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マイ・バック・ページ みんなのレビュー

  • 川本三郎
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みんなのレビュー5件

みんなの評価4.5

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紙の本

マイ・バック・ページ ある60年代の物語

自ら封印してきた60年代を解き放つ、若き日の「愚行と失敗の記録」

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:abraxas - この投稿者のレビュー一覧を見る

おや、と思った。何だかいつもの川本三郎と感じがちがう。文章も生硬で余裕が感じられない。それに、60年代をテーマに謳っているのに出てくる話が暗いことばかりじゃないか。死者についての話も多い。それに何より「週刊朝日」や「朝日ジャーナル」記者としての個人的な感想がいかにも青臭い。いや、臭すぎる。いったい何を書きたいのだろう、と思いながら読み進めていった。

先に書いておくが、実はこの本1988年に河出書房新社から出版された同名の書物の復刻版である。その前年に雑誌「SWITCH」誌上に連載された文章を集めたものだ。当初は「六〇年代のさまざまなできごとをさらり(三字分傍点)と客観的に書くだけのつもりだった」と、88年版のあとがきのなかで川本は書いている。しかし、第一章から川本の口調は滑らかではない。何やら60年代のことを思い出したくない様子なのだ。映画の中に引用されている三里塚闘争の映像を見たときのことを「いやだな、思い出したくないな」と書いている。

当時川本は、ジャーナリストにあこがれて朝日新聞に入社したばかり。それなのに、新米社員にはつまらない仕事しか回ってこなかった。ベトナム戦争に取材に行っている先輩をしり目に、自分は安全地帯にいて第三者的な立場で意見を述べているばかりという事態に焦れていたのだろう。「センス・オブ・ギルティ」や「ベトナムから遠く離れて」といった章のタイトルにもそれは表れている。

それにもう一つ、川本は「週刊朝日」に配属されていたが、当時勢いのあったのは圧倒的に「朝日ジャーナル」の方だった。あの雑誌をくるっと巻いて小脇にはさんだり上着のポケットに指したりするのが流行りのスタイルになっていたくらいだ。三里塚闘争にしても「朝日ジャーナル」の方は支援の姿勢を明らかにしていたが、「週刊朝日」の方は旗幟鮮明ではなかった。同じ社内にあって、新左翼シンパの自分が「週刊朝日」の方にいることが悔しかったようだ。

しかし、上層部の判断で「朝日ジャーナル」のスタッフが配置転換され、その後を他の部局から入ってきた者が担うことになった。若い川本もその一人だったが、前メンバーからは第二組合的な扱いを受け、冷ややかな目で見られていたらしい。頼りになるメンバーも限られ、どうしたら「朝日ジャーナル」を続けていけるのかという不安の中で事件は起きた。

アメリカン・ニューシネマやウッドストックといった話題もあるのに、どうして暗い話ばかりと感じていたが、それには深い理由があった。「ニュース・ソースの秘匿」。今でもジャーナリズムのモラルの一つとしてよく取り沙汰される話題だ。「赤衛隊」という名前を記憶している人も少なくなっただろう。自衛隊朝霞基地で警備中の自衛官が刺され死亡するという事件があったが、なんと川本は、犯行以前に、その犯人に単独インタビューをしていたのだ。

それだけならまだしも、犯行後に証拠品である警衛腕章をもらい受けてもいる。インタビューに同行した社会部記者は警察に情報を流すべきだという。川本がそれに反対したのは、ジャーナリストのモラルを守るためであった。この事件を単なる殺人事件とする社会部記者に対し、思想犯だとする川本の論理は完全に食いちがう。その結果、逮捕され拘留。取り調べに対し完全否認するも犯人の方はぺらぺらと自分のことをしゃべっているらしく、このまま否認を続ければ「殺人教唆」の罪まで被る危険性が出てきた。

結果的には、事実を述べたことで「証憑湮滅」だけで起訴され執行猶予つきで釈放されるが、朝日は馘首。ジャーナリストのモラルに違反した自分を川本は許せなかった。以後、政治を語ることは自分に禁じてきたという。88年版が出たとき、丸谷才一が「比類なき青春の書」、「どう見ても愚行と失敗の記録であって、それゆゑ文学的」と評したのはさすが。72年に起きた事件を語るのに15年かかったのだなあ、と読み終えて思った。改装版が出ることになったのは映画化されることが決まったからだ。

