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夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録 みんなのレビュー

  • ヴィクトール・E・フランクル(著), 霜山徳爾(訳)
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みんなのレビュー4件

みんなの評価4.6

評価内訳

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8 件中 1 件~ 8 件を表示

紙の本

救いを求めるのであれば、知ることを恐れてはいけない

9人中、9人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:読ん太 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 アウシュヴィッツ他ナチスの収容所を、かつて囚人の一人として捕らわれた心理学者、フランクルが描く。
 全体の構成としては、まず70ページ近くもの「解説」が最初に持ってこられている。普通「解説」といえば巻末にくるのだろうが、巻頭に持ってくることによって、収容所の全体像を読者に理解させた上で、次にくるフランクルの手記にフォーカスをあてて深読みできる仕組みになっている。
 「解説」によって、ガス室だけに限らないありとあらゆる虐殺の方法を知ることになった。石炭酸の注射(死の注射)で何万人もの人が殺された。銃殺ももちろんあった。人体実験による死者も山のように(殺された人々は、まさに「山のように」積み上げられるのだ!)あった。飢餓と重労働で毎日多数の死者が出た。栄養不足と衛生状態の悪化によりチブスが蔓延するが、病人は紙くずのように放り出されたままだ。
 これらの虐殺に手を染めた収容所の人間の多くは、元は暴力犯罪のために長期の刑に服している犯罪人であった。収容所運営には、残忍でサディスティックな性格を持った人材が必要不可欠だったのだ。

 「解説」に続くフランクルの手記は、収容所の悲惨な生活を描写することを第一の目的とはしていない。囚人の身であったフランクルが、その体験をもとに、心理学者の目を持って冷静に「囚人の心理状態」を分析していく。アウシュビッツ到着から、それに続く長く苦しい収容所生活。そして、ついに解放の時を迎えるまでの心の動きを追う。
 体は棒切れのようにやせ細り、すべてを奪われ、残っているものは腕に入れられた囚人番号を示す入れ墨ばかり。こんな状況にあって、唯一彼らが持ち得るものがあった。それは、「精神的自由」である。この精神的自由は、何人によっても奪い去ることはできない。たとえ死を持ってしても。

 運命というバケモノのような手を恐れる気持ちが薄れていくように感じた。そして、運命を享受する勇気と、さらには、それをゲーム的に楽しむ余裕すら持ち得ることを教えてもらった。ロングセラーを誇る本書であるが、その理由は、ただ悲惨な歴史的事実を語るのではなく、究極の状況においてこそ表れた精神性について書かれてあるからだろうと思う。暗い気持ちに終始することはなかった。元気になれた。
 巻末に付されている、「写真と図版」は目を被いたくなるものばかりではあるが、これまでの文章を読んだ後には、それぞれの写真を直視し、歴史的事実を頭に刻み込もうとする自分がそこにいるのに気付いた。本書の構成は、全く理にかなったものであると言えよう。

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紙の本

死ぬまでに読んでおくべき本、苦悩したときに手にとるべき本。

8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「20世紀の100冊」という企画があれば、多くの識者がこの本を挙げることと思う。

 著者のフランクル博士の経歴は、『フランクル回想録20世紀を生きて』に詳しいが、精神医学者でフロイトの精神分析、アドラーの個人心理学に続き、ロゴセラピーという独自の精神療法を創始した人である。
 博士はその生涯において三つのイズムと闘った。
 人間の自由意思を否定するナチズム、フロイディズムに象徴される人間の心までもが対象にされる科学的還元主義、人生の無常感から陥りやすいニヒリズムである。

 幼いころから完全主義者であったフランクル博士は、前途洋々の医学者としてウィーンで生活をしていた。しかし、ナチスの進攻で急激な変化がもたらされる。ユダヤ人の戸籍局が閉鎖される前に最後に結婚を許された博士と新妻は収容所に送られ、やがて悪名高きアウシュヴィッツへ移送になる。

 この『夜と霧』の原題は「強制収容所における一心理学者の体験」といい、収容所到着ののち選別が行われ、過酷な労働を強いられ、それに慣れていく過程から、解放され生活の場へ戻っていくまでという段階を経て、人々がどのような心理状態に陥ったかをプロの医学者としての目で再現させたものである。

