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みんなのレビュー4件

みんなの評価4.4

評価内訳

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紙の本

子どもはことばをからだで覚える メロディから意味の世界へ

子どもが言葉をどのように習得するのかを解説した画期的な書!

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ちこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書は、子どもがどのように言葉を習得していくのかを、私たちの経験から解き明かそうとする画期的な書です。赤ちゃんは、歌を聞かせたりするととても喜びます。これは歌によって、またメロディーによって言葉を習得しているのです。このように、歌やメロディーは言葉の習得に大きな影響を与えるものなのです。では、「行く」と「来る」の違いはどうやって習得するのでしょうか。これについては、ぜひ、本書をお読みください。

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紙の本

子どもはことばをからだで覚える メロディから意味の世界へ

乳幼児の発達能力の奥深さ

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:小田中直樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ちょっと前だったら、こんな本を手にとることはなかっただろう。言語学や行動科学に全く関心がなかったわけじゃないけど、金を払ってまで本を買うほどじゃなかった。ところが、二年ほど前に娘が生まれたせいで、事態は一変した。それ以来本屋に行くと、乳幼児とか成長とか発達とか保育とかいったタイトルが付いた本に、無意識に目が行ってしまうのだ。そのおかげで色々な本との出会いがあった。
 乳幼児の機嫌を取るとき、僕らは本を読み聞かせたり童謡を歌ったりする。おかげで僕も随分絵本を買ったし、そのうち何冊かは暗記したし、むかし歌った童謡も数十年ぶりに思い出した。娘を肩車しながら童謡を歌って散歩してると、すれ違った人は一瞬ぎょっとして、それから娘を発見してほっとするっていう、面白い体験もできた。でも、どうして僕らは(おそらく無意識に)こんなことをするんだろうか。この本の著者の正高さんはそんな疑問から出発して、乳幼児は身体で言葉を習得し、親の読み聞かせや歌唱はそれを助けてるって結論に達した。つまり、乳幼児はメロディとして言葉を認識し、そこから単語を切り出し、笑ったり手足を動かしたりしながら発声の練習をし、指さしなどの行動をしながら単語と指示対象の関係を定めたり、発話の状況を理解したりする。言葉の習得は身体的な行為なのだ。
 この本には二つのメリットがある。第一、僕らにもわかる疑問(読み聞かせや歌唱の意味)から出発して、有効な実験の方法を編み出しながら、これまでの通説を修正したこと。正高さんは〈音と言語は別物〉から、〈喃語と言葉の習得とは無関係〉、〈喃語が発音できるようになってから音を認識する〉、そして何よりも〈言葉の習得は理性的で主知的なもので、身体的なものじゃない〉まで、次々と通説を打破する。こうして、乳幼児が言葉を習得するプロセスは、僕らが想像してるものとはかなり違うってことが、説得的に説明される。
 第二、童謡を歌ったり本を読み聞かせたりすることには賛否両論があるけど、それには一定の意義があるって科学的に説明したこと。一時流行った「科学的教育法」では、「伝統的な子どもにうたい、話して聞かせる育児法は、思いのほか評価が低い」(はじめに)。その一方で、伝統的な育児法を周囲から強制されて参ってしまう若い親のケースとか、胎教と称して胎児に親の声を聞かせる装置や胎児に好ましいらしい音楽のCDを販売するのが一大ビジネスになってるとか、何となく奇妙な現象もみられる。でも、この本を読むと、どちらも極端だってことがわかる。伝統的な育児法は、大きな意味はあるけど、絶対的なものじゃない。乳幼児にはあらかじめ言葉を習得する能力がプログラミングされてるんだから。
 僕らが無意識に従ってる育児のルールには、乳幼児にとって合理性がある。乳幼児と親の間には、言葉の習得をめぐる正のフィードバックがある。こういった点をはっきり説明するこの本は、僕にはとても面白かった。もちろん不満がないわけじゃない。たとえば、第二章の終りには、日本人が乳幼児に対して赤ちゃん言葉(助詞の省略、擬音語や擬態語の利用)を多用するのは、日本語には助詞があって、乳幼児が単語を切り出しにくいからじゃないかって仮説がある。僕も娘に対して(まさに無意識に)赤ちゃん言葉を多用してるので、この仮説はとても面白かった。でも、その証明はされてないし、擬音語や擬態語の多用って現象には当てはまりにくい。こういった点も、これから研究が進展してくんだろう。もっとも研究が進展した頃には娘も大きくなって、僕もこのテーマに無関心かもしれないけど。[小田中直樹]

