剣客商売 みんなのレビュー
- 池波正太郎 (著)
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紙の本陽炎の男 新装版
2011/01/22 18:27
人の成長、特に三冬の女としての目覚めが読者を惹きつける、剣客商売シリーズ第三弾。
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:toku - この投稿者のレビュー一覧を見る
剣客商売シリーズ第三弾の本書は、全体的に人の成長に焦点が当てられており、それは大治郎や三冬だけでなく、スポットライトを当てられた登場人物にまで及ぶ。
そして、それとは対照的な小兵衛の大人げない行動が、彼らの成長の様子を引き立てている。
本書には、そんな人の成長の心地よい作品が七編、収録されている。
「ものごとは、すべて段取りという物が大切じゃ」という父の言葉を胸に、旧知の道場主の危機に、東海道・見付宿へ乗り込む大治郎と、門人たちの奮闘を描く【東海道・見付宿】
世話になっている料亭の亭主から見せられた、赤い富士の絵に執着する小兵衛の行動が大人げない【赤い富士】
陽炎ゆれる湯槽で、自分より強くたくましい、顔も知れぬ男を思い浮かべる佐々木三冬の女としての目覚めを描く【陽炎の男】
香具師の元締めの一人娘に手を出した、旗本の跡継ぎ松村伊織の決意と、小兵衛の機転の効いた嘘がすべてを収める【嘘の皮】
かどわかしに関わってしまった、小兵衛のかつての門人内田久太郎の不運と、かどわかした相手との間に育ったものを描く【兎と熊】
命を狙われた婚礼前の友のため、父の助けを借りず無頼浪人に立ち向かう、大治郎の活躍に興奮する【婚礼の夜】
譜代家来の堕落した姿と、怪力を見せつけがましくなく、自然体で使う金時婆さんを爽快に描く【深川十万坪】
本書の見所は、自分より強い男でないと嫁がないと言い切る、女剣士佐々木三冬の変化を描いた、書籍名と同じ【陽炎の男】である。
これまで男より剣という意識の強かった男勝りの三冬が、自然とまぼろしの男を思い浮かべて、女として目覚めつつある様子は、たまらない。
また剣の腕は確かだが、男女のことには不器用な、三冬と大治郎の間に起こるわずかな変化が、今後を楽しみにさせる一冊。
紙の本波紋 新装版
2012/02/23 19:10
環境に迎合せず自然体を選ぶ強さが、人を幸せに導く要素の一つ。
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
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剣客商売も、とうとう十三弾。
毎巻五、六話を収録しているわりに、似たような話もなく、飽きがこない。
そして、その中には、必ず、気に入ったり、強く印象に残る作品がある。
今回も印象に残った作品が二話あった。
ひとつは、本領に合わない環境に身を置いたために、道を踏み外してしまった剣客を描いた【剣士変貌】
小兵衛も好意を抱くほどの好男子だった横堀喜平次は、長年の宿望を達し、道場を構えることができた。
しかし、師の中西と小兵衛は不安を感じていた。
道場の主となった横堀は、中西の許へも、小兵衛の道場へも、ふっつりと姿を見せなくなってしまったのである。
自分の性質に合わない環境が、人にどのような影響を与えるか、という一例を見せつけられた作品。
しかし、それは悪い環境が与える影響というのではない。
環境も自分も健全。
ただ互いの波長が合わず、環境に合わせたために心身のバランスを崩す、といった相性のようなものだ。
この横堀喜平時のように、環境に合わせて心身のバランスを崩す者がいる一方、環境に合わさず、自分の波長を守る者もいる。
著者の池波正太郎がそうだった。
池波正太郎は、小学校を出てから茅場町の株式仲買店で働き始め、チェッカー係というのをやることになった。
テープに打ち出される相場の変動をメモし、これを店内の客や店員に、大声を張り上げて知らせるという役目だ。
「ここで私は甚だ困惑した。どうしても、大声が出ないのである。いや出したくないのである。(略)人間が大声をあげるということは、人間自体の肉体、または感情に、著しい刺激か昂揚があってこそ自然なのであって、機械から出る数字を、むやみやたらに、たった一人で空間に向かって叫ぶと言うことが、どうにもバカバカしくてならない。普通の声でやっていると、もっと大きく怒鳴れと支配人が言う。私には、まことにいけないところがあって、こう無理に強要されればされるほど、相手の思うままにならなくなってくるところがある。」
