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ローマ人の物語[電子版] みんなのレビュー

  • 塩野七生
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みんなのレビュー67件

みんなの評価4.5

評価内訳

76 件中 1 件~ 15 件を表示

帝国の分割と再統一

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投稿者:DB - この投稿者のレビュー一覧を見る

前半はディオクレティアヌス帝の政策について論じます。
雷に打たれて死んだヌメリアヌス帝の跡をついだディオクレティアヌス帝は、キリスト教徒を弾圧したことから後世の評価はネロやカリグラ並みの暴君とされている。
しかしこの弾圧で殉教したのはローマ全域でも数千人だった。
その数が多いのかどうかは置いておいて、本著を読めばキリスト教徒だから弾圧したのではなくローマの政策に反対したため処罰されたという方が近い。
もちろんキリスト教徒側からすればその政策が異教徒のものであり受け入れられるものではなかったのだろうけれど。

ディオクレティアヌスは皇帝の持つ力を絶対王政並みに高めたが、ローマ帝国を一つの共同体としてその中にいるすべての人は義務と役割を負うというローマの伝統は守っていた。
そんな皇帝にとって共同体を守る義務よりも神の言葉に従うキリスト教徒は邪魔だったのだろう。
しかしローマを脅かす外敵に対しては、ディオクレティアヌスの導入した四頭政がそれなりに機能したようです。
自身を含めた2人の正帝に2人の副帝で広大なローマ帝国を分割し、それぞれの守備範囲を定めて守るという。
案としては悪くなかったのだけど、それによる軍備の拡張と増大した経費の転換先としての重税が問題となる。
さらに在位20年であっさりとディオクレティアヌスが引退した後は、帝位の円滑な譲渡などあるわけもなく激しい権力争いへと再び逆戻りしていった。

6人もの皇帝が乱立するレースを制したのが、後半の主役となるコンスタンティヌス帝です。
キリスト教の繁栄をもたらすとともに暗黒の中世の始まりともなった皇帝だ。
コンスタンティヌスがキリスト教を認めて優遇したのには、それまでのローマの精神が瓦解しかけていた時期に取って代わるのに便利だったからなのだろうか。
皇帝の権威を絶対的なものに強化するための方便だったというのが一番近いだろう。
実は帝政時代からの遺跡を貼り合わせて建てられたというコンスタンティヌスの凱旋門の詳細も述べられていて面白い。

軍人皇帝時代には属州出身の皇帝たちにとって首都ローマの重要性は低下していたが、コンスタンティヌスはそれをさらに推し進めて首都をコンスタンティノープルへと移してしまった。
ビザンツ帝国のはじまりですね。
ということは初期キリスト教ってカソリックよりも東方教会のカラーの方が強かったのだろうか。
宗教会議で皇帝が臨席していても、東方教会つまりはギリシャ人の司祭たちが議論に紛糾していたというくだりに笑ってしまった。

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乱立する皇帝たち

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三世紀に入って、ローマを支配するのはセヴェルス朝だった。
前半ではセヴェルスの息子カラカラ帝と、その甥にあたる2人の皇帝について語られる。
内乱を制した北アフリカ出身の皇帝セヴェルスと、シリアの神官の娘ユリア・ドムナのあいだに生まれたのがカラカラ帝です。
カラカラ浴場の遺跡が世界史に載っていたのを記憶しているが、その両親を見ても帝政初期のローマ皇帝の姿とは随分と変わってきたことだけはわかる。
共同統治者であった弟を殺し、皇帝としての自負も高らかなカラカラ帝が行ったのは、帝国内に住む自由民をすべてローマ市民としてしまったことだった。
人類平等の宗教家から見れば賛美すべき法案だったはずだが、税収のアップが目的だっただろうこの法は目的を果たさなかっただけではない。
それまでのローマの社会を支えていたローマ市民としての誇りと、非ローマ市民の持っていた向上心を奪い去ったのだ。
よかれと思ってやってみたことが最悪の結果になってしまういい見本です。

謀殺されたカラカラ帝のあとに皇帝となったのは、近衛軍団の軍団長だったマクリヌス。
しかし戦後処理の不手際と、カラカラの叔母ユリア・メサの陰謀でマクリヌスは退場。
ユリア・メサの陰謀で皇帝となった孫たちも、ヘラガバルスはローマ皇帝になってもシリアの神官としての振舞いが目についたという理由で暗殺される。
そして弟のアレクサンデルもそれなりに努力はしたものの、経験と力不足によって軍団兵に殺された。

