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大学とは何か(岩波新書 新赤版)
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この著者の新着情報

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  • カテゴリ:一般
  • 発行年月:2011.7
  • 出版社: 岩波書店
  • レーベル: 岩波新書 新赤版
  • サイズ:18cm/259,5p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-00-431318-2
  • 国内送料無料
新書

紙の本

大学とは何か (岩波新書 新赤版)

著者 吉見 俊哉 (著)

いま、大学になにが可能なのか。大学を知のメディアとして捉え、中世ヨーロッパにおける誕生、近代国家による再生、明治日本への移植と戦後の再編という歴史のなかで位置づけなおす。...

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大学とは何か (岩波新書 新赤版)

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商品説明

いま、大学になにが可能なのか。大学を知のメディアとして捉え、中世ヨーロッパにおける誕生、近代国家による再生、明治日本への移植と戦後の再編という歴史のなかで位置づけなおす。大学の理念の再定義を試みる画期的論考。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

吉見 俊哉

略歴
〈吉見俊哉〉1957年東京都生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。同大学院情報学環教授。著書に「メディア時代の文化社会学」「親米と反米」など。

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みんなのレビュー27件

みんなの評価4.0

評価内訳

  • 星 5 (2件)
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紙の本

歴史的な認識の重要さ

2012/02/18 00:28

2人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る

この本を読んでみると,最近の大学論のおおくがいかに近視眼的だったかがわかる. おおくの本がここ数 10 年のスコープしかもっていないのに対して,この本は中世からの歴史をひもとく. そして,現在すすめられている改革のおおくがすでに 1971 年の 「四六答申」 で提案されていることが指摘されている. 大学問題にかぎらず,現代がかかえる問題をかんがえるうえで歴史的な認識が重要であることを,あらためて感じさせる.

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2012/03/18 13:06

投稿元:ブクログ

メディア史の専門家による大学論。大学のメディア史的役割から大学という存在を振り返ることで、今日における大学の役割の変化や衰退が理解しやすくなった。グーテンベルグの印刷術の登場によって、12世紀ごろから発展してきた大学が16世紀に入って衰退し、国民国家の誕生によって、18世紀以降、その役割を増していったこと。そして、またインターネットの登場で大学も大転換期を迎えていることは、興味深い相似である。それを踏まえた上での、これからの大学の姿、まだ描き切れてはいないが重要な提案となっていると思う。

2012/12/23 15:55

投稿元:ブクログ

 「大学は今後とも意味を紡ぎ続ける。それが可能であるためには、大学は「エクセレンス」と同時に「自由」の空間を創出し続けなければならない」(256p)。

 「大学とはメディアである。大学は、図書館や博物館、劇場、広場、そして都市がメディアであるのと同じようにメディアなのだ」(258p)。

 18歳人口の5割が大学など高等教育機関に進学する時代。それをユニヴァーサル時代と呼ぶらしい。
 その大学が揺れている。デジタル情報時代を迎えたこと、学生の習熟度が低下したこと、少子化時代を迎えたのに大学の増設が続いていること、大学教育が私学によって支えられながらも多くの大学が定員割れで存続の危機にあること。

 大学の現状を肯定したうえで「大学の未来」を論ずるのではない、書いている。
 そのうえでキリスト教との緊張のうえに誕生した中世の大学は、一度、死んでのち復活したのだと、述べる。

 その契機をルネッサンスと広範な印刷術の普及のその後で、出版を教官が書き、学生が読み、大学のもつ専門的な図書館が出版の半永久的収蔵庫となる役割、さらには大学自体が出版社をてがける(246p)ように、大学の存在と出版は密接な関係を構築している、とする。

 そのうえで、圧倒的なデジタル情報時代に転換する時代の局面で、多チャンネル情報時代に研究・教育・地域貢献は大学のみの専管事項でありつづけるのか、どうか。大学人である著者自体が自問自答しているように思える、が(岩波書店 2011年)。

2011/08/09 20:00

投稿元:ブクログ

この新書版一冊で、中世の大学誕生から、アリストテレス、カントから・・・、またまた1960年代の大学紛争、さらに国立大学の法人化まで、なんと、すべてが網羅。これ一冊で、大学のことならわかる・・・という本。大学とはメディアである。これが著者の結論。共感を覚えますねぇ。

2012/05/13 13:41

投稿元:ブクログ

図書館で借りた。

大学という仕組みはどのように始まったかからスタートし、日本への導入、大学の置かれている状況を説明して、大学に求められていることや大学とは何かを考えている。

大学がもともと建物ありきの発想でないことを知り驚いた。師と弟子のような感じで先生のもとに学生が集まり、各都市を渡り歩いていたらしい。その後、学生が多くなり、学生の組合のようなものが先生を雇うところもあった。地元住民と大学との対立はこの時代からすでにあり、大学に建物がなかったため、全員別のところに移るという言葉で大学に有利な条件を得ていた。