〈エッセイ【「ろくでなし」の詩と真実】(『おおげさがきらい』に収録)より〉
とうとう、これが原因で池波少年はカブヤをクビになってしまう。
大声を出さなければクビになるとなって、店員一同、池波少年を諫めてくれたそうだが、ついに大声は出なかったという。
多少意固地になっていたのかもしれないが、環境に迎合せずに自然体でいることを、身体が選んだように思える。
水木しげるも池波正太郎と同様に、環境に波長を合わせなかった一人だった。
詳しいことは『ねぼけ人生』に書かれているが、学校も就職も長続きせず、軍隊に入ればビンタの嵐。
しかし、そんなことには動じない。
というより気にしていない(ように思える)。
自然体を守ること、自然体でいられる環境を見つけることは、なかなか難しい。
しかし、池波正太郎や水木しげるは、自然体であることを選び、環境に迎合しない道を選んで、損や苦労をしたものの結果的に幸せをつかんだ。
横堀喜平次は、そんな自然体でいる方法や、波長の合わないものをはねつける強さが欠けていたのだろう。
中西や小兵衛が横堀を杞憂したのも、そういう力の不足を感じ取っていたからなのかもしれない。
こうして環境との相性を考えてみると、自然体を選ぶ強さが、人を幸せに導く要素の一つなのかもしれないと思った。
* * *
小兵衛と同門だった内山文太の秘密と死を描いた【夕紅大川橋】も良かった。
小兵衛が自分の半身のような存在とまで言った内山文太に、自分の知らない秘密があった。
そして、そのことで問題が起きたにも関わらず、自分に相談してくれなかった。
その内山の死に、小兵衛の抱く寂しさと悲しさを含んだ怒りが、とても印象に残る作品だった。
【収録作品】
消えた女、波紋、剣士変貌、敵、夕紅大川橋。
紙の本狂乱 新装版
2011/09/07 16:56
人は絶えず狂気と正気のバランスを取りながら生きている。
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
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【狂乱】で、狂犬のような石山甚市について、このように語っている。
「あのときの石山の、あの狂暴な所行。狼のごとく光っていた両眼。全身から噴き出す凄烈の殺気。心身の均衡が、いったん破れたときの人間の恐ろしさを、小兵衛は何度も見てきている」
この「心身の均衡が破れたとき」というは、正気を失っているときということだろう。言ってみれば、正気の対義語である狂気ということ。
この心身の均衡が破れた狂気というものに着目して、本書を読んでみると、実にさまざまな狂気があるものだと驚かされる。魔が差して……というのも、この状態ではないだろうか。
【毒婦】では、ウツボカズラに引き寄せられる昆虫のごとく、おきよに惹かれ、いったん情事を持ってしまうと、おきよから強請られる男たちが描かれている。おきよの、妙に湿っぽく打ち明ける過去の不幸と、凝と見つめる哀れっぽい目つきが、男たちの心身の均衡を崩してしまうのだ。
こういう狂気の他に、
人でないものの力によって、剣才のない男が、襲いかかる刺客たちを、やすやすと撃退してしまう状態になる【狐雨】
身分が低いにもかかわらず、強すぎたがために、上司からにらまれ、近づく同僚もいなくなり、狂暴になった男【狂乱】
紅顔の少年だった秋山小兵衛道場の元門人が、同僚の人妻と姦通したあげく、その夫を殺害してしまう【女と男】
など、心身の均衡を失った男たちの顛末を見ることができる。
彼らを見ていると、人間は誰でも、ふとしたことで心身の均衡を崩してしまうものだ、という気がしてくる。正気とは意外と脆いもの。だから、人は、そうならないように、絶えず狂気と正気のバランスを取りながら生きている。
小兵衛は狂気とは縁遠い。それは、剣の道を極め、さまざまな経験を積み、おのれの心を操ることができるからこそ。小兵衛を見ていると、妙に落ち着くのは、狂気と正気の天秤が微動だにしないからではないだろうか。
もっとも、そんな小兵衛も、自分の孫ほどのおはるに手をつけてしまったときには、心身の均衡が破れていたように思えるが。
【収録作品】
毒婦、狐雨、狂乱、仁三郎の顔、女と男、秋の炬燵。
