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崩れゆく絆(光文社古典新訳文庫)

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  • カテゴリ:一般
  • 取扱開始日:2013/12/03
  • 出版社: 光文社
  • レーベル: 光文社古典新訳文庫
  • サイズ:16cm/361p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-334-75282-8

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紙の本

崩れゆく絆 (光文社古典新訳文庫)

著者 アチェベ (著),粟飯原 文子 (訳)

古くからの呪術や慣習が根づく大地で、黙々と畑を耕し、獰猛に戦い、一代で名声と財産を築いた男オコンクウォ。しかし彼の誇りと、村の人々の生活を蝕み始めたのは、凶作でも戦争でも...

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崩れゆく絆 (光文社古典新訳文庫)

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崩れゆく絆

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崩れゆく絆

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商品説明

古くからの呪術や慣習が根づく大地で、黙々と畑を耕し、獰猛に戦い、一代で名声と財産を築いた男オコンクウォ。しかし彼の誇りと、村の人々の生活を蝕み始めたのは、凶作でも戦争でもなく、新しい宗教の形で忍び寄る欧州の植民地支配だった。「アフリカ文学の父」の最高傑作。【「BOOK」データベースの商品解説】

古くからの呪術や慣習が根づく大地で、黙々と畑を耕し、獰猛に戦い、一代で名声と財産を築いた男オコンクウォ。しかし彼の誇りと、村の人々の生活を蝕み始めたのは、新しい宗教の形で忍び寄る欧州の植民地支配だった…。【「TRC MARC」の商品解説】

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みんなのレビュー16件

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評価内訳

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紙の本

民俗学的な語りのおもしろさ

2015/12/19 22:01

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:アトレーユ - この投稿者のレビュー一覧を見る

大好きな民話の語りのような話の流れ、そして少しダレそうになるあたりから一気に、起承転結の“転・結”がくる。小説としての完成度が高いというのかな。アト的に一部(アフリカの地域住民の慣習・伝承という基礎の上に成り立っている日常生活のお話。民俗学的)だけでも満足だけど。日本でもアイヌや蝦夷の話がある。同じように征討されて終わるのかと思いきや、意外な結末。だが、きちんと行く末を描かないことが、あからさまな政治臭を消し、小説としての浄化させてる、と思った。

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紙の本

解り合う努力を放棄して力で押さえつける安易さ…

2017/01/18 11:00

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:sin - この投稿者のレビュー一覧を見る

自然と共に生きるすべを呪術信仰に昇華したアフリカ人と、民族の衝突と私利私欲により洗練された宗教を持つ白人の、各々の神の正当性の主張はその背景にある武力の差によって優劣を決定された。白人は博愛の神の代弁者として圧政を敷きアフリカの風習を野蛮として退けたが、悲しいかな主張の隔たりが或る場合のお定まりの成り行きとは云えないだろうか?解り合う努力を放棄して力で押さえつける安易さ…

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2014/04/06 00:14

投稿元:ブクログ

アフリカ伝統社会が西欧文明の流入により壊れてゆく様子を描いた小説。前半は伝統社会の描写で入り込むまで時間がかかるが、それでも読み進むねうちはある。映画「セデック・バレ」や、明治日本の近代化、さらには高度経済成長以後の日本の変化にも重ね合わせて読んでみたい。

2015/03/29 15:25

投稿元:ブクログ

少し前に文庫化されぜひ読みたいと思っていた一冊。アフリカ文学の父といわれる、チヌア・アチェベの記念碑的一冊ということ。アフリカ文学には聡くないので、そういう意味での評価はできないが、歴史的背景も合わせて様々な学びを与え、人間と歴史の気づかない側面を教えてくれた。

 未開のアフリカ、一部族を取り巻く現代の侵入とりわけ西洋、キリスト教の侵入を描いている。レヴィ=ストロースをはじめとする文化人類学の発展は、未開の兄弟たちに対する人権的な意味での理解を進めてくれた。キリスト教主義からの絶対史観がよろめいてしばらくたったところに新たに相対的な視点を与えてくれた。この作品はそういう視点に立っているといえば少し違うのかと思う。文化人類学はあくまでも西洋が見た未開の人間に対する学であるが、アチェベは現地イボ人の作家であるのだから。アチェベ自身はキリスト教化の後のアフリカに生まれ、熱心な信徒である両親の愛を受け育った文化人であるが、この作品から漂う土と血と鉄の臭いは、アフリカの血を受け、人と信仰と歴史の交差路に悩む生きた人間の生臭さがある。
 一様にキリスト教を非難しているわけではない。土着の文化の非人道的な解釈も痛々しさは隠せない。こういう文化の中には明確に人間個人に先んじる価値が存在していて、それを守るためなら人間を殺すことにも躊躇はしない。しかしイケメフナを神託を持って殺したオコンクォには抑えることの出来ない葛藤と後悔があふれていた。
 『崩れゆく絆』とはよく作品を表したタイトルである。部族の伝統と宗教が西洋の侵入によって崩れていく。しかしそこに描かれるのは、人間自体が持っている悲しさである。部族の価値にとどまるも、キリスト教に染まるも、悲しき人間の生き方、歴史である。