ここから軍人皇帝たちが乱立し、さらにローマのリメスが破られる「三世紀の危機」と呼ばれる不安定な時期に突入していく。
西では二百五十年もの間ローマを守っていたゲルマニア防壁が破られてゲルマン民族が侵入してくるし、東ではウァレリアヌス帝がササン朝ペルシアとの戦いに敗れて虜囚の憂き目にあい、パルミラの女王ゼノビアが皇帝属州だったエジプトを奪取した。
ローマ皇帝は絶対権力者というよりはローマ帝国の舵を取る将軍か首相のようなもので、不信任案が通れば死ぬしかない。
それが二十人から僭称も含めると四十人もの皇帝が乱立する結果となった。

途中でアウレリアヌス皇帝のような有能な皇帝がローマを建て直そうとした時期もあり、蛮族を叩きパルミラ問題を解決するも奴隷の策略で謀殺された。
その後も次々に現れては消える皇帝たちの治世のもとで、迫害を受けなお組織を強化していったキリスト教が勢力を伸ばしていく。
国教化もすぐですね。

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帝政初期の皇帝たち

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悪名高き皇帝たち。
神君アウグストゥスの後に続いた四代に渡る皇帝たちの物語である。
あれほどまでに自分の血を継ぐものを継承者にすることにこだわったアウグストゥスだったが、その後を引き継いだのは妻リヴィアの連れ子だったティベリウスである。
ディベリウスへの皇帝指名は、アウグストゥスにとっては姉オクタヴィアの孫に当たるゲルマニクスが成長するまでの中継ぎだった。
カエサルが構想し、アウグストゥスが実現した広大なローマ帝国を、ティベリウスは適正に管理し強固にした。
このティベリウスの管理の範囲は経済、軍事の多岐にわたって人と物とを育てる結果になっています。
そのおかげで次代のカリグラ、そして一代おいてネロが無能にも蕩尽できるほどの蓄えがあったくらい。
平和と繁栄を享受したはずのティベリウスの統治を、ローマ帝国の人々はなぜ悪名としたのだろうか。
それはティベリウスが徹底した合理主義者であり厭世家だったからだろう。
首都であるローマさえも捨ててカプリ島に隠棲することで、ローマの首都としてのメンツを潰し元老院の無価値さを喧伝したからだ。
アウグストゥスのように民衆の機嫌を取る必要が、名門出身のティベリウスにはなかったのかもしれない。
他人に、まして後世の人間にどう言われようともティベリウスは気にしなかっただろう。
彼にとって完璧なローマ帝国を作り上げたのだから。

老帝の後を継いだカリグラは、血統は父母ともに由緒正しくアウグストゥスにつながり、そして若く人気が高かった。
それがなぜ三年ちょっとの統治で暗殺されて終わる羽目になったのか。
実子であるドゥルーススについて徹底的に分析した文章を元老院に提出できるほどのティベリウスが、カリグラがどのような人間かを予測できなかったはずはない。
カエサルがアグリッパをオクタヴィアヌスにつけたように、誰かをカリグラに付けてやることもティベリウスならできたはずだ。
血統にこだわったアウグストゥスへの、ティベリウスの意思表示だったように思えた。

次の皇帝はクラウディウス、アウグストゥスが期待を寄せていたゲルマニクスの弟であり、カリグラの叔父に当たる。
ティベリウスの路線を踏襲し、ローマ帝国の維持管理にあたっていたクラウディウスが悪名高いのはなぜか。
それはメッサリーナ、そして皇帝ネロの母親アグリッピーナという二人の妻に依るところが大きい。
公人としてはうまくやっていけても、私人としては苦労人すぎて気の毒になるくらいだ。
しかし皇帝である以上、夫婦喧嘩に負けて妻の我が儘を通した結果として国が傾くこともあるわけで。
最たる例がネロを後継者に据えたことだから、結果論とは言え悪名高くなってしまっても仕方ないかと。

