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電子書籍

ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね みんなのレビュー

  • 岡崎京子 著
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みんなのレビュー2件

みんなの評価4.5

評価内訳

  • 星 5 (1件)
  • 星 4 (1件)
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  • 星 1 (0件)
2 件中 1 件~ 2 件を表示

紙の本

ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね

クールで透明なひとりへ。それは水晶の光に似た、

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ねねここねねこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

「いつも一人の女の子のことを書こうと思っている。
 いつも。たった一人の。ひとりぼっちの。一人の女の子の落ちかたというものを。
 一人の女の子の落ちかた。
 一人の女の子の駄目になりかた。
 それは別のありかたとして全て同じ私たちの。
 どこの街、どこの時間、誰だって。
 近頃の落ちかた。
 そういうものを。」
                       『「ノート(ある日の)」』より
 
 
岡崎京子のことば。 彼女の言葉には表現者の確たる美しさが感じられる。
不遜と大いなる思い込みを承知で述べてみるなら、僕のなかにある似たものに、それは触れてきて振れる気がする。
一人の女の子はわたしたち、そして僕たちのものである。
(アニマ、アニムスの例えなくとも、「僕たち」に拡張することを許して欲しい。程度の強さはそれぞれでも、こころに住まうものとして少年少女はともにある)
客体と主体でそれぞれ見つめるものならば、鏡のもの、そして人形を僕は思う。人形作家の作品が低い温度で重なる気もする。
 
どこかほどけて溶けるように、つれづれ感じる、淡い、確かな。
それは瞬間を垣間見せ、一足の軽やかに見えるステップの中にすべてを映す。
その魅力をこうして活字で示そうとすると、そのものはとても難しく感じられる。
なんというか、取り止めがないのだ。
はぐらかされるようでそれでいて、切っ先鋭く入られるような。
純粋なものとくだらない(という岡崎の主張に思える)、他愛のないものを共に持つ。
そのものは、だから複数の角度の魅力を持つ。傾ける角度で色が変わる、水晶の石を通した光のような。涼しい気配と驚きの、夢を一瞬見せるような。
 
しかしその夢はすぐ醒める。それに加え夢の着色は資本主義、現代の現実の欠片に満ちてもいる。
夢を見て見ない。クールでドライな儚い希望。
稀有な才能を持つ女性漫画家岡崎が、書いた活字の話たち。
なんと表したらよいのだろう。まるで本ではない本のようだ。
そしてこのものには、こころのなかに住まうものの深いところにある魅力がある。
クールでドライな生活と夢。虚無というものをとつとつと、ゆらり語られている感じを受ける。
 
岡崎京子の魅力は、突き放しのものにもある気がする。
ただあるだけ。そのものはとても刹那的だ。
そしてその刹那、それは空虚でもありえるのだ。その空虚を彼女は「何いってるの? そんなのあたりまえじゃない」そう言って、ありのまま、すべてそのままに突き放してくる。
付属するものはとても薄い。
夢見ることに線を引く、それがひとつの夢であるよう…。
 
全能の観察者である瞳を持ち、彼女は助けることをしない。落ちていくだけのものたちを彼女はそうして書いていく。
すべてありのままに…。見つめる客観と、僕たちそしてわたしたちの主観と現代の「ひとり」を持って。
 
助けがない、という状態。そのものは現実をどこか映している。至って個人的なものでありながら、とある社会をも映している。
しかしながら、それは冷酷とはまったく異なる。冷酷というものの温度すらありはしない。刹那の日常と「普通」であること。狂気や光があったとて、そのものは至極あたりまえに転がるものたち。殊更価値を見出して、声高に訴えかけることをしない。
そのことに、ある種の安心も感じてしまう。何より誠実なものを、どこか思える感じもする。
 
儚さの中にすべてはあり、消えてしまうものをただ見送る。とても刹那的な美しさ。
客観の傍観者として存在すること。そしてそのものに喜びも嘆きも殊更思わないこと。
突き放すクールなものだけそこにある。ただ吹き抜ける風のこと。客観の「もの」としてすべてが位置していること。それはまるで、かくのごとく言の矢を放つようにも感じられる。「価値なんて求める行為はナンセンス」だと。
 
しかしながら、それでも表現してしまう。
物を表し、そのものの反映として、何かを絶えずに見せていくこと。そのものの意識は、もしかしたら、深遠にある原初の衝動に始まるような…。
 