大学は印刷革命が起きたときにうまく対処できず、学問の主体を本の著者に奪われたらしい。それが今のネットワークの発展した状況と似ていると指摘していた。

アメリカ型の大学、フンボルト型の大学というような各国の大学のあり方の歴史も概観できる内容だった。

2011/08/06 15:56

投稿元:ブクログ

中世の印刷革命において、大学での学問の幅は大きく広がった。
哲学であれ、人文学であれ、リベラルアーツであれ、自由の理性の場を大学の学部として制度的に確保した場合、果たしてそのような確保が自由の維持の自己目的化、つまり新しい大学で理性の自立性の組織的維持が自己目的化されるのか?
理性の大学から、文化、教養の大学に変貌しつつある。
文化=教養である。
感との哲学から、ニューマンらのリベラルな知への大学の理念のイングランド的展開において重要なのは、やがてこのリベラルな知の中核が哲学ではなく、むしろ文学へ移行していったことである。

2015/06/27 07:13

投稿元:ブクログ

大学の誕生と死、その再生と移植、増殖といった世界史的な把握により、大学とは何か、あるべき大学とはいかなるものか、を考察している。また、コミュニケーション・メディアとしての大学という場を考えるところや、リベラルアーツと専門知の関係についての新しい認識の地平を提供するところに本書の特色がある。
大学の歴史を世界史的に振り返ることにより、本書では、「中世的大学モデル」、国民国家を基盤とした「近代的大学モデル」、「帝国大学モデル」、近代的大学モデルから派生した「アメリカの大学モデル」といった大学の理念型を抽出する。そのうえで、国民国家の退潮が進む現代においては、国境を越えた普遍性への指向を持ち、横断的な知の再構造化をはかる場としての「ポスト中世的国家モデル」が大学のあるべき姿ではないかと主張している。そして、エリート主義の「教養」ではなく、専門知をつなぐリベラルアーツが重視されるべきとしている。
著者の考える「大学とは何か」という問いへの答えには、共感するところが多いが、その理念を、今、爆発的に増殖している大学のすべてに適用しようというのは無理があるのではないかと思う。G型大学、L型大学の議論はいきすぎとしても、今よりも数を絞った本来のあるべき姿の「大学」を目指す大学と、職業訓練に主眼を置いた大学(大学という名称を残すかどうかは検討が必要)への分化を軸に高等教育機関の再編成が必要ではないかという感想を持った。
本論とは外れるが、本書で紹介される大学の歴史におけるエピソードには興味深いものが多かった。例えば、東京大学の前身となりうる組織には、儒学を主とした大学本校、洋学を主とした大学南校、医学を主とした大学東校があったが、本来、メインとなるはずの大学本校は、儒学派と国学派の内部抗争で自滅して、大学南校と大学東校の合同だけで東京大学が誕生したといったエピソードといったものだ。
本書は大学について考えるうえで、なかなかの良書だと思うが、やや議論が観念的・理想論的に過ぎる気はした。本書の議論を実際の大学改革などに活かそうとすれば、もう一段階のブレイクダウンが必要だろう。

2015/01/25 21:34

投稿元:ブクログ

今更ながらに読了。大学成立の歴史から、現代の大学に至るまでの歴史的な経緯を分かりやすくまとめている。特にメディアとしての大学という観点は、これからの大学の在り方を考える時に必須の視点ではないか。大学にかかわるすべての人に読んでもらいたい。

2011/09/16 01:37

投稿元:ブクログ

研究とも関連して興味あるテーマなので面白く読んだ。
ヨーロッパにおける大学の成り立ち(1章)から国民国家と大学の再生(2章)、舞台を日本にうつして帝国における大学(3章)、戦後日本の大学改革(4章)という今までの、最後の章では「それでも、大学が必要だ」とのタイトルで今後の大学のあり方に関する提言が書かれている。

今後の日本に置ける大学の形を考える時、既存の大学概念の中で中世の都市ネットワークを基盤にしたポスト中世的大学モデルが参考になるのではないかと提言している。その理由として、1、世界で多数の大学が国境を越えて都市間で密接に結びついていること、2、高等教育のアメリカ化の中で
学術言語としての英語の世界化がおきており、北東アジアなどの近隣諸国の学生と知的交流をすすめるのにも英語でのコミュニケーション能力が必須であり、それを単純な英語支配と捉えず共通言語以上の可能性を持ったものとして認識することが重要であること、3、今後人類が取り組むべき課題はすでに国民国家の枠組みを越えており、ナショナルな認識の地平を超えて地球史的視座から人類的課題に取り組む専門人材を社会に提供することが大学に求められていること、などを挙げている。(pp.240-243)

