「わからない」という方法 みんなのレビュー
- 橋本 治
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紙の本「わからない」という方法
2005/09/29 01:11
「わからない」ことがある人へ贈りたい
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:けい - この投稿者のレビュー一覧を見る
頭のいい人を前にして、頭のよくない私は思う。どうしてこんなことを考えられるのだろう、考えようとしたのだろう……「わからない」と。
新書というのは中身がかたそうで、私にとってなじみの薄いもの。新書は書く人も読む人も、頭のいい人。そんなイメージがありました。いや、今でもあります。
友人に新書を借りて、これからはこういう本も読まないとなぁ、ちょっと物を考えるようにならないとマズイなぁとの思いで、本書を手に取りました。実を申せば、新書で読みやすそうであれば、なんでもよかったのです。タイトルの「わからない」に惹かれたのと、著者の橋本治さんのお名前ぐらいは知っていたから。そんなちょっとした興味でも、いい加減な動機でも、とにかく読んでみるものです。
本書は「わからない」から始めてみる著者のものの考え方を紹介したもの、とでも言ったらよいのでしょうか。こんな本です、とはなかなか言い切れない変な中身の本です。企画書のつくりかた、セーターの本を書いたわけ、古典文学に身体論、と切り口はさまざま。どんなことからでも考え、語ることのできることがすごいのだ、と感じさせられます。
怖いのは「わかろう」としないこと。「わからない」は「わかろう」とする偉大なる第一歩なのですね。
紙の本「わからない」という方法
2008/01/19 20:56
楽しみを企む身体の使い方
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
仕事でよく企画書を書く。
関係者の理解を得るためにフレームワークなるものを利用して
5W1Hなどを踏まえて順序立ててわかりやすく書いているつもりだ。
企画書は現実に対して効果を生むために書かれる。でもその前提は
「読む人の理解に耐えうるもの」で、企画書を「読む人」とはたいがい、
上司や取引先と言った金銭的な意思決定者で、「読む人」は「書く人」の
文章で現場を知る。つまり書く人より現場から遠く、わかっていない。
そして現実が生まれる現場に行くと愕然とする。
企画書ではほとんど何も語ることが出来ていないと焦る。
「わかりやすさを優先させた簡潔な文章」では何も説明できていない
ことが現場に行くと五感で感じてしまう。
「わからない」は身体に宿る、と橋本は言う。
身体はすぐにわかってくれない。木が育つようにサナギが羽化するように、
じっくりと時間を掛けて筋道立てて対象を身体に浸透させていかないと
理解に至ることはできない。身体がわかっていなければ、言葉にできるのは
わからないということだけだ。
『「わからない」という方法』は21世紀に入った直後、9.11以前に
書かれた文章だ。「わかる」ことの度合いを競い合った20世紀が終わり、
この本が書かれてすぐ、9.11を経て、わからないことだらけに
なってくる21世紀が本格的に始まってしまった。自爆テロも地球温暖化も
サブプライム問題も、自分に引き付けて「わかる」ようになるのはなかなか
難しい。そんなに身体は大きくないし、100mを5秒で走れたりはしない。
それでも、わかるに至る方法はあり得る。私たちには身体がある。
楽しみを企むなら、わからない身体と共に、言葉を相棒に、
考え続ければいいのだ。
紙の本「わからない」という方法
2001/06/12 01:48
すごいっての
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:BOSSA - この投稿者のレビュー一覧を見る
これはとてつもなく深いハナシだと思うの。そして、すごくベタな書き方で、コレに較べりゃ『ああでもなくこうでもなく』やら『二十世紀』やらの洗練されっぷりったらナイですね。
「努力」や「勉強」や「仕事」についての根本的な考察と実践がテンコ盛りでバンバン出てきます。こういう物の考え方と言い方こそが必要なんだと私は思います。薄い本ですが繰り返して読める内容です。
こういう話をするときの橋本治さんが誰に似ているかというと、ラッパーのKRS−ONEはではないでしょうか。
「I think very deeply」のフレーズは橋本さんに似合うと思いますね。
紙の本「わからない」という方法
2001/06/09 20:00
わからない「から」やるんだってば。
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
わからないからやらない、でも、わからないけどやらされる、でもなくわからない「から」やる。どこかを探せば正解が学べる20世紀が異常であり、壁にぶつかって挫折するのはあたりまえ、正解がないと嘆くのは他人まかせの不精者の所作である、と著者は喝破する。文章の隅々の例えに、笑い泣き頷き、次の瞬間読んでいる私の手と足が動く。もがいてて停滞しててどうにかしたい人すべてに読んでほしい一冊です。
紙の本「わからない」という方法
2004/12/19 17:11
「知性する身体」
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Helena - この投稿者のレビュー一覧を見る
■「知性する身体」
タイトルからは想像できないが、身体論の部分が面白い。
私だったら、「知性する身体」という書名で、この部分を前面に出して売り出すかも(^^)
「自分の身体は頭がいい」との名言を残したとして内田樹さんの本で紹介。この一冊を通読して、この部分に注目するのは納得。
「身体とは知性するものである。脳は、「わからない」という不快を排除するが、身体という鈍感な知性は、「わかんないもんはわかんないでしょうがいないじゃん」と、平気でこれを許容してしまう。であればこそ、身体は知性を可能にするのである。」[251]
■「学ぶ」とは「真似る」である
学ぶことは、その技術をノウハウ的に習得することではなくて、教師の生き方そのものを踏襲することである、という指摘を橋本がしていたことに驚かされる。なるほど。これって、師弟論だ。
内田=レヴィナス的な師弟論(他者論)、大田堯のカンとコツをまず思い出した。
そして、個性の立ち上がりについても。個性は、実体としてその子の内側に最初から存在しているのではなくて、他者のやり方を獲得した中から、そことどうしても合わないものとして、立ち上がるものなので。
こういった個性論、どの程度の支持を得ているのかしら?