負のイメージで語られるローマ皇帝といえばやはりネロが一番有名ではないでしょうか。
母親の支配が強すぎて人間として失敗してしまったいい例で、これの規模が小さい版は現代にもあちこちで見ることができる。
皇帝であるよりも芸術家でありたいというその嗜好は、スッラにように仕事が出来てなおかつ公私を完全にわけることができれば許されたのかもしれないけれどね。
その芸術への傾倒ぶりに比例することない才能の発露は、ペトロニウスじゃなくても目を覆いたくなるもので。
この辺は名著『クオ・ワディス』をあわせて読みたいところです。
四人の皇帝たちについて、それぞれに詳しく面白く書かれていて非常に興味深かった。

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紙の本ローマ人の物語 8 危機と克服

2024/01/10 20:33

混乱から平和へ

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ローマ市民に不信任を突きつけられて自死したネロのあとの混乱期と回復期について書かれています。
まず登位したのがガルバ帝、属州総督から軍団の推挙を受けての皇帝就任という形での皇帝だったが名門出身であり経歴も立派だった。
にもかかわらずなぜ早々に失脚したのか。
彼の政策の失敗を見ていくと、危機管理能力にもセンスってものが必要なんだと痛感する。
もちろんガルバ帝ももう少し若いか、信頼のおけるブレーンがいればまた違ったのかもしれませんが。
結局半年ほどの在位で属州からの反乱の報になすすべもなくなっているところでオトーに暗殺されて終わる。

ガルバ帝に続くオトーは、すでに皇帝を名乗って進軍してくるヴィテリウスとの戦いに負けてあっさりと自死して終わった。
しかしこれがローマの軍団同士の戦いという悲劇によって後に禍根を残すことになるのですが。
その禍根を押し広げてしまったのがヴィテリウス帝だった。
とりあえず勝てばいいやという安易な考えで、さらに内戦の戦後処理も適当すぎるあたりがヴィテリウスの性格を示していると思う。
当然長続きするはずもなく、冷静に策を練ったヴェスパシアヌスに追い落とされた。

軍団叩き上げで名将として知れ渡っているのでもないヴェスパシアヌスだったが、彼の成功はシリア総督であったムキアヌスとエジプト長官アレクサンドロスという協力者を得たことかもしれない。
三人で練り上げた計画は完璧で、元老院議員でさえなかったベスパシアヌスを皇帝にすることに成功する。
ヴェスパシアヌスは帝位についてガリアの反乱、そして前からの問題だったユダヤ戦役を終結させてようやく平和をもたらした。
財政の安定化で金策とした税で笑われたりするも、皇帝としての責任をよくわかっていたのだと思う。
病死するまでの十年間、すべてをやりきった人生だったのだろう。
ヴェスパシアヌス帝が建てさせたというコロッセオをもう一度見に行きたくなった。

ヴェスパシアヌスの後を継いだのが長男のティトゥスだった。
短い在位期間中に起こったポンペイの災害に奔走するあたりからも、よき皇帝の姿が浮かんできます。
短いからこそ良かったと揶揄したのは誰だったか。
当時に過労死なんてものはなかったのだろうけれど、病死もしくは密かに暗殺されて短い生涯を閉じる。

弟のドミティアヌスは、兄とは違って自己顕示欲が強かったようです。
公共事業で都市ローマを整備するとともに、皇帝の宮殿を建てさせる。
さらにすでに安定していたローマの境界をリメス・ゲルマニクスの思想でさらに強化しようとした。
ドミティアヌス帝が暗殺されて後に暴君と呼ばれるようになったのは、けっして無能であったからでもダキア戦役で失敗したからでもない。
家庭内の問題が発展した挙句の暗殺であって、さらに弾圧されていたと感じていた元老院が死後に復讐したに過ぎなかったのだろう。
後を継いで皇帝となったのはネルヴァ、五賢帝の時代へと続く。

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紙の本ローマ人の物語 9 賢帝の世紀

2024/01/08 15:00

繁栄と平和の時代

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動乱期を経て、ローマ帝国が最も平和を享受し繁栄した五賢帝時代へとはいってきました。
最初のネルヴァは前巻にて簡単に紹介されていた。
ページ数にして五ページという薄さだけに筆者の扱いも伝わってくるだろう。
まあ老齢で温厚だから皇帝になり、一年ちょっとで代が変わってしまったネルヴァについては語ることもあまりないのかもしれない。

