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電子書籍

永遠の詩 みんなのレビュー

  • 八木重吉 (著), 井川博年 (選・鑑賞解説), 萩原朔太郎 (著), 高橋順子 (選・鑑賞解説), 宮沢賢治 (著), 石垣りん (著), 中原中也 (著), 山之口貘 (著), 茨木のり子 (著), 金子みすゞ (著), 矢崎節夫 (選・鑑賞解説)
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みんなのレビュー17件

みんなの評価4.7

評価内訳

  • 星 5 (15件)
  • 星 4 (1件)
  • 星 3 (0件)
  • 星 2 (0件)
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17 件中 1 件~ 15 件を表示

姿勢を正して読む詩集

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「永遠の詩」全八巻の二巻めは、茨木のり子。三十六篇の詩が収められている。
 巻末のエッセイはコラムニストの天野祐吉が担当している。

 茨木のり子の詩はいい。すっくと立つ、背筋がのびる詩が多い。何度読んでも、いつも新鮮で、いつも心があらたになる。
 代表作のひとつ、「わたしが一番きれいだったとき」は反戦詩といっていいだろうが、声高に反戦を叫ぶことはなくても、読むものに戦争がもたらす不幸を痛感させる。繰り返される「わたしが一番きれいだったとき」というリフレインに、その時代を戦争で奪われた詩人の苦味がこめられている。
 白くて細い手が固く握られて、強いこぶしになる。

 そういうつよさ、たとえば「自分の感受性くらい」や「倚りかからず」が茨木のり子の特長ではある。しかし、つよさをまとう意匠は先の「わたしが一番きれいだったとき」のように柔らかで、なめらかで、やさしい。「食卓に珈琲の匂い流れ」にもそれは通じる。
 そういう女性的な(ほめ言葉としての)表現は、亡き夫を偲んで詠まれた作品に結晶している。「夢」という官能的な詩の、切なさはどうだろう。「夢ともうつつともしれず/からだに残ったものは/哀しいまでの清らかさ」(「夢」)。夢のなかで亡き夫と交歓する詩人のうちにあふれだすものに絶句させられる。

 なんどでも、ここに、もどってこよう。
 と、思う。

 ちなみに、表紙の「自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」は「自分の感受性くらい」という詩の一節である。

 ◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でお読みいただけます。

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悲しみをじっくり味わいたい詩集

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「永遠の詩」全八巻の最終巻八巻めは、八木重吉。八十篇の詩が収められている。短詩詩人であった八木重吉ゆえの多さである。
 巻末のエッセイは、作家の江國香織が担当している。

 詩は悲しみだけをうたうのではない。
 怒りも喜びも絶望も切なさも希望も勇気もうたうのが詩である。しかし、どこかで悲しみがひそんでいるのも詩の特長ではないだろうか。
 本書の扉に八木のこんな言葉が記されている。「この貧しい詩を、これを読んでくださる方の胸に捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください」。
 私には「貧しい」が「悲しい」に見える。「私」は「悲しみ」に思える。

 わずか29年の生涯であった八木重吉だが、こうして何年にもわたり多くの読者を魅了してきたものは、透きとおるような重吉の悲しみの表現ではないだろうか。
 「雲」という、わずか四行の短詩がある。「くものある日/くもは かなしい//くものない日/そらはさびしい」
 小学生にも書けるような語彙のつらなりながら、長い生涯を生きえても表現できない、研ぎ澄まされた感性がうかがえる。それは悲しさをしった人間だけのものである。
 あるいは「春」という短詩。「桃子」と幼きわが子に呼びかけたあとで、「お父ちゃんはね/早く快くなってお前と遊びたいよ」とつづく。たったこれだけの詩に、重吉の万感の悲しみが満ち、あふれだしている。