暗い話ばかりと書いたが、後に高田渡と武蔵野タンポポ団のメンバーとなる青年(シバ)の下宿でフォークソングを一緒に歌ったり、阿佐ヶ谷の「ぽえむ」で永島慎二の隣でコーヒーを飲んでいたりと、懐かしい名前も登場する。後知恵ともいえようが、川本三郎の資質はむしろそちらの方に向いていたのではないだろうか。貧しい者や弱い者に優しく、声高にものを言うことのない筆者の書く物を愛読してきたが、こういう時代があって今の筆者があるのだなあという思いを強くした。

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マイ・バック・ページ ある60年代の物語

俺たちに明日はあったのか

4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 七〇年代前半、なまいきにも映画青年きどりで映画雑誌「キネマ旬報」などを読み始めた私はそこで初めて川本三郎という若手の新進気鋭の映画評論家を知りました。
 川本さんの文章はけっして過激でなく、やさしく銀幕と対峙していた印象があります。どちらかといえば、エッセイ風なほのぼのとした優しい文章で、それは現在の、昭和の記録であったり文芸評論であったり、もちろん映画評論でも変わることはありません。
 そんな川本さんの略歴をみれば「東京大学法学部卒業後、朝日新聞社入社。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」の記者を経て、評論活動に入る」とあります。わずか、これだけの略歴のなかに、おそらくその後の川本さんを作り上げた、大きな鍵がいくつもひそんでいます。
 本書は、まさにそんな日々を描いた作品だといえます。

 鍵のひとつは、東京大学を卒業したあと、川本さんは「就職浪人」という時間を「新宿の裏通りでバーテンのアルバイト」をしながら過ごしています。その時によく通ったのが、永島慎二さんのマンガでおなじみの阿佐谷にある「ぽえむ」という喫茶店ということで、川本さんの文章のやさしさはそんなことろを原点にしているのだと思います。

 もうひとつの鍵は、本書でも詳しく書かれていますが、朝日新聞をある政治的事件をきっかけにして「解雇」されたことです。つまり、川本さんは積極的に「評論活動」に入ったのではなく、やむなき事情が現在の川本三郎をつくったといえます。
 本書はいわばわずか三年ばかりの朝日新聞で働く、若きジャーナリストの挫折の記録といっていいでしょう。
 今から思えば、大阪万博に世の中が浮かれていた1970年は、よど号事件や三島事件など、多くの影も共存していたのです。その影にひきづられるようにして、川本さんは挫折していくのです。

 本書の題名はボブ・ディランの曲からとられています。そのなかに、「あのころの僕はいまより年をとっていた」という歌詞があるそうです。1988年にこの本を初版を上梓した時、川本さんは四十代。こうして新装版がでた今は六十代の半ばを過ぎました。そんな川本さんにまだ「あのころの僕はいまより年をとっていた」という感慨はあるのでしょうか。少なくとも、今の川本さんの原点がここにはあります。

 ◆この書評のこぼれ話は「本のブログ ほん☆たす」でお読みいただけます。

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もはや「僕」と書けなくなった人の過去

4人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る



著者が70年代に政治的な事件を起こしたことは知っていたが、それを本人の言葉で逐一綴られたものを読んだのは初めてだ。

取材の過程で知り合った「それなりの思想犯」だと思った男が、朝霞自衛官殺害事件を引き起こした。警察はまだ犯人が誰かまったく分からず捜査中だが、自分は知っている。しかも事件後犯人に会い、インタビューまでした。普通の人間ならすぐ警察に通報すべきだが、自分は取材源の秘匿を不文律とするジャーナリストである。この場合ジャーナリストは犯人を通報すべきか否かというのが、当時著者が突きつけられたジレンマであった。

