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みんなのレビュー3件

みんなの評価4.0

評価内訳

  • 星 5 (2件)
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3 件中 1 件~ 3 件を表示

読書は自己分析の手段である

17人中、14人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る

 そろそろ誰かが書いてくれると思っていました。それにしても、作者は仕事上?とはいえ、よくもこれほど大量に面白くない本を読んだものだと感心する。現在は、ネット上で有名無名の書評家が、私的意見としてこの作品を名作だと思えないと表明しているが、ある程度以上の裏付けがないと無視されるか、分かってないと切り捨てられて終わりである。名作は権威が名作であると言うことにより名作になるのだが、小谷野あたりが、名作でもなければ面白くもないと書いてくれて、「そうだ、そうだ。」と溜飲を下げるのも権威主義にはかわりない。それでも、専門家たちの分析を知って読みを深めることはできる。そして、それによって自己分析が深まる。他人が名作だという本を名作だと思おうと自分に言い聞かせながら読んでいるうちは、得られるものはあまりない。
 
 人は皆、バイアスを持っている。そして、何に拘るか。何を面白いと思うかを表明することは、いま流行の言葉で言えば、カミングアウトすることである。カミングアウトすることには勇気が必要だが、それによって得られるカタルシスは何物にも代え難い。作家はその作品によって、評論家はその評論によってカミングアウトする。理系も含め、学者はその研究分野、仮説、時には研究方法によってさえ、無自覚であってもカミングアウトしていると言っていいだろう。その意味では本書は良き読書案内である以外に、小谷野を知るのにも役立つだろう。
 
 さて、当然であるが、著者の意見に同意できるところもあれば、できないところもある。日本の作家で言えば、志賀直哉や森鴎外については同感である。若い頃、志賀直哉が「小説の神様」と言われると教えられ、何作か読んだがどこが素晴らしいのかちっとも分からなかった。プロットも内容も文体も好きになれるものがなかった。鴎外は『舞姫』は振られた話しならともかく、恥ずかしげもなくこのような作品を発表できる神経が理解できなかった。著者の勧める『即興詩人』の翻訳も文体が素晴らしいと言われているが、なぜこんな内容のない話をありがたがるのか分からない。『高瀬舟』が唯一、医者らしい題材で感心したくらいである。
 
 夏目漱石や芥川龍之介については、私は嫌いではない。太宰治もだ。著者はあとがきで「その当時、私はこれまでの生涯でいちばんひどく精神を病んでいて」(p.215)と書いているが、「恋人が自殺したりとか、自分が女を得たために失恋して親友が死んだとかいう経験を持っている人がそんなに多いとは思えないので、これは多分に私の資質の問題だと思います。」(p.22)と書いているので、私とは違う精神の病みかたなのだと思う。名作かどうかは別として、先進国で最も自殺率の高いといわれる日本において、これらの作家が永く読まれるのにはそれなりの素地があるのだと思う。また、芥川の作品は「青年じみたものである。」(p.204)と切り捨てているが、(太宰にしても)それゆえに青年時代には読んでしかるべき価値はあると思う。
 
 ただし、三島由紀夫の割腹自殺は別ものである。これは、著者の言う露出趣味の行き着いた先で、私も『潮騒』は楽しめたが、『豊饒の海』などは原色ばかりで描かれた絵のようで、文体からして耐えられなかった。それにしてもどうしてこう芸術家には同性愛者が多いかねぇ。同性愛の遺伝子と同じ染色体になにか芸術に関係した遺伝子がのっているのだろうか。それともコンプレックスのなせる業か。
 
 いちいちすべての作家について私の意見を述べては書評から外れてしまうので、他の作家についてはその作家の作品のところで述べることにするが、気になった点を2つだけ上げると、ドフトエフスキーの新訳がよく売れた原因分析で、齋藤孝には言及しているが、村上春樹に言及がないことと、村上春樹の著作にあまり触れていないこと。村上春樹の作品はあまりに統合失調症的で、(『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は面白く読んだが)根強いファンは残るだろうが、文学作品としては後世に残るか疑問なので、著者の意見を知りたかった。もっとも、彼を採り上げれば他にも扱わなければならなくなる現代作家がたくさんいるので、また別の項でいうことなのだろう。
 
 洋の東西を問わず過去の大作家と言われる人達の代表作とされるものを読み、面白くなかった作家は遠ざけてきたが、この本で著者が勧める作品で切り捨ててきた作家に再挑戦してみる気にさせられた。

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昔から文学の読者なんて日本人のせいぜい1%程度で文学を好んで読んだのは日本人のごくごく一部に限定されていたんだってさ。

17人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る

すっかり小谷野敦ファンになってしまった。私は禁煙ファシストなので(笑、小谷野氏とは「共に天を戴かない仲」と思っていたが、なんの、なんの。今やすっかり「小谷野節」の虜である。

とにかく氏の論は正直なのがよい。小谷野氏は「この世に存在する文学小説の大半に眼を通した」そうで、その浩瀚な読書遍歴を踏まえたうえで、明確な評価基準をたて、「面白い本」と「面白くない本」を鮮やかに切り分けるさまは読んでいて清清しいし、ここまで文学に耽溺していないし、今後とも文学にはまることはなえあろう私のような人間にとってはひとつの参考になる。

