エコノミストたちの歪んだ水晶玉 みんなのレビュー
- 野口旭 (著)
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2006/08/16 13:31
どうしてエコノミストたちは経済を正確に予測できないか
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かつき - この投稿者のレビュー一覧を見る
金融政策を中心としたデフレ脱却論者である著者による、ここ4〜5年間の政府・日銀の経済政策分析とそれに伴うエコノミストたちの経済論の検証。
著者自身が
「さまざまな経済問題に関して、メディアなどに流布されることで世間一般に幅広く信じられているような考え方について、その「おかしさ」を意地悪くねちねちと指摘することをライフワーク(?)にしてきた。」
と書いているように、構造改革主義者、親デフレ論派、清算主義をバシバシと斬ります。
「失われた15年」を経て回復基調に乗った日本経済ですが、その真の立役者はだれだったのか? その理由は?
それらを読むと、著者の唱えていた経済論が正しかったかのようですが、著者自身があらかじめ予測していたことも当たっていない。それも公平に取り上げ、「いい意味で裏切られ」、今の経済回復がある、とするのもすっきりしています。
過去の経済論、あるいは経済政策が検証されるのは、かなり時間がたってからのことが多いですが、このタイミングで本書が書かれていることにも意味があります。
ただ日銀の量的緩和、ゼロ金利政策解除は著者の唱える快復シナリオよりもずいぶん早い。「日銀の拙速性が日本経済を左右する」としているだけに、さらに本書で唱えた経済論もまたどこかで検証されるのでしょう。
2012/01/13 04:46
なぜ、多くのエコノミスト達は、平気でウソを言う?
2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ナオミ・クライン著「ショック・ドクトリン」に示されるように、日本では、バブル崩壊という経済的ショックに乗じるかのように、新自由主義的政策が続けられた。その結果が、失われた10年に続く“さらにますます失われた10年”として現在現れている。
一部の、いや大多数の経済学者やその他エコノミストたちは、ここぞとばかりに一斉に大きな流れに迎合し、危機を煽りたて、本来決してすべきではない経済政策を持ち出してくる。
ショックを受けた国民は、それらを無抵抗に受け入れるしか無く、日本経済はますます疲弊する。
権力に迎合することのない、真のエコノミストの苦言が、むしろ、耳に優しく染み渡る。
『現在の日本における財政危機とは、もっぱら長期における財政の持続可能性の問題であって、年々の赤字の大きさの問題でもなければ、これまでに累積した債務の大きさの問題でもない。政府財政は本来、特定の期間内に均衡する必要性はまったくない・・・政府財政の問題とは、政府が持つ債務残高の大きさそれ自体というよりも、その債務残高の維持可能性のほうにあるということがわかる。債務残高の拡大は、確かに「財政破綻」に結び付く可能性がある。しかしそれは、必ずしも債務残高が大きいために生じるのではない。そうではなく、債務残高が維持不可能になったために生じるのである。』
国民一人当たりの借金額だとか、国の予算を家計に例えると、だとか、一流のジャーナリズムでも繰り返される“危機感の煽り”“問題のすり替え”。
危機に対しては、本当の問題がどこにあり、それに対していったい何ができるのか、歪みのない水晶玉を通して見つめる必要がある。
本書で著者は言う。
『本書の目的は、この「景気対策か構造改革か」という不毛な二律背反図式に決着をつけることである。・・景気対策としてのマクロ経済政策と、構造改革すなわち「供給側」の効率性改善政策とは、本来まったくその目的および手段を異にしており、お互いに対立しあうものでも矛盾するものでもないことを明らかにすることである。』
「本来まったくその目的および手段を異にして」いるものを、危機に乗じて“どさくさに”持ち込むことは、国民に対する詐欺である。
『デフレ脱却が確実に実現されたあかつきには、日銀はもちろん、量的緩和を解除し、さらにはゼロ金利を解除すべきである。しかしながら、日銀はその状況において、日本経済を再びデフレに舞い戻らせるような政策運営をしないということについて、明確なコミットメントを行う必要がある。』
構造改革は元より、量的緩和解除もゼロ金利解除も、タイミングが必要である。その議論ができないまま突っ走ってしまったというのが、この国の失敗過程だったのではないか。
『インフレ・ターゲティングを通じた「デフレ阻止」が実現されるか否かは、われわれの社会が、他人の痛みを自らの満足と感じ、他人の満足を自らの痛みと感じる人々が多数を占める社会ではなく、他人の痛みを自らの痛みとして、他人の満足を自らの満足として感じるような、アダム・スミスのいう「共感」に満ちた社会であるか否かにかかっている。』
人間の世界は、機会のようにプログラミングどおり動くわけではない。「共感」という大切な“人間らしさ”を無視した経済モデルがうまく動くわけが、もともとなかったのだ。
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