著者は結局「証憑隠滅罪」で警察に逮捕され、新聞社を懲戒解雇されるのだが、私ならどうしたろうかと大いに考えさせられる。

一週間は取材源の秘匿を盾に頑張った著者だったが、孤立無援になって己の弱さから戦いきれず、すべてを自白して潰れていくプロセスはじつに悲惨だが、また実に共感できる成り行きでもある。私が彼なら、滝田修と腕章を焼却してもらったU記者のみならず、もっと多くの仲間を警察に売ったに違いない。私は彼よりもっと弱いから。

この事件が著者の人生を全部変えたことは言うを待たないが、私がわが意を得たのは、彼が「それ以来「私」を主語としてしか文章が書けなくなった」と告白しているくだりだ。
それでなくとも、ふつうの教養ある士人なら、四十を過ぎれば「僕」と語り、書くことに年相応にためらいを覚えるはずだと思うのだが、五十、六十、否、九十になっても「僕、僕、僕」と連発している石原慎太郎、大江健三郎、吉田秀和のような不敵な面魂の含羞なき人々は、おそらく人生で蹉跌した経験がないボンボンのような無邪気な人であろう。村上春樹や村上龍も、死ぬまで「僕」であらう。ボクハソレダケデイヤンナル。

文は人なり、というとき、もっともその人が現れるのは、「僕」か「私」か「あたし」か「おいら」であるように思われる。

雀百まで僕、僕、僕、てめえに自信があっていですねえ 茫洋

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何が人々を引き付けたのか

8人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:良泉 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 いま、この旧い話があらためて映画化され脚光をあびるのはなぜか。
 本書中で著者がフランス映画「サン・ソレイユ」から引用する言葉。
「愛するということが、もし幻想を抱かずに愛するということなら、僕は、あの世代を愛したといえる。彼らのユートピアには感心しなかったが、しかし、彼らは何よりもまず叫びを、原初の叫びを上げたのだった。」
 まず、思想とか闘争のやり方論とかを全く抜きにして考えた時、あの時代、あれだけの学生達がエネルギーを結集させ、自己の存在のために闘った、そのこと自体は、やはり愛されるべきことであったと、私も思う。
 若者の無気力・無感動などということが言われたのも、はるか昔のこととなった。そんなこと今では口に出す人もいないし、特に問題視する論考さえ聞かない。
 いまや、若者に限らず、国民総無気力化の時代にあって、そんなこと問題にもされない。
 マイ・バック・ページを今の時代に映画化し表に登場させようとした人達の思いが少しわかって来たような気がする。そして、その映画を、指示する人達の気持ちも。
 同じく「サン・ソレイユ」からの引用。
「学生たちの中には、粛正の名のもとに、山中で殺しあった者もいた。また、打倒すべき資本主義を研究しすぎたあまり、その最良の幹部となった者もいる。他の運動と同じくここにも陰謀家もいれば出世主義者もいたのだ。しかしこの運動は、チェ・ゲバラのいうように『ただ一つの不正にも身を震わす』という人々すべてを立ち上がらせたのだ。このやさしさは、彼らの政治行為そのものよりも長い生命を持つことだろう。だから、二十歳は一番美しい季節ではない、などとは、僕は決していわせない」
 単なるノスタルジーではなく、あの“みんなが熱くなった時代”に、どうしても引かれる自分がいる。そして、きっと同じ気持ちを感じている人達がたくさんいる。この時代にも。
 あの時代の彼らの「政治行為」は、あっさりと終焉を迎えた。しかし、ここで言われるように「このやさしさ」は、きっと人々の中で、社会のどこかで「長い生命」を持って生き続けているはず。
 いまの時代こそ、そのやさしさを取り戻す必要がある。「ただ一つの不正に」「身を震わす」必要がある。それは、今の時代に、あまりにも多くの不正が蓄積し過ぎているから。
 そして、今度こそ、その不正に対しては、多くの世代が協調して身を震わせる必要がある。
 かつての闘争の大きな失敗は、闘争の主体があまりに限定された世代に集約されすぎていたこと。
 新聞記者として、かつての闘争の側にいた著者は本書で言う。
「ついこのあいだまでは自分は学生としてデモに参加する側にいた。いつ逮捕されるか、逮捕されたら満足に就職もできなくなるのではないかと正直なところびくびくしながらデモの隊列にいた。ところがひとたび記者という取材する側になると急に身分は完全な第三者になる。記者は取材する側という安全な立場で、悪くいえばデモを高みの見物ができる。」
 この物語と映画は、現代に生きるわれわれに、新しい闘い方を指し示してくれるためにあるのだろうか。