紙の本天魔 新装版
2011/02/10 19:11
因縁の起こす悲しい陰を描きつつ、ユーモアを交えて爽やかさを残す、剣客商売シリーズ第四弾。
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
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本書、剣客商売シリーズ第四弾は、因縁の悲しさ、やりきれなさを描きつつ、ユーモアを交えて爽快な印象を残す作品である。
因縁が引き起こす事件の暗さを払拭するユーモアには、下のものも混じっているが、大治郎や三冬の、その方面の幼さを示すのに効果を発揮している。
本書には全八話を収録。
小兵衛の元門人・落合孫六が行った、八百長試合の思わぬ結末を描く【雷神】
小兵衛と、同門の剣客・横川彦五郎の陰と陽、互いの息子に及ぶ奇妙な因縁を描いた【箱根細工】
男色浪人の深いつながり『念友』の、悲哀を描いた【夫婦浪人】
小兵衛に因縁を持つ恐るべき男が現れた。剣客を次々と餌食にし、小兵衛が頭を抱えるほどの男との対決を描いた【天魔】
小兵衛と互角の腕を持つ老剣士・平内太兵衛と、醜女の百姓娘のエピソードを暖かく、ユーモラスに描く【約束金二十両】
悪どい浪人を騙して金をせしめる鰻面の坊主の正体と、その悲しき運命を描く【鰻坊主】
小兵衛の突然思い立った用事が、女の企みを暴き、男の命を救う【突発】
情欲の強い老僧が遭遇した浪人たちの悪巧み。『箱根細工』で描いた下のユーモアのナゾを解き明かしつつ、情欲の強い僧と絡めて締めくくる【老僧狂乱】
「毛饅頭とは、いかなる薬なのですか?」
大治郎と三冬が大まじめに小兵衛に問うた『毛饅頭』とは……。
紙の本二十番斬り 新装版
2012/04/02 18:40
目眩を起こし倒れる小兵衛。長男を斬殺された田沼意次。最終巻を前に不安が湧き起こる。
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
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前巻「剣客商売〈14〉暗殺者」で、泰然自若が魅力の秋山小兵衛が、我が子を心配するあまり、心を乱してしまった。
そんな小兵衛に、常に強かった父が弱くなってしまったような悲しさを覚えながらも、「弱気になろうと、ヒステリックになろうと、小兵衛は小兵衛」と自分に言い聞かせたところだった。
それなのに、いきなり目眩を起こして倒れてしまうとは。
小兵衛は夢を見ていた。
死んだ妻・お禎が現れ、昔のままのおだやかな微笑みを浮かべている。
やがて小兵衛に向かって手招きを始めた。
「そこへ来いというのか?もう、そろそろ、行ってもよいが……」
そこで小兵衛は目を覚ました。
夢の内容をおはるに語り終えるや、
「夢だろうが何だろうが、死んだ御新造さまに渡すものですか!!」
おはるは、むきになって怒り、両の拳で、小兵衛の胸板を叩き続けた。
と、小兵衛は得体の知れぬ目眩に襲われ、手足の知覚を失い、横ざまに倒れた。
いくら小兵衛が九十過ぎまで生きると知っていても(「剣客商売〈3〉陽炎の男」に収録の【兎と熊】より)、亡き妻の手招きを受けたあと、いきなり目眩を起こして倒られたのでは気が気でない。
しかしそれも、小川宗哲先生の、
「六十六歳で、ようやく老人の身体に向かいつつあるしるしを見たと申すは、いや、お若い、お若い。小兵衛さんの先は長いわえ」
という見立てのおかげで一息ついた。
ところで。
体調が悪かろうが、何だろうが事件に巻き込まれるのは、剣客の宿命。
「今日いちにち静かにしていれば、あとは、いつものとおり暮らしてよい」
という宗哲先生の言葉に従い、小兵衛は横になり、眠り始めた。
どれほど経ったか。
目を覚ました小兵衛は、裏手の物音に気づいた。
覗いてみると、侍二人が物置小屋をぶち破ろうとしている。
目眩を起こしていても、そこは秋山小兵衛。
たちまち二人の侍を撃退してしまった。
物置小屋から出てきたのは、かつての小兵衛の弟子・井関助太郎と、見知らぬ四、五歳の子供だった。
何事かと問う小兵衛にさえ、助太郎と子供は事情を話さない。
実は、助太郎も、友人だった助太郎の父・平左衛門も、これまで個人的なことは一切話したことがない。
また小兵衛も聞こうとしない。
しかし、小兵衛と助太郎父子は心の通い合った交流を重ねてきた。
