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なんのための日本語 みんなのレビュー

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みんなのレビュー2件

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紙の本

なんのための日本語

紙の本なんのための日本語

2004/10/28 01:16

国語教育から日本語教育へ

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:sheep - この投稿者のレビュー一覧を見る

小学校から高校まで12年間も「国語」をまなんでも「日本語」は上達しない。実は「学校国語」と日常使う日本語とは別のものなのである。どうすればよき日本語ユーザーになれるか。利用者の視点から語彙、漢字、口語などに着目してつづる日本語論。とある。

過去40年ちかくにわたって著者の「日本語論」の論旨はほとんど変わっていない。進歩がなかった、ということになるのでしょうか?と著者は書いている。もちろん謙遜であろう。「正しい分析にもとづいた理論は、時代の試練に耐える」ように思える。著者は著名な社会学者であるが、国語学者ではない。柳田國男の『國語の将来』にあった「私の立場といふのは、手短にいふと國語利用者の一人としてである」という主張に感銘をうけて、シロウトからみた日本語論を書いた。

しかし専門家達、実は「木を見て森を見ず」となりがちなのかも知れない。著者は海外での研究生活も長く、そうした場では様々な国籍の研究者達がそれぞれの言語を反映した「外語としての英語」で闊達に話しあっている。現在著者は日本語教育センター所長職にある。浦和にある世界各地の現役日本語教師向け研修機関だ。日本語研修にやって来た人々が、当然ながらロビーでは日本語で談笑している。英語は著者の在外生活の場で共通語だった。英語にくらべれば少数派だが日本語も世界の共通語になりはじめている。日本が「ひらかれた社会」であろうとするなら、日本語も「ひらかれた言語」でありうるための努力が必要だろう。日本語は日本人にしかわからないという考えは捨て、言語の「内外格差」を縮めた方がよさそうだ。

イギリスでは英語が教えられ、インドネシアのこどもはインドネシア語を学ぶ。しかるに日本の学校には「日本語」はなく「国語」がある。国語において、漢文は外国語ではない。よみくだしで日本語化してしまった。これで実用的な漢語、すなわち中国語を学ぶ機会がうしなわれた。国語という言葉からは、人はどこの国にも国語というものがあると考えがちだがそれは誤りだ。国と言語は必ずしも一つの対にはならない。「国語」の呪縛をといて「日本語」でやってゆくべきだ。同じ考えから、著者は「外国語」といわず「外語」という。

海外研究生活で体験した様々な国からの研究者が話す「ごちゃごちゃ英語」の心地よさの記述は新鮮に読める。「母国語ばなれ英語」を常用している仲間どうしでは通じるのに、「英語」を母語とするひとの「純正英語」がかえってわかりにくい。この部分、個人的に何度となく経験しており、大いに共感した。

ブロークン・イングリッシュではダメだ、というのは、スコットランドの本格的ウイスキー作法だけが正統で、水割りはイケナイといっているようなものだ。外人の話す英語は水割りのようなもので、それこそが実は万人向けの英語だ。裏返せば、日本語にもあてはまる。日本語も水割り化しつつある。実利が主眼ならそれなりの日本語でよい。「母語ばなれ」した様々な日本語を許容し、理解しあうことこそが日本語の国際化だ。

語彙、基礎語彙、はなしことばと文字ことばの差、表記、乱れの問題。意味のない紋切り型の挨拶文を読む朗読文化はやめにして、いきいきした話し方をこそ身につけるべきだ。漢字は自由化すべし。ただし難解な文字にはフリガナを。受験重視の「国語教育」ではなく、実用本位の「日本語教育」を等々。著者の語り口はあくまで平易だが、現状分析と、あるべき姿についての論は説得力がある。著者の「国語教育ではない日本語教育論」、どう見ても少数派だと著者はいうが、いつか日本の常識となることを期待したい。国際化の為という胡乱な「英語第二公用語」など唱える前に、同じ考え方を英語教育に適用する必要があるだろう。

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紙の本

なんのための日本語

紙の本なんのための日本語

2004/11/09 12:43

われわれはまともな「日本語教育」をうけることなくおとなになった

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:k-kana - この投稿者のレビュー一覧を見る

キーボード入力は「かく」ことか、これも著者のユニークな提起だ。日本語ワープロの出現以来、ローマ字で「入力」すれば漢字が「出力」される事態がうまれた。キーをたたくのが「かく」ということであるならば、漢字ではなくローマ字でかいているのだ。漢字は「でて」くるものであって「かく」ものとなった。日本語の表記の歴史のなかで突然発生した、重大な事件だと。

本書は日本語ユーザとしての永年の考えをまとめたもの。日本語にたいする新しい視点を気づかせてくれる。たとえば、われわれはまともな「日本語教育」をうけることなくおとなになって生活しているのだという。

小学校から高校まで、たしかに「国語」の授業があったが、その内容の大半は「国文学」であった。教科書をひらくと、そこには『枕草子』から志賀直哉まで、古今の文学作品がゾロゾロとならんでいた。なぜ「言語教育」が「文学教育」とくっつかなければならないのか。

「国語教育」はそもそも「実用」ということをぜんぜんかんがえていない。日本語という言語は切実な日々の生活の手段なのだ。「文学」などという悠長なものとは無関係。電車の時刻表だって薬の効能書きだって、みんな「日本語」でかかれているのに、そういう日常の言語に「国語」教育はまったく無関心である。

漢字という表記法をつかわなければ、じつは日本語はやさしいのである、という。「日本語」にとって漢字というの表記方法はまるで強力な磁場のようなもので、ほうっておくとかぎりなくそっちに吸いよせられて、なんでもかんでも漢字になってしまう。「日本語」を「にほんご」とかいても「ニホンゴ」とかいても、あるいはNihongoと表記してもさしつかえないはずだ。

意味のない漢字の「書きわけ」もやめたほうがいいという。動物が音をだすことを「なく」という動詞でしめすが、これを「泣く」「鳴く」「啼く」ときには「哭く」などとことなった漢字をあてる。つかいわけがめんどうである。「なく」というのは和語なんだからさいしょから「かな」でかいておけばよいと。

わざわざ外来語をつかうのはあんまりいい習慣ではないと。なぜ「ソフィスティケートされた」などというのか。「あかぬけした」「イキな」「気の利いた」など、いくつもみごとな和語があるのに。だいいち、和語のほうがわかりやすい。やたらにカタカナ語をつかうのはあんまりいい趣味ではない。

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