職公務員がマフィアのボスを兼務するなど、セルビア政治の腐敗
暗部も厳然と持続している。
ミロシェビッチ政権を崩壊させ政変には、米の民主主義革命の
プロモートが刻印されていた。
後の、グルジア、ウクライナでの「民主主義革命の輸出」の雛形だ。
北部、ボイボディナ自治州、30もの民族、公用語は六ヵ国語。
州議長は一貫した反ミロシェビッチ派。
10回以上逮捕され、懲役代わりに激戦地ブコバルに送り込まれた。
ミロシェビッチによる反体制派への間接的な暗殺の仕方だった。
ボイボディナで最も人口が減ったのは意外にもセルビア人だった。
元々住んでいたセルビア人が出て行き、コソボ等からのセルビア人難民が
入って来た。
議長は語る。
「独立は全く考えていない。我々が願うのはあくまでも自治権の拡大だ。
中央政府とのより良き連絡関係と立法の権利。独自に法を政策することで
ユーゴの他の地域にも安定をもたらせたい」
古き良きユーゴの匂いが残る最後の場所のようだ。
セルビアは難民大国だ。クロアチア、ボスニアから80万人
コソボから20万人、計100万人の難民大国だ。
空爆でインフラも破壊され、戦後の支援もクロアチアやボスニアより
かなり後回しだ。
コソボ難民は、自分達は難民ではなく、母国政府からも見捨てられた
棄民だと思っている。
「自らの加害性を互に歴史として自覚し合ってこそ、真の民族融和の
再構築が始まるのだ」と著者は述べている。
私はチトーを全面賛美するつもりは全くない。
しかし民族融和に心血を注いだチトーの肯定的に評価すべきことは
きちんと評価するべきだと考えている。
同時にチトーの限界、否定面もそれとしてきちんと批判され、反省され
教訓化されなければならないと考えている。
例えば、チトーは過去の諸民族の対立の歴史に対して封印し、触れること
を法律で禁止した。
しかし、それでは何ら問題の本質的解決にはならない。
目を背けたくなるような陰惨な現実でも、真正面から受け止め
それと対峙し、乗り越えることによってしか、本質的解決への道は
ないのではないか。
チトーの遣り残したこともまた、旧ユーゴ紛争の本質的要因の一つ
であると思う。

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民族間対立を克服するために

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る

被害を受けた側が、次の世代において一転して加害に回る。このねじれた関係が民族という大きな単位で起こるのが世界史である。
この最も知られる例として、ユダヤ人とパレスチナ人の関係がある。第二次世界大戦時にナチスから徹底的な殺戮を受けたユダヤ人が、現在ではアラブ系民族に対し大規模な迫害行為を続けている。
これらの場合、個人が受けるその迫害・殺戮は、その個人の行動にはいっさい起因しない。何のイワレもなく、ただ単にその個人の人種だけが問われ、多くの人々が命を落とす。
かつて日本の首相が「日本は単一民族国家である」などと言い反発を買ったことがある。そこまで無知ではないつもりではいるが、日本に住んでいる限り、ここまで激しい民族間の対立・憎しみ合いは、考えようにも思考が途絶し想像することすらできない。
(日本国内にもある根強く陰湿な少数民族差別の存在を無視しているわけではないし、重要な問題であると認識しているつもりでいる。しかし、それでもなお、である。)
本書で紹介されている、旧ユーゴスラビアにおける民族対立も、この地を「バルカンの火薬庫」と言わしめるほど、根強いものである。
旧ユーゴスラビア崩壊後のボスニアヘルチェコビナあるいはコソボにおいて起こった民族規模での恐るべし殺戮行為、セルビア人によるマケドニア人、アルバニア人、ムスリムに対する虐殺の情報は、「民族浄化」という恐ろしい呼び名とともに世界中を駆け巡った。しかし、紛争の一応の終結後、旧ユーゴ情勢に関する情報は日本にはほとんど入ってこなかったといえる。
しかし、民族間対立は根強く続いていたのだ。しかも、かつては”民族浄化”を行ってきたセルビア人が、逆に他民族に虐殺されるという形で。日本の他のマスコミがほとんど眼を向けなくなった旧ユーゴにおいて、粘り強く取材を続け、隠れた情報を提供してくれるものとして、本書は貴重である。
現在の情報過多の時代において、表面的に流される情報にあっぷあっぷしている多くの人々に、啓蒙を与えてくれる書である。
そして、著者のような地道な活動が、民族間対立の解消という世界的課題である大きな壁を突き崩す、最初の一突きとなるものと期待する。

