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帝国 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性
  • みんなの評価 5つ星のうち 3.8 16件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2003.1
  • 出版社: 以文社
  • サイズ:22cm/579p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-7531-0224-6
  • 国内送料無料

紙の本

帝国 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性

著者 アントニオ・ネグリ (著),マイケル・ハート (著),水嶋 一憲 (ほか訳)

グローバル化による国民国家の衰退と、生政治的な社会的現実の中から立ち現われてきた世界秩序=「帝国」とは何か? グローバル化を包括的に再考し、それに対するオルタナティヴな実...

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帝国 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性

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商品説明

グローバル化による国民国家の衰退と、生政治的な社会的現実の中から立ち現われてきた世界秩序=「帝国」とは何か? グローバル化を包括的に再考し、それに対するオルタナティヴな実践の可能性を構想する。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

アントニオ・ネグリ

略歴
〈アントニオ・ネグリ〉1933年生まれ。現在、仮釈放の状態で研究・著述をつづける。元パドヴァ大学政治社会科学研究所教授。
〈マイケル・ハート〉1960年生まれ。デューク大学助教授。

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みんなのレビュー16件

みんなの評価3.8

評価内訳

紙の本

全世界のウゾームゾーよ、抵抗せよ

2003/04/06 03:31

5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:梶谷懐 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 とにかくあちこちで話題沸騰のこの本、読んでみると想像していたより読みやすかったし面白かった。しかしその面白さは主にマルクス、フーコー、ドゥルーズ=ガタリ、ウォーラーステイン(+従属理論)、といったおなじみの理論が現実の国際情勢を分析する際のツールとして手際よく整理されているということからくるものだと思う。だからこの本に、一部の人が期待しているような、現実を変える理論的支柱になるような力があるかといったら、それは大いに疑問だ。この本に対する評価の高さは、むしろ上記のような思想家の著作になじんできた人たちの「俺たちの読んできたものは世界を理解するために有効だったんだ」という安心感からきてるんじゃないだろうか。しかし、肝心の内容はというと、次のような決して小さくない問題点を抱えている。

 まず、すでに指摘されていることだが、<帝国>に抵抗する主体として本書で重要な位置づけが与えられている「マルチテュード」という概念にはあまりにも実体がない。筆者たちは、とりあえず「国民」に代表される近代的な「主体」概念はダメだ、というポストモダン思想の前提を受け継いでいるが、同時に、主体が存在しないところには変革もない、ということも痛感しているようだ。そこで考え出されたのが、何らかの境界線で閉じられることのない「多様性」を抱えた主体「マルチテュード」というわけだ。具体的には、シアトルのWTO会議に反対するために集まった人々のような存在をさすらしい。でも、先進国で裕福な暮らしをしていて一種の正義感からグローバル化に反対する人と、途上国で本当に食うや食わずの生活をしている人とを、本当に同じ概念でくくれるんだろうか。また、たとえばウヨクな人たちなんかは、やはりその「開かれた多様体」から排除されるんだろうか。そしてそのことに正当性はあるんだろうか。
 僕はこの言葉を「ウゾームゾー」とでも訳してはどうかと勝手に思っている。「全世界のウゾームゾー」が騒いでも何も起きそうにないけれど、それを「全世界のマルチテュード」といいかえると何か変革への希望がわいてくるとしたら、それは単に言葉の魔術、イメージ操作だ。でも本書がやっていることは基本的にそういうことなんじゃないのか。  
 第二に、<帝国>の秩序概念は、グローバル化した資本主義による経済的なものだけではなく、デモクラシーなど個人の内面の価値観にまで行使される「生政治的」な権力のあり方も含んでいる。だとしたら、本書のようなその分析者も含め、<帝国>秩序の「外部」に立つことは可能なんだろうか。本書の議論がフーコーの権力論を下敷きにしている以上、それは避けられない問いのはずだが、みたところ著者たちはこれにまともに答えてない。それどころか、従来の従属論の思考にのっとって、WTOに反対するマルチテュードをグローバル経済の「外部」に立った批判者として手放しで賞賛しているように見える。フーコーならきっとそういう安易な「希望」を抱くことを戒めただろうに。 
 第三に、本書には、丹念な実証的作業によって現実に新しい光を当てよう、という態度が根本的に欠けている。そこが、マルクスやフーコーといった先達との大きな違いだ。マルクスは、現実の労働者のおかれている悲惨な状況をできるだけ詳細に把握・記述しようと努めたし、フーコーはそれまで語られてこなかった「歴史」の再構成(「知の考古学」)のために膨大な文献考証を行ったのだった。
 というわけで、悪い本じゃないんだけど、残念ながら『資本論』や『言葉と物』といった、スケールが大きいうえに緻密な議論が積み上げられた偉大な古典には遠く及ばない、というのが正直な感想だ。

