紙の本
圧倒的なデーモンの力
2003/03/11 12:51
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投稿者:仙道秀雄 - この投稿者のレビュー一覧を見る
最後のくだりを紹介する。
暴風雨(あらし)のために準備(したく)狂ひし落成式もいよいよ済みし日、上
人わざわざ源太を召(よ)びたまひて十兵衛と共に塔に上(のぼ)られ、心あって雛憎(こぞう)に持たせられし御筆に墨汁(すみ)したたか含ませ、我この塔に銘じて得させむ、十兵衛も見よ源太も見よと宣(のたま)ひつつ、江都の住人十兵衛これを造り川越源太郎これを成す、年月日とぞ筆太に記し了(おわ)られ、満面に笑(えみ)を湛へて振り顧(かえ)りたまへば、両人ともに言葉なくただ平伏(ひれふ)して拝謝(おが)みけるが、それより宝塔長(とこしな)へに天に聳えて、西より瞻(み)れば飛檐(ひえん)ある時素月を吐き、東より望めば匂欄夕に紅日を呑んで、百有余年の今になるまで、譚(はなし)は活(い)きて遺(のこ)りける。
幸田露伴がこれを書いたのは明治24年ごろ、舞台は徳川時代の江戸。100年以上前の出来事という設定。書かれた時期が今から100年以上前で、テーマはさらに100年前の話しである。十兵衛を襲った内側から突き上げるパワー、そして、塔が完成したあとの嵐の凄まじさ。時間を超えてこの小説が我々に与える圧倒的なデーモンの力はどうだ。それゆえの静と動の鮮やかな対比。
この塔は実際に谷中に建っていたそうであるが、焼失したという。幸田露伴がこの小説を書いた時点ではこの塔は在ったらしい。この塔にまつわる言い伝えを取材して、人物像を造型してできたのがこの小説ということになる。口承である。
巻末に桶谷秀昭さんの解説がついている。「ところで十兵衛は、その後、どうなったであろうか。偉業をなしとげた職人として、輝かしい棟梁の生涯を送ったであろうか。私は気抜けしたようになって、もとの『のつそり』十兵衛に戻ったか、菰をかぶって路頭に迷う境界におちぶれたかもしれない。」という読み方に賛成である。世間というものはヒトや自然に潜むデーモンを統御しようとするものなのだろう。
露伴のこういう文章に触れると、「読んでよかった」と心底思えてくる。言い換えはできない。読んで感じるしかない。それが芸術だ。確か小林秀雄も言っていた。
紙の本
舐めるように味わいたい一冊
2001/06/04 23:07
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投稿者:読ん太 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「のっそり」のあだ名で呼ばれる、大工「十兵衛」。親方連にお世辞の一つ二つ言う才もなく、仲間との付き合いもせず、年がら年中下働きの貧乏暮し。そんな十兵衛が、一世一代をかけて五重塔建立を果たすお話。
究極のエゴイズムに徹し、その結果、究極のものが出来上がる様は圧巻だった。そして、究極のエゴイズムに徹して、究極のものを生み出す人間というのは、つねに内にメラメラと炎を燃やしていなければならないものだと実感した。
文語体で書かれてあるので、さぞかし読み難いだろうと気負って手に取ったが、そんな心配は読み始めてすぐに吹き飛んでしまった。読み難いどころか、非常に心地良い。十兵衛ほか、親方の源太、感応寺のお上人様など、この文体ゆえにより魅力を感じることが出来た。
尤も、岩波文庫のものには丁寧なルビが打ってあるので、これがなければかなり辛かっただろうことは確かだが。
読み終わるのが惜しいような気持ちで本を閉じた後、「果たして自分の内には炎が燃えているだろうか?」と考えた。また、「自分には、一生のうちで究極のエゴイズムに徹する場面が訪れるだろうか?」とも考えた。そして、「少なくとも、究極のエゴイズムに徹する場面が訪れた時には、それがただのわがままであったという事だけにはならないようにしよう!」と心に誓うのであった。
紙の本
職人とはこういうものなのか
2001/03/02 16:59
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投稿者:7777777 - この投稿者のレビュー一覧を見る
文豪幸田露伴(1867−1947)の傑作。
