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電子書籍

北丹鉄道 みんなのレビュー

  • 山本武男 (著)
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紙の本

北丹鉄道 河川敷に消えた小鉄道

地方小私鉄の悲しい生と死

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投稿者:小池滋 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「北丹鉄道」と聞いても首をかしげる人の方が──丹後北部、つまり京都府の北の端に住んでいる人でさえ──圧倒的に多かろう。無理もない。JRの福知山駅から由良川に沿って北に向かい、大江山の麓の河守(こうもり)までの12キロほどの長さを持つ小私鉄で、1971年(昭和46年)3月1日で運転をやめてしまったのだから。

 そんなローカルな話題の本を、鉄道ファン、雑誌ならともかく、一般の読書人向きのメディアに持ち込むのはどういうつもりだ──と、お叱りを受けるかもしれない。でも、日本の地方によく見られる現象を象徴的にあらわしているので、鉄道ファンでなくとも、地方在住者でなくとも、どこか身につまされる思いをするのではあるまいか。

 この鉄道の歴史は古い。1918年(大正7年)に、福知山町や大江山近くの有志の発起人によって、福知山から日本海沿岸の由良までを結ぶ鉄道建設計画が申請された。当時としては観光地・天の橋立への最短ルートであり、沿線に養蚕(ようさん)や鉱石採掘などの産業もあり、京阪神との間の物資流通路として、将来は官営鉄道となる望みもあったのだから、極めて当然の計画だった。

 ところが、翌年官営鉄道は舞鶴から宮津を通って豊岡へ抜けるコースを宮津線(現在は北近畿タンゴ鉄道)として決めてしまった。そこで、こちらは北丹軽便鉄道として免許を得たものの、全線開通は実現せず、南半分の福知山・河守間だけが1923年(大正12年)9月22日に開業となった。

 以来、「軽便」の名はとれたが、中途半端な存在となり、建設費節約のためか由良川の河川敷にレールを敷いたのがわざわいして、線路水没は年中行事のようになった。戦時中は鉱石や砂利輸送が一時活況を呈したが、戦後は全国的モータリゼイションの発達によって赤字がますますひどくなった。

 一方、宮津市、福知山市、沿線の町村から河守・宮津間を国鉄線として建設する請願が出され、1953年(昭和28年)には認められ、1966年(昭和41年)に着工となった。北丹鉄道の線路は国鉄に買収される希望も湧いて来た。ところが、河川敷の線路なんか天下の国鉄の車が通れぬかというわけで、ルートも大幅に変更になった。その上、工事が出来上った頃には国鉄の屋台骨が揺らぎ始め、赤字必至の新線は開業の見込も薄くなった。

 結局第3セクター宮福鉄道となったわけだが、その陰で本来の北丹鉄道はひっそりと姿を消さざるを得なくなった。かつての国鉄宮津駅も赤字で廃線リストに入れられ、宮福線と一緒に第3セクター北近畿タンゴ鉄道となって今日に至っている。

 本書には車両の写真・図面も多数収録されている。北丹鉄道のSL、ディーゼル車、客車、貨車などのほとんどが、他の鉄道からのセコハンであるのも、どこか淋しさを倍加させるのである。 (bk1ブックナビゲーター:小池滋/英文学者 2000.11.01)

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