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アフリカ的段階について みんなのレビュー

  • 吉本隆明 (著)
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紙の本

アフリカ的段階について 史観の拡張 新装版

フーコー的にヘーゲルをフォローした世界観?(ホントは解剖学!)

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:T.コージ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 大澤眞幸らに現代の寄書といわれたようだが、本書の根幹はヘーゲルだ。ヘーゲルからインスパイアされてこういうコンセプトを見出した著者のユニーク?さに脱帽する人もいるかもしれない。ネイティヴな世界へ、ヘーゲルに依拠しながらもヘーゲルを超えていく思索が展開される。

 解剖学の三木成夫の影響を受けた著者のモチーフでいえば、個体発生は系統発生を繰り返す…というセオリーを逆転させたものが本書のモチーフかもしれない。つまり世界の歴史(系統発生)というものは人間=個体の発生をなぞるものだ…人間の胎児期に相当するものを歴史に探しだそうとする試みが本書であり、それは<アフリカ的段階>として抽出される。

 マルクスはインド・ヨーロッパ語圏の外にアジア的共同体を見出したが、吉本はそのアジア的段階より前の段階としてアフリカを見出している。そこには殺生与奪権を独占し自由に行使できる王がいる。しかし、民衆は豊穣と生活の保障と引き換えに王(権力)を認知しているのであって、不作や疫病があれば王は民に殺されてしまう。生命の等価交換(という原始的なシステム)の上に成り立っていた頃の世界がそこにはある。民衆(個人と共同性)と王(権力と象徴)は等価なのだ。現代も残る生贄はその形式的な継承だといえるだろう。生贄が小さくなった分だけ世界は進歩したワケだ。生贄の扱いと社会の進歩はシーソーのように反比例しながら歴史が進んでいることの証明になる。

 この<生命の等価交換>は観念的には<対幻想>の観念と同致するものであり、吉本の膨大な思索をたどるとそのことがわかる。
 個人の心が<対幻想>を基点に遠隔対称化し、共同幻想=公的観念を自己生成する段階において、最初の政治性あるいは権力のあり方としてアフリカ的段階は考察される。
 アフリカ、アメリカ、日本のそれぞれのネイティヴの伝承などが長く引用され、ヘーゲルにとっては歴史外であるそれらの社会状態や人間の営みが紹介される。吉本的な思索の醍醐味であるかもしれない。

 『心的現象論序説』で<原生的疎外>と<純粋疎外>の差異として心=観念を抽出する一方、『共同幻想論』では<対幻想>を動因そのものとする共同観念=共同性の生成を示した。『言語にとって美とはなにか』では言語を心の表出と、その共同化による規範化などとしてクローズアップした。その後、これら初期三部作の理論の統合を目指して『ハイ・イメージ論』が展開されたが、個別の批評としての先鋭的な進化はあるものの、統一された理論というには散開しすぎていた。むしろ、この『アフリカ的段階』こそ初期三部作の統合を用意するものとして読まれるべきだという気がする。すくなくとも新たなる共同幻想論としてその普遍性はいよいよ世界レベルに達したといえるのではないだろうか。ある意味でヘーゲルを補えるフーコー的な考古学があるとしたらこういうものかも知れないと思える。

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