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電子書籍

凡人として生きるということ みんなのレビュー

  • 押井守 (著)
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みんなのレビュー2件

みんなの評価3.7

評価内訳

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紙の本

凡人として生きるということ

紙の本凡人として生きるということ

2008/08/30 22:03

合わせ鏡 -僕らには言葉が必要だ

12人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この夏、話題の劇場用アニメが二本公開された。一本が新進気鋭の押井守監督の『スカイ・クロラ』で、もう一本が巨匠宮崎駿監督の『崖の上のポニョ』(鈴木敏夫プロデュース)である。それと時を同じくして二冊の新書が出版された。一冊が押井守の『凡人として生きるということ』(幻冬舎)で、もう一冊が鈴木敏夫の『仕事道楽』(岩波書店)である。もっともこの二冊の主題は全く違うのであるが、映画にしても新書にしても新興(野心)対老舗(権威)のような構造があっていかにも刺激的である。例えば押井は宮崎駿に関して「(宮崎駿は)建前に準じた映画を作り、僕(押井守)は本質に準じて映画を作ろうとしているという、映画監督としての姿勢の差異」(33頁・『凡人として生きるということ』)があると書いているが、このくだりを読むと暴言めいている。まるで宮崎駿が本音を語らない建前主義者のように聞こえるし、本音で語る押井の方が信用にたる作品を創造していると、権威に噛み付いているかのようでもある。面白いことに鈴木の本の中にも押井の同様の発言、「(宮崎駿の作る映画は)どこかうさんくさくて嫌である」(161頁・『仕事道楽』)、が紹介されているが、これに対して鈴木は「ぼくとしては「そういうものなのかな」と思うしかない」(162頁・『仕事道楽』)と拍子抜けする感想を書いている。押井のいう「オヤジ」の典型のようなものである。このように二冊の新書はテーマこそ違え、合わせ鏡のように表裏一体をなしている。どちらを先に読まれてもいいと思うが(私は鈴木の『仕事道楽』を先に読んだ)、ぜひ二冊とも読まれることを推奨する。ここまでは、長い予告編のようなもので、ここから本編が始まる。

 押井守というのが今多くのアニメファンを魅了しているのは知っていた。彼の作品の予告編は何本か観ていたが、本編は観たことがなかった。いくら本と映画が違う表現方法だといえ、これではいささか片手落ちになると思い(そのことは押井も本書の中で「僕が映像だけで伝えられなかった言葉が本書にはつづられており、僕が言葉にできなかった思いが映画に描かれている」(11頁)と書いている)、本書を読んでから『イノセンス』(2004年)を観た。ただ映像美としての作品は評価できても、監督が何をいわんとしているのか理解するのが困難であった。少なくとも宮崎駿作品とは同じ国で作られた アニメかと思うくらい対極にある作品だった。映画史的にいえば、ひところ映画青年が芸術を意識しすぎて自己に埋没していった多くの作品があったが、それに近い感触をもったというのが正直な感想である。(もっとも若い人にとってはわかりやすい作品だったかもしれないし、最近の宮崎アニメもすこぶる難解であるのも事実)その一方で、本書はすこぶるわかりやすい内容だったといえる。先に引用した「本質」ということでいえば、押井のこの本は生々しすぎるぐらいだし、押井の映画はオブラートを包み過ぎといってもいい。
 この本では「自由」や「オタク」や「格差」といったテーマが押井流のいささか投げやりで乱暴ともいえる言葉で語られているのだが、読み終わってみると押井守が『あしたのジョー』の矢吹丈のように思えてくるのは何故だろう。人一倍さびしがりやだが強がりをはっている男。闘争心は猛々しいのだが、小さな子犬は殺せない男。「建前」と「本質」はともかくとしても、押井がいかにピュアな人間であるかがよくわかる。自身で血を流しながら、守ろうとするものがある。だから、言葉が熾烈だが、わかりやすい。例えば「何も選択しないうちは、何も始まらない。何も始めないうちは、何も始まらない」(62頁)という簡潔して本質をついた文章はなかなか書けるようで書けない。そのことにつながるのだが、押井は本書の最後でこう書いている。「今必要とされているのは、映画評論などではなく、この社会を、このろくでもない社会全体を言い当てる鋭い論評なのだ」(176頁)
 その上で、押井は<言葉>の有効性について言及し、「僕らには言葉が必要だ。有効な言葉が必要なのである」(177頁)とまで言い切っている。実は、この本と対となる鈴木敏夫の『仕事道楽』の中でも<言葉>が重要なワード(鈴木は「現代を言葉でつかむ」と表現している)になっているのが面白い。同時代である二人(押井は1951年、鈴木は1948年の生まれ)がそこで語られている内容こそ違え、それぞれの著作において明日を切り開くものとして、<言葉>をあげる。もしかすると日本のアニメはその一点においても、今やもっとも評価していい文化かもしれない。