 詩は悲しみだけをうたうのではないだろう。
 しかし、悲しみから逃れられない人間を救うのも、また詩である。
 八木重吉の詩はそんなことを教えてくれる。

 ちなみに、表紙の「雨があがるようにしずかに死んでゆこう」は「雨」という詩の一節である。

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彼こそ詩人だといいたくなる詩集

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「永遠の詩」全八巻の三巻めは、山之口獏。四十五篇の詩が収められている。
 巻末のエッセイは、作家の山本兼一が担当している。

 山之口獏について少し書く。明治36年沖縄に生まれた。19歳の時に絵を志して上京。しかし、夢破れる。二度目の上京は22歳の夏。手には詩稿をもって。現実は厳しく、「16年間、畳の上に寝たことはなかった」というほどの放浪生活をおくる。それでいながら、佐藤春夫や金子光晴といった日本文学史の綺羅星のような作家、詩人たちの知己をえているのが不思議だ。才能は才能をひきつけ、互いに認め合ったとしかいうしかない。35歳の時、ようやく定職につき、結婚もする。晩年、沖縄に帰郷し、熱い歓迎をうける。昭和34年、59歳で死去。

 本書の年譜につけられた晩年の家族とともにいる写真の山之口獏はほころびかけた口元を噛みしめるようであるのだが、傍らの夫人と娘には幸せな笑顔がこぼれている。この家族の幸福、この詩人の幸福が垣間見える、いい写真である。

 山之口獏はどんなに貧しいときにあっても詩を捨てなかった。彼にとって詩は希望だった。
 だから、「ものもらいの話」や「生活の柄」といった貧窮を詠った詩であっても、山之口の心はしんと立っている。へこたれず、なげかず、くじけず、しんと前を向いている。
 「生きる先々」という詩の一節。「僕には是非とも詩が要るのだ/かなしくなっても詩が要るし/さびしいときなど詩がないと/よけいにさびしくなるばかりだ」。

 路上で生活をしながら、山之口獏ならきっとこう答えたのではないだろうか。
 僕は「詩人です」と。

 ちなみに、表紙の「僕ですか?/これはまことに自惚れるようですが/びんぼうなのであります」は「自己紹介」という詩の一節である。

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色鉛筆でなぞりたくなる詩集

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 詩集というのはもっとも電子書籍になりにくいかもしれない。単に詩を読むのではなく、詩集を読むということで。
 詩を読むことは言葉のつらなりを、言葉のありようを感じることだが、詩集を読むということは、本としての手触り、ゆるやかな重さ、活字の大きさ、詩の配列といった詩にまつわる諸々を感じとることのような気がする。
 だから、同じ詩人の同じ詩であっても、編まれた詩集によって、その感じ方は変わってくるのではないだろうか。

 小学館から刊行された「永遠の詩」シリーズ全八巻を手にして、いい詩集だなと気分が少し弾んだ。
 有山達也と中島美佳による、表紙のデザインもいい。表紙にかかげられた詩の一節も目をひく。詩があって、その鑑賞解説がページの下段にあるのも親切だ。数枚の写真がはいった年譜も詩人の人生をたどるにはちょうどいい。
 こういう詩集があれば、ゆっくりと珈琲をのみながら読んでみたくなる。読むというより、味わうという方が適切だろうか。

 全八巻シリーズの最初が「金子みすゞ」である。
 いまや詩集のシリーズ化からははずせない人気詩人といっていい。
 金子の詩は「鈴と、小鳥と、それから私、/みんなちがって、みんないい」(「私と小鳥と鈴と」)に代表されるように、そのまなざしはやわらかく温かい。何度読んでも、ほっとする。
 色鉛筆で言葉のつらなりをなぞれば、もっと素敵になるだろう。鈴には何色を、小鳥には何色を、そして私、そう金子みすゞには何色が一番似合うだろうか。そんなことを想いながら、詩集を読むのも楽しい。

 ちなみに、表紙の「きょうの私に/さよならしましょ。」は「さよなら」という詩の一節である。

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きょうの私に さよならしましょ。

6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:サムシングブルー - この投稿者のレビュー一覧を見る

