日本の軍歌 国民的音楽の歴史 みんなのレビュー
- 辻田真佐憲
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2014/11/16 17:21
歌は世につれ世は歌につれ
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Tucker - この投稿者のレビュー一覧を見る
「軍歌」と聞くと、「硬い」「泥臭い」「古臭い」といったような言葉を連想する。
ただし、これは今の感覚、しかも個人的な感覚でしかない。
軍歌が作られた当時のレコード(もしくは楽譜)の販売データからすると、軍歌は決して、上から押し付けられたものではなく、当時の「ヒットソング」であった事が分かる。
そんな軍歌の誕生から末路までを解説したもの。
ただ、本書では軍歌を「政治的エンターテインメント」として捉えている事が特徴。
当初(明治初期)は「日本人」という発想自体が希薄だったため、国民の意識を同じ方向に向けるための(安上がりな)道具の一つとして使われた軍歌。
日清戦争の頃に「国民的エンターテインメント」として普及、それ以降、政治的スローガンの刷り込み、ニュース速報の道具として使われるようになる。
1885年(初めての軍歌「来たれや来たれ」が登場した年)から終戦の1945年までに作られた曲は一万超。
単純に計算すると、1年当たり約167曲。
ざっくりと、2日に1曲、作られていた事になる。
直感的に異常なくらいの数、と思ったが、やはり他国と比べても、この数は、多い方らしい。
これだけの数を上(政府)が作れるわけもなく、当初はエリート官僚が作成していたが、普及するにつれ、民間の方が活発に軍歌を作っていたそうだ。
新聞社主催の歌詞募集の懸賞まで設けられたとか。
「今、軍歌が作られたとしたら、アイドルが軍歌を歌うだろう」という一文が印象に残る。
歌詞なしで聞いたら、普通のポップスとして聞けるような曲だろう。
ところで、「歌は世につれ世は歌につれ」と言われるが、軍歌も例外ではなかった。
日清戦争、日露戦争の頃は、イケイケドンドンという感じ(日露戦争の頃は若干、マンネリ化もあったが)
そして太平洋戦争末期の頃になると、「断じて斃せ」とか「命が的だ」とか、(今の感覚で見ると)ムチャクチャか、悲鳴としか思えない内容になってくる。
当時の人は、どんな気持ちで、この軍歌を聞いたのだろうか・・・。
印象に残ったのは、1930年代以降のレコードの検閲の話。
検閲する側の体勢が脆弱だったため、レコード会社側に「自主規制」を行わせた。
作詞、作曲者は当局に睨まれたくない、レコード会社は、せっかく作ったレコードが発禁にされては丸々、損になる、検閲する側は全てをチェックする必要がない、と利害が一致し、「利益共同体」ができあがる。
著者によると、このような利益共同体ができてしまうと、「マズイ」と思っても、止められなくなる、という。
ちょっと考えただけでも、思い当たるフシが多々ある。
巨大公共事業。
選挙違反でよくある話。
そして、遥かにスケールダウンして、御用組合(会社の経営側の意のままになる従業員組合)
第三者の立場から、こういう仕組みの問題点は指摘できるが、では実際に問題の解決方法は?と聞かれると、お手上げ。
かなりの荒療治以外に止める方法はあるのだろうか。
2017/06/07 14:09
おもしろうてやがて悲しき軍歌
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投稿者:saihikarunogo - この投稿者のレビュー一覧を見る
〈第五章 軍歌の全盛「音楽は軍事品なり」〉の冒頭、「一九四一(昭和十六)年七月二十八日、大本営海軍報道部第一課長の平出英夫大佐」を、知っているなまえだと思い、『大本営発表―改竄・隠蔽・捏造の太平洋戦争』を読み返したら、やはり、第一章に登場していた。
『日本の軍歌―国民的音楽の歴史―』では、軍歌は、何も軍部の押し付けだけで広まったのではなく、日清・日露戦争で多くの人々が出征したことをきっかけに、広く受け入れられたエンターテインメントだったことがよくわかったが、それにしても、やはり、第二次世界大戦においては、民衆に人気を博すもの、エンターテインメントというものを、軍部が最大限に利用したことが、二冊の本を合わせ見ることによって、より一層、まざまざと感じられた。
『日本の軍歌』には、1958年生まれの私でも歌ったことのあるものが載っている。
(1)勝って来るぞと 勇ましく
(2)貴様と俺とは 同期の桜
(3)敵は幾万ありとても
(1)は『露営の歌』、(2)は『同期の桜』、いずれも1930年代に作られた。両方とも、出だしのところだけを、小学校の同級生たちと一緒に私も歌った。みんな、テレビで聞いたのだと思う。『同期の桜』は、私たちは、「おまえと俺とは」と、歌っていたと思う。
(3)は、もとは、日清戦争よりも前、1880年代に、西洋列強諸国に倣って軍歌というものを作らねばならぬ、と考えた人々が考案した『敵は幾万』で、日露戦争後の1906年には、すでに、『菓子は幾万ありとても』という替え歌ができていたそうだ。
さも、ありなん。私も、次の遊び唄でしか、知らない。
>正直じいさんポチつれ敵は幾万ありとて桃から生まれたもしもしカアカア
著者によると、替え歌ができるということは、それだけ、元の歌が人口に膾炙していた証拠だそうである。
>敵は幾万ありとても 烏合の衆なるぞ
これが、
>菓子は幾万ありとても すべて砂糖の製なるぞ
となるのだから、楽しい。
『敵は幾万』は朝鮮や中国で、その国の軍歌に作り変えられていたそうだ。そもそも、日本の軍歌も最初は、西洋の歌の替え歌として作られたものが多かった。あの「むすんでひらいて」の原曲も軍歌になっていたとは、驚きである。
『日本の軍歌』で紹介されている歌のなかで、唯一、よく知っていたのは、『戦友』である。ダーク・ダックスだったか、ボニー・ジャックスだったか、デューク・エイセスだったか、そんなふうな男声合唱で聞いた覚えがある。そして、中学か高校の社会科の副読本にも載っていた。『戦友』は、広く民衆に受けいられたが、厭戦気分を広げるとして、軍部ににらまれた、という解説が付いていた。
『日本の軍歌』は、1880年代から第二次世界大戦までの、日本で作られた軍歌を振り返るとともに、それらのうち、人気のあるものは近隣諸国にも広まってその国の軍歌に作り変えられたこと、そういう軍歌の相互浸透現象はヨーロッパでも起こっていること、そして、今後、日本でまた、軍歌が作られるときが来るとすれば、それはいわゆる「軍歌調」ではなく、アニメソングやアイドルソングが現代風の軍歌として作られるだろう、それが、政府・軍隊・民間企業、そして、民衆が、作り、歌い、楽しんで広めてゆき、やがて、止めようとしても止められない戦争に突入し、全国が焦土と化すまでやめられない、あるいは、暗黒の独裁政治が延々と続く、そういう時代になってしまう危険性までを、俯瞰し、指摘している。軍歌を作ってきた人々の歴史に、おもしろさとこわさを感じた、一冊だった。
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