そういうこともあり、小兵衛は何者かから狙われた二人を守ることとなった。
やがて、この事件を追ううち、助太郎と子供が襲われた理由、そして小兵衛にさえ語らなかった助太郎の過去が明らかになっていく。
この巻は、この井関助太郎と子供にまつわる事件の一部始終を描いた長編作品。
いきなりの小兵衛の目眩に驚かされたが、それほど心配はいらないようだ。
なんといっても、小兵衛は二十番斬りを見せるのだから。
それよりも気になるのは田沼意次だ。
若年寄の要職にあった意次の長男・意知が、城中で斬られ、死んでしまったのだ。
そして、日ごと強くなる意次への非難。
秋山父子は田沼意次との関係が深いだけに、この事件が剣客商売の世界に、どのような影を落とすか。
剣客商売も、残るはあと一巻「剣客商売〈16〉浮沈」のみだ。
新たな不安が沸き起こりつつ、この巻を読み終えた。
* * *
本巻の巻頭には、以前飼っていた猫・たまが現れ、新しい主の危機を小兵衛に教える番外短編【おたま】を収録。
紙の本暗殺者 新装版
2012/03/28 18:58
年を重ねる事に弱々しく変わってゆく親。子にはそれを受け容れる変化が求められる。
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
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秋山小兵衛には、理想の父親像のような感覚がある。
常に泰然とした姿が、そう思わせるのだろう。
ところが、この巻で、とうとう弱気を見せることとなり、常に強くあって欲しい父が、普通の人間になってしまったような、もの悲しさを覚えた。
小兵衛は、何者かが、大治郎と、かなりの剣を使う浪人・波川周蔵の決闘を内密にすすめているらしいことを知り、ただならぬ密謀の気配を感じとった。
「何やら量り知れぬ事が背後にあるような気がしてならぬのじゃ」
岡っ引の弥七と、手下の徳兵衛は、真相究明に協力を惜しまない。
「すまぬのう。このとおりじゃ」
と両手を合わせ、目を潤ませて感謝する小兵衛は、弱々しい。
かと思うと、密謀の恐るべき全容を知った小兵衛は興奮状態に落ち入り、それでも平然としている大治郎に、
「このところ、毎日のように、父や弥七や徳次郎が苦労を重ねているのを、おのれは何と看ていたのじゃ」
「父上。ま、落ちついて下さい」
「黙れ、黙れ!!」
と、ついにヒステリックになってしまった。
小兵衛はこの巻で六十六になる。
小兵衛の見せた弱さは、年齢から来るものだけではなく、年来の友・内山文太の死(【夕紅大川橋】『剣客商売〈13〉波紋』に収録)も、大きな衝撃を与えたようだ。
もし内山が剣客として死んでいたなら、「それも剣客の宿命」と割り切れていただろう。
しかし内山は、隠し子騒動に一段落つくと、呆けてしまい、死んでいった。
この剣友の死に、六十六となった小兵衛は己の死も想像したはずだ。
こういう出来事が重なって、剣客としての顔より、息子を思う人の親としての顔が噴き出した。
そう理解できるのだが、やはり小兵衛の見せた弱さには、「このあと次第に弱々しくなっていくのだろうか」という寂しさを覚えてしまう。
一方で、波川周蔵が、狂ってしまった母を引き取る場面がある。
波川が、やむをえない状況で藩を出奔して十七年。
亡くなったであろうと諦めていた母は生きていた。
母と生きて出会えた波川には、母が狂っていようが、いまいが関係なかった。
このことは、人は変化するものの、親と子という関係には変わりがないということを認識させてくれた。
強かろうが、弱かろうが、狂っていようが、いまいが、親は親なのだ。
弱々しく変化する親を悲しむことは、親に対して、常に強くあって欲しいという不変の気持ちがあるということだ。
しかし必要なのは、どのように変化した親であろうと、それを受け容れる子の側の変化なのだと、思い知らされた一冊だった。
紙の本十番斬り 新装版
2012/02/17 18:47
親しく交流を始めた老人は、友の敵だった。情の板挟みが大治郎を悩ませる。
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
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剣客商売第十二弾。
生きるも死ぬも己の才覚次第。
知らない間に人の恨みを買っているかもしれない。
そんな厳しい剣客の世界に生きる秋山小兵衛と息・大治郎。