『永遠の詩』シリーズ全8冊の最初は金子みすずさんです。
表紙には『さよなら』の一節が書かれていました。

  きょうの私に さよならしましょ。

本書は、金子みすずさんの童謡詩を甦らせた矢崎節夫さんが選・鑑賞解説をしています。
『さよなら』の解説に、
 「目で活字を追うのだけでは、この作品は見えてこない。声を出して読むと、見事に絵になって見える。」と、ありました。
声を出して読んでみました。
すると、大切な人の思いを素直に受け入れられなかったことを思い出しました。
そして金子みすずさんの代表作『私と小鳥と鈴と』の一節
「みんなちがって、みんないい。」をも、思い出しました。
大切にしたいのに、相手を受け入られない。
そんな私は嫌いです。
『私と小鳥と鈴と』の解説に
「自己中心から自他一如にならない限り,『みんなちがって、みんないい。』は生れない」と、ありました。
私は自己中心でした。

金子みすずさんは26歳のとき、自らの命を絶ちました。
最後の年譜に娘・ふさえと母・テル(みすず)は、同じ黒曜石のような深い瞳をしていました。
彼女の遺した512篇の童謡詩は、これからもずっと私たちの琴線に触れ、永遠に輝き続けることでしょう。

  鈴と、小鳥と、それから私、
  みんなちがって、みんないい。

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詩は、生きる。

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:サムシングブルー - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書は「戦後を代表する女性詩人にして、エッセイスト、童話作家でもあった。」と、茨木のり子さんを紹介しています。
詩人・高橋順子さんが茨木のり子の作品を選・鑑賞解説しています。
本書の最後にある年譜が大変充実しています。
茨木のりこさんは大正15年に生まれ、平成18年79歳で亡くなりました。彼女は恵まれた環境の中で育ち、豊かに志を高くもって生きてきた様子が窺われました。

二年前に友人から詩集『倚りかからず』をいただきました。それまで茨木のり子さんの詩集を知らなかった私は、志の高い詩を読み、彼女のファンになりました。
 「倚りかかるとすれば/それは/椅子の背もたれだけ」
『倚りかからず』は彼女が73歳のときの詩です。

詩集『見えない配達夫』(32歳)の『わたしが一番きれいだったとき』は大好きな詩です。今回はそのなかの『怒るとき許すとき』の詩を読み、胸が躍りました。
 「女がひとり/頬杖をついて/慣れない煙草をぷかぷかふかし」
また詩集『寸志』(56歳)の『落ちこぼれ』を読み、胸が熱くなりました。
 「落ちこぼれ/結果ではなく/落ちこぼれ/華々しい意志であれ」
茨木のり子さんの没後発表された夫への想いを綴った詩集『歳月』を読み、胸が火照りました。

茨木のり子さんの日本語は美しい。木の芽が芽吹くように、木の実が実るように言葉が生きています。次回は彼女のエッセイを読んでみたい。

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十代の頃に読みたかった詩集

6人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「永遠の詩」全八巻の七巻めは、萩原朔太郎。五十八篇の詩が収められている。
 巻末のエッセイは、詩人のアーサー・ビナードが担当している。

 十代の頃に朔太郎の詩に出会いそこねた。二十代も朔太郎は横目で通りすぎた。三十代、四十代はもう朔太郎とは縁がないものとあきらめた。私にとっての萩原朔太郎はそんな詩人であった。
 それなのに、こうして人生の半ばを過ぎて、朔太郎の詩を読むことができたが、十代で読んでいたらどう感じただろうと思うことしきりだった。
 近代詩の旗手のようであった朔太郎の詩にちっとも心がふるえないのは、朔太郎の詩の感性があまりにも若すぎるからかもしれない。もはやそういった言の葉では何も語れないことを、私は知ってしまったのだろうか。