面白いのだが、取り立てて目新しいものではない。
それよりも、未来の完全なインターネット社会で大学が生き残ることができるのか、との懸念をぶっこんでたことには、その懸念は理解できるもの、もう少し大学がキャンパスをもち、人と人との直接的な交流が生まれることの意義を聞きたかったなあと思う。最近のキャンパスの国際化や、地域連携などの点についても触れてほしかった。そして、すべての大学教員がマイケル・サンデルのような「白熱」議論ができるわけじゃない、という部分には素直に笑ってしまった。

2014/01/13 12:50

投稿元:ブクログ

中世の大学の起こりから、現在に至るまで、大学の歴史を知るには情報がコンパクトにまとまっていて良かったです。天皇の大学、「天皇のまなざしと国民の知性が遭遇する場所」としての帝国大学の「帝国」が、明治初年岩倉使節団が日本に招聘した学監が日本のことをエンパイアを読んだことがきっかけでそれを文部省が「帝国」と訳して定着してきたという話にはへえと思いました。グローバル人材育成の文科省のかけ声が大きくなる以前の出版ですが、今日的な人類の課題(環境、エネルギー、貧困…)が、国境を越えた課題であるがゆえに、国民国家と一体の大学からこれらの課題解決に貢献する大学へ変わる必要がある指摘を覚えておきたいと思います。おわりににある「大学とは、メディアである。」のとおり、大学とは何かと問いは、その時代と課題と大学の持つ実験の場において出てきたものにより答えが変っていくものなのかなと思いました。

2012/03/08 18:19

投稿元:ブクログ

中世から現代に至る高等教育の歴史を辿った本。
大学について語るためにまずは歴史から知りたい人にオススメ。
特に日本の現代史を綴った四章が面白かった。

2012/07/06 01:46

投稿元:ブクログ

吉見俊哉『大学とは何か』岩波新書、読了。大学を知のメディアと捉え、中世における誕生と衰退、近代国家による再生、近代日本の移植と戦後の再編を概観することで、大学の理念を再定義する。懐古趣味的教養主義への回帰や社会へ阿る安易な対処療法を退け、見通しを提案する刺激的な論考。お勧め。

7割程度が大学史に当てられているが、200ページ程度でよくその概要をまとめたものだと感嘆。ヴェルジェやクリストフを紐解く時間がない人やざっくり概要を知る上では便利。知のコミュニケーション場=「メディア」として大学の歴史を俯瞰するのは現代的で面白い。

個人的に興味深かったのは、新制大学を創造するなかで、最大の抵抗勢力が、旧制高校を温存しようとする教養エリート。しかし教養エリートのひとり・南原繁がそれを退け、教養エリートの差別的「教養」主義ではない、新しい「一般教養」を立ち上げていくというところ。

付記。
吉見俊哉『大学とは何か』岩波新書、吉野作造への言及あり。かつて私学にあった「民権と出版の学知」が東京帝大に内在化していく象徴的人物として(大正デモクラシーと『中央公論』)。以降、出版と大学が相互依存へ、ただこの蜜月は治安維持法後、「自由の余地」は縮小していく。

2011/09/21 20:21

投稿元:ブクログ

本書は2つの読み手によって異なる印象を持つだろう。高等教育の入門の段階で読む場合は、「より抜いたポイントの集約」かなと。多少高等教育をかじってから読む場合は、「いつまで先行研究のレビューまで続くのか、と思っていたら終章になってしまった」と思うかもしれない。

新書1冊に日本大学史を総覧した価値はある。参考文献リストも学習者に役立つ。ただ、筆者の考える新しい主張が終章の一部くらしか見当たらないのは、少し寂しい。教育学を専攻としない情報学環の先生だからこそ、このような本が書けたのかとも思う。2時間で日本の大学の誕生から今日までをかけ抜けることができる意味は大きい。

印刷技術の発展に伴う書物の爆発的な出版、インターネットによる知の洪水という各メディアが大学に与えた影響に触れられている。メディア論としての大学論を今後期待したい。

2012/01/15 18:23

投稿元:ブクログ

岩波書店でこのタイトル。
しかも著者は教育学者ではない。
興味津々で読んだ。

目次だけ見ると「大学の歴史を振り返るのか」と思われたが、「メディアとしての大学」の視点があるため、これまで知らなかった大学像が立体的に浮かびあがってくる。

・キリスト教は、日本の大学システムの形成期と転換期の二度にわたり、ペリー提督やマッカーサー元帥以上に大きな役割を果たした (P186)

・(国立大の法人化について) 財務構造にすでに劇的な変化が生じているのに比べ、組織運営のあり方があまり変化していないように見える最大の理由は事務組織や職員の意識と能力が新しい体制に追いついていない点にある (P231)