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あなたはあなたの言葉を語れ

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:小梅 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書で扱われるのは、コソボ空爆後のユーゴスラヴィアの現在である。内容は、徹底した現場からのルポルタージュである。日本においては、ユーゴスラヴィアのことなどほとんど報道されない中、事件が過ぎ去った後も継続的に地道な取材を続けるこのような仕事は、敬意を払うに値するだろう。どの立場の人に対しても、先入観を持たず、まず現地の人々の声を聞こうとする姿勢には、好感を覚える。ところが、長所でもあるこの点が、同時に本書の食い足りなさにもつながっているようにも感じられるのだ。それは、特に、事件の被害者となった人々へのインタビュー箇所だ。
 一番最初に出てくる行方不明者のエピソードは、衝撃的だ。民族の区別なく、兄弟のように仲良く育ってきたアルバニア人の親友が、セルビア人の息子を欺いてアルバニア系民族派組織コソボ解放軍(KLA)に引き渡したというのだ。両親は息子捜しに奔走するが、空爆後すべてがセルビア人に不利となった社会状況の中で息子の行方は杳として知れない。そればかりか、息子を引き渡したかつての親友は、両親に対してあざけるような言葉さえ述べたのだ。一家は、自宅からも追われ、貧しい難民生活を送っていると言う。
 兄弟のように育ってきた幼なじみの事さえ憎む、そんなことがありうるとは信じたくはない。「何故なのかわからない」と言う被害者側の両親の言葉を筆者はそのままに書く。だが、本当に「わからない」のだろうか。同じような幼なじみの殺し合いについては、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争を描いた映画『ボスニア』のテーマでもある。あまり信じたくないことではあるが、こうした出来事はユーゴ内戦において比較的多くあったケースなのではないかと思う。なぜそんなことが可能となったのか、理由らしい理由はないかもしれない。だが、そうした売り渡しの行為を行うまでの、背景や犯人の思考の過程を追うだけでもいい、そこにこそ、なにか描かれたことのない、一番重要な問題が孕まれているのではないか。まだ事件の渦中にある当事者が加害者の言い分を聞き、自分のまわりの大きな流れを含めて理解することはなかなか困難だろう。だが、取材に当たる側には、それができなくてはならない。当事者が語る以上のことを語れ、それが報道する側の使命だと思う。
 筆者の木村氏は非常に優しい人なのだと思う。だからだと思うが、被害者の言葉に振り回されすぎているきらいがある。他の政治家などへのインタビューでは距離を取り、聞くべき事を聞いているような印象を受けるが、事件の被害者となった人々に対しては、あまりに距離が近すぎる。当事者の言葉というのは、どうしても狭く、偏ったものになりがちだ。また、それは致し方のないことだ。だからこそ、取材する側の力量が問われる。被害者が語った以上のことを描きだすか、あるいは常日頃被害者が語っている以上の言葉をインタビューによって引き出すか、プロのジャーナリストに求められるのはそうした事柄だろう。
木村氏は自らの行っていることは、「情報を搾取する」と言うが、それはあまりに感傷的に過ぎる。筆者が四年間活動を追い続けた「コソボ国際行方不明者会議」の事務局長をつとめていた女性オリビラの言葉、「あなたの存在は解決の何の足しにもならなかった」、多分に八つ当たりのこの言葉に対しては、実利的な解決への方途を提供するのではなく、取材の成果として当事者には持ち得ない視座を提供することで応えるべきだろう。当事者たちには不可能な視座を提供すること、それが大きな救いとなることもある。歓迎されるとは限らないし、反発されることもあるだろう。だが、悲劇をただの悲劇として終わらせないために、それは何より必要なことなのだ。被害者の言葉を代弁するのではなく、筆者自身の言葉で出来事を語ることが出来れば、それは可能となるはずだ。

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