 朔太郎の第二詩集『青猫』に収められた「薄暮の部屋」という詩。「恋びとよ」と繰り返されるこの詩の熱情に、もし十代の私であれば打ちのめされたかもしれない。
 「恋びとよ/すえた菊のにおいを嗅ぐように/私は嗅ぐ お前のあやしい情熱を その青ざめた信仰を」と詠う詩人に心奪われたかもしれない。しかし、悔しいが、私はすっかり年を重ねた。
 朔太郎の鋭い感性も日本語の美しさも、五十代の私にはとおい。

 詩はだれのものか。
 おおげさにいえば、詩は若いひとたちのものだ。

 ちなみに、表紙の「ふらんすへ行きたしと思えども/ふらんすはあまりに遠し」は「旅上」という詩の一節である。

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男性がひやつとなる詩集

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「永遠の詩」全八巻の五巻めは、石垣りん。四十篇の詩が収められている。
 巻末のエッセイは、作家の重松清が担当している。

 石垣りんに「定年」という詩がある。この詩を読むと胸をぎゅっと鷲づかみにされるような気になる。
その冒頭、「ある日/会社がいった。/「あしたからこなくていいよ」」にぎゅっとなる。
 石垣りんが日本興業銀行の事務見習いとして就職したのは14歳(!)の時。定年退職したのは、55歳の時。実に40年以上の歳月を銀行員として働いていた。
 石垣が定年を迎えたのは1975年(昭和50年)で、まだその当時は55歳の定年があったのだろう。女子行員として働くことの厳しさを石垣は目の当たりにしてきたにちがいない。そして、家庭の事情もあって、生涯独身であった石垣だが、「生きていることの さびしさ。」(「二月の朝風呂」)も正直に詩にしている。

 長年勤めたところであっても、会社はやはり「あしたからこなくていいよ」という。そのことを石垣は「定年」の最後でこう詠っている。「たしかに/はいった時から/相手は会社、だった。/人間なんていやしなかった」。
 だから、石垣りんは、ひとりの女性として、一人の人間として、こう言わざるをえなかったのではないだろうか。
 「石垣りん/それでよい。」(「表札」)

 どんな時代であっても働くことに失望し、ときに絶望することもあるだろう。
 そんな時、石垣りんの詩にふれてみるといい。
 すっくとあることの素晴らしさを彼女の詩は教えてくれるにちがいない。

 ちなみに、表紙の「私の目にはじめてあふれる獣の涙。」は「くらし」という詩の一節である。

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つよい「ひとりの」やさしさ

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:サムシングブルー - この投稿者のレビュー一覧を見る

永遠の詩05は『石垣りん』です。
年譜を見ると、どの写真も彼女は笑っている。

石垣りんは大正9年東京・赤坂に生まれました。
4歳の時母を亡くし、高等小学校卒業後、14歳で銀行の事務見習いとして働き始め、家族6人の働き手となって定年まで勤めあげた彼女の詩は、優しさと切なさと健気さがほとばしっている人生の詩です。

第一詩集「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」 (32歳)
  それはながい間/私たち女のまえに/いつも置かれてあったもの、(表題詩)
初期の代表作です。
「私は日本の女性たちの愛情と智慧と哀しみとが、炎のように燃えているのを感じた」と、鑑賞解説のなかで伊藤信吉さんは記しています。
また作品集にある『屋根』『貧乏』『家』は、家族や社会と闘っています。まるで彼女の血が噴き出ているような詩です。

第二詩集「表札など」 (48歳)
  石垣りん/それでよい。(表札)
石垣りんといえば「表札」。やはりいいですね。

第三詩集「略歴」 (59歳)
  ほんとうのことをいうのは/いつもはずかしい。(村)
石垣りんという、詩人に出会って良かったと思えた詩でした。

第四詩集「やさしい言葉」 (64歳)
  海よ云うてはなりませぬ/空もだまっていますゆえ
  あなたが誰で 私が何か/誰もまことは知りませぬ (契)
石垣りんの詩碑に刻まれている詩です。

書評タイトルにした『つよい「ひとりの」やさしさ』は、本書の最後に重松清さんが石垣りんを語っているタイトルからとりました。
重松清さんの語りはとても素晴らしかったです。
しかし詩には言葉はいらない、と思いました。
 詩は感じるままに。

