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ロリータ(新潮文庫)
  • みんなの評価 5つ星のうち 4.1 154件
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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2006.11
  • 出版社: 新潮社
  • レーベル: 新潮文庫
  • サイズ:16cm/623p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:4-10-210502-6
  • 国内送料無料
文庫

紙の本

ロリータ (新潮文庫)

著者 ナボコフ (著),若島 正 (訳)

「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。…」世界文学の最高傑作と呼ばれながら、ここまで誤解多き作品も数少ない。中年男の少女への倒錯した恋を描く恋...

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ロリータ (新潮文庫)

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商品説明

「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎。我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。…」世界文学の最高傑作と呼ばれながら、ここまで誤解多き作品も数少ない。中年男の少女への倒錯した恋を描く恋愛小説であると同時に、ミステリでありロード・ノヴェルであり、今も論争が続く文学的謎を孕む至高の存在でもある。多様な読みを可能とする「真の古典」の、ときに爆笑を、ときに涙を誘う決定版新訳。注釈付。【「BOOK」データベースの商品解説】

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みんなのレビュー154件

みんなの評価4.1

評価内訳

紙の本

文庫版でロリータを読む

2006/11/15 22:12

11人中、11人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:la_reprise - この投稿者のレビュー一覧を見る

若島正氏による待望の『ロリータ』新訳がハードカバーで刊行されてからまだ1年も経たないのに、もう文庫版が発売された。それも若島氏による比較的詳細な註釈が付けられている。ハードカバーを約1年前発売当初に購入した者としては釈然としない思いもあるが、より入手しやすい形でナボコフの傑作が発売されること自体は望ましいだろう。
あらためて文庫で『ロリータ』を読み直してみると、初めて読んだときには全く気づかなかったような細部にまでナボコフが気を配り伏線を張りながら書いていることを発見してとても驚かされるばかりだ。実際、「訳者あとがき」で若島氏も読者に註釈とともに2度『ロリータ』を読むことを勧めている。例えば、本書の後半部分で重要な役割を果たす「クィルティ」という登場人物が様々な形で何度も暗示されていることが再読によって非常によく分かる。
この点だけを見ても、ナボコフがどれだけ小説の細部に気を使い全体の構成を把握したうえで作品を書いているかに驚きを覚える。『ロリータ』は他にも様々な箇所や方法で様々な工夫が凝らされていて1度ばかりか何度もの再読が求められる作品である。
扱っている題材が題材だけあっていろいろ誤解を受けることも多い作品ではあるが、『ロリータ』はまず文学作品として紛うことなき傑作である。ハードカバー版はほとんど註釈も付いていなくてとても不親切であったが、今回の文庫版には訳者による註釈が付属しているのでそれを参考にしながら読むことによって作品をよりよく味わうことができるだろうしその素晴らしさがさらに理解できるだろう。『ロリータ』のように何度もの再読に耐えそのたびに新たなる発見がある作品こそ、まさに「古典」と呼べる作品ではないだろうか。

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紙の本

読書百遍義おのずからあらわる、という書なのかもしれない

2007/02/10 10:28

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る

スイス出身の文学者ハンバート・ハンバートは、思春期を迎える直前の年齢の少女に性的な情愛を抱いている。第二次大戦直前にアメリカへ渡った彼は、若い母娘の家に下宿する機会を得る。その娘こそが12歳のロリータ。彼女に近づくためにその母と結婚したハンバートは、やがてロリータをつれて二人でアメリカ横断の旅に出る…。

 ロリータ・コンプレックスという言葉の由来となった、ご存知「ロリータ」の新訳版文庫です。ご存知、と書いたものの、この小説の前回の翻訳にはアラが多いと聞かされていたため、今日まで手にすることをためらっていました。新しい翻訳にはかなり詳細な注釈が巻末に付されていると聞き、さらには「テヘランでロリータを読む 」(アーザル ナフィーシー /白水社)という書が話題を呼んでいることもあり、いよいよこの「ロリータ」をひも解いてみようと決意したのです。

