サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

最大50%OFFクーポン(~8/27)

修正:新規会員30%OFFクーポン(~7/31)

電子書籍

無思想の発見 みんなのレビュー

  • 養老孟司 (著)
予約購入について
  • 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
  • ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
  • ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
  • 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。

みんなのレビュー5件

みんなの評価4.4

評価内訳

  • 星 5 (2件)
  • 星 4 (3件)
  • 星 3 (0件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)
5 件中 1 件~ 5 件を表示

紙の本無思想の発見

2006/01/30 19:16

その態度こそが。

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

この新書は「はじめから、自分で書いた文章」と養老さん。
(ご自身が「超バカの壁」あとがきで書いておりました)
それじゃ、ちょっとした目印索引でもつけましょう。
と思ったわけです。
加藤典洋著「日本の無思想」(平凡社新書)
「阿部一族」・シロタ女史(ベアテ・シロタ)
沖永良部島・東京都目黒区・福島県伊達町の諏訪野
ジョン・ロック「人間知性論」
養老孟司著「日本人の身体観の歴史」(法蔵館)
東大の経済学部長をやった岩井克人先生
岩村暢子著「変わる家族 変わる食卓ーー真実に破壊されるマーケティング常識」(勁草書房)
養老孟司「人間科学」(筑摩書房)
昭和30年、大宅壮一の「無思想人宣言」、という「中央公論」に載せられた文章ではないかと思う。
東大法学部の大先生だった丸山真男は、「日本の思想」(岩波書店)という著書のなかで、「日本に思想はない」と書いた。じつは私は、この本の中身について、これしか覚えていないのである。
戦後を代表する思想家の一人、山本七平は、日本の中心には「真空がある」といった。
北多暁大著「ワラう日本の『ナショナリズム』」(NHKブックス)
※ワラう=漢字です。左が口・右の㊤が山で、中に横棒、㊦が虫
「2ちゃんねる公式ガイドマガジン」vol.3
菊地絵美著「人間の中へーー中東」(文芸社)
阿満利麿著「日本人はなぜ無宗教なのか」(ちくま新書)
和辻哲郎著「風土」(岩波書店)
「ソクラテスの弁明」
「レンタルの思想」(松井孝典)
三島由紀夫も大塩平八郎も思想的に行動した人たちだが、早い話がテロになった。
三島や大塩が「思想がある」という主張をしたことは、なにも彼らの専売ではない。日本自体がその種の主張をしたのが、神風特別攻撃隊であろう。敵国に対して、日本にも思想があることを、示そうとしたのである。
「司馬遼太郎が考えたこと 5 」(新潮文庫)
「異常な三島事件に接して」
ゼロの発見
法学の佐々木毅先生
マーク・R・マリンズ著「メード・イン・ジャパンのキリスト教」トランスビュー
中島岳志著「中村屋のボース」(白水社)
司馬遼太郎の日本論は、「この国のかたち」(文春文庫)
「バカの壁」(新潮新書)
「唯脳論」(青土社・ちくま学芸文庫)
仏教関係者ではない人のものとして、柳澤桂子著「生きて死ぬ智慧」(小学館)が近年の好著であろう。
ある雑誌の鼎談で、作家の阿川弘之と、半藤一利氏にお目にかかる機会があった。
村上春樹著「アンダーグランド」(講談社)
長尾五一著「戦争と栄養」(西田書店)
小松真一著「虜人日記」(ちくま学芸文庫)の内容を、山本七平が論じた「日本はなぜ敗れるのか 敗因21ヵ条」(角川書店)という本がある。
大岡昇平氏の作品のなかに、
「運のつき」(マガジンハウス)
「心の発生と進化ーーチンパンジー、赤ちゃん、ヒト」(鈴木光太郎訳、新曜社)
東京女子医大の岩田誠氏
以上の素材をどう織り込んで文章をつむぎだしているかは、
読んでのお楽しみ。
第七章の終りに真理が語られております。
「 真理は自分の『手に入ったり』、言葉で『これだ』と示すことができるようなものではない。それはひたすら『追い求めるもの』である。・・その態度こそが、真の『無思想という思想』なのかもしれないのである。」あります。
ところで、この「無思想の発見」の第一章の最後には、
「解説はすでにした。『皆さん、どうお考えですか』と、今度はこちらが訊く番であろう。」とある。
な〜んだ。それでは、発見は、それぞれが、この新書のなかに追い求めてください。と養老さんは言っているようです。
しゃしゃりでて、言葉で示すわけにもいきますまい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本無思想の発見

