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幕末維新と佐賀藩 日本西洋化の原点 みんなのレビュー

  • 毛利敏彦 (著)
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みんなのレビュー1件

みんなの評価5.0

評価内訳

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紙の本

幕末維新と佐賀藩 日本西洋化の原点

― 明治維新と日本人の評価能力を見つめなおす ―

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:レム - この投稿者のレビュー一覧を見る

   本書は、幕末から維新直後の激動期における、佐賀藩の優れた業績とその運命を描いている。  著者の狙いは、「鍋島閑叟の足跡をたどりつつ」、他の藩の追随を許さないほどの卓越した科学技術力を鎖国下においてどのように海外から会得したのかという点と、「鬼才江藤新平の活躍」を軸に「佐賀の先進性が明治維新日本の文明開化に寄与するところいかに大きかったかを」探ってみることだ。  その範囲とする時代は、鍋島閑叟が藩主に就いた1830年頃から、開国、明治維新をはさみ、1874年(明治7年)の佐賀の乱までである。
    
   まず藩主鍋島閑叟であるが、あまりにも西洋文明に専心しために、蘭癖大名の異名までとった人物である。  その優れた指揮の下で藩の赤字財政は短期間で回復、教育制度を改革し、西欧から先端の軍事・科学技術情報を迅速に入手しかつこれを反射炉の稼動と鉄製大砲製造に象徴される製品の実現にまでこぎつけている。  鋳造された大砲は、当時の外交戦術に十分効果を発揮し、次第に幕府も兵器工場としての佐賀藩の力に頼るようになる様子がよく分かる。  片や同様に海外情報を得ていた島津斉彬率いる薩摩藩では、鉄製大砲の鋳造成功に程遠かったのとは対照的だ。  閑叟の情報収集能力とリーダーシップ、そして何よりも、江藤新平の登用にみる人材活用戦略たるや当時の諸大名の中で冠たるものがあった。  維新後も、かつて幕府方の忠臣であった佐賀藩の鍋島閑叟が、倒幕派ひしめく明治新政府においても要職に就くことができたもの、閑叟の懐刀ともいえる江藤新平の活躍があったからなのだ。  幕末期の江藤の脱藩と京での諜報活動は、もしかしたら藩主閑叟の指示の下で全てが取り仕切られていたのではないだろうかとまで思ってしまうほどだ。
   
  さて、今日『薩長土肥』という言葉が残っているが、言うまでもなく、薩摩、長州、土佐、肥前の4藩の総称である。  これらの藩は、明治維新推進の原動力となった西国の雄藩で、かつまた新政府の要職に多数の人材を輩出した。  肥前の国すなわち佐賀藩もここに名を連ねているが、この四文字は、維新の時期に主体を置いた言葉といえるかもしれない。  その一方で、新政府稼動後の活躍を主体にした性格と考えられる言葉として、『維新の三傑』がある。  これは、木戸孝允(長州藩)、西郷隆盛(薩摩藩)、大久保利通(薩摩藩)のことである。  このほかに土佐藩であれば、例えば板垣退助や、坂本竜馬らの名前が思い浮かぶ。  坂本竜馬は、生前あまり世に知られていなかったが、死後、明治期の新聞に掲載された『汗血千里の駒』の力で爆発的に知名度が上がった。  彼らには確かにスター性もあったのかもしれない。  そういう意味においては、幕府側の新撰組にもファンは多い。  しかし残念ながら、佐賀藩が維新に多大な貢献をしながらも、これを賞賛する言葉は、まだ多くはない。  著者が「鬼才」と称する佐賀の傑物、江藤新平は、文部大輔、初代司法卿を歴任し、西洋の法制度を参考に国民主権の土壌を確たるものにしたにもかかわらず、佐賀の乱の首謀者として死刑になっていることも大きく影響しているものとされる。梟首された江藤の写真は全国の県庁に配布し、掲示までされたのである。
    