「のっそり」と呼ばれる十兵衛が五重塔を建設するまでのいきさつを書いた作品。職人とはこういうものなのかと思った。何かに憑かれたように仕事をする十兵衛には感嘆した。
しかし、明治文語文で書かれているのでやや読むのに苦労する。
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文語の持つ力を改めて感じさせられる。眼前に見えるような描写が素晴らしい。義理人情、意地の張り合いの物語なのだが、どろどろせずにさっぱりとしているのも文章の力に負うところが大きい。
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周囲から「のっそり」と馬鹿にされる融通の利かない大工十兵衛が、五重塔建立というとてつもない大仕事に執念をかける。そういう物語。十兵衛のあまりの融通の利かなさ、頑固さに途中いらいらさせられないでもないが、読後は「良かったな」と思わせる何かがあった。それにしても文章が読みづらい・・。これは泉鏡花や樋口一葉の小説を読んだときにも感じたことなのだが。一つの文章が長いのだ。そのため文章の中での主語がよくわからなくなることがある。この作品ができた時代はこの文体が普通だったのかもしれない。
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昔の人の書くものは、情報量が多い。これ、映画化できたら素敵だろうな。川越源太は阿部寛希望。しかし、十兵衛は誰がいいか思いつかない。
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漢語や仏教語を自在に使いこなし、硬派の文学ファンを熱狂させた明治の文学者。『五重塔』はその代表作で、25歳の時に書いたもの。無名の大工が不朽の建築物を残したい一心で五重塔を建てるという話。露伴の娘の幸田文さん、孫の青木玉さんも文筆家です
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文体が古くて難しいけど、昔の言葉のよさをかみ締めながら読める。主人公、脇役みんなの心意気がすてき。こんな日本人でいたいね!
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寡黙で芸術家肌の十兵衛と、義理堅く面倒見がいい源太、2人の大工の五重塔の建立をめぐる物語です。
谷中の寺にて五重塔が建立されることが予定されていた。
世間に鈍と揶揄されるが、丁寧な仕事と高い技術力を持つ大工の十兵衛は、その仕事をやり遂げたいという強い思いに苦しめられることになる。
本来なら、その施工は源太が請け負う予定だった、また、十兵衛は源太に日頃お世話になっていたが、十兵衛は上人に熱意を伝える。
源太は十兵衛に一緒に作ることを提案するが、十兵衛は一人でやり遂げたいと頑として聞かない。
当時の日本はまだノベルの黎明期だったにもかかわらず、戯作文学の名残を感じさせない、現代の小説に近い内容を感じました。
「、」や「。」の使い方が今とは違い、また、文体も難しく、読みづらいと感じるところもありますが、戯作文学のような韻やリズムを持った文章ともなっておらず、著者の意見を全面に出さないため、比較的読みやすい作品でした。
筆者の意見や戯曲のように会話だけですすめる部分も少なく、写実主義作品であることを改めて感じることができました。
また、実直に仕事に打ち込めば素晴らしいものができ、その結果はいがみ合っていたすべてを丸く収める力があるという点、理想主義を理念として掲げた幸田露伴らしさも感じる作品です。
それほど長くなく話もわかりやすい、読みやすい作品だと思いました。
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義理を欠いても傷を負っても、これだけは譲れない。
世渡り下手で、貧しくのろまで人から馬鹿にされていた十兵衛が、
五重塔に対してみせる頑固さ、執念、鋭さ、情熱に釘付けになりました。
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技量はありながらも小才の利かぬ性格ゆえに、「のっそり」とあだ名で呼ばれる大工十兵衛。その十兵衛が、義理も人情も捨てて、谷中感応寺の五重塔建立に一身を捧げる。エゴイズムや作為を越えた魔性のものに憑かれ、翻弄される職人の姿を、求心的な文体で浮き彫りにする文豪露伴(1867‐1947)の傑作。