本著ではネルヴァの養子になって皇帝となったトライアヌスの話から入る。
二十年にわたってローマ皇帝の地位にあったトライアヌスだが、もともとは属州出身の軍団長の息子だった。
堅実に出世コースに乗っていたトライアヌスの運命が一気に変わったのは、ドミティアヌス帝の暗殺とネルヴァの登位だった。
由緒正しい血筋ゆえに選ばれたネルヴァが、トライアヌスを後継者に指名したのだった。
ローマ皇帝の座についてからのトライアヌスは私人としては質素、公人としては堅実にして精力的という君主の理想像のような人物だったようです。
ダキア戦役も現実的な対処と鉄壁のローマ軍団により勝利している。
ここで敗者となったダキアへの処遇が、それまでのローマの基本方針である敗者の吸収と同化という路線から外れダキアの滅亡を目指した処理だったのが興味深い。
これさえも伝統に依るのではなくその場で最大の効力を持つ解決策を求めた結果のようです。

続くハドリアヌスは、五賢帝の中でもアクの強いタイプのようです。
筆者もハドリアヌスには入れ込んでいるようで、カエサル程ではないにしてもハドリアヌスについて書ききろうとでも言うような意気込みが伝わってくる。
「夢を見ながら現実を直視する男」という表現が、最もハドリアヌスを言い表しているような気がする。
アンティノスとの関係やそのギリシャ趣味、それにテルマエでのエピソードとこぼれ話にも事欠かないし。
ハドリアヌスといえばやはり、旅する皇帝というイメージでしょう。
最大の領土となっていた帝国の性質を知るためには実際に見て回るしかなかったのか。
それともすべてを自分で判断しないと気がすまない性質だったのか。
地中海を取り巻くローマ帝国を巡行する皇帝の姿が浮かんでくるような気がした。

有能であっても激しい性格だったハドリアヌスのあとを継ぐのはピウスとあだ名されたアントニヌスだった。
これは先代の固めた道を外れることなく安定して歩んだ皇帝です。
それだけ平和だったということなのでしょう。
哲人皇帝の話は次巻のようで、賢帝の世紀はここで終わる。

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古代ローマのインフラ

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ローマ帝国の通史から一歩離れ、ローマ帝国のインフラについて取り上げた本です。
帝国中に張り巡らされていたローマ街道をはじめ、都市に水を供給するために敷設され管理されていた水道、人々の生活の一部となっていたテルマエ。
ローマ人が人間らしく生活できるための必需品とみなしていたインフラについて書かれています。

前半では「すべての道はローマに通ず」と今でも伝わる言葉通り、徹底的に合理性を貫いて作られたローマ街道についてクローズアップしている。
この巻だけは写真や図が多用されているので、目で見てもわかりやすい本になっています。
ローマの軍団兵が主に作ったというローマ街道は軍の行軍のために敷設されたものだった。
街道は幅四mの主道と三m程度の歩道に排水口を備え、全てが敷石で舗装された立派なものだった。
また街道の周りは見通しをよくするために樹木は切り倒され、街道が常に機能するようにメンテナンスも欠かさず行っていたそうです。
ローマ帝国内を巡らせている街道により、軍団の移動も然ることながら経済的な活性化にもつながっていた。
それこそがひとつのローマの象徴のようだ。

最初に敷設されたアッピア街道を作らせたのはクラウディウス・アッピウス。
アッピウスはローマに上水道を初めて引いてきた人物でもあり、紀元前312年にこの二つの大事業が着工された。
高速道路と上水道を作り上げローマ帝国八百年の基礎を築いたアッピウスの構想の中で、帝国となっていくローマはどのような成長を遂げていくものであったのか。
今でも残るというアッピウス街道を歩きながらその思想に触れてみたいと思った。

後半ではローマにおける水道の利用法と料金形態、そして水道を使ってテルマエを作ったローマ人の衛生観念についても触れられる。
水道と一口にいうが、取水源から都市まで山を通し谷に橋をかけて勾配をつけた水路を作っていくのは綿密な作業だっただろう。
旅行で訪れた時にローマの街は噴水が多いなと思ったけれど、これらの噴水の水もローマ水道を通って運ばれた水だった。