2006/09/14 15:35

思想におけるゼロの発見

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ゆうゆうおやじ - この投稿者のレビュー一覧を見る

おなじ著者の『バカの壁』はあまりのバカ売れに嫌気がさし、読む気が起こらなかった。しかし本書は、これまでに発表された本やテレビでの発言からみて、著者とは縁が薄いとおもわれる思想というものをターゲットにしており、わたしはそれに惹かれて手にとった。
日本には思想がないといわれるが本当にそうなのか。どのような意味でそういえるのか。その前提になるのは、意識は点に過ぎず、機能であり実体ではないという考えである。
個人が確立し、家族は最小の公的共同体であるヨーロッパと異なり、日本では家族が単位である。そして「本当の自分」なんてものはない。「後から自分ができてくる」。日本では、ジブンはIでもありyouでもあるように、霊魂不滅の思想に支えられたヨーロッパの「個人」と異なり、家族や世間によって「自分ができてくる」。「自分を創る」ためには「感覚の世界つまり、具体的な世界を身をもって知ることが大切」なのだ。
脳のはたらきはすべて思想だと考える著者の立場からいえば、日本においては世間ですら思想である。世間にはルールがあり、その基礎には決まった考え方があるのだから、それは思想(概念世界)にほかならない。思想のない社会はありえない。この意味で、現実としての世間と思想は対立するのではなく補完的関係にある。世間が大きく思想が小さい日本とくらべて、できの悪い社会に偉大な思想が生まれるという大胆なアイロニーには、思わずにんまりと溜飲をさげるひとも多いのではないだろうか。
「日本人はたいてい無宗教、無思想、無哲学だと主張する」。必要なら和魂洋才のようになにか思想を借りておけばよく、その借り物がとことん具合が悪くなったら取り替えれば済」んだのが、明治維新であり、戦後であった。つまり数字のゼロのように感覚と概念の世界とを補完しあう、支点としての無思想こそ日本人のとるべき道であり世界の諸問題を解決に向かわせる真に「科学的な態度」である。
著者にとっては、書かれなかった思想をあえて書くことが「思想としての歴史」である。ここで日本の無思想の元祖は仏教—般若心経—であることが述べられ、仏教思想は著者の説く「脳から見た世界」そのものだということが明かされる。日本仏教をとりあげる以上、仏教をどのように取り入れてきたのか、具体例を示すのが適切であろう。現実を重視する必要性を説く著者の立場からも、丸山真男などの評論家の主張について述べるよりもその歴史についての叙述もほしいところだ。まして無や般若について述べる以上、たとえば道元を取り上げないのは頷けない(「学般若」これ「虚空」なり、虚空は学般若なり。—『正法眼蔵』)が、それはともかく、色受想行識の五蘊は空であり、「意識と無意識を足してゼロになる」という説明は分かりやすい。
科学の「抽象」は「仮にみとめられている」のであって、不整合が発見されれば抽象は捨てられる。それと同様に社会や政治あらゆる思想においても現実と思想との整合性が追求されなければならない。「思想は言葉にされ、形に顕れないかぎり思想にならない」が、真理は固定すべきものではなく「追い求めるもの」。その態度こそが真の「無思想という思想」なのだ。
いっぽう、サヴァン症候群と自閉症について2箇所で触れている。身近にその対象者をもつわたしにとって、人類が「言語機能が欠ける人たちを徹底して排除してきた」歴史、概念化という現代人の習性をいまも「了解できない人」を排除している現状への指摘は身につまされる。かれらに「言語の能力が欠けている」のは、「感覚の世界、差異の世界に住むから」だろうという示唆はわたしの体験からもつよく共感できる指摘である。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本無思想の発見

2006/03/18 20:39

養老の壁

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:GTO - この投稿者のレビュー一覧を見る

この著者にしてはめずらしく、靖国神社参拝問題やアジア外交など、具体的な政治課題に多く言及していて興味深い。環境問題に関しては、同じ虫仲間の池田清彦とは意見を異にするようだ。