 しかし、本書は言葉遊びや謎に満ちた、やはり大変な奇書であり、十全に理解をしながら読み通すのは至難の業であるという思いが残りました。
 本書巻末の注釈は物語の謎をあれもこれも解き明かしてくれているわけではなく、「どこに現れているか、各自で追ってみてほしい」とか、「なぜそうしたのか、考えてみること」といった具合に、読者が自ら積極的に謎解きに臨むことを求めています。注釈はあくまで本書理解のための補助線でしかありません。

 おそらく本書は二度、三度と目を通すことによってしか、その物語を本当に味わいつくすことは叶わないのかもしれません。
 ですから3つの☆印は、本書の物語や、その翻訳に対する評価ではなく、私自身の理解能力に対する評価としてのものなのです。いつの日か☆の数が4つになることがあるのかどうか。それは時間が教えてくれるでしょう。

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紙の本

隠れた名作との出逢い

2010/04/20 13:59

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:BH惺 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 「ロリコン」「ゴスロリファッション」なる言葉をご存じだろうか? 意味は
知らなくても聞いたことがあるという人は多々おられるかもしれない。「ロリー
タコンプレックス」「ゴシックロリータファッション」の略語であるが、その
ネーミングの由来となった本として、あまりにも有名な1冊。
 時は18・9世紀あたり。ヨーロッパの貴族社会を舞台に、レース満載のドレスにゴージャスなヘッドドレス。金髪の巻き毛の似合う幼い少女ロリータ。その可憐な少女を偏愛する年の離れた男性の回想録なるモノを想像していた自分の期待はものの見事にあっさりと裏切られた。まったくもってそれは嬉しい誤算だった。
 まず舞台設定が1940年代のアメリカということに意外性を感じた。主人公であるハンバートは40代イケメン中年。対する運命の少女ドロレスことロリータは12歳。典型的な小悪魔系でおまけに今で言う汚ギャル設定。(入浴したがらず、洗顔もあまりしないらしい)
 そんなロリータにハンバートはひとめで心奪われてしまう訳だが、これには過去の苦い恋愛のトラウマがある。愛し合いながらも結ばれぬまま幼くしてこの世を去った初恋の相手の影をいつまでも引きずり、その最愛の恋人の面影をロリータに重ね合わせているのだ。その執着たるや凄まじい。いい大人のすることではないなァと思うが、恋は盲目。ハンバートが骨抜きにされても仕方がない。そう思わせるほどロリータも幼くして男を惑わす美貌と不埒な魅力に溢れているのだ。いくら大人の彼といえどもその魅力に抗うことはできない。ハンバートの危うい妄想と粘着質この上ない彼女に対する思慕の情が、嫌悪感を抱くほどの圧倒的な描写力をもって迫ってくる。そしてこの少女偏愛中年男性はロリータへの下心から、よりによって、やっかいになっている下宿先の未亡人である彼女の母親と結婚してしまうのだ。まったくもって救いようがないのである。まあ、このような展開はある程度想像していたが思わず感情移入してしまい、ハンバートに対して心の中で罵詈雑言を浴びせてしまう自分に思わず苦笑してしまった。
 前半部は主に彼のロリータへの半ば狂気ともいえる愛情の描写で埋め尽くされているのだが、後半からはその様相が一転する。

 ロリータの母親が不慮の事故で亡くなるやいなや、ハンバートは待ってました
とばかりに行動を開始。ロリータを連れてアメリカ国内を車で逃避行。邪魔者は
いなくなりハンバートは念願叶ってようやく彼女への想いを遂げるのだ。