価値なんてすでにないことを知っている。クールに行くのよ。クールにね…。
されど残るのはなぜだろう。
僅かだが熱を出さねばならぬ思い。落ちていく過程に人は煩悶する。
すべてが刹那、価値もない。されど表し、動かねば、生きることすら困難になる。
 
水晶の光に良く似た言葉がある。
双極のものを纏いつつ、岡崎が落とした言葉の美しい光。

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紙の本

ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね

岡崎京子が活躍していた頃、多分看護学校で勉強していたわたしは、彼女のことをまったく知らなかった。日本漫画史にとって重要な人らしい、でも小説はどうかな

3人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る

漫画家岡崎京子の初めての小説集。筑摩書房の「PR誌ちくま」に1995〜1996年にわたって掲載されたもので、カバーイラストも自身の作品集『うたかたの日々』から採られたものらしい。最近、極端に視力の落ちた私は、たんにアイボリーの地の紙に白いところがあるなあくらいに思っていたら、ミュシャを思わせるとでもいったらいいのだろうか、もっと品のある女性のヌードイラストがあって、びっくりした。

で、150頁ばかりの、ちょっと美術関係のものではないかと思われる造りの本には、14もの短編が収まっていて、ちょっと好きなのが目次の頁の紙の色。これって、何ていえばいいのだろう茶にちょっと朱を混ぜて、小豆色風にして、それに紙本来の持つ黒味みたいなものが透けて見えて。それに白抜きのタイトルと黒字の頁表示。

いや、本当はもっと技が細かくて、本を開いたときに白いきき紙、あて紙があって、その次にクリーム色の紙、その裏が朱色で、目次とタイトルを入れただけのちょっと濃い目の小豆色が対の頁で、それをめくると見開きの、先述の目次頁、そして再び右に朱、左に濃い目の小豆色頁と、楽しくて、これだけかと思ったら次は目次と同じ色になって、左側に紙質を変えた白い紙に真っ赤な花びら。そして小説が始まるけれど、そのタイトルページにうたれた文字の色が、目次頁の紙の色。本文の頁や章番号も同じ色で、これだけで十分に堪能してしまう。

この洒落た装幀は祖父江慎、編集は清水檀、制作は日下部行洋(平凡社)とある。小野不由美『くらのかみ』の装幀も祖父江慎だが、そのベクトルの向きだけでここまで異なるデザインができる、そう思うだけで感動である。調べてみると、木原 浩勝/中山 市朗 『新耳袋—現代百物語〈第八夜〉』、京極 夏彦『どすこい(仮)』、赤塚 不二夫『天才バカボン (1) 』もそうで、祖父江慎はデザイン界、とくにブックデザインの世界では有名な人で、コズフィッシュとの関係まで分かってしまった。

とまあ、いつになく脱線が続くのは、この本のブックデザインの秀逸さもあるけれど、実は岡崎京子のこの作品集、極めて説明しにくいのである。たとえば、これを漫画で見せてもらったら、私は絶対に肯く。わけは分からないなりに、つげ義春の作品を楽しんでしまうように納得することができる。解説だって、夏目房之介さんほど上手くはなくても、コマ割りや絵そのものでやる。

でも、それが漫画ではなく文字で描かれるとなると、逆に難しい。理に落ちる話ではないのである。筋を追う物語ではないのだ。私の大好きな笑いも、ない。眼前に何かが浮かび上がるということもない。散文一本槍、詩や和歌などを大の苦手とする私には、岡崎の小説を表現する術がないのだ。

ただ、表題作の「忘れる」ということを中心に据えた人間関係、蛇と自分の家族の淡々とした生活「蛇」、バスで靴を片方落としてしまった私が病院で「靴を盗む」、痴話喧嘩で自分の片目を抉り出した女の「……とまあ、そんなとこ。(You know)」タイトルだけで読者を混乱させる「森の中/二人の兄弟/孤独な王様/王妃たち/赤ずきんちゃん/その他」は、その直後に「赤ずきんちゃん」と「森の中」という作品があるだけに???となる。

うーむ、これって白紙回答になるのを避けるために、無理やり思いついたことを書いている学生時代の答案に近いかもしれん。赤点覚悟で出しちまえ、あとは温情、温情である。ちなみに我が家のコミック、アニメ大好きなりたて高校生長女は、私などより深く読み込んで、「私、このひと好き」といっていた。既に子供は親を超えた! これを親ばかといいます。

はは、書評ではなく本評であったなあ…

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