 日本には思想がないのではなく、無思想という思想がある。そして、その思想とは世間である。たったこれだけのことを書くのに、これほどページを使う必要はない。日本の思想が「無思想」という思想であることはその通りだろう。そして、ここで述べられていることの多くは、すでに他の人によっても語られてきたことである。著者も他の日本の著名な科学者同様に、「色即是空 空即是色」に到達した宣言のように読める。

 『自分とは「創る」ものであり、「探すものではない。」』(p.54)に賛同するが、『バカの壁』あたりから同じことの繰り返しでくどい。これ程くどくどと書くのは、自分の意見が理解されていないという心配があるのかもしれないが、養老先生、心配無用です。あなたの本がこれほどベストセラーになっているのだから、いまや先生が世間なのです。

 相変わらず、「文科系の人は脳を尊重していない」(p.78)とか「理系はニヒルだ、冷たいといわれることがあるが、その点では文科系は無知で独断的なのである。」(p.181)というような文系理系の二元論で語ってしまうのは、養老の抱えている壁のように思う。『「そりゃ極限状態の話だろうが」と文科系の人はいうだろうが』(p.178)というが、文科系だろうが理科系だろうが、言う人もいれば言わない人もいるはず。文科系か理科系かの問題じゃないでしょう。

 『「同じ」と「違う」は補完的』や『「と思っている」と思っている』(p.42)あたりで語られていることは、ソシュールの言語学や共同幻想論であり、文科系の思想ではないのか。和辻も丸山もまた文科系の巨匠たちであるのに、文科系を軽く見たり、敵視したりするのはなぜだろう。だれか個人的に嫌な奴がいたに違いない。でも、文科系の人間全員を一括りに語るのは、先生の忌避する原理主義的発言ではないでしょうか。ここが、養老先生の壁のような気がする。ソシュール、チョムスキー、それに鷲田清一や内田樹の本をお薦めしたい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本無思想の発見

2006/01/17 21:56

早すぎる遺言

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 思想のない社会はない。歴史のない社会はないといっても同じことだ。歴史とは思想だからである。著者はそう語る。同時に、西欧の有思想に対する日本の無思想を論じる。これって言葉遣いがおかしいんじゃないの? 思想=歴史をもたない日本に「社会」はない?
 そうではない。日本には「世間」という社会がある。「世間」という思想がある。西欧社会は「思想は現実に関係する」あるいは「言葉で表現されない思想は思想ではない」という思想の上に成り立つが、日本の社会は「思想は現実=世間とは無関係である」という思想、つまり言葉で「これだ」と示すことのできない「無思想という思想」でできている。
 オレは近いうちにこの社会(世間)からいなくなる。どういうわけか、日本のことが心配で仕方がない。だからこの本を書いた。云っても判らないかもしれないが、これだけは云っておく。後は自分で考えてくれ。
──以上が、夥しい著書群のなかで、養老孟司が本書に書き込んだ「思想」のエッセンスとそれにかけた思いである。いわば早すぎる遺言。

 木の心は木に訊け。松のことは松に習え、竹のことは竹に習え。養老孟司の「思想」は、宮大工や俳諧師の教えに帰着する。それを一言で表現すれば「手入れの思想」ということになる。「意識ですべてはコントロールできない、できるのは手入れすることだけである」(『スルメを見てイカがわかるか!』)。本書で次のように書かれているのは、手入れの思想(無思想という思想)の応用である。
《中国に対して、なにをするか。靖国参拝の是非なんか議論したって、そんなものは空である。それをめぐって喧嘩したところで、人類の未来に裨益するところは、なにもない。私が思いつくことは一つしかない。北京政府がなにをいおうと、ひたすら中国に木を植える。(略)中国から黄砂が飛んでくるなら、日本は緑をお返しすればいい。無思想であるなら、有思想に対して、感覚世界で対応するしかないはずである。木は思想ではない。》
 手入れの思想のもう一つの応用が「自分で考えろ」ということである。それを言い換えれば「自分で自分を変えればいい」になる。あるいは、身体に訊け。考えているのは「意識」ではない。意識とは「変わらない私」のことであって、そんなものは実体としては点でしかない。
《「私は私、個性のあるこの私」「本当の自分」を声高にいうのは、要するに「実体としての自分に確信がない」だけのことである。「本当の自分」が本当にあると思っていれば、いくら自分を変えたって、なんの心配もない。だって、どうやっても「変えようがない」のが、本当の自分なんだから。それを支えているのは、なにか。身体である。自分の身体はどう変えたって自分で、それ以外に自分なんてありゃしないのである。もう意識の話は繰り返さない。ここまでいっても「意識こそが自分だ」と思うなら、そう思えばいい。ほとんどの人はそう思っているんだから。それでなんだか具合が悪いとブツブツ文句をいわれても、私の知ったことではない。勝手にそう思ってりゃ、いいのである。》
 養老孟司は大宅壮一、司馬遼太郎、山本七平といった、本書にもその名が出てくる「無思想」の思想家の系譜に属している。憂国者の系譜といってもいい。人は保守思想と呼ぶかもしれない。反動と呼ぶ人もあるだろう。そんなラベルはどうでもいい。守るべきものは「変わらない日本」ではないからである。動かすことが変わることではないからである。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本無思想の発見

