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電子書籍

ベルクソン 人は過去の奴隷なのだろうか みんなのレビュー

  • 金森修(著)
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みんなのレビュー2件

みんなの評価4.0

評価内訳

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紙の本

ベルクソン 人は過去の奴隷なのだろうか

科学の台頭に正面から向き合った哲学者、ベルクソン。教科書的でない伸び伸びと書かれた説明で取り付きやすい入門書。

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 本書は「時間の、SF的な姿」という小見出しで始まる。導入はクローン羊ドリーの話。次は映画「トータル・リコール」を例に「ほんとに体験したのか、そう信じているだけなのか?」という記憶の問題。科学の読み物か、とも思える書き出しであるが、本書は哲学の解説書である。
 ベルクソンは1859年のパリ生まれ。19世紀後半から「種の起源」1859、「実験医学序説」1865、「特殊相対性理論」1905・・と科学が次々と新しい概念を提出した時代である。ベルクソンの関心が科学と重なっているのもうなづける。著書には「時間と自由」「物質と記憶」「創造的進化」など、ちょっと科学書のようなタイトルも多い。
 哲学には馴染みの少ない、というか敬遠しがちな理科系の頭でも、ベルクソンはけっこう面白く感じられた。的外れなところがあるかもしれないが、ここからの感想は「理科系の頭で読んだもの」と考えていただければ幸いである。

 先見的だと思うような主張もけっこうあると感じた。たとえば「人間には時計が刻むような外的な時間ではない、各個人の意識の時間がある」考えは、20世紀もかなりすぎて出版されたユクスキュルの「生物から見た世界」や本川達夫「ゾウの時間ネズミの時間」につながっている。ヒトに限らず、生き物全体に通じる「個体の持つ主観的な世界」がある、という世界観である。
 本書の副題になっている「人は過去の奴隷なのだろうか」は、過去の持続してきた記憶はすべてどこかに存在して厚く各人に絡みついている、という主張に基づいている。ならば、自由な意志の余地はあるのだろうか、という議論である。どんなに過去の記憶の圧力に抑えられていても、瞬間瞬間は新しく変化する余地を持つ、というのがベルクソンの主張であるが、この自由意志の問題は、最近の脳科学でも議論になっているところである。
 その一方、「知覚の場所は脳ではない、当の知覚対象がある場所だ。」「記憶は肉体の中にあるのではない」などのような、わかりづらい言葉もある。

 ベルクソンの時代が急速な科学化による唯物論的な考えが広まっていく時代だったことを思うと、彼の哲学はそれに対抗しようとする戦いだったという著者の説明は納得しやすい。だからベルクソンの中にはその頃の科学に足りないものの先見的な指摘もあるが、今ではおかしく思われるものもある。ベルクソンは同時代のこととして、科学の提起した問題を哲学者として真正面から取り扱ったのだ。
 今もこの哲学の主張と科学の主張のぶつかりあいは続いているし、それが科学・哲学両方(いや、もともとはひとつだと書いたほうがいいのか)の進展の力でもあるはずである。ベルクソンのような先駆者の主張を読んでおくことは、科学・哲学双方にとって大事なことだと思う。

 「エッセンス」というシリーズ名どおり、本書はベルクソンの著作を引用しながら、著者が理解したベルクソンの要点をまとめている。以前このシリーズの「スピノザ」を紹介したことがあるのだが、100ページ足らずの中で著者がのびのびと大胆な説明をするのがこのシリーズの特徴だろう。著者の解釈の個性が強く出ている分、読み手側が反応しやすい。
 例えば本書でも、ベルクソンの「記憶はすべてどこかに存在する」という主張に対し、著者は「少なくとも僕は元気が湧いてきた。 P86」とあるが、少なくとも私はこれには少しひっかかった。忘れたい嫌な過去の記憶もあるのだろうに・・・。いや、嫌な過去すらあることが元気のもとになる、というところまで読みきれていないだけかもしれないが。・・・・こんな風に、ひっかかりを感じることでかえって引き寄せて考えられる、ということもある。
 入門書でもなかなかわかりづらい哲学。本シリーズの切り口は全体像に興味を持て、教科書的なまとめ方とはまた違う取り付きやすいものかと思う。
 巻末に邦訳が手に入る哲学者の著書が著者のコメントつき(かなり辛辣なのもある)でまとめられているのも、実際に原著のどれから手をつけるか、の判断を助けてくれてありがたい。

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紙の本

ベルクソン 人は過去の奴隷なのだろうか

ベルクソン哲学のランドマーク

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 金森修さんの『ベルクソン──人は過去の奴隷なのだろうか』はずいぶん前に読んだ。端正な文章で叙述されたベルクソンの「常識離れ」した思考の急所、とくに「重々しい晦渋さ」に覆われた『物質と記憶』での「途方もない」議論のいくつかを、簡明かつ端的に紹介した好著だった。しかし、この簡明・端的さが、ベルクソン哲学への入門書としてはともかく、誘惑の書としての力を殺いでいる。
 著者は、ベルクソンの「すごさ」についてこう書いている。
《…重要で難しい問題について、なにかを考えて判断を下すとき、極端なことをドカッといってのけて、あとは平然としているという人がいる。そんな人は、威勢がいいだけにすごい思想家のように見えるものだけど、実はそれほどでもなくて、必ず一種の留保的な補足をためらいがちに述べておく人の方が、本当はすごいものなんだ。》
 ためらいがちに述べられるベルクソン的世界の「異説」は、じっさいにその著書に接し読者の多くが感じたに違いない退屈な常識的議論の果てにさりげなく挿入されたエピソードのようなものである。それをそれ自体としてとりだしてしまうと、あたかも砂糖水から砂糖を抽出すようなもので、蒸留してウォッカにしあげたり、樹液を濃縮してシロップをつくったりという、具体的で豊穣な「展開」の可能性が失われてしまう。
 とはいえ、本書で標本にされた「SF的」なベルクソンの思考のエッセンスは、やはり魅惑的である。知覚と記憶をめぐる第二章からその一端を、さらに圧縮したかたちで抜き書きしておく。
その1.「〈知覚の場所〉なるものがあるとすれば、それは当の知覚対象がある場所そのものだ」
その2.「知覚はもともと非人格的なものとして成立する」
その3.「もし君がA岬に行くのがまったくの初めてだったとしても、A岬の記憶心象が君の知覚を記憶で浸してしまう」
その4.「記憶は脳のなかにはない」
その5.「複数の人間たちがかつて知覚したことが、どこかになかば集合的にどんどん記憶としてストックされていく、というような、そんな感じの途方もない存在論が、ベルクソンの頭のどこかにはあったような気がする。」
 ここに挙げた五つの命題を論証するために、あるいは「本当は最初から知っているはずなのに、忘れてしまっているものをもう一度見出す」ために、ベルクソンは7年の歳月をかけて『物質と記憶』を書き上げたのだ、といってもいいだろう。
 ほんとうはベルクソンの思考の「エッセンス」をコンパクトに抽出することなどできない。仮にできたとしてもそんな書物に意味はない。砂糖が水に溶ける時間のうちにしか哲学的思考の実質はないのであって、できあいの砂糖水をいくら分析してみてもそこに哲学はない。著者はそのことを十分わきまえた上で、「持続の相のもと」に展開されたベルクソン哲学のランドマークの所在を示したのだろう。

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