■習熟について
橋本のセーター本には、初級と上級はあるが、中級は無いという。
「「中級」とは、初級から上級に至るまでの習熟の期間であって、そんなものは、当人が決めればいいのである。」[132]
納得。
理解してわかることと、習熟していることは違う。
「訓練」と批判して、習熟を批判する議論への違和感って、これかな?
というわけで、結構面白かった。
やっぱり、偉い人が言うことは同じかも。
ところで、bk1のすでに掲載されている書評を斜め読みしたが、身体に焦点を当てているものがない。
橋本氏も、「もしかしたら、この『「わからない」という方法』なる本は、『知性する身体』というタイトルで書かれるべきだったかもしれない。」[237]と書かれているのだから、身体論で書評するのは、的はずれでもないと思うのだけど(^^;)
皆さん、『「わからない」という方法』というタイトルにひきづられていませんか?
紙の本「わからない」という方法
2001/07/17 14:23
確信犯、橋本治
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:小田中直樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る
橋本治さんといえば、〈とめてくれるなおっかさん〉に〈春って曙よっ〉。この本では、そんな怪しい活動を繰広げてきた作家が、自分の仕事を振返りながら、独自の「方法論」(八ページ)を披露してくれる。ただの自慢話や回顧録じゃなくて、人生をより楽しく生きるための「方法論」を教えてくれる、お得な一冊だ。
まず、基本と応用にわけて、橋本さんの「方法論」をまとめておこう。第一、基本。二〇世紀は〈どこかに正解がある〉時代だった。だから、〈わからない〉ことは恥だったし、〈へんじゃない〉ことが大切だった。でも、自分にとっては〈へんじゃない〉ことでも、他人から見れば〈へん〉かもしれない。〈へんじゃない〉ことで安心してたら、〈ひっくり返す〉馬鹿力は出ない。〈へん〉でいいって思うと、わからなくてもいいって気になる。「自己批評」(五六ページ)したり、お互いに批判しあったりできるようになる。二一世紀は「自分の力」(二四ページ)の時代、つまり〈わからない〉と〈へん〉の時代なのだ。
第二、応用。「自分の力」をみつけるにはどうすればいいか。自分が何も知らないことを認めて許すこと。直感を信じ、体を使って情報をかき集めること。常識じゃなくて自分の経験を土台に据え、基礎を確実にマスターした上で、納得するまで考えること。こんな風に「身体と経験と友人」(二五一ページ)を活用すれば、わかる。そして、何かがわかれば、別のことがわからないことに気付く。ほら、もう一度やってみよう。これって、誰がどう見ても、一種の〈ハウツー本〉だ。しかも、〈人生いかに生くべきか〉についての、楽しいだけじゃなくて、とても優れた〈ハウツー本〉だ。
でも、そう思いながらふむふむと読んでくと、なんと橋本さんは「促成ノウハウ」(一〇〇ページ)は嫌いだって断言してるではないか。これはつまり〈ハウツー本〉も嫌いだってことだ。そりゃそうだろう。〈ハウツー本〉を買うのは、〈どこかに正解があるはずだから、それを暗記すればいいや〉っていう、「人の言う方法に頼る」(二二六ページ)人だけど、橋本さんによれば、これは二〇世紀のやり方で、これからは〈なし〉なんだから(ハウツー本を前世紀の遺物にせよってところか)。
でもでも、これで問題が片付いたわけじゃない。だって、橋本さんはなぜ自分が嫌いな〈ハウツー本〉を書いたのか、それとも、もしかしてこの本は〈ハウツー本〉じゃないのか、こんな疑問がふつふつと湧いてくる。僕の印象では、これはやっぱり〈ハウツー本〉だ。何の〈ハウツー〉かといえば、〈自分の頭で考える〉ための〈ハウツー〉だ。〈自分の頭で考える方法を教える〉のって、難しい。だって、〈教える〉っていうのは〈真似させる〉ことなんだから。そのことを橋本さんはよくわかってる。この本の「方法論」だって絶対じゃないけど、そのことをわかんない読者もいて、〈この本の通りにやってみよう〉って実行してしまいそうだ。だから、橋本さんは何度も〈イージーにやるな〉って繰返す。つまり、すべては確信犯の犯行なのだ。
「自分はどのようにわからないのだろうかと考えること」(一〇ページ)が大切だっていう橋本さんのメッセージは、僕には納得できるものだった。でも、疑問を二つ。第一、〈へん〉と〈へんじゃない〉の関係って、〈他人から見ればへんだけど、自分が見るとへんじゃない〉なのか、〈多数派になるのがへんじゃない人で、少数派がへんな人〉なのか、よくわからなかった。〈へんでいい〉っていうのはとても大切なことだから、ここのところをもう少し説明してほしかった。第二、すべては〈直感〉からはじまるけど、〈直感〉が弱い人はどうすればいいんだろうか。おっと、これは自分で考えることか。[小田中直樹]
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