しかし厳しい世界に身を置き、精神が鍛錬された二人と言えども、心を迷わすこともある。
とくに大治郎は、まだまだ経験が足りないのだ。
大治郎は田沼屋敷の稽古からの帰り、暴漢に襲われた下女を助けた、父小兵衛に似た老人と遭遇した。
名乗れども名乗り返さず去っていく老人に、大治郎は妙な気持ちを抱いたものの、蕎麦屋で再び老人と邂逅してからというもの、二人は友のように打ち解け合い、たびたび蕎麦屋で食を共にするようになった。
ところが、その老人の本名を父から聞かされた大治郎は愕然とした。
友が長年探し続けている敵の名だったのだ。【逃げる人】
相変わらず、池波正太郎の仇討ちものはいい。
他の仇討ちの作品からは、長い間、追い追われることで、人物の本質が生々しいほどに感じられてくるのだが、【逃げる人】では、彼らと心を通わせ、情の板挟みになった大治郎の迷いと苦悩、決断への心痛がさし迫ってくる。
敵を追う友に知らせるべきか、このまま何も知らないふりをし、親しくなった老人と交流を深めるべきか。
このときどのように行動するべきか。
それとも『するべき』という正解はないのか。
現代でもありえる情の板挟みに、そういうことが印象に残った一冊だった。
【収録作品】
白い猫、密通浪人、浮寝鳥、十番斬り、同門の酒、逃げる人、罪ほろぼし。
紙の本勝負 新装版
2011/11/09 19:23
新緑のにおいがむせ返る初夏のように、剣客の哀歓が濃厚に立ちこめる。
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
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とうとう、大治郎と三冬に念願の子が生まれた。
なのに大治郎ときたら、その頃剣客と勝負をしていたとは。
まぁ、大治郎にも言い分はある。
常陸笠間八万石、牧野越中守は剣客・谷鎌之助を剣術指南役として召し抱えようとしていた。
ただし、「秋山大治郎に打ち勝つこと」という条件つきである。
実は大治郎、以前に牧野越中守の誘いを断っていた。
牧野越中守は、「大治郎より強い剣客を」という意地もあり、田沼意次を通して勝負の申し入れをしてきたのだ。
意次曰く、「こたびは立ち合わねばなるまい」であった。【勝負】
子が生まれたら生まれたで、なかなか名が決まらない。
小兵衛はあれこれ考えているのだが、鯉だとか鯛だとか、魚の名前をつけようとしているのだから、大治郎もたまったものではない。
小兵衛は悩み抜いた末、大治郎命名のおり助言を受けた旧友の松崎助右衛門宅へ向かった。
ところがその道中、小兵衛は腹を下し、雑木林で用を足していると、なんと小兵衛の隠宅へ押し入ろうという密談が耳に入ってきた。【初孫命名】
子が生まれるときも、名を決めるときも、色々と災難に見まわれる秋山父子。
これが普通の暮らしを営む人であれば、災いに遭うと喜びが半減してしまうもの。
ところが剣客の場合、むしろ事件に巻き込まれることで、喜びがいっそう増しているような気がする。
喜びに溢れるときでも、危難に遭うことは剣客の宿命。
そんな覚悟を持った剣客の人生は、普通の暮らしをする人々よりも、哀歓のコントラストによって人生に大きな味わいを得ているのかもしれない。
かつての弟子や同門との別れ、初孫の誕生、六十すぎての春、敵討ち。
本書は、新緑のにおいがむせ返る初夏ように、剣客の哀歓が濃厚に立ちこめている作品なのである。
【収録作品】
剣の師弟、勝負、初孫命名、その日の三冬、時雨蕎麦、助太刀、小判二十両。
紙の本春の嵐 新装版
2011/11/08 17:09
剣客は恨みを買うことも覚悟のうえ。しかし恨みとは関係のない企みが秋山父子を襲う。
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
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剣客商売シリーズで初めての長編作品。
剣の道を通して、人の哀歓や欲望、苦悩などを描き出してきた剣客商売。
しかし本作品では、少々毛色の違う事件が秋山父子を襲う。
三冬が念願の子を身籠もり、小兵衛も大喜びで、年が暮れようとしていたある日。
八百万石の旗本が、頭巾の侍に斬り殺された。
供をしていた小者の権蔵は生き残り、頭巾の曲者が、
「あきやま、だいじろう」
と名乗るのを、確かに聞いた。