そしてインフラのソフト面を支える部分として、医療と教育についても語られています。
現代社会でも電気水道ガスに道路と鉄道、そして医療と教育は国が保証すべき重要な部分だ。
それを作り上げたからこそローマは巨大な帝国となることができたのかもしれない。
インフラの重要性がよくわかる本だった。

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陰り始めた帝国

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ギボンの『ローマ帝国衰亡史』はあまりにも有名ですが、ローマ帝国の滅亡の原因を探ると絶頂期とも言うべき五賢帝時代から語られる。
終わりに至る社会を描くためにはその最盛期から見なければ理解できないという部分もあるのでしょう。
しかし歴史を追ってみてみれば、五賢帝時代の人類が最高に幸福であった状態というのは末期には崩れ始めていたのだということが本著を読むとよくわかる。

単純にコモドゥス帝で平和のバランスが崩壊しはじめたのだと思っていた。
だがカリグラを見てもわかるように、強固に作られた帝国の体制がたかが一代の皇帝の悪行で崩壊するものでもない。
哲人皇帝が理想を胸に抱きながら挑んだ二十年弱の治世は、活発化してローマの領土を侵す蛮族たちと戦い内乱を平定するために戦い続ける日々だった。
皇帝である以上全軍の最高司令官として前線に出る。
そんな生活の中で「自省録」をメモしていたのかと思うと、個人としては気の毒にも思えてくるのですが。

マルコマンニ戦争の中で病没した哲人皇帝の後に皇帝となったのが剣闘士皇帝コモドゥスです。
戦争に明け暮れる合間に十四人も子供を作ったマルクス・アウレリウスですが、成人した男子が一人だけというのはさみしいような。
鉛の蓄積による中毒じゃないかっていう説をどこかで読んだことがありますが、乳児の死亡率は庶民も貴族も変わりなかったのだろう。
古代世界の人々の価値観を想像するのは難しい。

そのコモドゥスですが、父親にしっかりした軍事面と内政面のブレーンを残されておきながら見事に帝国を破壊したという。
しかも原因が姉に暗殺されそうになったからという話で、ローマ人でなくとも頭を抱えたくなるような暴君ぶりで結局暗殺される。
幼少期に病弱だったためあのガレノスが専属医になったそうですが、ガレノスが仕事を全うしなければ歴史は変わっていたかもしれない。

コモドゥスの死後ローマは軍人たちによる覇権争いという内乱へと突入した。
皇帝位は一番したたかであった北アフリカ出身のセヴェルスのものとなる。
彼が真っ先に行ったのは粛清であり言論さえも統制する。
カエサルの頃のような自由なローマはどこにいったのだろう。
セヴェルスは軍団兵の待遇を改善した結果、帝国内での軍事と民事のバランスが崩れるきっかけとなったそうです。
軍事行動は非生産的だしね。
ローマ帝国は専制君主に率いられた軍隊の闊歩するローマへと転身する。
カスケード的に破滅へと向かっていくのか、続きが気になる。

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内容紹介−新潮社

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投稿者:bk1 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書で語られるのは、五賢帝時代の掉尾を飾り哲人皇帝として名高いマルクス・アウレリウスから、セプティミウス・セヴェルスまでの治世です(紀元2世紀末から3世紀初)。タイトルのとおり、いよいよローマの衰亡が描かれていくことになります。
 ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を初め、ローマ帝国の衰亡は五賢帝時代の終焉とともに始まったとする史観がこれまで主流でしたが、本書ではこれに異を唱えています。ローマが絶頂を極め、後世の評価も高いマルクス・アウレリウス帝の政治を、第9巻で扱ったハドリアヌス帝やピウス帝、さらにはユリウス・カエサルとも対比させ新たな視点で検証すると、ローマ衰退への道は既に敷かれ始めていたということが明らかになるのです。
 指導者である皇帝たちの資質の変化や、国内の階層間の対立、そして帝国を外から脅かす異民族の存在など、さまざまな要因が作用して、帝国はゆっくりと没落への階段を降りていきます。ついには、マルクスは戦地で没し、その息子コモドゥス帝は怠惰に陥り暗殺され、続く時代では帝国を守ってきた将軍たちが割拠して帝位を争うという、「黄金の世紀」では考えられなかった混乱へと突入していきます。
 永遠に続くと思われた右肩上がりの時代を終え、新たな時代へと踏み入ったローマ帝国。その指導者たちの迷いと奮闘ぶりから浮かび上がってくるのは、「矜持」を中心に据えた新しい指導者論です。同じように混迷と不安に覆われている現代の日本にとっても、彼らの生き方から学ぶことは多いに違いありません。
 「ローマ人の物語」全15巻を時代ごとに三つに区切ると(ローマ建国からユリウス・カエサルまでの「第一期」、アウグストゥスによる帝政開始から帝国の絶頂期までが「第二期」)、この巻は「第三期」の始まりと言うことができます。第一期や第二期のローマ帝国を常に視野に入れて叙述される本書は、「ローマ人の物語」の導入篇としてもふさわしい内容であると思われます。

