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電子書籍

青春の門 みんなのレビュー

  • 五木寛之 (著)
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みんなのレビュー5件

みんなの評価4.5

評価内訳

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紙の本青春の門 第7部 挑戦篇

2011/05/26 00:30

あの頃読んで胸を熱くした思いが次第に次第に甦ってくる。

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yama-a - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ともかく何年ぶりだろう。第1部<筑豊篇>の連載が始まったのが1969年らしいが、僕らはそれがまず単行本で出て、それから文庫本になって初めて読み、次の編が文庫本になったらまた買い、というのを繰り返していた。<筑豊篇><自立篇><放浪篇>の3部を読んだのが多分1970年代の半ば、そのあと<堕落篇><望郷篇>と続き、最後の<再起篇>を読んだのは恐らく30年近く前だろうと思う。
 だから、今さら、と言うか、漸くこの第7部が文庫で発売されているのを見つけて小躍りしながら買ったものの、実はもうほとんど憶えていないのである。信介は一体今どこにいたのか、織江はどこで何をしていたのか、そして他にはどんな登場人物がいたのか、ほとんど思い出せない。
 それが不思議なことに、読み始めると次第に次第に甦ってくるのである。ストーリーや設定だけではなく、中高大を通じて読みふけったあの頃の感動も併せて。そう、それは五木寛之の書き方による部分も大きい。まるで前の篇の読者がすでにいろんなことを忘れているのを見越しているかのように、かなり親切に振り返っての記述があるのである。
 しかし、それにしても今読んでみて、こんなにも説明的な文体だったのかと驚いた。今初めてこの小説を読んだのであれば、僕は決して高く評価しなかったのではないかと思う。
 こんなことがあった。信介はこう思った。あんなことになった。信介はこう考えた。そういう淡々とした繰り返しの構成である。他の人物の内面は語られない。そして、心理描写も風景描写もばっさりと省かれている。それがスピード感に繋がっているのは確かだが、文学としてはちょっと物足りない感じも正直否めない。だが、それにも関わらず読者がこれほど惹きつけられ引きずり回される小説は他にはないだろう。それはひとえに五木寛之のストーリー・テラーとしての非凡さに所以するものだと思う。
 それまでの普通の小説だったら、主人公の少年が故郷を後にするときには「必ず帰ってくるぞ」と誓うものなのだが、この小説では信介は「もうここには二度と戻らない」と誓って福岡を後にする──そんなことが確か、筑豊篇の巻末の解説に書いてあって、僕らは信介のそういう生き方にしびれたのである。
 しかし、信介という人間はそれほどふっきれているわけでもなく、きっぱりと故郷を捨てたわけでもない。心の中では何度も何度も故郷のボタ山を思い出し、父・重蔵と母・タエの面影を抱き、幼少のころからずっと想い合って生きてきた織江とはくっついたり別れたりを繰り返しながら、でも、決してその愛は途絶えない。
 信介自身の生き方も、何かきっぱりと心に誓ったことに従って突き抜けるのではなく、いつまでたっても自分が何をしたいのかを探す旅である。だから、ものすごく周囲に流される。しかし、それだけ流されて翻弄されながらちっとも凹まない強さがあり、そこからともかく何かを学ぼうとするしたたかさがある。別れ道では必ず未知の行先を平然と選ぶたくましさと度胸がある。僕らはひょっとしたら信介より目的意識はちゃんとあるかもしれない。しかし、こういうしたたかさと度胸には遠く及ばない。だから、内心こいつは一体いつまでこんな風に生きて行くんだろうと呆れながら、しかし、目が離せず、結局この大河シリーズにずるずると引きずり回されることになる。読んでいると、緒方が出てきて、トミちゃんが出てきて、丸玉のおやじが出てきて、西沢記者が出てきて、カオルさんまで出てきて、あの頃読んで胸を熱くした思いが次第に次第に甦ってくるのである。
 そしてまた信介は北方領土からシベリアに渡ろうとするところで<挑戦篇>は終わる。この後どうなるのかすごく気になる。しかし、ひょっとするとこれが僕らが読める最後の『青春の門』なのかもしれない。だが、それも仕方がないような気もする。だって、信介の旅は終わらないのである。
 僕はこの大著を、今の若い人にこそ読んでほしいと思う。いつまでも自分探しにうつつを抜かしてばかりで何も決めようとしないという悪評芬々たる世代に。
 信介の生き方は彼らと似ているようであって似ていない。僕らの世代と似ているようでもあって、やっぱりどこかが決定的に違う。これは誰もがそういう風に感じられる小説である。そして、どこが同じでどこが違うのか、それを探るために、きっと読むのを止められないシリーズなのである。
 もし時間があればもう一度<筑豊篇>上から読み直してみたい気になった。