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隠された「震える弱いアンテナ」の在り処

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:wildflower - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書のタイトルは著者51歳(昭和52年)花神社から発行された表題作『自分の感受性くらい』の一節。茨木のり子といったらこれ、というほどに強く雄々しい印象を放つ、今更言うまでもなく有名な詩である。「永遠の詩」と題された小学館発行のシリーズ2巻。図版の多い年表、各詩への鑑賞解説、巻末エッセイからなる、親しみやすい体裁の入門編である。遺作『歳月』収載の作品や未収録の数編を含め、年表に沿うように配列された36編の詩は読みやすくゆったり配され、鑑賞は各作品に添えて控えめに記される。選と鑑賞解説は詩人の高橋順子。さりげなく茨木作品と寄り添い、対話するような立ち位置が心地よい。
 茨木のり子の生涯を追想するように読み進めてゆくと、いくつかの有名な詩作品だけ読んでいたのでは見えてこなかったそれぞれの背景が流れとして伝わる。評者が最初にこの作品を習った青春期には前・中期の作品にハッキリと表れる強さと厳しさこそが彼女の作品の魅力だと思い込んでしまい、憧れと畏怖の対象としてきた。聡明に現実の生活と対峙してきた彼女のほんとうの魅力は、むしろ作品の隙間から滲むような柔らかくて繊細なところなのでは?というのは後年(つまり今)本書を読みながら気づいたことである。
 表題作は実は最愛の夫君の死2年後、喪失の痛みもまだ完全には癒えていない頃であったのでは?浅はかな読者の想像かもしれないが、この詩が語気強く叱り飛ばすようで実は気丈さを保たんとする想いのようにも感じられてくる。何十年の時を経て作者と対話するように頁を繰ると、何気なく見過ごしてきた作品にも新しい気づきがあった。少しさかのぼって親友の女優にあてた詩「汲む―Y・Yに―」(昭和40年『鎮魂歌』所収)。これは父を亡くした2年後の作品であるが、その中に描かれた彼女自身が顧みる感受性の揺らぎや震えの繊細さはどうだろう…。

   頼りない生牡蠣のような感受性
   それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
   年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
   外にむかってひらかれるのこそ難しい(「汲む―Y・Yに―」)

まるで晩年に発表された唯一の童話『貝の子プチキュー』(巻末に天野祐吉氏解説)の身の柔らかな部分のよう…その柔らかな感受性を守るための矜持が強い言葉となって表出していたのだろうか、柔らかな内面は本当に心を許した者以外にはそっと隠しておきたかったのでは??などと連想は膨らむのである。

   あらゆる仕事
   すべてのいい仕事の核には
   震える弱いアンテナが隠されている きっと……(同上)

強くあり、なおかつ柔らかく傷つきやすく、たおやかなひとりの女性として強い芳香を放つ薔薇のような詩人・茨木のり子の魅力をコンパクトながら丁寧に伝えてくれる本書は、そんなふうに有名でわかっていたつもりの詩人の再読にも良い。茨木のり子作品をもっとたっぷり堪能したい方には『全詩集』(花神社)もある。導入として簡単に作品を俯瞰して伝えてくれるのに「お勉強」的でないのがまた有難い。読み物として豊かで楽しい1冊。

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祈るようにして読みたい詩集

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「永遠の詩」全八巻の六巻めは、宮沢賢治。三十一篇の詩が収められている。
 巻末のエッセイは、あの椎名誠が担当している。

 この詩集の特徴のひとつは掲載された詩に鑑賞解説がついていることだが、宮沢賢治の代表作「雨ニモマケズ」の解説の書き出しにこうある。
 「この詩を、中学校の教科書で読み、暗誦させられた」(執筆は高橋順子)。同じような経験をした人は多いのではないだろうか。私の場合は小学六年生だった。この詩の全文をクラス全員が暗誦させられた。いま、そのことに感謝している。
 暗誦は、詩を読むひとつの楽しみだ。ただし、なかなかできるわけではない。授業のなかの、なかば強制的な教えだったが、あの時、覚えなかったら、この「雨ニモマケズ」もきっと私のなかにとどまることがなかったかもしれない。