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マイ・バック・ページ ある60年代の物語

本書は麻布高校から1年の浪人生活を経て天下の東大法学部に入った超エリートが、これまた天下の大新聞、朝日新聞社に入ったがいいが(朝日に憧れ続けた川本は、一回落ちた朝日新聞を再受験するため1年間浪人している)、ひょんなことから朝霞の自衛隊基地で起きた悪辣なる殺人事件(殺人事件の犯人は当時日本大学2年生だった菊井良治)に巻き込まれ、たった2年で朝日新聞を懲戒免職になった事件の顛末を綴ったものである。

13人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る

川本三郎に必要とされるのは「痛切な反省」、この一言に尽きる。尽きるはずなのに、いまだに川本がやってしかるべき反省が文面から全く伝わってこない。いまだに「俺は正しいことをした」「俺は権力に負けた」としか思っておらず「僕は間違ってなんかいなかったよね。みんな、僕のことを分かってくれるよね」と甘ったれの小僧宜しく読者に訴えかけてくるようで痛い。

自衛隊の朝霞駐屯地で起きたのは、菊井良治と言う、思い上がった、目立ちたがりの大うそつきの1人の男が犯した単なる殺人事件であり、そこで何の罪もない無垢な自衛官の命が理不尽に奪われた、ただそれだけのことなのである。この極めてシンプルな事件の全貌を、そこに「居合わせた」といっていい川本三郎は勝手に事件の本質を捻じ曲げ、警察の捜査に協力するどころか黙秘を続け妨害し、証拠の隠滅を図り、犯人菊井の逃亡ほう助さえ行おうとしたのである。この冷厳なる事実を、川本三郎本人は、いまだに認めていないのではないか。往生際が悪いというか、バカは死ななきゃ治らないと言うか。川本が、当時の全共闘運動全盛期の中で囚われた間違った時代認識、間違った事実認識をいまだに反省出来ず克服できないでいるようなので、彼の反省の契機になればと思い、彼に対する愛情から、以下、私なりの処方箋(回答)を川本三郎に授けたいと思う。

【全共闘的世界観の根本的な誤りを全面的に認識せよ】
全共闘とは何か。これは暴力革命を放棄し、議会制民主主義という日和見に堕した既成政党(日本共産党、日本社会党)と決別して暴力革命による体制転覆を狙う運動のことである。自分たちのみが真実を知っており、全共闘運動に共感できない「大衆」を無知蒙昧と侮蔑し、大衆が支持する「帝国主義政府」を打倒し、理想の社会建設に向けて「大衆」を「真理に目覚めた学生」が先導し善導すると言う、今から思うと「お前ら正気か」と言わざるをえない、大変傲岸で傲慢で視野狭窄な学生運動、それが全共闘運動だった。こうやって要約すると
そのあまりに自己チューな思考に驚倒せざるをえないが、自分たちだけが真理を知っているという思い込みの激しさは、なんだかオウム真理教にそっくりな気もする。

【警察=権力=民衆の敵ではない!】
川本は「帝国主義政府(アメリカ、自民党)=警察=民衆の敵」「共産主義国家(ソ連、中国、北朝鮮)=暴力学生=民衆の仲間」みたいな単純な図式で世の中を捉え、それをいまだに「間違っていましたすみません」と痛切に反省していないようだが、当然のことながら、こうした図式は根本的に誤っている。そもそもなぜ自民党が長期政権を持続し、ついに日本社会党(まして日本共産党)が政権を取れなかったと言えば、日本国民が自民党を熱烈に支持し、日本社会党(まして日本共産党)を全く支持しなかったからだ。民主主義社会での最大の権力者は有権者たる日本国民じしんであり、政府や官僚は日本国民の代理人(エージェント)に過ぎない。警察とて、同じこと。なぜ警察や自衛隊が武力を独占的に行使出来るかというと、武力の独占を日本国民じしんが警察や自衛隊に委ねているからである。警察や自衛隊も日本国民のエージェントであることに変わりなく、いうならば警察や自衛隊は税金で雇われたセコムだと思えば理解が早い。この単純な真理に川本はいまだに気が付いていないようだ。警察は民衆の敵ではなく、民衆そのものなのだ!