 その後モーテルからモーテルへと漂泊すること2年余り。あても未来も無い。
あるのは刹那的な喜びだけ。ひたすら続く無意味で虚ろな長い逃避行の描写に唸
らされ、一種のロードムービーを観ているような錯覚に陥ってしまう。当時のア
メリカの風俗やファッションが細かく描かれていて、それを知るのもまた楽しく
飽きさせない。
 ロリータはイマドキの、加えて美少女。対するハンバートはとっくに中年期を迎えたオヤジ。彼は否が応でも自らの衰えを自覚せざるを得なくなり、彼女に対する嫉妬と妄想の嵐が己の裡に激しく吹きすさぶ。いつしか二人の間の溝は深くなり、旅の最終目的地が絶望と別離となるのは必定なのだ。
 成長し、自我に目覚めたロリータはある日ハンバートの前から忽然と姿を消してしまう。躍起になって捜しまわるハンバート。必ず手引きした人物がいると信じてそいつへの復讐も忘れない。最愛のロリータを自分から引き離したのは一体誰か? その謎解き部分でも一種のミステリーを読んでいるような気にさせられる。
 読了前は一種のキワモノ的な性愛小説かとばかり思っていたが、いざ蓋を開けてみたらとんでもなく凝りに凝った小説であることに舌を巻いた。
 まず、巻末の注釈に感謝したい。これがなければこの素晴らしい万華鏡のような小説を自分は読み解くことができなかったであろう。全編にちりばめられた著名作の引用、メタファー、そしてアナグラム等々、読み返せば読み返すほどこの作品がいかに奥行き深く実験的であるかが理解できる。そしてあとがきにも、淫らな少女愛を綴った作品・ポストモダン小説の先駆け・コミックノヴェル・風俗小説とのいかようにも読み解くことが可能であると述べているが、まったくその通りであると思う。その中でも自分は壮大なロードノヴェルとして堪能することが出来た。そして一種のクライムノヴェルとしても。
 この作品の中でロリータはレースのドレスを着ているわけでも、豪奢なヘッドドレスを纏っているわけでもない。彼女は常にジーパンか短パン等のカジュアル志向。ゴスロリファッションなどもってのほか。
 作者のナボコフもこの極東の地日本に於いて、自分の生んだ作品がこのように大幅に曲解されて一種のサブカルチャーになっているとは、まさか夢にも思っていまい。
 この1冊に大いなる誤解と偏見をお持ちの方々。かつては自分もそうであったが、非常~にもったいない!
 是非手にとってご一読を。未経験の奇書に巡り合えた喜びに浸れること必須!

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紙の本

ロリコン趣味の原典は、むしろ、ロリータ幻想の、醜さを戒める

2010/04/29 22:15

4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:ホキー - この投稿者のレビュー一覧を見る

ロリータコンプレックス、つまりロリコンの語源である。現代日本で、明に暗にロリコン趣味が興隆しているが、原典の『ロリータ』は、むしろ、ロリータ幻想が、醜く・害悪であることを強調している。

ロリコンの本質は、単に年下好き、であることでなく、幼い者の判断力の未熟をいいことに、「その人を自分の思い通りにできる、とする妄想」である。それはまた、少女が現実を生きる人間であることを認めず、幻想を少女の人生に押し付けることでもある。

たしかに”ヒロイン”の少女ロリータは、当初は元祖ロリコン・ハンバートの欲望のままになっている。しかし、しだいにハンバートを手段とみなして金品を要求したり、ハンバートの意に沿わなかったりすることが多くなってくる。これは、ロリータが現実の人間であり、ハンバートの幻想をまるごと受け入れる存在ではないことを示している。

そして最後には、生活臭溢れる中年女性に変貌することで、「いつまでも私の少女」であるはずだったロリータ像の、幻想性が明らかになるのである。

 小説冒頭での、ロリータへの思いの独白、「ロ、リー、タ。舌先が口蓋を3歩進んで3歩目で軽く歯にあたる。ロ。リー。タ。」は、ハンバートが、長年「ロリータ、ロリータ」とぶつぶつ言いながら思いを膨らませてきたことがよく伝わる。一方で、それは、リアルな人間関係の中ではくぐまれた愛情ではなく、あくまでも、妄想による独善的な思いであることも読み取れる。

ロリータが、現実世界の人間であると認識できないハンバートは、現実を、自分に都合よく解釈する方向で、現実と欲望のギャップを埋めようとした。結果、彼の現実認識はどんどん現実を離れてゆく。小説後半で、ハンバートが、単に性癖が異常というだけでなく、あらゆる言動が妄想的な精神異常になってゆくのはこうした背景による。

