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さよならニッポン農業 みんなのレビュー

  • 神門善久 (著)
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みんなのレビュー4件

みんなの評価3.6

評価内訳

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紙の本さよならニッポン農業

2010/11/03 17:14

俗に「農民栄えて農業滅ぶ」という。そろそろみんなで、本気で日本の農業について考えてみませんか。そのための出発点となるのが本書です。

13人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る

戦後、日本の農林水産省は、実は一貫して「強い農業」「強い農家」の育成を目指してきた。強い農家とは、要するに大規模農業を行う広大な農地を耕作する農家のことだ。そのためには大多数の五反ヒャクショウらに農地の所有権、もしくは使用権を少数のやる気のある農家に譲渡させる必要があったが、これを一貫して妨害し邪魔をしてきたのが自由民主党の農林族議員たちである。理由は簡単で、少数の農家に農地を集約するということは、平たく言うと農村の過疎化を促進させ、農林族議員の票田を崩壊させることを意味する。だから農村部の田舎代議士は、日本の農家の生産性が向上することをずっとずっと妨害してきたのだ。生産性が低いままだとコメの価格は高止まりする。この高い米価を自民党は農村票田を守るため、高度成長をひた走る都市のサラリーマンに押し付ける政策をとってきた。都市部の住民は、戦後ずっとヒャクショウに搾取され続けてきたのであり、それを自民党の農林族議員が支えてきたのだ。

しかしサラリーマン家庭もバカじゃない。いつまでも世界一高いコメを食べ続けると言う非合理な選択を続けるわけがない。だから戦後一貫して日本のコメの消費量は激減を続け、その消費は今なお落ち続けている。代わって都市のサラリーマンが食べ始めたのが、世界一生産性の高いアメリカの農家が生産する小麦で出来たパンでありパスタだったのは皮肉だが、これは日本のコメ農家の生産性向上を妨害してきたツケが回ってきたのであり、いわば「自己責任」「自業自得」である。ザマーミロとはこのことだ。

その農家が、いま、断末魔を迎えている。後継者がいないまま、高齢化が進んだ日本の農家の大半が、今死にかけている。私はこのまま日本の農家の大半が安楽死を迎えてくれることを望む。なぜなら、彼ら自称農家の大半は、実は神門先生いうところの偽装農家であり、その実態は、農業を営んでいるふりをしつつ、農地の保有コストのミニマイズを図りつつ、あわよくば農地を宅地、工業用地、商業用地として転売することを狙っている転売期待族だからだ。こんな連中は、実は農家ではない。

自民党も自民党からわかれた小沢一郎率いる民主党の田舎代議士グループも「農業は国の基本」「農家を守らずして国が守れるか」などとバカなことを言う。いまや農業の日本のGDPに占める比率は1.5%である。農業は日本の基本でもなんでもない。日本の基本は自動車産業でありエレクトロニクス産業だ。トヨタ自動車を守るため、いっそのこと日本の農家には丸ごと滅んでもらって全部農産物は輸入に切り替えても構わないのではないかとさえ、私は時々思うくらいだ。

なーに、自分の票田を守りたいだけで、彼ら田舎代議士は本気で日本の農業を強くしようなどとは思っていない。むしろずっと日本の農家には弱いままでいてもらい、農村を保護する為に都市部で吸い上げた税金を盛大に農村にばらまく構造を永遠に継続したいと思っているのだ。

自民党の田舎代議士がひねり出したバカな我田引水政策が二つある。ひとつは「棚田は日本が誇る景観だ。棚田を維持せよ」と言うやつだ。昔の人たちは景観のために、田ごとの月を愛でるために棚田と言う、ある意味、グロテスクなまでの山林破壊を実行したのだろうか。違うだろう。あれは江戸時代の米本位制の下、農地に適しない山がちな領地をもった藩が、少しでも藩財政を豊かにするため無理やり開墾したのが実態で、あんな猫の額みたいな傾斜地の田地を耕すのは、昔から農民は嫌で嫌でたまらなかったに違いない。それを「守れ」などと自民党が音頭を取り、おバカな都市のサラリーマンが乗せられて、にわか地主になったりしたものの、案の定、途中で嫌になり、今、棚田は崩壊の危機にひんしているという。当たり前である。もうひとつが「定年退職したら農村に移住して帰農しよう」「今、農業は成長産業」「渋谷ギャル、ついに田園に進出」という、アレだ。農業は趣味や気晴らしでやるものではない。農業はビジネスなのだ。そんな60過ぎまで都市でサラリーマンやっていて、いきなり知りもしない田舎に行って農業でホイホイ儲かるなんて、農業を舐めるなと言いたい。農業はビジネスであり、ビジネスとして日本の農業の問題は生産性が低いこと、平たく言えばコメ農家が多すぎることが問題なのであって、日本の農業が直面する最大の課題は、実は農業の担い手を如何に減らすかということなのである。

