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みんなのレビュー3件

みんなの評価3.9

評価内訳

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3 件中 1 件~ 3 件を表示

大衆教育論の古典はきちんと読みましょう。

9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 私は以前BK1の或る書評(『〈狐〉が選んだ入門書』)で、書評とは書物をダシに使っておのれを語るものではないかと述べたことがある。その考えには今も変わりがないが、ただし一つだけ大前提がある。書評を書く際には、対象となる書物の内容を正しく読みとった上でなければならないということだ。間違った読解をもとにした書評とは、おのれを語るどころか、おのれの無学力を語るものでしかないからである。
 さて、苅谷剛彦の『大衆教育社会のゆくえ』であるが、いまや大衆社会の教育論として古典扱いされることも多い本書は、それだけに逆に誤読される場合もあるらしい。
 結論から書いてしまうと、昔の日本には教育上の平等があったのに最近は格差社会になってケシカラン、などということは本書ではいささかも主張されていない。むしろその逆である。
 まず、戦前の日本がヨーロッパ型の階級社会に近かったことは本書執筆の大前提となっている。そもそも教育学者である苅谷氏がその程度のことを知らないはずがないのであって、だからこそ本書は戦後の教育を主たる考察の対象にしているのだ。ただし日本はヨーロッパほど階級がはっきりしていないから、明治から敗戦までの期間にも中等教育進学熱がそれなりに高まったことは指摘されている。つまり、実際に平等が実現されたかどうかは別にして、平等志向は明治維新以降の日本には(ヨーロッパよりは)それなりに存在したということだ。が、繰り返すが、平等志向があるということと、平等社会であるということとは違うのである。この違いを読みとれない人は本書を読む資格がないと言えよう。
 次である。では本書は戦後日本では平等社会が実現したのに最近になって格差社会になったと主張しているだろうか? 全然していない。それどころか第2章を読めば、戦後しばらくは貧困家庭の子供の学力が大問題だったと指摘されている。つまり貧しい家の子供は裕福な家の子供より勉学に不利だと、戦後しばらくは広く認識されていたということだ。そして70年代以降、日本が経済大国となっていくにつれてそうした問題意識は消えていったのである。
 では、70年代以降には平等社会が実現したのに最近は格差が広がったと本書は主張しているだろうか? これまた全然していない。第3章では東大生の親の職業が統計的に示されている。それによれば、71年から90年まで、東大生の親の職業は一貫して医師・弁護士・大学教授・大企業官公庁管理職・中小企業経営者で多くが占められているのであって、見事なほどに変化がないのである。つまり日本は教育によるエリート生産については昔も今も階層的だと著者は述べているわけだ。念のため、本書の初版は95年に出ているから、2000年代のことには当然ながら言及していない。(つまり、最近の格差社会論議にからめて本書を取り上げる人は、根本的に時代的センスを欠いているのである。)
 本書の副題をよく見よう。「学歴主義と平等神話の戦後史」である。戦前はともかく、戦後は民主主義が基本だから誰でも能力さえあれば高学歴を獲得して出世できる平等社会だというタテマエが漠然と信じられていた。本書は、それは神話=思いこみだと言っているのだ。実際には戦後の日本でも出身階層による教育資本の差が相当に大きかったことを本書は明らかにしたのである。
 この本では日本の教育がかつては平等だったと主張されているなどと言う人は、180度間違えて読んだわけである。どうすればそんな誤読ができるのだろうか。世の中には色々な人がいるものだと認識を新たにした次第である。