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紙の本

ラディカルな理論の書

2003/08/24 14:33

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る


 資本主義と一体となった近代国民国家は、空間的「外部」と時間的「他者」を糧とした。ここで言う「空間」は領土だけでなく、内在と超越といった形而上学的な区画割りを含む。また他者が「時間的」であるとは、国民(ネーション)が歴史を発生場所とする幻想であると、あるいはエネルギー革命や技術革新が生産時間を短縮すること、より端的には価値が労働時間ではかられたことを念頭においている。

 外部は、政治権力の存在基盤であった。何よりも権力は境界確定者として、内部と外部の媒介者として振る舞う。内在的な諸力の錯綜による矛盾を外部(神であれ悪の帝国であれ)への言及でもって、とりわけ危機の演出によって解消する。こうした権力の超越論的なあり方を時間軸に沿って論理展開することで、資本主義経済は最終決着を繰り延べる。都市と農村の賃金の差異や生産技術の革新を通じて利潤を獲得すること(工業経済)、細胞分裂的な差異そのものを生産すること(情報経済)。

 そして今、グローバル化による「外部」の消失と、情報化や大交流による均質化を通じた「他者」の解消がもたらされ、国民国家と資本主義は根本的な変質を余儀なくされている。新しい地図の作製と新しい時間性の構築、新しい共同性の構成へ向けた転換期を迎えている。

 ──これまでのところは、『〈帝国〉』の要約ではない。ヨーロッパ近代の権力と資本主義的生産様式をめぐる本書の系譜学的叙述は、以上のような平板で図式的な整理をはるかに凌駕するとてつもない濃度を持っている。とりわけ、スコトゥス‐スピノザ‐ニーチェ、あるいはマキアヴェッリ‐トクヴィル‐ヴィトゲンシュタインといった「内在性の平面」や「構成的権力」をめぐる思想的系譜の摘出は、実に的確である。しかし、『〈帝国〉』の大半を占めるそうした叙述は、ネグリとハートが本書で提示した〈帝国〉という概念の理論的背景をなすものにすぎない。

 「今日私たちは、帝国主義から〈帝国〉への移行、言いかえれば、国民国家からグローバルな市場の調整への移行に立ち会っている」。来るべき〈帝国〉は領土を持たない。つまり、〈帝国〉はアメリカではない。それは、核兵器と貨幣とコミュニケーションを手段とするグローバルな管理ネットワーク(「単一の支配原理のもとに統合された一連の国家的かつ超国家的な組織体」)である。

 「〈帝国〉が具体的なかたちをとるのは、言語とコミュニケーションとが、言いかえれば、非物質的労働と協働とが支配的な生産力になるときである」。つまり、〈帝国〉はマルチチュード(これもまた〈群衆〉とでも表記すべき概念である)に寄生する。そこでは、腐敗が遍在している。アリストテレスの「生成消滅論」を踏まえるならば、マルチチュードが交雑による共通種「生成」の担い手であるのと裏腹な関係において、〈帝国〉の本質は「消滅(腐敗)」である。

 「ただマルチチュードのみが、その実践的な実験をとおしてモデルを差し出し、いつ、いかにして、可能的なものが現実的なものに生成するかを決定するだろう」。だが、マルチチュードによる「愛のプロジェクト」がもたらす「モデル」について、著者たちは、ただアッシジの聖フランチェスコ伝説を持ち出して、「存在の歓び」や「愛、素朴さ、そしてまた無垢」といった美しい言葉をちりばめるだけである。

 要するに、本書は徹底的な、ラディカルなまでに徹底的な理論の書なのだ。「しかし、理論を軽視してはならない。(略)新たな実践はそれまでの理論を総体として検証することなくしてはありえないのである」(柄谷行人『トランスクリティーク』)。

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紙の本

長すぎる

2003/03/25 09:36

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:みゆの父 - この投稿者のレビュー一覧を見る

この本によると、この世には見えない権力の網の目が張り巡らされてるんだそうだ。うーむ、そんな気もする。でも、そういえば、これってすでにフーコーさんが言ってることじゃなかろうか。

そんでもって、この網の目が世界中に張り巡らされた結果、世界は一つのシステム、つまり「帝国」になったんだそうだ。うーむ、そんな気もする。でも、そういえば、これってすでにウォラーステインさんが言ってることじゃなかろうか。

そんでもって、「帝国」は打倒されなければならないんだそうだ。うーむ、そんな気もする。でも、そういえば、これってすでに古今東西の反体制思想が言ってることじゃなかろうか。

そんでもって、帝国を打倒するのは「マルチチュード」なんだそうだ。うーむ、そんな気もする。でも、その実体は、というと(マグニチュードならわかるけど)よくわからない。「異質」とか「開放」とか「柔軟」とか、そんな形容詞が並んでるけど、つまり何なんだ、これは。

おっと、もちろん面白いことが書いてないわけじゃない。ポスト・モダンとかポスト・コロニアルとかが使えなくなったのはなぜか、とか、マキアヴェリやスピノザやマルクスの思想の生命力はどこにあるか、とか、色々なことがわかるのも高得点。

でも、とにかく長すぎる。読むのに時間をかけたのに、議論としては尻切れとんぼだから、よけい長さが身に沁みる。「帝国」って言葉を新しいラッピングでおしゃれにしたのは、さすがだけど。