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紙の本

凡人として生きるということ

紙の本凡人として生きるということ

2009/11/20 13:21

社会がこしらえたカラクリを解けば世界の本当の姿が見えてくる

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ジーナフウガ - この投稿者のレビュー一覧を見る

タイトルから漂う、ただならぬ気配。これまで僕の押井守監督の認識は
【スカイクロラ】が話題になっている人。天才と評されている人。程度しかありませんでした。

なので、ぶどうの棚の下すねてるキツネのように、『きっと説教臭い内容に違いない!』と
読むのを躊躇ってました。けれど、大好きな作家よしもとばななさんが9・16日記の書き出しで

【「さすが犬や人のお父さんかつ賢い人の言うことだなぁ」と感心して読んだ。】と
言っていたので、『へぇー、なんか思ってたのとは違いそう!』早速購入。

前書きの時点で読むことにして良かった!と確信しました。ずっと長い間、
【映画監督にとって映像や作品以外の表現は全て余分なものである】と考えていた人が、

自分の言葉で本を出版せざるを得ない。そう考えるに至った経緯。

現代社会で次から次へと起きている衝撃的な事件を解説する時に、
『ゲームのやり過ぎだ』とか『現実感の喪失だ』とか陳腐な言葉を繰り返すだけの

批評家や社会評論家。悲惨な事件に対抗する有効な手立てを持ち得ないまま、
話すべき言葉をなくしてしまった僕ら。でも…。押井監督は考えを進めます。

すべては根っこに同じ原因が横たわっているのでないか、
これらのことはどこかでつながっているのではないか、と。

【本書がこのろくでもない世界を理解し、
これに対抗するための何かの役に立つのであれば、望外の喜びである。】

自分が何処に立って意見を述べているかを、ここまでハッキリと表明出来る姿勢。
実に潔い動機で書かれた本なんだなぁ、と深く感動しました。

本編に入ってからも、一般常識のカラクリを、鋭い視点からズバズバ見抜いて行きます。例えば。
世間広く出回っている、『 若さには無限の可能性がある』って考え。これは全くのデマだ、と。

若いので、経験も足りず、分別もなく、自分の本質を見抜く事も出来ないまま、
ほんとうは可能性などない可能性にしがみつくしかないのだ、と。

一見、歯に絹着せぬ物言い。若者を凹ませるような毒も含まれています。
けれども、押井監督は一方的に問いを投げ掛けるだけに止まりません。

世間で流布されている様々なデマの正体を見破って事の本質が見えてくるような視点を
獲得するよう提案します。あらゆるデマから解放され、内面における自由を得られた時に、

ようやく『今の自分は何者でもない平凡な人間なのだ』と気が付く事が出来る。

全編通して語られる、この考え方により、
読書中気が付けば何時も意識がググッと引っ張りあげられる感じがありました。

オタクや引きこもりについても、社会や時代を現場に作品制作をして来た人ならではな、
現象の真芯の掘り起こしがなされているのが流石です。

二百ページ足らずで読みやすいし、読みごたえたっぷりなオススメの一冊です!!。

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