15/3/26

2017/02/04 23:42

投稿元:ブクログ

「アフリカ文学の父」と言われるチヌア・アチェベの作。
アチェベはナイジェリア・イボ族出身で、ロンドン大学のカレッジにあたるイバダン大学(ナイジェリア最古の大学)で学んでいる。
アチェベはコンラッドの『闇の奥』を批判したことで知られる。アフリカの人間性に目を向けず「ヨーロッパすなわち文明のアンチテーゼ」としたというものである。アフリカ人を「野蛮」としか見ていなかったというわけだ。
アフリカを描写する「異なる物語が必要」として、実際に創作したのが「アフリカ三部作」と呼ばれる作品群で、この『崩れゆく絆』が最もよく知られる(他の2編、『もう安らぎは得られない』『神の矢』に関しては、少なくとも入手しやすい邦訳は出ていないようである)。本作は別の出版社から数十年前に旧訳が出ていたようだが、この版は2013年刊行と新しい。原著は1958年初版。

物語は1900年前後のナイジェリアが舞台。
呪術や慣習に支配される地で、「男らしく」畑を耕し、勇猛に戦って名を築いていたオコンクウォ。強き男、頼りになる夫、恐い父である彼は、古くからのやり方で、精霊や祖先を崇め、一族の秩序を脅かすものと戦ってきた。役立たずだった父親からは多くのものを受け継ぐことは出来なかったが、彼は強い心で働き、自力で名声や財産を勝ち取ってきた。
妻は3人、広い屋敷も出来た。一族の最高位に登り詰める日も遠くないはずだったが、不運に見舞われ、村を追われた。
村に戻れる日を待つオコンクウォは、よからぬ噂を耳にする。得体の知れない白い男たちがやってきて、禍をもたらしているようなのだ。
時が満ち、ようやく故郷の地を踏んだオコンクウォ。凱旋さながら華々しい帰郷を祝うはずだったが、白い男たちのせいで、村はすっかり変わってしまっていた。
やがて、強い男、オコンクウォは悲劇に見舞われることになる。

前半は伝説や言い伝えに支配される呪術社会を鮮やかに描き出す。
動物たちが登場する昔話は想像力豊かで美しいが、こうしたお話は女向けとされている。
オコンクウォの息子、ンウォイェは実のところ、こうしたお話の方が、父の武勇伝より好きなのだが、男らしくあれと期待する父に背かぬようにそれを隠している。
世が世ならば、父と子の小さな齟齬は表に出ぬまま、世代が引き継がれていくはずだった。
この社会はこの社会として秩序を保ち、この社会の論理で物事を解決し、幾分の揺らぎを含みながらも大きくは平穏に過ぎていくはずだった。
そこに突如、白い人々の論理が持ち込まれた。
論理と論理がぶつかり合ったとき、そこに武力も加わったとき、社会はがらがらと轟音を立てて崩れ去る。
軋みの中で、オコンクウォは滅びへと転がり落ちていく。
残酷なまでの鮮烈さで。

物語の時代設定は、アチェベ本人が生まれるより前のことである。アチェベ自身は言うなれば欧州流の教育を受けている。
本作に関しては、「村」の描写が正確でないという批判もあったという。確かに幾分か「鮮やかすぎる」ような印象は受ける。しかし、「村」の「空気」やオコンクウォの「気質」は如実に描き出���れているのではないか。それがフィクションというものだろう。

原作には一切の注がないという。訳者には注を付すことにいささかの躊躇いもあったようだが、本文に添えられた詳細な注と解説が作品のよい導き手となっていることは間違いないように思う。あとがきに記された訳者の真摯さに敬意を表したい。