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紙の本

21世紀の偉大な「抵抗と革命の書」、ここに完訳なる

2003/01/27 16:34

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:小林浩 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 ついに刊行である。これだけ前評判が高いのは、思想書では本当のところ、ドゥルーズとガタリの『アンチ・オイディプス』や『千のプラトー』以来ではないか。実際、ネグリ=ハート組と、ドゥルーズ=ガタリ組をつなぐ線というのもある。ネグリはドゥルーズのスピノザ論やマルクス読解に大きな関心を示してきたし、ドゥルーズの方もネグリのスピノザ論の仏訳版に序文を寄せているほどだ。ガタリとネグリには共著(『自由の新たな空間』朝日出版社、絶版)があるし、ハートには『ドゥルーズの哲学』という著書がある。ドゥルーズ=ガタリがマルクスとフロイトの再読解を軸に、資本主義社会への抵抗線を描いたのが上記の二書であるとすれば、ネグリ=ハートが共産主義の旧弊を打ち破りつつ、世界資本主義へのオルタナティブ(代替案)を提示したのが、この『帝国』である。911以後のグローバルな現実に介入するためのもっとも強力な実践的思想書として『帝国』は出現する。いわゆる「世界新秩序」に異議を申し立てるがゆえに、本書は保守派政治家から危険視されることになるだろう。さらに、西欧政治思想の系譜の斬新な再解釈ゆえに、アカデミックな保守派からも敵視されるだろう。もちろん本書を読む上で、一連の政治経済学書を読み込んでおかなければならないということはない。ドゥルーズ=ガタリの著書がそうであったように、本書もまた、予備知識なしでただちに読まれうることを暗黙の前提としている。ここでは様々な新しい概念が提出されている。中でも世界新秩序の異名である「帝国」、社会変革の民衆的主体である「マルチチュード」などが重要だが、そのほかのもっとも特徴的なもののひとつ「ポッセ」がある。ポッセとは、ラテン語で「力を持つ」という動詞である。かつて西欧ではこのポッセを、エッセ(在る)とノッセ(知る)とともに、重要な価値とみなしていた。こんにち、ネグリ=ハートはこのポッセを、「知と存在をともに編み込む機械」であり、抵抗のシンボルであるとみなしている。このポッセの「力」とは、ゲバルト(暴力)ではない。搾取に抵抗し、民衆の自律的な協働を目指す力である。それゆえに、本書は911以後のあらゆるテロリズム(アメリカの一国主義的な対テロ戦争も含む)の暴力に反対する「力」となり、さらに世界資本主義によるグローバルな抑圧に対抗する、現実主義的な闘いの「力」となるのだ。ヒントが満載の本書は、今日から明日への勇気の糧となる、希望の書である。現代人必読必携だ。

関連書 『現代思想 Vol.31−2 特集=『帝国』を読む』

連載書評コラム「小林浩の人文レジ前」2003年1月28日分より。

(小林浩/人文書コーディネーター・「本」のメルマガ編集同人)

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紙の本

内容紹介

2003/01/24 20:33

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:以文社 - この投稿者のレビュー一覧を見る

〈帝国〉という言葉は捉えどころが無いのですが、それでも関心を呼び起こされるのは、現代という時代が捉えどころが無いからです。この現代性を壮大なスケールとヴィジョンで解き明かしてくれるのが本書です。例えば、今日テロという犯罪を戦争に仕立てて、国際社会を戦争状態におとし入れるような社会が、いつからどのように始まったのか? また、市場原理という原理主義が、われわれの日常生活を巻き込んだ生政治(剥き出しの生)へと転換したのは、どのようにしてか? これらの大問題を冷静に分析しつつ、現状分析に甘んじていられない、将来の可能性への熱いまなざしをマルチチュード(群集、多数性)に向けています。グローバル化に応じた、一国主義に捉われない世界の解放の視座を提供します。

目次

第1部 現代の政治的構成
 第1章 世界秩序
 第2章 生政治的生産
 第3章 〈帝国〉内部のオルタナティヴ

第2部 主権の移行
 第1章 二つのヨーロッパ、二つのモダニティ
 第2章 国民国家の主権
 第3章 国民的主権の弁証法
 第4章 移行の兆候
 第5章 ネットワーク権力:合州国の主権と新しい〈帝国〉
 第6章 〈帝国〉

間奏曲:対抗-〈帝国〉

第3部 生産の移行
 第1章 帝国主義の諸限界
 第2章 規律的統治性
 第3章 抵抗、危機、変革
 第4章 ポストモダン化、あるいは生産の情報化
 第5章 混合政体
 第6章 資本主義的主権、あるいはグローバルな管理社会を行政管理する

第4部 〈帝国〉の衰退と没落
 第1章 潜在性
 第2章 発生と腐敗
 第3章 〈帝国〉に抗するマルチチュード


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2007/11/13 11:32

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2006/11/25 13:59

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2009/05/09 23:11

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2012/08/04 03:04

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2013/03/10 16:10

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2012/10/22 22:41

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2016/04/12 11:05

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