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みんなのレビュー4件

みんなの評価4.0

評価内訳

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紙の本

〈戦争責任〉とは何か 清算されなかったドイツの過去

怨み辛み渦巻く暗黒大陸ヨーロッパ

8人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本を読んでつくづく思うのは、日本人の戦争に対する「うぶ」さだろう。欧州の歴史は血に塗られている。親の敵、妻の敵が国境を隔ててすぐそこに住んでいるのだ。それがパスポートをもって易々と自分の国にやってくる。この感覚は四方を海に囲まれて外敵から守られている日本とは根本的に感覚が違う。欧州では戦争で殺されても、それは犯罪ではないし謝罪の対象ではない。そんなことは良くあったことだし、それが戦争だからだ。戦争で殺されたのは「まぬけ」だったからやられたという認識がお互いにある。従軍慰安婦も同じで、兵隊に売春婦はつきもの。納得ずくでやったなら、それは正当な取引だし、一般の女性が強姦されても、それが戦争であり兵隊にとって女は重要な戦利品だったのだ。そんな当たり前のことをホジクッテ問題にする日本の従軍慰安婦問題追求の運動をドイツ人はアジアの文化のせいではないかとわけのわからない解釈をひねり出す。兵隊にセックスはつきもので、そんなこと誰でも知っていること、でも出来るなら隠しておきたいことなのにわざわざその人間の暗黒面をあばいて悦にいる「偽善」は「アジアの文化のなせる技」と考えない限り理解できないというわけだ。この本を読んでいると、ドイツもその周辺国もドイツを孤立させないため、敢えて大嘘をついてお互いを誤魔化しあい、かろうじて精神の健康を守ろうとしている痛々しさを痛感する。本当はドイツ人なんか皆殺しにしたいと考えているフランス人、チェコ人、ポーランド人も多いだろうに。

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紙の本

〈戦争責任〉とは何か 清算されなかったドイツの過去

本当の意味の戦争責任

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る

「ドイツは、ちゃんと戦争責任を取り、戦後処理もきちんとやっているのに日本は、全くなってない」というのが一般的な見方であり、私もそう思うところがあった。しかし、事実は、そうとは言い切れないという事が本書を読んで理解出来た。
ドイツ人は、ナチスというスケープゴードを巧みに用い、戦争責任を全てナチスに押し付け、国防軍の犯罪については、そちらを省みなかったのである。戦争責任についても、A級:平和に対する罪、B級:通例の戦争犯罪については、国民は意識もせず、C級:人道に対する罪でナチスのユダヤ迫害についてのみ言及しているのである。
こういう状況にも関わらず、日本とドイツの戦争責任に対する対処の仕方の国際評価はドイツの方が断然高い。何故だろうと考える。本書には書いていないが、それは、欧米人と東洋人の性格の違いによるのではないかと思う。欧米人は、物事の白黒をはっきりとつけるのに対し、東洋人は曖昧にする面がある。自分が悪いと思っても、欧米人は、はっきりと自分の非を否定する。東洋人は自分に非がある場合、はっきりと非を否定出来ない。本書でいろいろ解説していたが、本質はここにあると思う。従軍慰安婦問題にしても、この問題を最初に取り上げたのは、被害を受けた韓国人でなく、日本人からだそうである。日本人から問題を大きくしなかったら当時の韓国大統領は、処置済みの問題として見過ごすつもりだったらしい。ドイツにおいても同様な犯罪を犯していたが、これを正面きって取り上げるドイツ人は皆無だったそうである。
侵略戦争に絡む数々の犯罪を正当化する事は出来ない。ドイツのようにナチスをスケープゴードにしてドイツ自身を正当化するのも間違っているであろう。しかし、戦争自体が犯罪的行為であり、それに伴う行為の責任は、ある一線を引かねばならないと思う。日本の在る一線とは、サンフランシスコ講和条約だと思う。政治的責任は、これで完結しているのである。人道的責任は、難しい面も残るが、戦争という非人道的状態も考慮されなければならないと思う。そこを自虐的に責める事は、周辺諸国に対して卑屈になるという事ではないだろうか?

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紙の本

〈戦争責任〉とは何か 清算されなかったドイツの過去

知られていないドイツの現状

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:河原浮 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本は大変興味深い事実を取材した、現代ジャーナリズムの佳作である。

 戦争責任の問題が論じられるたびに、日本と引き比べられるドイツ。その戦後補償のあり方は、加害国のお手本とも考えられ、十分な謝罪と補償を行ってきたとのイメージが、日本では定着してきている。
だが、それは本当に正しいのだろうか? ドイツの戦後責任の取り方に、問題は存在しないのか? そのような視点から、現在のドイツにおける戦争責任をめぐる言論や、様々な事件・社会問題を徹底的に取材したのがこの本である。

 例えば、1995年にドイツ各地で開催された「国防軍の犯罪」展は、ナチスばかりでなく、正規軍である国防軍もまた残虐な行為を行っていた事実を明らかにした。
 それまで、戦後ドイツでは、ナチスの戦争犯罪は弾劾されたが、それ以外の正規の国防軍や、一般国民の戦争犯罪については、十分に追及されることなく免罪されていた面があるのだ。
 日本では、知られていないドイツの現状が、いくつも紹介され、知的刺激を与えられる。