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思わず音読してしまう流れるような語り口。人物もくっきりと描かれていて映像をみるようだ。飽きさせない澱みない展開。それぞれの心情に納得がいく。
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本当に頭がいい人が書いた文章とはこういうものなんだと思いました。
文章そのものに力があり、どんどん読まされます。
まさに日本が誇る傑作だと思います。
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著名作家による著名なタイトルに、なんだか読んだ気になっていましたが、初めての物語でした。
技術は持っていながらも、融通のきかない性格が災いして、大口の仕事に巡り合えず、不遇をかこつ大工十兵衛。
ところが、谷中感応寺の五重塔建築の話を聞きつけるやいなや、世話になっている親方を出し抜いてまでもその仕事をもらおうと寺に嘆願するという、周りが驚くほどの変わりぶりを見せます。
仕事をする上で江戸っ子が何よりも重んじる義理人情、そして先達者への敬意。
そういったものをすべて踏みにじって、五重塔建築へとその身を捧げる彼の様子は、失礼や非道といった感想を越える、すさまじい妄執を感じさせます。
なにかに憑かれた人の圧倒的不可思議な力と、世の摂理をなぎ倒していく底知れぬ迫力。
これは、芸術や自分の生きる道に向かい続ける人々の胸に響く話でしょう。
主人公の度を過ぎた情熱を支えるのが、鳶の親方。
隠れた主人公と言ってもよい、できた人物です。
彼が自制のもとに十兵衛に職を譲り、手助け用に自分の子分や塔の下絵を提供するなどの美しい破格の譲歩を見せますが、そういった親方の好意をにべもなく断り続ける十兵衛。
武骨さもここまで来ると癇に障りますが、彼をそうさせるのは、悪しき性格というわけではなく、ただ単に彼を捉えて離さない五重塔建築に向ける一念だということが、伝わってきます。
古典風文章の上に、流れるような読みやすさではなく、息を詰めるような切迫感のある書き方のため、慣れていない身にはかなり読みづらさを感じます。
ふりがなの多さに驚きました。
いよいよ塔も完成を迎えるという最終段階で、全てをなぎ倒すような大嵐が町を襲います。
さらに、十兵衛の態度に憤怒した親方の子分に襲われ、彼は片耳を失います。
現実離れした完璧な芸術は、なにかの犠牲なくしては成り立たないということでしょうか。
人をある意味狂わせ、その結果血を流させるようなどろどろとした背景を背負いながら、凛と美しく完成した五重塔。
まるで呪われているかのように、芸術への憧れを抱きながら、地を這ってもがき続ける人々の幸せと苦しみが見事に表された作品となっています。
美と芸術に焦がれるあまりに自己破滅へと向かう構図に、『春琴抄』や『金閣寺』を連想しました。
歴史に残る芸術品は、確かに冷静なデッサンだけでは成り立たず、そこに狂おしい激情と捨て身の犠牲が加わらないと、命が入らないのかもしれないとも考えます。
解説者が「彼はこの仕事の後、名声を手にしてその道の大家になれたとは思えない」と書いていました。
確かに私も、そう思います。五重塔に情熱の炎を上げすぎて、燃え尽きてしまったのではないかと思いますし、鳶の大工にとって片耳を失うということは、大きなバランスを崩すことだととれます。
さらに、弟子を育てる器量はない、孤独な職人であるため、おそらく彼の名前が残るのは、この五重塔のみでしょう。
だからこそ、彼の情熱をふんだんに注がれた塔は、彼の死後も魅力を失わずに存在し続けるのだと思います。
美���さとはかなさを併せ持つ日本建築ならではの作品。
最後まで読みづらさを感じさせる文ながら、最後まで著者の筆力に圧倒され、引きずられるように一気に読み通した、牽引力のある短編です。
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このような作品に感想を書くのもおこがましいのじゃなかろうか、なんて思ってしまう。日本人に生まれて、日本語読めて幸せだ!
細かい文法なんかはほぼ理解できてないけど、おもしろい、すいすい読めてしまう。すごい。(もっと古文の授業聞いとくんだった、、
音読が気持ちのよい文章です。