それから十日後。
権蔵は、金王八幡の近くで、頭巾の侍を見かけた。
(あっ、たしかに、あの畜生だ)
と確信した権蔵は尾行を開始。
ところが、その日、権蔵は屋敷に帰らず、翌日になって、血まみれで息が絶えようとしているところを発見された。
何者かが、秋山大治郎を名乗って辻斬りを働いているのは確実。
しかし、なかなか真犯人が捕まらない。
にもかかわらず、「秋山大治郎」と名乗る辻斬りが次々と起きる、このもどかしさ。
辻斬りの裏に秘められた企みに驚かされるのだが、幸せ溢れる大治郎夫婦を襲った凶事に、なすすべない小兵衛がなんとも痛々しい。
下っ引き・傘徳の執念深い張り込みに、小兵衛は涙ぐむほどなのだ。
一方で、【狐雨】(『狂乱』に収録)で登場した杉本又太郎と、ひょんなことから又太郎の道場に住み込むことになった、『首吊り男』こと菓子舗の次男・芳次郎のコミカルなやりとりは面白く、暗く沈みがちな物語がパッと明るくなる。
この二人も思わぬことから事件にからみはじめ、なんともいえない味わいが広がっていく。
剣客は、恨みを買うことも宿命と覚悟しているものなのだが、恨みとは関係のない企みに翻弄されることもある、厳しい職業なのだ。
その一方、秋山父子を慕う、多くの人々の暖かい奔走が印象に残る。
生きるも死ぬもおのれの才覚次第という剣客といえども、周囲の人々に生かされているのだと、強く感じた。
紙の本待ち伏せ 新装版
2011/10/05 16:16
皮膚感覚のような季節感を伴う剣客商売。晩秋から冬の、もの悲しい雰囲気漂う作品。
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
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剣客商売を読んでいると、それぞれの巻が季節を纏っていることに気づく。
そして、その季節は、物語に皮膚感覚のようなものを与えてくれているように思える。
例えば、第四巻『陽炎の男』は春から夏。
三冬の中に大治郎の存在が芽吹き始め、心がくすぐったく、どこか落ち着かないような気持ちとともに、作品全体に暖かさと、徐々に増していく夏の暑さのようなものが感じられる。
本書の季節は、晩秋から冬。
夜の空気が冷気を帯びだした晩秋から、その厳しい環境に備えて生命たちが活動を弱める冬の感覚は、そのまま物語全体に、もの悲しく、感傷的な雰囲気を漂わせている。
【待ち伏せ】
とある橋の上、大治郎は闇に潜んでいた二人の曲者に襲われた。そのうちの一人は親の敵と叫ぶ。
ところが、大治郎が自分の名を名乗ると、二人は逃げ去った。
人違いのようであったが、分からないのは、二人が明らかに大治郎を待ち伏せていたことである。
武家奉公の悲しさを描いた作品。
放っておけばいいものを、妙なことに首を突っ込んでしまう、まだまだ青い大治郎であった。
それもそのはず、妻の三冬が身籠もったことにも気づかないのだから……。
【小さな茄子二つ】
小兵衛のかつての門人・落合孫六が、不覚にも金百両を強奪された。
孫六の言うには、絵師から百両を借りたうえ、ねんごろにもてなしを受けたその帰り、闇から生じた得体の知れぬものが、両足を絡め取ったというのだが。
変わってしまったかつての友の姿に寄せる、小兵衛のさまざまな思い。
旧友が道を外しているのを目の当たりにしたとき、小兵衛と同じように、失望よりも憐憫の情を抱くことができるだろうか。
【或る日の小兵衛】
神無月の夜、小兵衛が手水に起きたときのこと。厠の小窓から、外に白い着物を着た老婆が立っているのを見た。
闇に消えた老婆をおきねとみとめた小兵衛は、翌朝、死の間際に逢いに来てくれたのだと、心を昂ぶらせた。
小兵衛の感を狂わせてしまうほど、おきねとの関係が『男』としての人生において、強く印象に残っていたということだろう。
【秘密】
金五十両で人を殺めて欲しいと頼んできたその侍は、終始、誠心に満ちていた。
その相手の名を聞くと、大治郎は言った。
「お引き受けいたそう」
武家奉公の悲しさを描いた作品。
人としての正義を貫いた友を討たねばならぬ、奉公人の正義を遂行する男の悲しさに満ちている。
【討たれ庄三郎】
黒田庄三郎なる浪人は、酒屋で見かけただけの小兵衛へ「先生に、それがしの死に際を見とどけていただきたい」と言った。
明後日、庄三郎は、果たし合いの末、十九歳の若者に討たれてやるつもりなのである。