  著者は、佐賀藩が冷遇される重要な転機となったこの佐賀の乱について、非常に興味深い新説を展開している。  これは同時期に起こった、萩の乱や秋月の乱といった不平士族の乱のひとつとして同列に並べられるようなものではなく、なんと政府側に扇動されたものであるというのだ。  佐賀藩は政府の侵略軍に対して防戦する立場であったということだ。  このきっかけとなったのは、ある怪電報である。  この内容は「佐賀藩で不穏な動きあり」、という程度のものなのだが、当時導入されたばかりの最新鋭の情報機器であった電報が、反政府勢力勃発という過剰な既成事実の捏造に利用されたらしい。  今日でも、最新技術と情報収集分析能力を誇る大国が、中東の一国に内政干渉し、武力行使の挙句に占領にまで至ってしまう姿とオーバーラップする。  なぜこの電報が、江藤の佐賀帰郷に合わせるかのように、しかも隣県とはいえ遠く福岡県庁から発せられたのか、なぜ大久保利通は、電報を受け取るや否やまるであらかじめこうなることを待ち構えていたかのように、政府軍を急派したのか・・・。尽きない謎に、著者は鋭く切り込んでいく。
   この佐賀の乱の背景についても、司法卿・江藤新平に対する内務卿・大久保利通の個人的な怨恨が原因ではないかという新たな説が述べられている。  江藤新平の逮捕にあたって、自らが制定した写真手配書制度によって、自身が適用者第一号となり逮捕されてしまう。  これを「皮肉にも」と表現されることが多いのだが、この手段を用いて逮捕し、梟首の写真を掲示させてまでも徹底した悪人に仕立て上げたのは、もしかしたら大久保利通の恨み骨髄の心情によるものであったと解釈することは可能だろう。  ともに下級武士の出身でありながら、国家の中枢に上り詰めた二人の間にいかなる確執があったのか、興味は尽きず、これから解明されるべきことはまだ多い。
    
   著者は、膨大な資料調査に裏打ちされた冷静な眼で幕末明治初期の歴史を語り、要所ごとに、時の趨勢に対する閑叟の政治判断と佐賀藩の政治的位置づけを客観的に記述していく。  その上で著者は、本書を通じて、「明治維新の見落とされた大事な側面」である佐賀藩・鍋島閑叟・江藤新平らによる業績に対する正しい評価を訴えている。  これは日常よく使われる「再評価」ということを意味するものではない。  それは、佐賀の乱を契機に、佐賀藩が明治維新における業績の評価対象から外されていて、そもそも評価自体が正当になされていないからである。  
   
   ここで最後に、本書の特徴として、どうしても挙げておきたいことがある。  それは、歴史表現力の巧みさである。  その理由は、各々の史実に歴史上の意義や解釈を添えているからだ。  しかもその表現は、端的で臨場感があり、まさに達意と称すべき文なのである。  このお陰で、あたかも講談を聞いているように近代日本の黎明期の有為転変の数々や、それらの相互関係が非常に理解し易いのだ。  例えば、米国の黒船が前触れもなく浦賀沖に来航した際に、圧倒された幕府が国禁を犯して久里浜で国書を受理してしまう顛末と狼狽ぶりがつぶさに描かれ、策のない組織は今日でもかくありなんと思わせるところがある。  倒幕に王手をかける時期になると、権謀術数の限りをつくす諸藩の倒幕派が、太平の世を過ごし過ぎてさしたる政治的ビジョンもない公家達を抱き込み、朝廷も幕府も右往左往した様子が手に取るように見えてくる。  このような幕末から明治維新の激動期の出来事は、日本人であれば少しは知っているはずなのであるが、読み進むほどにその描写に惹き込まれていく。  
   
  多くの読者は、本書が新書版というボリュームでありながら、厚い歴史書を一冊読んだような充実した読後感が得られるであろう。 

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