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とてもついていけない。

11人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オタク。 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 昔は塩野氏のファンで新刊が出ると欠かさず読んでいた。しかし、この本でローマの寛容?な政策にも関わらす、カルタゴが自滅したかのように書かれていたから、彼女におさらばした。カルタゴ側にも誇りや愛国心があるのを見落としているからだ。
 昨今の「新自由主義」を称する面々が韓国併合を正当化したり、左翼がチベットや東トルキスタン(以前だったら、同志レーニンが厚顔にも政権奪取前後は独立を認めると言いながら支配したロシア帝国の諸民族をはじめ、彼が独立を承認したはずなのに再併合したグルジアや同志スターリンが総統と結んだ独ソ不可侵条約によって併合したバルト三国等。ポーランドが独ソ両軍によって分割された事も。)について無視している姿に似ている。
 ローマ帝国が歴史的に見て興味深い存在には違いないが、「支配の天才」とか「理想の国家」とか言うのは持ち上げ過ぎだ。ヨセフスの「ユダヤ戦記」に書かれたマサダでの集団自決前にエレアザル・ベン・ヤイルが語ったという、シオニストがマサダを聖地にした演説を読んだ方がいい。

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紙の本ローマ人の物語 8 危機と克服

2023/11/14 10:39

混乱の時代

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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る

政治の混乱、次々と惨殺される皇帝たち、 普通の国だったら当然のように、崩壊 終焉に進んでゆくはずであるが、古代ローマ帝国はこの時点では生命を失わなった。その秘密な何なんだろうか という興味で読み進めた。とは言うものの英雄が登場するわけでもなく、地味な印象の巻であった。

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屋上屋を重ねる

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投稿者:Koukun - この投稿者のレビュー一覧を見る

世界史上 英雄というと必ず入ってくるユリウス・カエサル、しかも名文家で著作が2000年後の現在まで残っている という、伝記作家にとってはあまり嬉しくないような主人公である。本書後半の主要テーマである「ガリア戦記」もカエサルの書いたガリア戦記の解説書のような体裁になっている。作者のカエサルへの惚れ込みはよく分かるが、やや面白み独自性にかけるところがある。敵対するガリア側を主人公にした佐藤賢一の「カエサルを撃て」のほうが読み物としては遥かに面白い。

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なんだか先が読みたいような読みたくないような……

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:SnakeHole - この投稿者のレビュー一覧を見る

「ローマ人の物語」も残りわずか,案の定というかまたしてもというか,とにかくどんどんローマのローマらしき美点,ローマ人のローマ人らしき合理的精神が「溶解」していくさまを描くのは著者にとっても辛いらしく(そりゃそうだ,ふつう何かを好きになるのはその対象物の勃興・隆盛の時であって衰退期ぢゃない。貴乃花が休場ばっかりしているのでファンになった,というヒトはいないだろう?),筆の進みも渋りがち,読んでおるこっちにもそれが伝染してしまい,なんだか先が読みたいような読みたくないような(読んぢゃうんだけどね)妙な気分になる。
時代は「ミラノ勅令」のコンスタンティヌス帝の跡を継いだ親戚殺しのコンスタンティウス帝,彼がやむなく後継にした(なにしろ他の血縁者を全部殺しちゃってたから)「背教者」ユリアヌス帝の治世を経て,ついに帝国がキリスト教に呑み込まれるまで。オレにとって結構メウロコだったのは,ローマ市民にキリスト教が流行した理由のひとつがコンスタンティヌス帝による「キリスト教徒への免税」だったこと,それからテオドシウス帝がはっきり「キリスト教国教化」へカジを取ったときの「廃仏毀釈」が,本邦明治維新のときのそれより陰惨苛烈を極めたこと。皮肉なことに「ウチの中で先祖に祈りを捧げるだけでも死罪」つうのは,江戸幕府がキリシタンに対して行なった弾圧を彷彿とさせる。げにおそろしき,めぐる因果は糸車(ちょっと違うか)。