我が身を賭して子を思う男と、それに気づかないまでも、心の深いところで感じている子の姿は、感動的である。
血のつながりとは、かくも不思議なものなのか。
【冬木立】
小兵衛は冬の雷雨に行き遭うと、三年前、同じように雷雨に遭い、飛び込んだ飯屋で、老体を労るように体を拭いてくれた、店の小女のことを思いだした。
小兵衛の感傷記。
他人にはそれが不幸の原因だと分かっていても、当人にはそれが除かれることで絶望に変わることもある。
【剣の命脈】
「到底、この冬は越せまい」
金子道場の十傑と呼ばれた剣士・志村又四郎は思った。
旗本の家の跡継ぎは、父の溺愛する腹違いの弟がいる。
心残りは、秋山大治郎と真剣を把っての立ち会いが出来ぬ事だった。
命脈尽きようとしている剣士の悲しさ。
死を前にした者の心残りに秘められた力は、蝋燭が燃え尽きる前のいっときの輝きか。
紙の本白い鬼 新装版
2011/08/25 16:07
それにつけても三冬の可愛らしさよ
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
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本書の読み所は、表題作【白い鬼】
透き通るほどに色白で眉は細く、高い鼻すじで切れ長の両眼、といった美貌剣客を描いた作品で、彼の恐ろしい所行と、心を曲げることとなった暗い過去が明らかにされる。
物語は『白い鬼』の正体をあばくことに筆が割かれ、白い鬼との対決はほんの少し。白い鬼の歪んだ心の内とその誘因を精妙に描きながらも、そこに哀れみを持つことなく、非道の悪事は処分されてしかるべき、という姿勢は気持ちがよい。
反対に、不良浪人相手に金を騙し取る『騙り坊主』のような者には、鷹揚な態度を示しているように(【鰻坊主】剣客商売〈4〉天魔より)、剣客商売が単純に白黒をつける堅苦しい世界でないことも心地よい。
ところで、剣客商売の楽しみの一つと言えば、女武芸者・佐々木三冬の存在。
彼女の登場があれば、ハッとして嬉しくなるし、姿が見えないと、なんとなく物足りない。
それは単に、彼女の美しくも颯爽としている姿が魅力であるばかりでなく、男女の関係に一種の嫌悪感を抱きつつ、秋山大治郎を慕う心に戸惑いつつも押さえきれない、頭と心の矛盾に悩む、彼女の初々しさが魅力なのである。
本書でも、そんな佐々木三冬の魅力が満ち溢れている。
男女の情事に嫌悪感を持つ彼女が、木立の中で事を交わす男女を見かけることから事件が明らかになる【西村屋お小夜】
縁談が持ち上がって、例のごとく自分より強い男であるか確かめるために、試合をすることになる【三冬の縁談】
男女の情事を見たと言えず、赤くなる三冬が可愛らしく、なぜか秋山大治郎に縁談と試合の報告をし、「ぜったい勝ちます」と宣言する彼女も可愛らしい。この妙にもどかしくもある描写が非常に上手く、男心をそそるのだ。
【収録作品】
白い鬼、西村屋お小夜、手裏剣お秀、暗殺、雨避け小兵衛、三冬の縁談、たのまれ男。
紙の本天魔 新装版
2017/09/23 12:24
今回は、少々私好みでない作品が多目で残念でした。
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投稿者:ナミ - この投稿者のレビュー一覧を見る
今回は、少々私好みでない作品が多目で残念でした。徐々に、息子・大治郎が裏稼業に慣れ始め、主役交代の時期が迫ってきたかなという感じ。相変わらず、佐々木三冬の出番が少ないが、恋する対象が明らかに小兵衛から大治郎に変わって来ており、何となく私までソワソワしてきます。(笑)
[一話;雷神] 秋山小兵衛の元弟子が金の為に八百長試合をする許可を得に来る。事情を知り許可した小兵衛だったが、対戦相手の腕は予想を遥かに上回るものであった。あわやと思った時に、対戦相手が異状に嫌う雷が鳴り、試合放棄してしまう。 3点
[二話;箱根細工] 小兵衛の同門の昔馴染みの見舞いを頼まれた大治郎は道中で胡乱な浪人と出会い、気にしていると同じ宿に泊り誰かを狙っている。結局、商人夫妻を襲った浪人を討ち果たすが、その浪人は見舞った人の息子であった。 3点
[三話;夫婦浪人] 小兵衛が偶然知り合った、同性愛の浪人夫婦の顛末。 3点
