驟り雨 みんなのレビュー
- 藤沢周平 (著)
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紙の本驟り雨 改版
2010/03/27 18:55
驟り雨のように現れた者が降らす情の雨は、人々の心にさまざまな思いをもたらす10編
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:toku - この投稿者のレビュー一覧を見る
どの作品も、驟り雨のように現れた者が降らす、さまざまな情の雨と、それによって芽吹いた人々の思いを描いている。
潤いを孕んだ驟り雨は、読む者の心にも、心地よさや人を思う心を芽吹かせる。
『贈り物』
六十年寄の作十の横腹には尋常でない病が住み着き、この日も日傭取りの帰りに激しい痛みに襲われて、道端で動けなくなった。
同じ裏店に住むおうめに助けられ、介抱された作十は、一人暮らしの気楽さの中に、人の情けを身にしみて感じた。
ある夜、おうめ元に、行方を眩ました夫が作った、借金の取り立てが来たと知った作十は、十両の金を都合すると話をつけた。
人と関わり合うことを煩わしく思っていた作十に降る、慈雨を描き、おうめにも同様に降り注ぐ、作十という驟り雨を暖かく描いている。
完全なハッピーエンドではないが、作十の暖かな贈り物によって、胸を一杯にさせられる。
『うしろ姿』
酔うと誰でもかまわずに人を連れてくる六助が、また家に人を連れてきた。
背を丸めてじっと畳を見つめて動かない、物乞いのそのばあさんは、亡くなった六助の母の様子にそっくりだった。
追い出すわけにもいかず手をこまねいていると、十日たち、二十日たっても、ばあさんの出ていく様子はなかった。
六助とおはまの前に現れた物乞いの老婆が、二人の亡くなった母への悔恨を癒す。
老婆を持て余すユーモラスな雰囲気と、亡き母への思いが相まって、絶妙でほのかな暖かさを描き出している。
『ちきしょう!』
夫に死なれ、幼い子供をかかえたおしゅんは、喰うに困って、同じ店に住む女から誘われた夜鷹を始めた。
抵抗のあった夜鷹には馴れていたが、要領の悪いおしゅんには男がなかなかつかず、客がないこの日も帰ろうかと思案していた。
熱を出していた子供が気になって帰ろうとした時、おしゅんはちょうどやって来た男をつかまえた。
幸せから坂道を転げるように落ちていくおしゅんと、偶然出会った男に降りかかった不幸を描いている。
とことん落ちていくおしゅんは、哀れとした言いようがない。
『驟り雨』
研ぎ屋仕事を本職と考えている嘉吉は、時折悪い血にそそのかされる。この夜も盗みに入る古手問屋の向かいにある、小さな神社の軒下に潜んでいた。
しかし神社の前には、揉める男女、諍いあう男二人が次々と現れ、嘉吉は焦れている。
息を入れて取りかかろうと思ったとき、道の左手に灯影が見え、具合の悪い母と介添えの子供が現れた。
降り続き、やがてあがった雨に、嘉吉の気持ちを投影させた作品。
背負っている嘉吉に気を許して、女の身体の重さが背中に乗る様子や、それまで降っていた雨があがる様子は、明確に言葉で表さない心地よさに溢れ、これが藤沢作品の良さだと再認識させられる。
『人殺し』
日斜め長屋に伊太蔵という疫病神が住み着いた。
狂暴で横暴な限りを尽くす伊太蔵に、長屋の者たちはうつむき加減に暮らしている。
若い繁太は、伊太蔵にやり返さない意気地のない長屋の連中を見て、ある決心をした。
長屋の者たちがうつむき加減に暮らしている理由が、伊太蔵に思い知らせようとした繁太の若気の至りによって、明確にされる作品。
「ガキめ!えれえことしやがって」といった源次の言葉がすべてを物語っている。
『朝焼け』
博奕にはまった新吉は、賭場から元利合わせて七両の借金をしていた。
胴元から返済日を区切られ、金を借してくれそうな当てを考えたとき、最後に一人の女の顔が浮かんできた。
会えばいつも機嫌のいい顔を見せるその女は、新吉が七年前に裏切り、捨てた女だった。
雨の降り続いている新吉の人生に、常にあった一点の光。
それに気づいた新吉の目の前に広がる朝焼けが、象徴的に描かれている。
『遅いしあわせ』
飯屋で働く出戻りのおもんは、無口な桶職人・重吉のことが気になっている。
春先から飯を喰いに来るようになった重吉は、いい男ではなかったが、落ち着いて男らしい一つ一つの印象が、おもんの中にはっきり刻み込まれている。
ある時、離縁の原因となった極道者の弟が無心にきて、店の裏口で言い合いとなった。その様子は重吉に見られていた。
春先に現れた男が、おもんに遅い春を運んでくる。
男に惹かれた、おもんの直感の正しさは、恋愛小説の定番のようにも思えるが、時代小説ならではの抑制の利いた、しっとりとした雰囲気が魅力の作品である。
『運の尽き』
女たらしの参次は、女に不自由していないことを、仲間の若い連中に自慢している。
この日も集まった水茶屋で、先日引っかけた米屋の一人娘の話をしていた。そこへ一人の五十近い大男が現れた。
これが参次の運の尽きだった。
「運の尽き」に込められた、正反対の意味が絶妙。
偶然引っかけた女によって、悪さをする男の成長を描いたユーモア溢れる作品。
『捨てた女』
歯磨き売りの信助は、頭がのろく大飯ぐらいのふきを捨てた。
信助は、矢場でのろのろ働いているふきを見ると、腹が立っていたが、折檻を受け悲しげな表情のふきを見かけたとき、情が湧いた。
以来、ふきと暮らしていたが、博奕にはまって金が無くなった信助は、金のある女の元に転がり込んだ。
ふきの頭がのろいながらも、自分の置かれた状況に気づく鋭さが、ふきを捨てた信助同様、読む者の心に突き刺さる。
捨てたはずの純粋な女が、たった一つの光と気づいた、男の後悔ともの悲しさを描いている。
『泣かない女』
山藤で働く錺職人の道蔵は、前から憧れていた出戻りの山藤の娘お柳と密会し、女房と別れるつもりでいた。
足の悪いお才に同情して一緒になった道蔵は、女房に何の未練もなかった。
別れ話を切り出すと、泣き狂うと思われたお才は、あっさりと認め、静かに家を出ていった。
道蔵の、同情が愛情に変わっていた思いを描いた作品。
道蔵を通り過ぎたお柳は、夫婦の絆を確かなものにした、慈雨かもしれない。
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