 注意しなければならないのは、この本が明らかにするドイツの混沌とした状況を目にして、「やはり戦争責任の問題は難しい。ドイツでも十分に責任がとられていないのだから、日本でも責任が曖昧になってしまっても仕方が無いのだ」というような相対主義的な結論に陥ってしまってはならないということだ。
 それは、著者自身の本意でもない。著者は、その点を本のなかではっきり述べている。ドイツの戦争責任をめぐる議論を深く知ることによって、日本の現状を少しでもきちんとした方向に動かしてゆくこと、責任を曖昧にすることなく日本人として主体的に過去の歴史と向き合ってゆくこと、それが著者がこの本を著した意図であり、そして読者である私たちの責務であろう。 

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紙の本

〈戦争責任〉とは何か 清算されなかったドイツの過去

国際比較の難しさとメリットと危うさ

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:小田中直樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る

  たしかに僕らはよくドイツを日本と比べる。その典型が〈戦争責任を曖昧にする日本、きちんと責任をとってるドイツ〉だ。そして、その後には、日本はドイツをお手本にしなくちゃ駄目だって教訓が続く。ジャーナリストの木佐さんは、ドイツはきちんと戦争責任をとってるっていう日本人の常識に疑問を持って、色々と調べはじめた。この本はその調査報告だ。もちろん、この常識が間違ってても、「日本の戦争責任や戦後処理の欠陥が免責されるわけではない」。でも「ドイツの実情を知るとき、私たちも、日本の問題について根本から再検討しなければならなくなる点があるだろう」(はしがき)。
  木佐さんによると、ドイツの戦争責任のとり方のイメージが良くなったのは、戦後の早い段階に、普通のドイツ人の罪や責任を軽くするための、二つのトリックが出来上がったからだ。第一、戦争犯罪を全てナチスのせいにして、普通の軍隊(国防軍)や普通のドイツ人は一種の被害者で、実はクリーンだったって主張する「DEトリック」(一一二ページ)。第二、戦争犯罪には、平和に対する罪(A)、通常の戦争犯罪(B)、人道に対する罪(C)の三つがあるけど、ドイツでは、一九六〇年代にナチスの思想にもとづくユダヤ人の大虐殺(ホロコースト)の実態が明らかにされ、その衝撃が巨大だったために、他の二つが目立たなくなってしまった。これが「ABCトリック」。さらに、いつの間にか二つのトリックが結びつき、〈ホロコーストはナチスの仕業だし、他の二つは普通のドイツ人の仕業かもしれないけど、ホロコーストに比べれば大したことない〉し、〈ホロコーストさえ謝っておけば世界の受けもいい〉ことになった。「ABCDEトリック」の完成だ。ドイツ人の多くもこのトリックに引っ掛かってるから、ナチス以外のドイツ人の戦争責任の話には敏感だし、ホロコースト以外の戦争犯罪には鈍感だ。
  この本は、二つの国を比較するのは難しいけど、でもメリットもあるってことを教えてくれる。戦争責任についていえば、ドイツと日本の経験をよく見ると、責任のとり方はそれほど違わないけど、イメージの作り方が違う。ドイツは誠実で日本はいい加減だって、簡単に割り切ることはできないのだ。
  比較のメリットについていえば、この本には、木佐さんと話してるうちに、日本人が平和に対する犯罪や通常の戦争犯罪の問題を重視し、平和教育に取り組んできたことを知ったドイツ人が「平和博物館や平和教育の大切さに気づいた」(二三七ページ)瞬間が描かれてる。ドイツ人にとって、日本の経験を知ったり、それを自分たちの経験と比較することにはメリットがあるのだ。
  それじゃ日本人はどうか。自分たちの経験と比較しながらドイツの経験を知るっていうのは、一体どういうことか。まず「DEトリック」について。日本人にとって、戦争責任のイメージは、戦後すぐは加害者(一億総懺悔)、しばらくして被害者(〈二度と許すな原爆を〉)、最近はまた加害者(南京大虐殺や従軍慰安婦の実行者)っていうように、ぶれてきた。この点では、ドイツとそれほどかわらない。次に「ABCトリック」について。平和に対する罪や通常の戦争犯罪を重視してきた日本人が、人道に対する罪を重視してきたドイツの経験を知ったときの対応として考えられるのは、〈日本も人道に対する罪をしなかったかって考えてみる〉か、〈日本の戦争犯罪は、人道に対する罪じゃないんだから、大したもんじゃない〉か、このどちらかだろう。でも、この二つって、かなり違う。僕は前の反応の方が誠実だと思うから、どうすればこっちの反応になるかも知りたかった。でも、この本にその答は書いてないし、読みようによっては後の反応を生みそうな部分も多い(たとえば一四〇から一四四ページ)。それが、僕にはとても残念だ。[小田中直樹]

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