 宮沢賢治の詩には、そしてそれは賢治の童話にもいえることだが、敬虔な祈りがある。有名な「永訣の朝」は何度読んでも、死にゆく妹トシをみつめる賢治の深い悲しみと祈りに胸ふさがれる。それは死を扱った作品だからではなく、生からつらなる死という大きなものをじっとみつめた賢治の魂にうたれるからではないだろうか。

 たぶん何度も刊行された宮沢賢治の詩集だろうが、本詩集の冒頭の詩が童話『双子の星』にある「星めぐりの歌」というのはうれしい。銀河鉄道の発車の合図のようだ。

 ちなみに、表紙の「ホメラレモセズ/クニモサレズ/ソウイウモノニ/ワタシハナリタイ」は「雨ニモマケズ」という詩の一節である。

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青春時代に一度は読んでおきたい詩集

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「永遠の詩」全八巻の四巻めは、中原中也。四十一篇の詩が収められている。
 巻末のエッセイは、作家の川上未映子が担当している。

 彼の詩は感傷だ。
 ノスタルジアでもメルヘンでもなく、悲しみをことさらに、痛みを過剰に、嘆きを大きく、詠う詩人だった。だから、彼の詩はいつも青春のものだ。
 しかし、子どもの詩ではない。子どもから大人になる、途中駅にたちどまる汽車のようだ。蒸気をはきながら、いつでも出立の合図を待っている汽車のようだ。その合図はいつまでたっても響きはしない。
 彼、中原中也。

 どうして中也の詩はこんなにも感傷をもたらすのだろうか。
 「私の上に降る雪は/真綿のようでありました」(「生い立ちの歌」)と何度つぶやいたことがあるだろう。「汚れっちまった悲しみに/今日も小雪の降りかかる」(「 汚れっちまった悲しみに・・・・」)と何度ポーズをつくったことだろう。そして、すべては「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」(「サーカス」)のサーカス小屋の一夜の夢。
 中也の気取りを否定などしない。
 なぜなら、中原中也は青春と同義語。
 いつかは越えるのだけれど、誰もが通る道。
 彼の詩は永遠の青春だ。

 サーカス小屋の空中ブランコのように、高い梁で揺れているのは、過ぎた青春の思い。
 中原中也の詩にこうして再会できる。感傷かもしれないが、やはりうれしい。

 ちなみに、表紙の「私はその日人生に/椅子を失くした。」は「港市の秋」という詩の一節である。

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改めて明日を考えさせられた

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ちまこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

50を過ぎ娘も嫁ぎ、夫婦二人とヨークシャテリアの3人暮らし。27年前の新婚生活に戻っただけで特に寂しさを感じることはない。自律神経失調症でうつにもなり、更年期も重なり、少しずつ老いを感じる毎日。更年期も老いも誰にも訪れることだから、自然に受け入れられる。しかし50を過ぎたら加速度がついてきた。自分の感受性くらいとよりかからずが心にズシリときた。心の病になったのは、自分の感受性を守れないからだ。自立できないからだ。わかっていても時間が必要だ。この先よりかかるとすれば、椅子の背もたれだけの一行に感銘し、少しだけ立派な椅子を用意した私。ここで好きな本だけ読んでいたい。

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余白が美しい

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投稿者:ペンギン - この投稿者のレビュー一覧を見る

本の大きさと文字の大きさがちょうどいいです。文字の詰まり加減が詩の孤独で力強い雰囲気と合った、美しい本です。

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愛情ある叱責

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:読書好き - この投稿者のレビュー一覧を見る

面と向かってばかものと叱ってくれる人がいる方、いない方、流される日常の中で姿勢を正す必要のあるとき、ないとき、どんな方にも触れてもらいたい言葉の数々です。

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