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神経内科医の文学診断 みんなのレビュー

  • 岩田誠 (著)
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紙の本

神経内科医の文学診断 正

紙の本神経内科医の文学診断 正

2009/01/31 17:47

作品のなかで出くわした脳や神経の症状を、専門医はどう目に留めたのか、どういう作品鑑賞をしたのか。神経内科医の「見立て」で文学作品の味わいが広がるユニークな読書エッセイ。

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 軽い調子で書いているのか重々しく書いているのかという表面上の様子ではなく、書物に書かれたことが平板で、書き手の思索の乏しさを感じ取ってしまうようなとき、何やらとても損をした気にさせられてしまう。それはなぜなのだろうか。
 人間そのものや人間社会の諸現象、あるいは自然レベル、物理レベルでのささやかな対象やこの世界の成り立ちといったものについての著者ならではの洞察――それが、読む自分にとって目新しいものであり、そこに書かれた視点や価値観で、限られた自分の視野が広がることを書物には期待するからだ。かといって、期待することが物々しく荘厳に書かれていたのでも嫌気がさしたり気鬱にさせられたり……。日常に引き返すときによろしくない。
 このように、ああだこうだと、ネットという発信手段を与えられた昨今の読者は特にうるさいわけだが、「じゃあ、そういう読者の方はどうよ」というと、著者は返す刀でズバッと同じく襲いかかれば良いのではないか。何もメッタ斬りなどする必要はない。
 著者にしてみれば、読者の受け止めが平板で、読んだ内容への思索の乏しさを露呈しているようなときはがっかりするものだろう(がっかりする前に、意図や思いを十分に伝えられたのかという反省も必要なのかもしれない)。そして、誰かがどこかに書いてあったようなことを流用して偉そうに述べるのではなく、その人ならではの感想や考えを自分の言葉として素直に伝えてくれるよう期待しているのではないか(え~、ここまで書いて、「大丈夫か、あんた」と自分に問いかけています)。

 上に書いてきたような書物と読者の相互関係は、相互のようでいて、実は著者が大方を計画すべきようにも思える。それはさて置き、書物と読者の関係がどうなっているのかを観察するのに良いのが「読書エッセイ」という形式だろう。
 読書エッセイの著者は、著者でありながら読者としての自分をそこに客観的に書いていくことになるからだ。良い読書エッセイは、「良い著者」と「良い読者」のお手本になる。

『神経内科医の文学診断』は、脳や神経の治療・研究に当たる神経内科医の第一人者である著者が、古今東西の文学作品について書いた読書エッセイである。これが滅法面白い。
「神経内科医」というところを見て、「そうか。医者の読書家が書いたのか。しかも、内科や外科、精神科でも歯科でもなく、神経内科なのか」という風に目が行くが、実は「文学診断」という方が大切なのである。
 昔文学青年でもあった人が余技でエッセイを書いてみたという内容ではない。そして、医師としての医学的・科学的見地から作品全体や部分を解釈するのでもなく、作家たちの持病を挙げて病跡学を試みたのでもない。
 文学作品のなかで出くわした病気や症状、それも神経内科に関するものについて、どのように目に留めたか、それによって作品をどう味わい直したのかといったことを、親しい友人や若い学生たちに紹介するかのように書きつづっている。「診断」を「見立て」と言い直すと、少し内容に近づくようにも思える。
 専門医の医師の見立ては特異なもののようでいて、作品の本質や主要人物の設定にとってかなり重要な要素になっている気がする。

 元は「Brain Medical」という医学雑誌で連載されたということだ。200ページちょっとのところに30のエッセイが収められている。最初の方のテーマを少し眺めただけでも、文学好きな人には選書のジャンルが多岐に渡ること、その切り口のユニークさが興味深いと思うので、少し書き出してみる。
 まず、シュルレアリスムの作家ブルトンの『ナジャ』。ここには「クロード教授とババンスキー」という副題が添えられている。『ナジャ』冒頭に出てくる「サン・タンヌ病院のクロード教授」は、神経内科医には「クロード症候群」の記載者として馴染みある存在だということだ。ブルトンが同教授の臨床講義に通っていたことを推し測りながら、ナジャという女性の狂気がシュルレアルなものとしていかに作家には魅力的であったかを考えている。そして、医者になろうとしていた若きブルトンが、師である脳床神経学医ババンスキーから受けた影響がどういうものかについて言及している。
 このババンスキーの足指現象の発見に絡めて、次の章で谷崎潤一郎『鍵』が取り上げられる。副題は「足底反射と挙睾筋反射」で、これは谷崎文学の一側面を表しているように思える。作中の生体反応についての谷崎の描写が詳細なことから、ババンスキー反応についての知識をどう得たのかを推測したり、谷崎の高血圧症についてのエッセイを出して、その症状や治療についての見立てをしてみている。
『鍵』につづく作品はプルースト『失われた時を求めて』で「瞳孔反応」が扱われている。ここではルグランダン氏の碧い目の描写に注目し、日本人の黒い瞳孔と西欧人の瞳孔の反応の差について書いているのだが、著者自身の若い日のフランス語学習の思い出にも触れている。
 次いでミステリ作家ウィリアム・アイリッシュの『じっと見ている目』で取り上げられたのは「閉じ込め症候群」なるもの。肢体不自由な目撃者のまばたきについて、その症候群患者の描写をほめ、同時にデュマ『モンテ・クリスト伯』についても同症候群をよく捉えていることを挙げ、2人の作家が「閉じ込め症候群」という用語が提唱される前に、この症状を扱っていることに驚いている。
 このようにして、松本清張、森鴎外、ベルハルト・シュリンク、アントニオ・タブッキなどの作品を扱っていくのだが、この小説の登場人物や体質の設定にはそういう意図があったのかという意外な観点が示されるので、文豪たちの創作力に改めて感嘆してしまう。

 神経内科学を極めた人だからこそ、文学や読書に仕事として取り組むのではなく、「趣味は読書」「読書は生きる楽しみ」というところが貫かれている。そのため、「そういえばあんなことがあった」「こういうところから、あんなことを思い出した」と様々な広がりがある。宣伝のために、あるいは文学界や読書界での位置を測りながら、作品の美点を挙げていく作業とは異なり、温かなまなざしや物言い、心向きで「見立て」がされているので読んでいて心地良い。この心地良さは、読む私の脳や神経にとっても有難いことである。
 ファンタジーや児童文学にのめり込んだ河合隼雄さんの視点で、定番だったファンタジー・児童文学が新しい光を浴びたという功績もあるので、診療・研究にご多忙とは思いつつも、岩田先生には読書家の羅針盤として、より多くの読書エッセイを書いていただけたら幸いである。

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