2006/05/03 21:38

「自己」からの解放!

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:そら - この投稿者のレビュー一覧を見る

確固たる自己などというものは幻想に過ぎないから、さっさと裃を脱いで、現実に臨んでは臨機応変に対処するがよい。
無宗教、無思想とは言っても、生れ落ちてからひとつの文化圏で育ち、渡世してゆくならば、文化と世間が、思想らしきものを一個の人間に植えつけることだろう。
著者は、哲学や思想という抽象的なものは現実生活とは関係がない、という主張に対して、ならば現実というのは思想や哲学から切り離されたものなのか、と問うている。
新聞の世論調査では、日本人の70%以上が自分は無宗教であると答えているという。
宗教も哲学・思想のうちに含めるならば、それらすべては世間で通用している不文律の基盤を成しているはずだ。日本人も宗教とは無縁であり得ない。
「哲学なんか(私には)関係ない」という態度も実は一つの哲学だろう、と著者は推測している。
一方、「自分探し」「自分らしさ」「本当の自分」とは何ほどのものなのか、とも問題提起される。
あまりに個性的で異質であれば、世間からは金輪際「個性的な人だ」という賛辞は得られまい。何故ならば人間は、本当に異質ななものは理解できないからである。個性的というのはせいぜいお互いに了解できる範囲のことだ。
現世人類の社会が成立した時、最も強い淘汰圧は言語使用ではなかったか、と著者は推測している。コミュニケートできぬ個体を人類は徹底的に排除してきたはずだと。
ここでは言語発生の起源について、人類の祖先に厳しい現実がつきつけられただろう、という想像とともに、すぐさま、アウシュビッツ体験者の深刻なエピソードを思い出させられた。
つまり、過酷な絶滅収容所の中で、最も早く死んだのはドイツ語を理解できなかい人たちだったということを。
ここでまた一つ思い出したのは、同時並行で読んでいた茂木健一郎著「クオリア降臨」の中の一節だ。おそらく自己意識を持っていながら言語を持たないるチンパンジーは慢性的な統合失調症状態にあるという説を紹介している。チンパンジーによる子殺し等の異常行動がこれで説明されるそうだ。
人類の祖先が、言語を獲得することによって、危うく逃れた破局について想像をめぐらせてみればこれはもうSFの世界だ。
再び「無思想の発見」にもどると、知的障害があって施設に入っている人のなかに、「サヴァン症候群」が見られるという。脳の機能全般が悪いわけではなく、よくないのは言語機能に限られ、それも言語を使う動機づけを失っていることが多いそうだ。
コミュニケートしようという深い欲望、或はコミュニーケートしなければという切迫感が失われた人間というものを思い描いてみよう。これは私たちの自画像ではないだろうか。
生身の人間との交感の失われつつある今日、自意識の渇望をインターネットのデジタル信号が癒している?
言語以前の感覚への覚醒を促し、「自己」からの解放を問いて、解剖学者だった人の本はひとつの癒しであろう。
「自己」の死など、なるほど毎日訪れる意識の中断である睡眠のそれが、ただ永遠に続くだけのことだ。
言語はすでに「癒し」であるが、くれぐれも暴走させないようにしたいものだ。
三島由紀夫の評価について、「無思想・・・」の著者と「クオリア・・・」の著者が、同じことを、違った立場でそれぞれのレトリックと論法で語っているのが面白い。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

5 件中 1 件~ 5 件を表示
×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。