・現在の状況に有効に介入しうるような新しい大学概念を、歴史と未来の中間地点に立って再定義していく (P239)

・ グーグルやアップル、フェイスブックといった新たなネット上の知識システムに対し、大学という相対的に古い知識形成の場が何を固有にできるのかを明らかにせざるを得ない時が来ている (P249)

など、多くの箇所を備忘録に留めた。

2013/08/17 20:03

投稿元:ブクログ

中世の大学の思想的核心がアリストテレスにあったとするなら、近代の大学の思想的核心をその発展に先駆けて示したのはカントである。カントは1798年、晩年に書いた「諸学部の争い」で、その後の近代的大学に長く影響を与えることになる未来の大学についての見取り図を示した。彼によれば、大学とは、神学部、法学部、医学部という「上級学部」と、哲学部という「下級学部」の弁証法的統一体である。三つの上級学部は、大学外に、そこで教える内容を方向づける上位の審級を持つ。すなわち、神学部は教会を、法学部は国家を、医学部は公衆医療を目的に成立している。「聖書神学者はその教説から理性ではなくて聖書から、法学者はその教説を自然法からではなくて国法から、医学者は公衆に施される治療法を人体の自然学ではなくて医療法規から汲みとる」のだ。これに対して哲学部は、「みずからの教説に関して政府の命令から独立であり、命令を出す自由は持たないが、すべての命令を判定する自由を持つような学部」である。(「諸学部の争い」)つまり、三つの上級学部が営むのは外部の要請に応える他律的な知であり、下級学部が営むのは外部から独立した自律的な知である。p81

19世紀の後半になってもドイツの大学に比べるべくもなかった米国の主要大学だが、その半世紀後には経済力を背景にドイツの諸大学と並ぶ水準となる。そしてやがて、あれほど世界の知の中心であったドイツは、その座をすっかり米国に明け渡すのである。つまり、19世紀末から20世紀半ばまでの数十年間で、高等教育の中心はドイツからアメリカに移動したのだ。
この変化を大学制度の側からみるならば、米国の大学に決定的革新が起きたのは、1876年、イェール大学出身のダニエル・ギルマンが、新設のジョンズ・ホプキンス大学の学長に就任し、より高度な研究型教育を旨とする「大学院=グラデュエートスクール」を、新しい大学モデルの中核としてカレッジの上に置いた時からであった。これはいわば、それまでハイスクール的なカレッジ状態からなかなか抜け出せずにいた米国の大学が、ドイツ型の大学モデルに「大学院」という新規のラベルを貼って「上げ底」する戦略だったともいえるのだが、「大学」と「大学院」に分けてしまえば、旧来のカレッジ方式にこだわる教授陣を安心させ、しかも真に超一流の教授たちを大学院担当に据えていけば、米国全土から向学心に富んだ秀才の大学卒業生を集めることができたから、まさに一石二鳥のアイデアであった。p104

60年代末の学生叛乱で問われたのは、高度成長に同調して事業拡大路線をひた走る私立大学の利益第一主義と、総力戦期に由来する理工系の研究体制、さらには旧套から抜けだそうとしない大学アカデミズムの権威主義であった。p207

《終章 それでも、大学が必要だ》p237
①キリスト教世界と中世都市ネットワーク、それにアリストテレス革命を基盤とした大学の中世モデルの発展
②印刷革命と宗教改革、領邦国家から国民国家への流れのなかでの中世的モデルの衰退と国民国家を基盤とした近代的モデルの登場
③近代日本における西洋的学知の移植とそれらを天皇のまなざしの下に統合する帝国大学モデルの構築
④近代的モ��ルのヴァリエーションとして発達したアメリカの大学モデルが、敗戦後の日本の帝国大学を軸とした大学のありようを大きく変容させていくなかで、どのような矛盾や衝突、混乱が生じてきたか。

<メモ>
「国民国家」と「大学」は一蓮托生なわけではない。

【ポスト中世的大学モデルへ】p240
Cf. 「ボローニャ・プロセス」

今後、ナショナルな認識の地平を超えて、地球的視座からこれらの人類的課題に取り組む有効な専門的方法を見つけ出すことや、それを実行できる専門人材を社会に提供することが、ますます大学には求められてくるだろう。

Cf. マックス・ウェーバー『職業としての学問』

【あとがき】p258
大学とは、メディアである。大学は、図書館や博物館、劇場、広場、そして都市がメディアであるのと同じようにメディアなのである。メディアとしての大学は、人と人、人と知識の出会いを持続的に媒介する。
本書は、「大学」という領域へのメディア論的な介入の試みである。大学を、所与の教育制度として捉える以前に、知を媒介する集合的実践が構造化された場として理解すること。

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