[四話;天魔] 小兵衛知己の道場主の息子・笹目千代太郎が江戸に帰って来る。異状に小さい体で、跳躍力を活かした剣を使うらしい。殺戮を繰り返す笹目千代太郎を葬るため、小兵衛が戦いを決意するが、代わって大治郎が立ち合い討ち果たす。この時の戦略が、敵の跳躍力を殺すため立ち合いと同時に後退し、敵が追込んできたところで突如前進に転じ、敵が跳躍したところを薙ぎ払うというものであった。この作戦は、対決前夜に、小兵衛が大治郎に授けようとした策と同じであった。父子交替の時期が迫ってますね。 5点
[五話;約束金二十両] 平内太兵衛重久:雲弘流剣術家なる者が3両での賭け試合の立札を出す。興味を持って大治郎・三冬が見に行くが、その凄腕に3両を置いて帰って来る。小兵衛が赴き、その技を見て何かを悟ったが3両を置いて帰って来る。しかし、あれ程の剣士が何故金を欲しがるのかに興味を持った小兵衛は、翌日また立ち合いに行くが相打ちとなる。平内の技は、実は相手の刀を奪って使うものらしい。平内は金を欲しがったか。それは、世話になっている近所の農家の娘が茶店を持つための20両が欲しいという願いをかなえる為であった。結局、小兵衛と意気投合。付き合いは長くなりそう。 5点
[六話;鰻坊主] 偽金を使って欲深い人間から金をまきあげる騙り(詐欺)坊主(納得できない兄の仇討に出された元侍)を助け、江戸から追放する。義侠伝ですね。 4点
[七話;突発] 煙管店主・友五郎のあばずれ後妻が医師と密通した上、結託して謀殺しようという策謀を見抜き阻止する。 3点
[八話;老僧狂乱] 大治郎が昔世話になった和尚が「美人局」の策謀に嵌って150両も巻き上げられそうになったのを小兵衛が阻止する。放蕩和尚は無理がたたり死ぬ。 3点
紙の本勝負 新装版
2003/06/20 01:12
三冬浪漫〈涙〉
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投稿者:流花 - この投稿者のレビュー一覧を見る
夫には言えない、結婚する前の出来事というものがある。夫に対して、後ろめたいことは何もないのだが、どうしても言えないことがあるものだ。秋山大治郎の妻、三冬にもあった。…若き日の三冬の手に、口づけをし、去っていった男。しかも、数年後の現在、偶然にも、その男と再会することになるのだ。三冬は、大治郎の息、小太郎を生んだばかり。女としての幸せのただ中にいる。運命は、そんな三冬に何故、彼を再び巡り合わせたのだろうか。
“一度道を踏み外してしまった人間は、もう二度とまっとうな道を歩めない”。これは、この『剣客商売』シリーズの中にたびたび登場するテーマである。醜い姿ゆえ、他人から疎んじられ、姿を消すしかなかった男。剣の道を歩む者として、人を外見のみで評価し、疎んじるなど、許せぬ行いである…三冬は、その男のたった一人の味方であった。しかし…その男の末路が、女を人質にとっての立てこもりである。
振り仰いだ三冬の目にふつふつとこぼれる熱いもの…大治郎さまは、とうてい知るまい。その涙に込められた三冬の思いを。
「その日の三冬」。夫の知らない妻の歴史。「大治郎さまは知らなくていいの。だけど大治郎さま、そばにいて…」。
人生の“勝ち組”、“負け組”。そんな言葉が胸にしみる、本書『勝負』である。
紙の本剣客商売 新装版
2024/02/23 05:06
無敵の爺さん
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投稿者:達成 - この投稿者のレビュー一覧を見る
言うまでもなくフィクション歴史小説の入門書
池波氏が描く洗練された文体とキャラクターの粋なセリフ回しに心打たれること間違いなし
全20数巻とかなりのボリュームではありますがサラサラと読めてしまうので気軽に手を出してみては如何でしょうか?
紙の本新妻 新装版
2023/05/28 14:17
佐々木美冬が嫁となった後のキャラが激変してしまい、興味を殺がれる。
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投稿者:Haserumio - この投稿者のレビュー一覧を見る
佐々木美冬のキャラ変における落差が大き過ぎて、違和感ありあり。大治郎との交情シーンもイメージダウンに寄与(123~4頁、312頁)。本巻はカタルシスに満ちた作品も多く、星5とも思ったのだが、美冬のイメージダウンにより星は4つ。なお、101頁の「血」は何の血か不明だし、142頁の「例の」という云い方も意味不明。細部に疑問の残った一冊でもありました。