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日本は昔からずっと「格差社会」ですよ

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る

苅谷の議論の進め方のキーワードは「データに基づいた議論をしましょう」だ。それはそれで異論はない。昨今、一部の偏向した教育関係者の猛反対をあざ笑うかのようにして全国で実施した「学力テスト」についても、苅谷は推進論者の一人である。しかし、最後まで読んで見ると分かるが、苅谷の主張は、要するに「日本には、かつて階層の無い社会があった。そこでは純粋にやる気の能力のある青少年が、両親の職業や、その出自にかかわらず上級学校に進学でき、苅谷のように東京大学に入学することが出来て、学歴社会の頂点に立つことが出来た。こういうほぼ完全なるメリトクラシーこそが日本社会の活力の源泉だったのに、その大切なシステムが今崩れようとしている。いうまでもない。格差社会の進行である。日本が格差社会になり、親の所得や親の職業が子供の将来に重大な影響を及ぼすようになると、日本社会は事実上の階級社会となり、社会が停滞し、活力が失われる。なんとかしなければならない」「親の所得ばかりでない。子供の将来に、もっと重大な影響力を及ぼすのは、家庭間に存在する『文化力格差』である。この家庭の文化力格差で子供の将来が決定されてしまうのも頂けない。政府が、社会がこれを何とかしなければならない」というものなのである。苅谷の議論が決定的に間違っているのは、まず日本に「親の所得や職業に関係ない平等社会が存在したが、それが今崩れている」という前提である。竹内洋の一連の著作が示しているように、あるいは中野孝次『苦い夏』に代表される彼の「青春のヒガミ小説シリーズ」に良く書かれているように、戦前の日本は完全なる階級社会であり、旧制高等学校に進学できたのは社会の「上層階級」あるいは都市の高級官僚・高給サラリーマンの子弟たちであって、要するに「高等教育」とは「金持ちが金持ちであり続け、社会の支配階層がその子弟も支配階層の一員であり続ける為の教育」を施すものという意味では、西欧とさして変わらなかったのである(ただ日本には数百年に渡る伝統を持つブルジョア階層は未形成で、いわゆるブルジョア文化が西欧ほどには庶民の文化と隔絶するには至っていなかったようなのではあるが)。昔も今も格差は日本社会に厳然と存在し、「かえるの子はかえる」ではあったのである。格差格差と大仰に叫ぶ連中は、視野狭窄で日本社会を広く見る目を持たない連中ではないかと私は疑い始めている(だって、俺の周りはみんな貧乏学生ばかりだった、みたいな)。

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受験の成功は「生まれ変わり」の機会

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:BCKT - この投稿者のレビュー一覧を見る

著者は1955年(東京)生まれ。学部大学不明,東大大学院(教育学部)で修士号,ノースウェスタン大学でPh.D(社会学)。ノースウェスタン大で客員講師,放送教育開発センターを経て,東大勤務(教授)。主著『階層化日本と教育危機』(有信堂高文社)のほか,『教育改革の幻想』(ちくま新書,02年)など。

趣旨は,原則上矛盾しそうに見える「学歴主義と平等神話」(本書副題)が並存している背景は何か?を探ったもの。

興味深かったのは,文部科学省さまが「中高六年一貫校が偏差値上位主要大学を席巻しており,放置すれば上位偏差値階級が自己再生産する」などというコメントを発していたことに対して(第十四次中央教育審議会学校制度小教育委員会『審議経過報告』(91年,俗称「中間報告」)。実際,約二十年の間に,合格者数で見れば,26%(75年)から50%(93年)へとほぼ倍増しているし,学校数で見れば,同時期で45%から77%へと過半数を占めるようになった(63頁)),家族の学歴や職層で分析した結果,苅谷は東大を例に挙げて,「医師,弁護士,大学教授,管理職,中小企業経営者」の子供が,普通の三年制高校から一貫校へと進学先を替えているに過ぎないことを指摘している(65頁)。ってことは,一貫校って報道されているほどの効果をあんまり発揮していないということになる…。

つぎに興味深かったのは,日本に導入された中学校は,「普通科」と「職業科」に分けていない義務教育制度だったという点で,合衆国を除いて欧州に二十年ほど先行した制度だったという点(84頁)。

三つ目は,「日本ほど学歴について書かれた文章の多い社会はめずらしい」らしいこと(108頁)。「貧困と教育」という問題が高度成長後に無視できるほど小さなものになった日本に対して,日本以外では,「人種と教育」「階級と教育」という問題は日本ほど大々的には取り上げられていないのね。

著者も言っている通り,受験の成功は,「職種」「所得層」からの「生まれ変わり」の機会であり,シンガポールとか韓国と同様,日本のような人材以外にこれといって資源のない国には,教育以外に国家存亡を委ねられる手段がない。日本の受験生はほかのアジア諸国に比べて恵まれ(過ぎて)ている。

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