男を「女にもてる男」と「女にもてない男」、あるいは「母に愛された息子」と「母に愛されなかった息子」に弁別し、「女にもてた男」が書いた自慢話めいた恋愛小説は「女にもてない男」が理解できるわけがないし、理解したくないという立場に私は賛成だし、夏目漱石を論じた三浦雅士が漱石を母に愛されなかった人間とするのはいいが、あたかも母に愛されない人間が一般的であるかのように話を広げて論じるのを「それはあんた固有の問題であって、日本人一般にあてはまる論ではない」と切ってみせるところなんざさすがである。そして返す刀で「私は母に愛された」ときっぱりと断言。そして「私はずいぶん母を困らせたが、母はいつでも、困ったあげく、私の味方になってくれた」と言い切るあたり、同じく母に愛された長男たる私の思いにも通じて小気味良い。そして最終的には夏目漱石の「こころ」や「三四郎」は「母に愛された人間には合わない小説」なのではないかと気持ち良い仮説を述べたりもする(それにしても夏目漱石って、ほんと、不幸な生い立ちというか少年時代をたどっているよね)。

昭和30年代の日本なんて、まだまだホンモノの貧困がそこかしこに合って、道路は未舗装で雨が降ると泥んこになるし、ドブは臭くてメタンガスが常に発生していてアオコが武不気味にぶくぶく膨れていたし、そこかしこで立小便するんで裏路地なんて朝は臭くて歩けなかったし、要するに昭和30年代なんて暗い過去は一刻も早く忘れたいし思い出したくもないというのが昭和35年に生まれた私の正直な実感だが、この頃「三丁目の夕日」式の「事実を無視した(つくり)話」が無責任にヒットしているのは真に腹立たしいという氏の感慨にも全く同感である。

大金持ちの家に生まれ、放蕩の限りを尽くした甘ったれ小僧の志賀直哉や永井荷風のどこがよいのだという氏の視点にも、思わずうなずいてしまう。

ドストエフスキーを論じるにあたりキリスト教を持ち出して「ドストエフスキーはキリスト教徒のための本であって、キリスト教徒でもなんでもない日本人が、どうしてドストエフスキーを楽しめるのか」と鋭い問いかけをしている。どうも文学好きな気取り屋さんは「神は死んだ」とかいう近代の哲学を口角泡を飛ばして論じるのがお好きなようふぁが、八百万の神がおわす我が日本で「神が死んだ」なんて話が実感をもって受け入れられるはずが無いという小谷野氏の立場に私は賛成である。「無神論」をもてあそびながら初詣に出かける似非哲学者のなんと多いことか!

トルストイに絡んで「日本でもシナでも、中産階級(いまでいう大金持ち)の息子の初めてのセックスの相手は、女中であることが多かった」などと小谷野は書いているが、同じことを深田祐介も雑誌で書いていた。田舎から出てきた貧乏人の娘が、都会の中産階級に女中として住み込むわけだが、女中は奉公の間はもちろん、基本的にボーイフレンドとデートなどという贅沢は許されない。そして熟れ行く肉体を持て余し、同じ屋根の下に暮らす初心なお坊ちゃんと何時の間にか。。。という展開が多くの大屋敷の奥で起きたらしい。そして中産階級のお坊ちゃんだった里見とんは、現に自家の16、17上の好きでもない女中とのただれたセックスに耽溺していて、嫌悪感を感じつつもそこから離れられずに居たが故に、女中を妊娠させることからストーリーが始まるトルストイの「復活」を読んで衝撃を受けたんだそうな。

他にも「へー」と唸ってしまう豆知識も多い。例えばマルクスを称揚する柄谷行人の実家が柄谷工務店という神戸一体で手広く事業を展開する大会社だとか、死んだ中上健次の父親が事業で大成功した金持ちだったとか(反体制とか、マルクス主義を気取る奴にかぎって、この手の大金持ちのボンボンが多いんだなあ。鶴見俊輔なんかその典型。要するに満たされないエディプスコンプレックスの捌け口として反体制ごっこをやっているんだなあ、半ば本気で。でもそれって、周りには迷惑な話だよねえ)。

しかし何といっても小谷野節の優れたところは「文学」を過度に過大評価していないところだ。そもそも文学なぞは昔も今も「万人の教養」なんかでは全くなく「一部のもの好き」による隠微な趣味だった。健全な秀才は文学などの軟弱な学問は軽蔑し法律、経済、政治、工学、医学といった「社会に出て役に立つ実学」を修めに大学に入ってきたのだ。小谷野氏は高校の国語で文学を教材にするのにも反対し、「高校までの国語教育は論理的で正確な日本語の読み書きと古典文法などに限定すべき」とまで言い切っている。文学が流行らないのは世界的傾向であり、それは日本のみにとどまる現象ではない。国民が愚民化したとか若者がまともな文学を読まなかったのではなくて、平等が社会に行き渡り機会均等が行き渡って大学の数が多くなりすぎた結果、知的でない若者までが大学、とくに文学部に入学してくるようになったという程度の問題だという小谷野氏の認識には私も300%賛成である!こういう文学専攻でありながら文学に対して冷静で客観的なスタンスを失わない小谷野氏に私は敬意を持つ。

小谷野氏は1981年海城高校を卒業し、一浪の末に東大文三に進学している。今でこそ海城高校は全国有数の進学校だが、当時は関東一円の公立進学校の滑り止め校であり(現に小谷野氏自身、当時埼玉県隋一の進学校だった県立浦和高校を滑っている)東大には2年に一人受かれば良い方程度の学校に過ぎなかった。だから一浪とはいえ東大に受かった小谷野氏は小谷野家では正に自慢の息子だったはずであり、母親から溺愛されたと小谷野氏が公言するのもむべなるかなと思う。

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私にはためになる読書ガイドだった

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ふみちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

どんな作品が名作で、どんな作家が好きなのかということはもちろん人それぞれなのだが、私がすきな「コンビニ人間」を名作だと絶賛する著者が絶賛する作品なら読んでみようと思った。確かに「ガリバー旅行記」や「ジェイン・エア」は名作中の名作と感じた

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