客観的視点から見たその行動は、醜く、滑稽である。この姿が、ロリータコンプレックスに対する作者の評価である。

少女のことを「ニンフェット」(妖精)と呼び、幻想的な存在とみなすハンバートだが、むしろ、現実の少女を「妖精」と見るハンバートの考え方の方が「幻想」だったのである。

★  ★  ★
現代日本では、2次元空間・3次元空間の両方で、さまざまの形でロリコン趣味を掻き立てる文化が生まれている。その中には、直接的に「少女」を打ち出すのではなく、ロリコン趣味が別のイメージに展開されてるものも多い。したがって、『ロリータ』が示したロリコン趣味の落とし穴に、知らずにハマってゆく危険も高くなっている。

たとえば「メイド」は、「仕える者・逆らわない者」として、ロリータ幻想の延長線上に位置する。メイドへの憧れが最終的には性欲に根ざしていることは、コスプレとメイド喫茶以前のメイド文化を、アダルトビデオやピンク映画が担ったことを思い起こせばたやすく理解できる。

また、「メガネっ子」も(意外性を狙ったキャラクター設定がさまざまに試みられた現在では、状況が複雑になっているだろうが、少なくとも原理としては)、メガネ=学業に没頭=異性関係のスキルを積んでいない→多少の人生経験のあるものには思い通りに操られる、というステレオタイプ(あくまでもステレオタイプ)を利用してイメージ展開した、ロリータ的存在である。

メガネっ子がロリータのイメージを引き継げた文化的土壌は以外に古く、セーラームーンの水野亜美(たまにメガネを着用)どころではない。少なくとも、1970年、山岸りょう子の『ミスめがねはお年頃』までは遡れる。

 これらの趣味は、趣味として一概には否定できないのだが、それがリアルな人間関係とは違うのだということを分かりつつ楽しむ必要があろう。大抵の人にとってはそれは分かりきった余計なお世話だが、そうした客観的な視点を持ち得ない人・性愛の対象を思い通りにできるという幻想を抱いている人は『ロリータ』を読んで、『ロリータ』の主張に立ち返るべきである。

   BH惺さんの書評に刺激を受けて書くものである

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紙の本

―本書をきっかけとして人々は人間としての自らの本音の一部を語り始めた―

2011/09/27 01:53

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:レム - この投稿者のレビュー一覧を見る

  
  個人の行動にはそれぞれの優先順位があり、社会規範は時としてそのあとに置かれる。 さえない中年男、文学者でもあるハンバート氏は、少女ロリータに性的魅力を感じただけではなく、妖精的な魅力に畏敬の念すら感じ、純粋な愛として結晶化しようとする。 『ロリータ』が発表された1955年という時代の社会規範では、ハンバートの優先順位を描いた、すなわち12歳(!)という年齢の少女とのセックスにまつわる小説とその発表はとんでもないセンセーショナルを巻き起こした。 序章を書いた博士(これも小説の一部)によると猥褻な表現は一切見当らないとの記述があるが、本書の中のいくつかの文章表現の受け取り方は読者によって様々だろう。 この小説はハンバート氏の告白書として書かれており、その構成はもちろん秀逸であるが、今さらストーリー展開や登場人物の顛末を追い回すことはしまい。 それよりも、注目すべきは12歳の萌える若草のごときロリータと、ハンバート氏との愛の生活が一瞬たりとも成立したその刹那が描かれていることだ。
  
  今日、いわゆる「ロリータコンプレックス」として、かなりの誤解を生んでいる概念と違って、ハンバート氏の抱くロリータに対する愛は崇高ですらある。 この長い小説の中で、ハンバートがこの少女の腹部をめくり返して(turn my Lolita inside out)臓腑を撫で回す「妄想」が一瞬描写されるところがある。 これこそが主人公ハンバートのこの少女に対する抑えようのない欲望の真髄を表している箇所だと言えるだろう。 原文ではロリータの前に”my”がついていることにも注目したい。 愛する対象に対して、内臓まで引きずり出して色や感触を確かめたいという願望は、はたして常軌を逸していると言えるだろうか・・・。
  
