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漱石人生論集 みんなのレビュー

  • 夏目漱石 (著)
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紙の本漱石人生論集

2009/01/21 04:43

「愚見数則」という7ページほどの漱石の文。

6人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:和田浦海岸 - この投稿者のレビュー一覧を見る

すべては読みませんが、私に驚きだったのは、夏目漱石の「愚見数則」。
明治28年の愛媛県尋常中学校『保恵会雑誌』に載ったものだそうです。
この文は、講談社学芸文庫の「漱石人生論集」の最初に載せてありました。
この文庫は、解説が出久根達郎。文庫の年譜を見ると、
「愚見数則」は漱石29歳の時のもの。
年譜を省略してたどると、
明治26年7月帝国大学文科大学を卒業し帝国大学大学院に入学する。
10月高等師範学校英語嘱託になる。
明治27年。この年、神経衰弱の症状が著しい。
明治28年。一月頃、『ジャパン・メール』の記者に応募、不採用になる。
三月、高等師範学校を辞して、四月、愛媛県尋常中学校の教員として赴任。
この年、日清戦争の従軍から帰った子規が漱石の下宿に同宿、子規を中心として、松山の俳人たちとの交遊が盛んとなる。
この「愚見数則」には、きちんと前口上がついておりました。
それを引用しないと雰囲気が伝わらない。まずはそれを引用しましょう。

「理事来って何か論説を書けと云う、余この頃脳中払底、諸子に示すべき事なし。しかし是非に書けとならば仕方なし、何か書くべし。但し御世辞は嫌ひなり、・・・
思ひ出す事をそのまま書き連ぬる故、箇条書の如くにて少しも面白かるまじ。但し文章は飴細工の如きものなり。延ばせばいくらでも延る、その代りに正味は減るものと知るべし。」

本文は途中から引用します。

「 ・・・己れの非を謝するの勇気はこれを遂げんとするの勇気に百倍す。
孤疑する勿(なか)れ。
躊躇する勿れ。
驀地に進め。
一度び卑怯未練の癖をつければ容易に去りがたし。
墨を磨して一方に偏する時は、なかなか平にならぬものなり。
物は最初が肝要と心得よ。
善人ばかりと思ふ勿れ。腹の立つ事多し。
悪人のみと定むる勿れ。心安き事なし。
・・・・・・
小智を用る勿れ。
権謀を逞ふする勿れ。
二点の間の最捷径は直線と知れ。
・・・・
馬鹿は百人寄つても馬鹿なり。
味方が大勢なる故、己れの方が智慧ありと思ふは、了見違ひなり。
牛は牛伴れ、馬は馬連れと申す。
味方の多きは、時としてその馬鹿なるを証明しつつあることあり。
これほど片腹痛きことなし。
・・・・・
損徳と善悪とを混ずる勿れ。
軽薄と淡泊を混ずる勿れ。
真率と浮跳とを混ずる勿れ。
温厚と怯懦とを混ずる勿れ。
磊落と粗暴とを混ずる勿れ。
機に臨み変に応じて、種々の性質を見はせ。
一あつてニなき者は、上資にあらず。
・・・・・・
命に安んずるものは君子なり。
命を覆すものは豪傑なり。
命を怨む者は婦女なり。
命を免れんとするものは小人なり。
理想を高くせよ。敢て野心を大ならしめよとはいはず。
理想なきものの言語動作を見よ、醜陋の極なり。
理想低き者の挙止容儀を観よ、美なる所なし。
理想は見識より出づ、見識は学問より生ず。
学問をして人間が上等にならぬ位なら、初から無学でゐる方がよし。
欺いて悪事をなす勿れ。その愚を示す。
喰わされて不善を行ふ勿れ。それ陋を証す。
黙々たるが故に、訥弁と思う勿れ。
拱手するが故に、両腕なしと思ふ勿れ。
笑ふが故に、癇癪なしと思ふ勿れ。
名聞に頓着せざるが故に、聾と思ふ勿れ。
食を択ばざるが故に、口なしと思ふ勿れ。
怒るが故に、忍耐なしと思ふ勿れ。
・・・・・・                   」

え~と、リズミカルな箇所を引用してみました。
ここから、話題をかえてみます。

鶴見俊輔著「悼詞」(SURE)。
鶴見和子著「女学生」(はる書房)。
この二冊。姉弟の二人の本なのですが、
「悼詞」には、姉・鶴見和子への追悼文が載っており。
「女学生」には、弟・俊輔を語った文が載っております。
「女学生」に載った文。
そこからの、引用。姉が弟を語っている中に留学の際の様子がでてきます。
その、すこし前から

「母はサムライ気質で、長男は立派に育てあげなければ、『ご先祖さまに申訳がない』という強烈な責任感を持っていた。立派に、というのは、決して、立身出世を願ったのではない。『正しい人になる』ということであった。ひとのお世話になったり、ひとに迷惑をかけたりせず、自分で自分の始末のできる人になるように、という、まことにつつましい、しかし最もきびしい価値基準をもって、弟の日常茶飯の小さな行いにいたるまで苛酷に糾弾した。・・・・わたしが、弟と喧嘩するゆとりが全くないほどに、母は弟を攻めたてた。・・・・1942年12月7日、日米開戦の日、俊輔はハーヴァード大学に学び、わたしはコロンビア大学で勉強していた。ボストンでFBIに拘束され、訊問に答えて、クロポトキンの倫理哲学を滔々としゃべったために『アナキスト』というレッテルをはられて、留置場に入れられた。ニューヨークのわたしは、一週間の外出禁止があっただけで、FBIの訪問はうけなかった。そこで、わたしは、俊輔の荷物を整理するために、かれの下宿にいって驚いた。屋根裏部屋の一室には、天井と壁一面に、張紙がしてあった。はっきり覚えていないのだが、すべて、自己に対する戒律のことばが書かれていたのである。その時すでに病気になっていたらしく、毎日、大瓶の牛乳をのんで、必死の勉強をしていたことがわかる。張紙の戒律は、母の訓戒の内面化であったかもしれない。」

夏目漱石の「愚見数則」の中の「勿れ」から、
鶴見俊輔の「張紙の戒律」を思い浮かべたのでした。
それにしても、「天井と壁一面」の張紙には、どのような言葉が書かれていたのでしょう。

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