 日本版では、出版者たちの議論の末に、強制収容所に関する詳細な解説が巻頭に、目を覆いたくなるような写真や図版の資料の数々が巻末に付された。それは、まさに現世に存在した地獄を証明するもので、幾多の偶然や強い意思の力で、ここから生還したフランクル博士という人の、神によって生かされた命の尊さを読み手に強く刻んでくれる。素晴らしい構成である。

 『夜と霧』というタイトルは美しい響きであるが、非ドイツ国民でナチスに対する犯罪容疑者が夜間秘密裡に捕縛されて収容所送りとなり安否・居所を家族や親戚に一切知らされず、のちには集団責任として家族ぐるみで一夜のうちに連れ去られた「夜と霧」と名づけられた命令から来ているということである。

 私は本書を学生時代に手にとってパラパラ読んだことがあっただけであるが、結婚して子どもを持つ身になった今、精読して改めて強烈な打撃を受けた。
 家畜のように扱われることにも慣れてしまう人間の性質、品位ある善意の人間とそうでない人間とに分別される極み、異常な状況においては異常な反応がまさに正常な行動となる瞬間など、収容所のみならず、今の社会の混沌にも普遍的に通ずる問題が多くひそんでいる。
 そんな中、愛する人間の像に心の底深く身を捧げながら浄福を得たり、同僚と一日に一つ愉快な話を見つけユーモアを心の武器として闘いぬいた人たちに、果てしない人間の可能性を見る。

 イメージが豊かな人であれば、何回も本を置いてやりきれなくなったり、積み上げられた中古のマネキンたちのような虐殺現場の生々しい写真に吐き気を催すことと思う。
 だが、人間の心に潜む悪魔の存在を忘れないためにも、一読するべきであると思う。

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紙の本

これらすべてのことから、われわれはこの地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。

8人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みどりのひかり - この投稿者のレビュー一覧を見る

アウシュヴィッツにおけるユダヤ人大虐殺の地獄から、生還した精神科医V・E・フランクルの記したものです。

私はこの本を1975年ころに初めて読み、わけあって1985年に再度読みました。そのときに翻訳のミスを発見し、それが人類にとって極めて重要な事柄でしたので、私は翻訳者の霜山徳爾先生と、みすず書房の編集担当者に手紙を差し上げ、訂正のお願いをしました。その結果、霜山先生も当時の編集担当者の吉田欣子さまも訂正に同意して下さり、1986年10月8日発行のものから最新のものまで、その部分は訂正されています。

で、今からその訂正部分の内容を紹介致します。
:::
アウシュヴィッツの強制収容所は、ユダヤ人を絶滅させる目的で造られました。1日に1万人を殺害して、死体も焼却するとなると、大規模な殺害装置と焼却炉が必要です。それらの殺人装置は誰が造り、誰が装置を動かすかというと、囚われの身のユダヤ人なのです。ナチスの看視兵により命令されたユダヤ人がユダヤ人を殺すために働かされたのです。
V・E・フランクルは働かされながら様々な残虐行為に遭遇します。その残虐行為をするのは、ドイツの看視兵だけではありません。囚われの身のユダヤ人の囚人の中から、残虐行為をすることを好む者を選びだし、囚人を監督させるのです。これをカポーといいます。カポーは同じユダヤ人を残虐に扱い、死に追いやったりすることもありました。
フランクルはそういう地獄の中にあって、次のことを学びます。
「夜と霧」の196ページに書かれています。引用します。

これを《2》の文章とします。

《2》
これらすべてのことから、われわれはこの地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との「種族」である。そして二つの「種族」は一般的に拡がって、あらゆるグループの中に入り込み潜んでいるのである。専ら前者だけ、あるいは専ら後者だけからなるグループというのは存しないのである。この意味で如何なるグループも「純血」ではない・・・・・・だから看視兵の中には若干の善意の人間もいたのである。


で、この部分の文章は正しい文章で矛盾や間違いはありません。問題は、このページの一つ前のページ、195ページに間違った文章がありました。
その間違った文章に至る前に、何が書かれていたかということも流れとして大事なので書いておきます。

〈ドイツの看視兵の大部分は残虐行為「人を痛めつけて楽しむ行為」をしたり、配下のカポーにそれをやらせたりしていたが、中にはそういう残虐行為をせずに自分のポケットマネーで町の薬局から薬を買ってそれを囚人のために使っていた看視兵もいた。また逆に、囚われの身のユダヤ人の多くは残虐行為など嫌う人間だったが、中にはカポーのように、同じユダヤ人に対して、残虐行為をして楽しむ者もいた。〉ということが書かれています。