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紙の本

子どもはことばをからだで覚える メロディから意味の世界へ

忘れられた大事業

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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「少し長いあとがき」に出てくる音楽の起源をめぐる仮説が面白い。子どもにとって言語の習得とは、身体全体を巻き込んでなされる営みなのだが、いったん自由にあやつれるようになると、ことばを用いることは理性的かつ主知的な営みであるとみなされてしまう。ヒトはロゴスを所有する動物である、というわけだ。

《だが、「ことばを持った動物」たるヒトは、「テキストとしての言語を所有する動物」にはとうていなりきれないのだと私は思う。ゆえに、身体性を表面的には消し去ることに成功したとしても、決して抑圧することはできないのだろう。ただ、形を変えて、姿を現すだけなのではないか。そして、それこそ音楽というものの本質ではないかと、私には思えるのだ。それゆえ、およそ音楽は、歩行のリズム・和声・韻律・手の動き(舞踊)といった、ことばの習得に重要な役割を果たすにもかかわらず、言語がテキスト化するなかで排除された要素によって構成されているのではないだろうか?》(176-177頁)

《古典としてのテキストこそが、「正しい」言語とみなされていた時代を例にとると、当時は「語り」としてのことばが音楽の主たる要素であった。韻律や声調を、メロディーとして効果的にデフォルメするなかで、演じ手が他者にいかに感銘深く話して聞かせることができるかによって、音楽の良し悪しは評価された。(略)アーノンクール風に表現すれば、ここ一五○?二○○年あまり、先進国地域での音楽は、「語り」中心の姿勢から離脱し、「響き」の注目へと一貫して傾斜を強めてきたのだが、それは言語のとらえ方が変わってきたこと[philologyからlinguisticsへ:引用者註]と表裏一体をなしているのだ。》(179-181頁)

 このあたりの面白さを堪能するためには、本書を最初から丁寧に読むことが必要だ。言語の習得が子どもにとってどれほどの大事業である(あった)ことか、そして大人はいかに「常識」にとらわれてそれを見てきた(忘却していた)ことか、目から鱗の鮮烈な読書体験を味わうことができるだろう(それから、実験科学のすごさも)。

 本書を読んで、思ったこと。一つは、ここに叙述されているプロセスを、脳科学の最近の知見(たとえばミラー・ニューロンの発見など)でもって理論的かつシステマティックに叙述した書物をぜひ読みたいと思ったこと。いま一つは、最近感銘を受けた二冊の本、清水哲郎著『パウロの言語哲学』と山内志朗著『天使の記号学』と響き会うところが多々あるのではないか、子どもの言語習得のプロセスが西欧のロゴスやキリスト教神学の歴史とかなり重なり合うのではないかということ。

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紙の本

子どもはことばをからだで覚える メロディから意味の世界へ

実証的な姿勢に貫かれた本

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投稿者:斎藤環 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ひとはことばをどのようにして学びとるのか。これは精神医学、とりわけ精神分析にとっても重大な関心事だ。これまでフロイトやラカンらによって、エディプス期とか去勢とかといった、抽象的な議論がかわされてきた。しかし正高さんは、それらとはおよそかけ離れた方向から、恐ろしく説得力のある言語獲得の過程を描き出してみせる。それは単なる概念の操作などではなく、リズムや動作、身振りといった身体感覚に深く根ざした過程にほかならないというのだ。
 たとえば赤ちゃんに歌を歌ってきかせることが、いかにことばの学習に役立っているか。「指さし」というシンプルな行為が成立するには、どれほど複雑な概念操作が必要になるか。無限にあるはずの対象の属性から、ひとつだけを抽出することがなぜ可能になるのか。とりわけ「行く」と「来る」の正確な表現が、身体運動という「からだ的思考」の獲得を前提としており、相手の身になって考える能力にも関連づけられるということが実験を通じて明らかにされる過程は、実に刺激的だ。音楽とはテキストとしての言語から排除された身体性によって構成されている、という詩的な仮説も、これほど実証的な姿勢に貫かれた本文の末尾に添えられると、なにかリアルな発見のように思われてくる。(斎藤環/精神科医 2001.5.22)

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