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3世紀前半、世界を支配するローマ帝国皇帝のこころを、当時の状況と社会環境のなかで、キリスト教の何があそこまで捉えたのでしょう?

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:緑龍館 - この投稿者のレビュー一覧を見る

ローマ帝国の制度的疲弊が激しくなる3世紀後半、ローマがローマ的でなくなっていく時代の物語です。
284年にローマ皇帝となるディオクレティアヌスは、北方からの蛮族の襲来を防ぎ広大な国境線を死守するため、帝国の領土を四つに分け、それぞれに正帝や副帝をおく「四頭制」を創設します。これにより帝国の平和は守られましたが、兵力は倍増し、かれらを養うため税金の徴収額もうなぎのぼり。また、ほとんどすべての職業に世襲制を敷くことにより、社会の流動性も失われ、ローマ社会はより一層柔軟さと変化に対応する力を無くして行きます。
その一方、ディオクレティアヌスは生前に自ら進んで退位し、鮮やかな退き際を見せますが、引退後の帝国は彼の思惑とはまったく異なる方向に進んでしまいます。四頭制のはずだったのが、あちこちに自称皇帝が乱立していつのまにか「六頭制」となってしまい、帝国はふたたび混乱に陥ります。これを鎮め帝国を統一するのが、キリスト教を公認し、「大帝」と呼ばれることになるコンスタンティヌスです。
彼が招聘した「ニケーア公会議」において、神とイエスは同位ではないとするアリウス派が異端とされ、「三位一体」が確定するのですが、人間の「救済」を象徴するキリストの復活と昇天を認めることにより、キリスト教ははじめて「世界宗教」となる礎をもつことになったという著者の指摘には、フンフンなるほどと頷かされました。「なぜなら人間は、真実への道を説かれただけでは心底から満足せず、それによる救済まで求める生きものだからである。」 そこでフト考えたのですが、だとするならば、他の世界三大宗教となっている仏教とイスラム教が、その理念のなかにもっている、世界宗教としての「力」とは何になるのだろうか。他の宗教が廃れていく中で、なぜこれらの宗教はいまだに世界中の人々のこころを捉えて放さないのでしょう?本書とは関係無いけれど、知りたくなりました。ところでニケーア公会議以前の段階において、キリスト教会は上記の教理解釈などを巡ってかなり分裂していたようで、ここでの決定が無かったら、キリスト教は果ての無い教理論争によって分裂を重ね疲弊して歴史から消えうせていった可能性が高い、という宗教学者の見解もあるそうです。
コンスタンティヌスはまた、自らの名前を付けた「コンスタンティノーブル」(現 イスタンブール)に帝国の都を遷都したことでも知られていますが、にも拘わらず、社会、経済、軍事などのあらゆる方面において、ローマ帝国の衰退は留まるところを知らず進行していきます。塩野は、ローマがそのもてる力を喪失していくありさまを、文化の側面でも「芸術」との関係で一例を紹介していますが、これは興味深いものがありました。建設期間の関係で、過去のあちこちのモニュメントから引き剥がしてきたパーツのいわば寄せ集めとして作られたローマのコンスタンティヌス帝の凱旋門。そこに新しく施された彫刻は、それと並んで外壁を飾る、過去の2世紀頃までの浮彫彫刻に比して、素人目にもその稚拙さが際立っているのです。ひとつの社会における芸術の水準は、国力に影響される -考えてみれば当たり前のことでありますが、鋭いシテキだ。
キリスト教徒に対する最後の大弾圧を強行したディオクレティアヌスに対して、彼の実質的な継承者であるコンスタンティヌスは、なぜ一転してキリスト教を公認し、最後には死の床で帰依までしたのでしょうか?著者は、コンスタンティヌスが自らの帝位を確固としたものにするため、キリスト教を支配の道具として利用したのだ、つまり、以前のローマ市民と元老院から委ねられた皇帝の地位から脱して、一神教である故に絶対神からの権力の行使の委託を受けた存在として不動の帝権を確立するという意図を強調し、そのプラグマティックな側面のみを指摘していますが、これだけではなんとなく納得がいきません。この推測はあくまでも著者の想像であり、具体的なその根拠も提示されていません。また死ぬ直前に洗礼を受けたというコンスタンティヌスの心理解剖は、塩野らしいシニカルな視点からのもので、読んでいてニヤリとさせられるのですが、しかし肝心の、キリスト教の何が彼の心を捉えたのかという点は語られていません。この彼の信仰心と、権力保持の道具としてのキリスト教の利用というマキアベリズムとの乖離も放置されたままです。もちろん言葉を残さず死んでしまったコンスタンティヌスの心中を推し量ることは不可能なことなので、この謎に答えることが出来るのは、歴史学者的視点からのアプローチではなく、小説家の創作しかないのかもしれません。でもそれ故にこそ、どうせなら塩野にはもう一歩踏み込んで想像の翼をはためかして欲しかった。3世紀前半、世界を支配するローマ帝国皇帝のこころを、当時の状況と社会環境のなかで、キリスト教の何があそこまで捉えたのでしょう?ぼくとしては、これは非常に好奇心がそそられる点なのです。この問題に対する塩野の視点は、状況に対するシニカルな解釈に留まっていて、いつもの思い入れと鋭い問題意識が感じられず、ちょっと物足りなさをおぼえました。ひょっとして、自らは信じる宗教を持たないみたいな著者の限界が現れてしまったのかも知れないと言ったら、言葉が過ぎるだろうか。