  余談だが、その妄想の中で「ホンダワラのような肺」と翻訳している部分がある。 大久保康雄氏の訳も同様であったが、海棲の生物に少し詳しい方ならこの名詞の選択に違和感を覚えるかもしれない。 ホンダワラと言えば、大航海時代に無風のサルガッソー海で帆船を悩ませた海藻としても知られるが、見た目はヒジキのようでロリータの内臓を形容するには程遠い。 ここは原文にsea-grapes of her lungsとあるように「ウミブドウ(Caulerpa lentillifera)」とするのがより良いのではと思う。 ウミブドウは沖縄料理などで普通に用いられているのでご存知の方も多いであろう。 なお、このウミブドウは俗称で、和名はクビレズタという。 そんなことはどうでもよいのだが、いずれにせよその小枝は海水を含んで球状となってきらきら光り、これが小さなブドウの房の如くぎっしり密生して悩ましくうねる形状は、ロリータの肺胞の表現として実にふさわしい。
  
  そして触れておきたいのは、ハンバート氏の掌(たなごころ)の中で青みを帯び、鈍くそして冷たく光る自動拳銃コルトの存在だ。 ロリータの書評としてはやや趣が違うような注目箇所かもしれないが、これが正にロリータを連れまわしたハンバート氏の偏愛、ともすれば自己中心的とも受け取られる妄想の処理手段でもある。 この自動拳銃は撃鉄が隠された構造で、その駆動部分には何か秘密めいたものを感じさせる。 ナボコフの記述から察するに、このコルトはColt Model 1903 Pocket Hammerless .32ACPであろう。 それまでロリータの肉体に向けられていたハンバート氏のリビドーは、その男根をフロイト的象徴である鋼鉄の拳銃に代え、精液と激高を鉛の弾丸と化して、ある人物に向けて発射される。
  そのような小道具ひとつとっても、ナボコフの文章は暗示に富んでいる。 原文の英文では韻を踏むかのごとく言い換え表現を多用し、暗喩 引用、種々の言い回しのもじりがふんだんに織り込まれていることでも知られている。 訳者による巻末の注釈は、米国文化を背景として英語で書かれた本書を日本語で読む際の心強い助けとなっていると同時に、随所で読者自身の読解力をも求めており、より深くこの小説に踏み込むことができる。
  
  良く知られているように、「ロリータコンプレックス」という言葉は、この小説を元にして造語されたものだ。 ちなみに、ロリータコンプレックスやロリコンという言葉は日本語で、英語ではロリータ・シンドローム(Lolita Syndrome)、つまりロリータ症候群である。 ただ、世界的な日本アニメブームなどもあいまって、最近ではロリコン(lolicon)という言葉は海外でも使われているようだが。
  言うまでもなく、ナボコフは人類の情操のひとつの姿を小説という形にしたのであって、この小説をきっかけに何も今日「ロリータコンプレックス」と称されるような精神構造が新たに創られた訳ではない。 小説の中では、古今東西に存在した「社会規範」として少女と成人が肉体関係をもつことに関して、ナボコフもその知識をちりばめている。 つまりこの小説によって、今まで存在しなかったものに呼称が与えられたのではなく、本来人間が持つ精神世界の一領域に「庶民的な」共通の名詞を与える糸口が得られた、と言えるかもしれない。
  
  古来、人類の精神や思想には、いや、そういったものが形成される以前から、脳髄の中にはありとあらゆる欲望や情念が煮えたぎっていて、やがて文明の発達とともにそれを道徳や社会的秩序で抑えることで脳漿の沸騰を防いできたのだろう( 『バタイユ入門』 )。 人類とともに社会も変化する。 発表当初、何度も出版を拒否され、不埒、非道、不道徳、背徳、不潔とあらゆる罵詈雑言を浴びた過去のある小説だが、社会の変化とともに、今日では多くの国で通常は何の抵抗もなく受け入れられている。
  
  人間には心理の引き出しが数えきれないほどあるものの、その作用を覗き見るためにそれらを引き出すための把手は見つけにくい。 ナボコフの小説『ロリータ』は、我々の引き出しのひとつのありかを明確に指し示し、本書をきっかけとして人々は人間としての自らの本音の一部を語り始めたのだろう。
  書物にはこのような力がある。

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2014/01/20 15:58

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