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傲慢な援助 みんなのレビュー

  • ウィリアム・イースタリー, 小浜裕久, 織井啓介, 冨田陽子
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みんなのレビュー2件

みんなの評価5.0

評価内訳

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2 件中 1 件~ 2 件を表示

紙の本傲慢な援助

2010/03/10 00:58

刺激的かつ実践的な開発経済学入門

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:梶谷懐 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本はもともと"Whiteman's Burden"(「白人の責務」)という挑発的なタイトルが付いている。著者のイースタリーがのこの言葉をあえて書名に使うことで主張したかったことは、およそ次のようなものだった。

 確かに、途上国の貧しい人たちが豊かになれるよう援助をすることは重要だ。しかし、その援助が成功するためには、貧しい人たちがまず自分達で「豊かになろう」という意思を持つことが大前提となる。現地の人々の自発性を無視し、巨額な金額をつぎ込むような援助のあり方は、植民地時代に西洋人が抱いていた「白人の重荷」=「こいつらは自分で豊かになる能力がないので、先進国のわれわれが救ってあげるしかない」という傲慢さにつながるものである。その傲慢さは単に無駄な援助を生み出すだけではなく、かつての植民地支配と同じく、途上国の現実に大きな弊害をもたらすだろう・・
イースタリーは、そういったお題目が先行しがちな、上から目線の"Planner"中心の援助に代わって、途上国の現場とのフィードバックや、経済主体のインセンティヴを重視する"Searcher"中心の、いわば「地に足のついた」援助を推奨している。

援助についてのある方法論をどの援助対象国にも当てはめるのではなく、各国ごとの「固有の事情」あるいは「現場感覚」を尊重すべきだ、経済発展の一定段階までの時期においては、「市場経済」のメカニズムはそれ自体では十分に機能せず、政府が積極的な役割を果たすべきである、といった彼の主張は、日本における開発経済学研究や日本の開発援助について多少なりとも勉強してきたものにとっては非常に耳に入りやすい議論だと思う。

 ただ、イースタリーの語り口には、やはり日本人の発想とは大きく異なると思える点もある。それは、上で述べたような一連の「開発主義」的な発想に基づく開発援助を 'Searcher'中心の援助として、ジェフリー・サックスらに代表される'Planner'中心の援助に対比させ、あくまでも前者は「よい援助」、後者は「悪い援助」という非常にわかりやすい形で描き、読者に印象付けようとしている点だ。

 また、彼の主張には、若干の留保もつける必要があるだろう。まずこのような理念の下でなされていた日本のODA自体が、左右からの批判にさらされてきた。特に、「理念がない」「現地政府の意向を尊重しすぎている」といった点が繰り返し述べられてきたことには注意が必要だろう。すなわち、日本の援助においてはむしろ「Plannerの不在」こそが問題にされてきたのだ。援助においてPlannerの役割を否定して果たしてよいのか、ということはやはり改めて問われるべきだろう。
 また、彼が肯定的に引き合いに出す東アジア諸国の経済発展、最近の例では中国の発展の経験も決してよいことばかりではなく、政治的民主化の遅れやコーポレートガバナンスの不透明性ということが常に問われ続けててきた。この点イースタリー自身が直接東アジアを主なフィールドとしていないだけに、その経験を若干美化する傾向があるように思われる。

 こんな点を差し引いても、本書は開発経済学の刺激的かつ実践的な入門書として、面白いことこの上ない、お勧めの一冊であることは間違いない。

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紙の本傲慢な援助

2011/08/01 22:39

成果まで評価してこその援助

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:くまくま - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書全体を通じて、プランナーとサーチャーという立場が比較軸として語られる。
 プランナーとは、援助対象から離れた場所で、大所高所に立ち、課題の理想的な解決が可能だと考えている援助者のこと。サーチャーとは、援助対象のすぐそばにいて、全ての課題を解決することは不可能だが、今よりも少しだけ物事を良くするためには何をすれば良いかが分かっている援助者を指している。
 ちなみに、国連や世界銀行、先進国からの援助などは大部分がプランナーに属する。

 なぜこのような比較軸が成立するのか。それは、プランナーによる援助が、ほとんど事態改善の役に立たないという悲しい現実があるからなのだ。
 プランナーからの援助は、非常に大規模だ。何百億円、何千億円という規模で、ポンポンと援助がなされる。数ドルあればワクチンが打てて多くの命が救えるというのであれば、これだけの規模の援助があれば何億人の命が救われたのだろうと思うかもしれないが、そう上手くはいっていない。そこに行き渡るまでの間に、援助金・物資がどこかに消えてしまうのだ。
 しかし、プランナーたちの多くは、援助効果の評価を行わない。ただ、多額の援助を行った時点で満足してしまう。この背景には、援助を実施するのが政府、ひいては議員であり、有権者にアピールできるのは、援助の成果ではなく援助をする行為自体だという現実がある。

 実際に多くの命を救っている援助者の多くは、サーチャーだ。
 例えば一人当たり1,500ドルのエイズ薬でわずかの人を延命する代わりに、コンドームを大量に配ることでエイズを予防する。学校でご飯を食べられるようにすることで、子どもたちの命を救うと共に将来の人材を育てる。女子トイレの個室を作ることで就学率を高める。
 そんな、現地から遠く離れた場所では思いつかない様な、現地の事情に合わせた小さな対応を積み重ねることで、前よりも確実に良い状況を生み出しているのだ。

 ではなぜ、この様な非効率なプランナー・アプローチは無くならないのだろう。それには、本書の原題である「THE WHITE MAN'S BURDEN(白人の責務)」という考え方が、影響を及ぼしているように見える。つまり、現地の人々は遅れていて、自分で課題を解決することはできないから、外から正しい解決策を与えてあげよう、という姿勢があるのだ。
 しかし、プランナーは認めたがらないし、評価をしていないから認識もしていないのだが、現実にはそんなことはない。むしろ、プランナーたちが支援したことで泥沼の政治状況に陥ったケースが多くあることは、歴史が証明している。多くの場合、外圧では物事はよくはならないのだ。自分たちで試行錯誤して、解決策を見出していかなければならない。

 それでは支援には意味がないのか。そんなことはない。現地の人々は、何もない中で現状をよりよくするための努力をしている。そんな人たちに資金・資材を提供することはできるのだ。そうすれば、改善のスピードはぐんと増していくはずだ。

 本書は四部構成であり、プランナーの失敗事例、プランナーとサーチャーの比較、植民地政策と現代の支援の類似性、今後のあり方、を見ていく構成になっている。
 第一部の英語訳が日本語になり切っていないところや、似たような議論が繰り返される部分もあり、なかなかに読みづらい気がするけれど、示唆される内容は、対外的な援助に留まらず、震災などの被災地援助にも共通して言えることではないかと思う。

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