本書を読むと、なぜ耕作放棄地が増えるかの理由も見えてくる。今、自民党農林族が一貫して行っていて来たことは世界一高い日本の米の価格を如何に維持するかであって、その為の方便とされてきたのが減反と言う生産調整である。しかしこの減反もそろそろ限界にきている。減反政策の一番の問題点は「悪平等」ということで、やる気のある農家がせっかく開墾した農地も、やる気のない偽装農家も一律に耕作放棄をさせるという点である。これが限界に達した今、耕作放棄という「自主減反」は農林族にとってはもっけの幸いで、要するに米が供給過剰にならず世界一高い日本の米価が下がらなければそれで良いというのが自民党の発想だったのだ。

まだある。米粉パンや米の飼料化が日本のコメ政策の救世主であるかのごとき報道が相次いだが、これも大ウソであると神門さんは指摘する。いくら米粉で作ったパンがおいしくなったからと言って、小麦価格と米の価格差がなくなるわけではない。アメリカから輸入した飼料用トウモロコシと日本で作った飼料用コメの価格差がなくなるわけではない。圧倒的な価格差があってなお、これを使用させるには差額を都市部から吸い上げた税金で穴埋めするしかないわけで、こんなもの幻想だと神門先生は切って捨てる。

神門先生の提言は明快だ。日本の農家の大半は、実は固定資産税を節税するために農業をしている振りをしている偽装農家で、その実態は保有する農地を如何に高値で転売するかしか考えていない不届きな連中なので、こいつらをとことん締め上げて日本から偽装農家を追放し、こうした偽装農家から土地を取り上げて、やる気のある農家に土地の所有権もしくは使用権を集約させようというものだ。そのためには農地の所有状況がどうなっているかを正確につかむことが肝要で、その為には平成の太閤検地が必要だと神門先生は言う。元農林水産省のキャリア官僚だった山下一仁さんは日本でコメを大増産して米価を暴落させれば、日本のコメ価格は中国のコメ価格を下回り、日本から中国にコメが輸出できるという。こういう時代に入ってきているのである。

小沢が推進したバカな所得補償政策に目のくらんだヒャクショウどもがコメの増産に励んだ結果、米価の下落が止まらなくなっている。今年の日本のエンゲル係数は低くなるはずで、これはこれで結構なことだと思う。

本書は日本の農業が好きで好きでたまらない神門先生が書いた血書である。「さよならニッポン農業」なんて、あたかも決別宣言みたいなタイトルが付いているが、いくら「売らんかなのNHK」とはいえ、NHKのセンスを疑う。

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紙の本さよならニッポン農業

2010/09/20 14:02

農地をフックに国土と日本人を立て直す処方箋

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る

現実を直視することは、出来そうでなかなか出来ない。
まして直視し続けて、なおかつその地点から建設的な提言をするとなると
膨大な時間と労力を要し、こんがらがってどうにもならない程の
人間関係の中に身を置くことになる。当然そんなことが出来る人は
あまりいなくて、いたらその国家なり地方なりコミュニティーにとって、
その子孫たちにとって、大変幸運なことだ。
日本農業に警鐘を鳴らし続ける神門氏はそんな現代の憂国の志士で、
本書はそのたゆまない活動から搾り出された叫びのような提言の書だ。

氏は、現代の農地は、問題が先送りされ続け、夏休み終了直前なのに
終わらない宿題のようになってしまった状態だと言う。
その根本に農地基本台帳の杜撰な管理状態があって、社会保険庁の
「消えた年金」問題と同じような構造が農地もあるらしい。
なかには野球場が農地として記録されている例もあるらしく、
本書ではそうなってしまった起源を明治維新にまで遡って
バブル以降現在に至るまでの農地と国土の状態が丹念に調べられている。

ここで問題なのは、この農地や国土管理の問題が「消えた年金」問題と
違ってなぜ選挙の争点になるほどの大問題にならないか、だ。
なぜ選挙の争点にならないかを探れば、国民およびメディアの関心の
低さに辿り着いてしまう。水も食事も道路もある生活に浸り切って
しまって、必然的に国土や農地にどんな問題があるのか体感できなくなって
しまった。体感どころか、データとしても可視化できなくなってしまった。
これでは、秩序ある管理など出来ようもない。

終章で氏が提言する「日本農業の理想像」は農政の枠を超えて
これからの日本のビジョンといっても差し支えないほどの「願い」だ。
まず最初に来る「太閤検地以来の平成検地」も昨今のGPSの進歩に
よって、大掛かりではあるが決して不可能ではない取り組みのようだ。
何より、「太閤検地以来」というのがロマンを掻き立てる。
市民宰相の取り組み課題としてはもってこいだ。

そして第2に、就農者を中心とした農政から土地利用を中心とした
農政に変えるということ。キーコンセプトとしての「人から土地へ」は、
「コンクリートから人へ」というスローガンの裏側にある大衆迎合的な
匂いを批判しつつ、国土の保全を通じた国の繁栄を願う氏の思いの
現れであって、これからこの国に住まう人々が土地を基盤に自治に
取り組む理想像も体現している。

さて、現実を知ったならあとはドライブ感を持って、現実に処するのみ。
農業に欠かせない粘り腰は、今この国にどれだけ残っているのだろう。

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