【ベトナムで多くの人が死んでいる?そんな単純な!】
川本の文章を読んでいると、まるで「アメリカ=虐殺者、日本政府=虐殺者に手を貸す共同正犯」であり、アメリカに抵抗する「ソ連=中国=北朝鮮は正義の味方」みたいに読めてしまうのだが、すべてが明らかになった現在では、この単純すぎる図式も大間違いであったことは、今を生きる大半の日本人は理解している。共産主義者の最大の罪悪は、北朝鮮を見れば一目瞭然だが、平気でうそを言い、自分の都合の悪い情報は徹底的に秘匿して、ウソで固めた情報操作を国をあげて平然と行うことである。その悪逆非道ぶりは民主主義国には到底まねすることが出来ない。平然と人権を無視できる独裁国家だからこそ出来る情報操作が共産主義国の真骨頂だ。それを川本はいまだに認めないとでも言うのか!例えば、中国だ。中国はこの時期、文化大革命と言う凄惨なリンチを国をあげて始めている。その犠牲者は2千万人とも3千万人とも言われる。ただ、この凄惨な事件を中国共産党は徹底的に秘匿した。ソ連だってそうだ。ソ連は世界同時革命を実現すべく、この時期、キューバを使ってアフリカ侵略を大々的に行っているし、国内では容赦ない弾圧を行っている。その一端はソルジェニーツィンによって暴露され露見するのだが、これに川本ら全共闘カブレは全く気が付いていない。悪辣なる北朝鮮は、既にこの時期、日本列島のあちこちに特殊工作員を派遣しては拉致事件を起こしている。ベトナムだって例外ではない。確かにベトナムは統一し独立することは出来た。しかし、これは所詮、共産主義者による武力統一だったのであって、統一は民衆が望んだ形とは程遠いものであったことは、統一後発生した膨大な数のボートピープル(共産主義の圧政を嫌い、命からがらベトナムを逃げ出した人々)を見れば明らかである。だからベトナム戦争と言うのは民衆対帝国主義という単純な図式ではなく、共産主義対民主主義という冷戦構造の中で、情報操作に米国が負けたという面が強かったことに川本君はまったく気が付いていないようだ。ベトナムでは、その後、南を占領した北による厳しい弾圧と取り締まりが断行され、経済は崩壊し、ベトナムの民衆は飢餓線上をさ迷うなど非常に苦しい経験を強いられている。こうしたことに川本君は全く興味も関心も無いかのようだ。

【学歴に徹底的にこだわる学歴エリート川本君】
川本の寂しさは、所詮彼のすべてが「麻布-東大法」という学歴に依拠しており、そこから全く抜け切れていないところだろう。東大全共闘の山本義隆が最初から最後まで「思想犯」だった一方、朝霞で自衛官殺害事件を起こした菊井良治がはじめから単なる殺人犯として処理されたのは、山本が東大の学生で菊井が日大の学生だったから等と、とんでもない「学歴差別論」を川本は展開する。学歴社会の金看板をしょってれば無罪なら京都大学の学生だった奥平純三がどうしていまだに指名手配されているのか、説明がつかないではないか。山本が思想犯扱いなのは、結局彼が殺人にも殺人教唆にも手を染めていなかったからにすぎない、ただそれだけのことだとどうして川本は思わないのか。

【結論】
いまだに全共闘を反省出来ていない。そんな読後感である。あらぬ罪をかぶせられ、6年7カ月も刑務所にぶち込まれた結果、痛切に自己批判して『滝田修解体』を宣言されるに至った竹本信弘(滝田修)と川本三郎では、その知性、人間性に大きな隔たりを感じる。感じざるをえない。

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