では、問題の195ページの文章を引用します。
これを《1》の文章とします。

《1》
このことからわれわれは一つのことを悟るのである。すなわちある人間が収容所の看視兵に属しているからといって、また反対に囚人だからといって、その人間に関して何も言われないということである。〈人間の善意を人はあらゆる人間において発見しうるのである。〉従って人間の善意は全部からみれば罪の重いグループにも見出されるのである。その境界は入りまじっているのであり、従って一方が天使で他方は悪魔であると説明するようなことはできないのである。それどころか看視兵として囚人に対して人間的であろうとして何らかの人格的道徳的な行為もあったのであり、他方では、彼自身の苦しみの仲間に不正を働く囚人の忌まわしい悪意もあったのである。


で、問題は〈 〉の中の文章です。

〈人間の善意を人はあらゆる人間において発見しうるのである〉

この文章は、《2》の〈われわれはこの地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との「種族」である。〉という文章と矛盾します。

《2》の文章では、フランクルは決して、あらゆる人間が善意の人間だとは言っていません。二つの人間の種族だけがいると言っています。つまり、善意の人間とそうでない人間の二つの「種族」がいると言っています。

だから、《1》の中の〈人間の善意を人はあらゆる人間において発見しうるのである〉というような、みんな善意の人とは言っていません。

また《1》の文章の中だけ見てみても矛盾があります。
〈人間の善意を人はあらゆる人間において発見しうるのである。従って人間の善意は全部からみれば罪の重いグループにも見出されるのである。〉
人間の善意を罪の重いグループにも見出されるということは、そこには、「善意の人間ではない人たちがいるということも意味している」のであって、「人間の善意を人はあらゆる人間において発見しうるのである」という事柄とは矛盾します。

で、結論としては、《1》の文章の中の

〈人間の善意を人はあらゆる人間において発見しうるのである〉

の、「あらゆる」と「人間」の間に「グループの」という言葉が入るはずです、ということです。つまり、ユダヤ人のグループにも、看視兵のグループにも善意の人を発見しうる、と言っているのであり、あらゆる人間が善意の人である、とは言っていません。

で、この私の考えを霜山先生も当時の編集担当者の吉田欣子さんも認めて下さり、1986年の刊行のものから現在に至るまで、この部分は「グループの」という言葉が入れられ、

〈人間の善意を人はあらゆるグループの人間において発見しうるのである〉と改められています。


※、ただ、残虐行為をして楽しむ人間とは別に、粗暴で直に怒りをあらわにする人がいますが、この人たちは本質的に残虐人間とは異なります。この人たちと残虐行為を好む人間を混同して、悪い子を愛と教育で良くしたと思い込むインテリ人がいますが、これは明確に異なります。フランクルも「夜と霧」の201ページ、202ページにその人のことを書いていました。引用したいのですが3000字を超えるのでやめます。

残虐行為を好む人間のことについては、最近、脳のfMRIスキャンによって判ってきました。

( National Geographic News November 7, 2008 )

いじめっ子の脳

(脳写真をクリックすると詳しい写真がでてきます。)


私”みどりのひかり”の著書はこの問題を考える時の重要な参考になります。

般若心経物語
不落樽号の旅

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紙の本

人は残虐にも崇高にもなれる

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:A-1 - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書に白黒写真で挿入されている、折り重なるおびただしい数の遺体、髑髏。
それら人種が違うということで排除するという政策によって成された、非道な行いの真実。
真実とは、ドラマティックに叫びを上げるのではなく、静かに怒れるものだということを感じた。
それに感じるのは、目を覆うむごたらしさではなく、目を開いて悲しみとも溜息ともいえぬ息をつかせるものであった。
人種だけで犯罪者の様に収容され、その有形財産(身につけたコートから歯の詰め物に至るまで)を文字通りむしり取られ…そのうち殺される。
こんな馬鹿で非道で残虐なことを、何人もの人間が止めることも出来なかった(もちろん、管理統制された一般の国民の目には直接触れないよう、概ね秘密裏に行われていたが)、狂った指導者と政策の息の根を歴史と世界が止めるまでは…

ネオナチ主義者達がこのアウシュビッツを無かった言うのは何故なのか?
それは、やはり排他人種主義のナチズムであっても、この行為が残虐であると認めざるを得ないということに他ならないということだ。