by yama-a 賢い言葉のWeb

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「歴史とかかわる実感」は逃げ水なのか

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ナンダ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 演劇に失敗した主人公・信介は、札幌で織江と同棲する。だが、愛する人とのぬるま湯のような日々のなかに、人生を賭けるべきものが見つからない。織江とわかれて東京にでる。
 アルバイトも順調で、授業にもでられる。でもなにかが足りない。自分という存在が歴史の流れとかかわっていない、という無力感だ。学生運動にかかわり、生き甲斐を得たと思い、一時は没入しながらも、内ゲバや査問といった裏面をみて離れていく。
 あとは堕落の一途。
「人生を賭けるもの」「歴史とかかわっているという実感」は、私自身も獲得できたと思った瞬間もあったけど、いつのまにか逃げ水のように逃げてしまったような……
「歌謡曲のような日本的封建社会の遺物が農民たちの精神を毒していた。だからこそ、学生たちの文化工作活動が農村青年たちの熱い共感を呼んだんじゃないか」
「港の暴力団に支配されている人々は、学生の働きかけに応じようとはしなかった。疑い深い目でみつめ、石のように黙り込み、背を向けてビラを踏んで離れていった」……
 当時の学生の浅薄さよ。だが、それを信じて自らの人生を賭けられるのはうらやましい。マルクス主義という「展望」があるからあれだけ多くの学生が未来を夢見て人生を賭けられたのだろう。
 そこで魯迅の問いが思い浮かぶ。「展望がなければたたかわないのか?」と。現代はまさに、展望がないからこそたたかいつづけなければならない時代だ。だが、どんな方法で、どういう方向に?
 むしろ徹底的に堕落したほうが、ナニカが見えてくるのかもしれない。

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学生はコドモかオトナか 本分は「学び」なのか

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ナンダ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ベートーベンやモーツアルトの古典に心からの感動をおぼえない、生きていくのに不可欠なものと思えない。むしろ美空ひばりを聞きたい--そんな自分に主人公・信介は劣等感をかんじる。
 私もそんな劣等感をいだいたことを思いだす。今でもクラシックを聴いて「指揮者は……」と語る人はすごいと思う。フォークや民衆音楽を聴いて涙は流すけど、クラシックを聴いてもそこまで心がうごかないもんなあ。
 函館で主人公たちの劇団の一行は、港湾労働者を組織し、暴力支配から立ち上がらせようと働きかける。だが、「労働者」は立ち上がらない。けっきょく学生は、その土地に根をはる人間ではなく、旅人でしかないのだ。
 この時代は、青臭い学生の理想論がまだ理解される面があった。だから、顰蹙をかいながらも、はねあがって行動する余地があった。私が学生のころは、社会問題にかかわる人間でも、「自分たちはアマちゃんの学生にすぎない」という劣等感が先にたち、オトナの労働組合のヒトたちと対等には話せなかった。今は……学生は自他共に子供あつかいされて保護の対象になっている、ような気がする。
 貧乏な暮らしがつづき、「ただ生きるために働いただけなら、筑豊を出る必要はなかったのではないか」と信介は迷う。講義にもでず、中途半端な社会運動にかかわるだけで何のための大学時代なのか。私も、ろくすっぽ講義にでなかった。信介と同じように迷った。もうちょっとまじめに勉強をするべきだったかなあという後悔もある。でも逆に、まじめに勉強ばかりしていたら、もっと後悔したろうな、とも思う。
 小説中ででてくる啄木の句
「非凡なる人のごとくふるまへる 後のさびしさは 何にかたぐへむ」
 今読んでも、残酷なほど的確で、ほろ苦い。

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青春の生と性の彷徨とダイナミズム

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ナンダ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 早稲田とおぼしき大学に進学した主人公・信介が、一生を賭けられるナニカをもとめて放浪し、女を愛してはわかれる。
 愛する人が2人3人とできてしまい、九州から追っかけてきた幼なじみの織江をうとましく感じてしまう。かと思ったら、いとおしくてしかたなく思うときもある。そんな自分のいいかげんさになやむ。
 そんなころは自分にも確かにあった。この子も、あっちの子もいい。今つきあってる子は重荷にかんじるんだけど、別れるとなると急にいとおしく思える。もう少し、なにかがかわってくれたらもっと愛せるのに--とか、つい期待してしまう。でも実は、重荷に感じてしまう時点ですでに愛は冷めかけている。そのことに気付くのにどれだけ時間がかかったことか。
 信介が20歳前に感じたことは、だれもが体験したか、これから体験する感覚なのだろう。
 当時の学生の青くさい社会意識も新鮮だ。演劇を通して革命を支援し、山村に入って人民を啓蒙する--。今考えると背筋がかゆくなるようなことを真剣に考え、かつ実行していた。「考える」だけなら、子供だなあ、で済んでしまうのだけど、それを実行して、劇団を率いて全国を公演して歩くダイナミズムは、私の世代にはもうなかった。
 いや、なかったろうか? 実は今でも、もっと小さなレベルかもしれないけど、似たようなダイナミズムを経験できる場があるのではないか。
 社会とのかかわりも、学問も、性の体験も、自分が体験してきたこと、やれるはずなのにやらなかったことを、もう一度見つめ直すべきではないのか……。そんなことを考えさせられた。

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青春の門 自立編

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:りょう - この投稿者のレビュー一覧を見る

伊吹信介!人生山あり 谷あり

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