→緑龍館 Book of Days

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なぜローマ帝国はあれほど忌み嫌っていた一神教を選択したか

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:SnakeHole - この投稿者のレビュー一覧を見る

「四頭政」を創始しキリスト教を弾圧したディオクレティアヌスと,その政体を崩壊させて絶対君主となり,同時にキリスト教を公認して中世の扉を開いたコンスタンティヌスの時代。毎年一回このシリーズを読むと遠い昔の世界史の授業を思い出すな。そうでしたそうでしたローマ帝国でキリスト教が公認されたのは「ミラノ勅令」によってでした……。
そうは言うがオレが受けた授業では当時のローマ帝国のコトコマカな事情など全く説明されなかったから(日本の学校教育では当たり前?),1970年代のジャガイモ高校生としては「コンスタンティヌスという皇帝がいきなりキリスト教に帰依して帝国の方針を180度転換し,ついでに首都をコンスタンティノープルに持って行った」てな印象しか残っていなかった。
が,やっぱり全然違うんですね。つか,洋の東西を問わず帝国のトップに立つようなヒトはそんなに単純ではないのであった(あ,たった今,頭の中に現存する例外の顔が浮かんだヒト,私も浮かびましたがとりあえず忘れましょう)。コンスタンティヌスがキリスト教を優遇したのは彼が実現しようとした絶対君主制にとってローマ・オリジンの多神教より一神教であるキリスト教の方が便利だったからだったのだ。
構造的にはこれ,国策として仏教を保護し,政治をホトケの教えで権威づけようとした飛鳥王権(聖徳太子と書いてもいいんだけど,オレはこのヒトの実在を疑う説の支持者なのだ)の同じテグチなわけなのだ。手塚治虫「火の鳥・鳳凰編」および「火の鳥・太陽編」参照,というトコロですな。コレはオレの個人的な飛躍だけど,安土時代に信長がキリスト教に肩入れしたのもこのコンスタンティヌス的思惑によるものだったかも知れぬ。彼も絶対君主を指向していたのでは?

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すべてのインフラはローマに通ず

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みっちー - この投稿者のレビュー一覧を見る

インフラストラクチャーを「人間が人間らしい生活を送るためには必要な大事業」と考えていたローマ人。この巻ではローマのインフラから、ハード面では「街道」と「水道」を、ソフト面では「医療」と「教育」をとりあげる。「すべての道はローマに通ず」が単に街道だけでなく、あらゆるインフラに、そしてローマ人の精神に見て取れる様を筆述する。

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