こんなむごいことが何故まかり通ったのか、そしてそれを許してしまったのは?
実際に目にしなければ信じられない想像を超えたこの出来事は本当にあったことなのだ。
そのことを再認識し、より理解を深め、人間の弱さと悪魔性について、本書を読んで学ぶべきである。

そのことらは、本書にはくわしく記述されては居ない。
アウシュヴィッツ他ナチスの収容所の中の一人であった一個人である筆者が、冷静に公平に見つめた人々の様子や出来事の事実を淡々と描く行間にそれは目に見えず訴えかけ書かれているのである。

彼の身近だった者は、西洋的な合理的精神と宗教観で、この尊厳を奪う収容所をなんとか乗り切った人たちのように見える。
だからこそ、彼自身のこの手記が実現出来たのかも知れない。
それとも、それはここでは訴えている主題ではなかったから触れられていないだけなのかもしれない。
しかし、それにずかずかと踏み込み確かめたいのだといって触れることは私には出来ない。

これは、国家的犯罪とそれに荷担した者達へ向けた告発なのである。
それは間違ってはならないと思うし、彼も間違っていないと思う。

マルガレーテ・ミッチャーリヒ著『過去を抹殺する社会 ナチズムの深層心理』(新曜社)も併せて読んでみて欲しい。

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紙の本

コロナ時代の必読書

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:楓の葉 - この投稿者のレビュー一覧を見る

解放がいつか全くわからない収容所生活を体験した筆者の言葉の数々が、
収束がいつか全くわからないコロナ流行下の私達に、力強く優しく未来への意志を与えてくれる。

終わりの見えない状態におかれたときは、過去に逃避せず、現在を直視し、未来への希望を持ちつづけること。

楽しみの外出や人と会うことが当たりまえの以前の生活をいったん離れ、今の危機的な状況から目をそらさず、それでいてまた自由に外出し人に会えるときが来ることを信じて、あらゆる努力を続けたい。

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紙の本

極限の状況で発揮される生命力

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ぱんだ - この投稿者のレビュー一覧を見る

収容所の筆舌に尽くし難い悲惨さよりもむしろ、そこで生き抜く人々の生命力にスポットライトが当たった本だと感じた。読む価値のある本。
個人的に興味深かったのは、著者が収容所に入る前よりも歯と歯肉が健康になったと感じたことだ。極限の状況下で発揮されたものなのか、それとも単に食事があまりに質素で虫歯菌の栄養が少なかったからなのか。

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紙の本

勇気を与える良書。事実によるヨブ記。

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:トシ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本は、ナチスの収容所の体験を記した手記であるが、いわゆる収容所の残虐で過酷な実態を描いたものではない。そうではなく、そのような極限状態において人間が心理的にどうなってしまうのかを、心理学者の目から記述したものである。
 すべてを奪われ、希望のない、死と隣り合わせの過酷な状況の中で、人は家畜と化してしまうのか、廃人となってしまうのか、それとも、なおも人間としての誇りを保ちながら生きることができるのか。本書は、このような問いに対する、現場からの報告である。
 この極限状態において一部の人々が見せた崇高な態度というものは、それが事実であるだけに、読む人々に勇気を与え、人間の尊厳というものに対する認識を改めさせると思う。

 この本は収容所を描いたものであるが、ファシズム、ナチスといった史実に対する興味で読まれるべきではないと思う。筆者も述べているとおり、収容所で起こった出来事は、形と程度を変えて通常の人生にも起こることであり、収容所の人々の生きざまは、私たちから遠い、別世界のものではない。

 私は、学生時代に初めてこの本を読んだときには、正直、遠い世界の話として興味本位に読み流していた。しかし、年月を経て、それなりに人生のままならさ、報われなさ、世の中の不条理を経験した後に改めてこの本を読み返してみて、筆者の言葉一つ一つが身につまされた。

 「世の中なんでそんなもんだから」、「人間なんて弱いものだから」といった私たちの呟きが逃げ口上に過ぎないことを本書は暴き出してくれる。読むものに勇気を与える良書である。

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紙の本

これは読まなきゃ。

1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:つる - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この本は読まなくちゃ。感動した。何度読み返しても感動する。
 監禁され、強制労働に駆り立てられ、そして死が隣り合わせの生活。極限状態におかれた人間はどうなるのか。狂うのか、荒れるのか。
 人間というのは素晴らしいものだ。この本を読むと本当にそう思う。引用したい文はいくつもあるけど、あえて控える。自分の目で読んでほしい。

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