読み通してみると、三部作の残りの2作品が読めないのは残念なことに思う。なかなか困難なことなのかもしれないが、もしも訳書が出るようであれば手に取ってみたいものだ。

2014/12/11 12:48

投稿元:ブクログ

ヤムイモのリアリズム。アチュべはナイジェリア出身の作家。ナイジェリアはヤムイモ産出量世界1位。なによりもまず重要なのはイモであり、あらゆる食事にヤムイモなのである。
客人がやってきてに「コーラあるよ」ともてなすのだが、これはコカコーラの原料の「コーラの実」のようである。覚醒作用があるようなのでやっぱりお酒かドラッグみたいなものなのか。
ナイジェリアの生活様式が興味深い。村で生活するためのシキタリ。それを決めるのは長老かお告げ師である。長生きできることが尊敬に値する、というのは子供の生存率が低いということからも分かる。
コミュニティでは親分から種イモをもらって小作は畑を肥やしそれが生活の糧となる。一夫多妻制で、主人公の妻は3人いる。家屋は主人を中心とし放射線状に離れがあり、妻はそこで子供と暮し、毎日主人の食事を用意する。家長はとても威張っている。作ってくれた食事に文句を言うし、安易に妻へ暴力もふるう。いろいろとしょうがない。
村の余興はレスリング。もちろん強い男が評価される。村人たちはそれを見るのが娯楽。村には巫女がいて「憑かれていない」ときは普通に生活している。(←これはあとで豹変する)
近隣のコミュニティとの軋轢もある。おそらく生贄状態でやってきたよその村の子供を囲って主人公は息子同然に育てるが、村の長からお告げによりそいつは殺すべしと指示され、親代わりだった男が自ら手をくだすことになる。ひどい。それは成長した他所の男が女を孕ませることができる歳になっているという危機感による、原始的な男らしさでもある。
女性は16歳で嫁に行く。婿希望者は持参金を持って女性の父親とかけあう。男同士は椰子酒を飲んで仲良くなる。嗅ぎ煙草を入れている「山羊の革の袋」がよく出てくるが、これはおそらく山羊の胃袋で携帯するポーチのような役割として使われているのではないだろうか。
一夫多妻なので、男子を生むことが女性の地位をあげることになる。子供をたくさん産んでも成長させることが難しいのは悪霊のせいなのであったりする。あるいは大事な石をどこかに埋めてしまったからであったりする。

(登場人物がどんどん増えていく。舞台はアフリカなので「ン」ではじまる名前も多く、慣れないと覚えるのが難しい)

そして後半、突如外部から白人が宗教を布教しにやってきて、長く続いていた土着コミュニティはもろく崩れていく……。ここからですよキモは。キリスト教と白人の欺瞞が。ああ、アフリカの文学。コンラッド『闇の奥』が苦手だった人にもお勧め。今の時代、わたしたちが知るべきはこっちの世界だ。

2014/02/07 17:02

投稿元:ブクログ

チヌア・アチェベ『崩れゆく絆』光文社古典新訳文庫、読了。呪術と慣習の根深い伝統社会で生きる人々とそこに忍び寄る「文明」としてのキリスト教の植民地支配。

伝統的な価値観の崩壊と変化に抗あらがう男の悲劇を描く本作は、「アフリカ文学の父」と呼ばれる著者の代表作。

著者のコンラッド批判は有名だが、ただ著者の筆致は単純な否定と肯定でもない。カウンターとは違うそのたたずまいに多元主義の徴が光る。

2017/04/14 13:12

投稿元:ブクログ

アフリカ文学というくくりが正しいのか、自信が持てないが、疑いの余地なく、優れた文学である。

未知の世界。加えて、読みにくい、非直線的な書き口。私から見ると、非情で、矛盾を感じる文化。

しかし、最後まで読み通し、その言われようのない悲劇的結末に接し、全てに予期せぬ意図を感じたのだ。人間社会、人間とはいかに信頼に値しないか。

社会分裂、変化、崩壊の触媒としてのキリスト教。

『ルーツ』で書かれた世界は一面に過ぎなかった。

語り手が、登場人物の視点が、内と外を往還し、不条理をあぶり出す。その文学性に感嘆した。

くり返すが、深い次元で声を失った作品であった。

2015/09/27 13:12

投稿元:ブクログ

ひとことで言うと部族の価値観をやや過剰に体現していた男がそれ故に居場所を失う話。出来事は突然に起こる(銃が暴発するがごとく)、但しその予兆、萌芽が十分に感じさせられるのでオコンクウォ、ウムオフィアの運命に必然性を感じられる。
部ごとの変奏がすばらしく、ラストは美しく冷徹。
作者やイボの実存を問う作品で歴史的な作品なのだと思う。
訳も原書と比較したわけではないが、とても丁寧で愛を感じる。訳者あとがきも同様。ただ本編読了後早く読みすぎないほうがいい気がする。素晴らしいので自分の感想が抑圧されてしまう気さえする。

2015/03/13 01:06

投稿元:ブクログ

19世紀のアフリカを舞台とした、欧州の植民地支配によって分断されていく家族と共同体の物語。あらすじはシンプルだけど、実際にはとても重層的な意図の込められた、にもかかわらず単純に物語としても面白く読めてしまう本だった。語り口の変化は近代化のメタファーとして機能しているし、支配の過程も単純な二元論では収まらない。そもそも著者が植民地支配の教育を受けて育つことで、その支配以前の文化を書き留められたこと自体が逆説なのだろう。その上で、個人の弱さを軸とした物語は時代も文化も飛び越えて、こんなにも普遍的に届いてくる。

2014/07/23 13:37

投稿元:ブクログ

 「アフリカ文学の父」の古典的名作を初読。この一作が、叙事詩から小説に向かう文学の系統進化それ自体を凝縮的に表現しているように感じられる。訳者・粟飯原文子による「解説」も充実、とても参考になった。
 
 アフリカ文学に関する知識が皆無な私は「解説」に教えられるところが多かったのだが、同時に、自分自身のテクストの〈読み方〉の偏りというか、出来ていないところにも気付かされた。一つ一つの言葉や記号に拘泥しがたちなわたしは、どうしても発想が硬直的・固定的になるので、テクストの力学や流動性、動態的な様相をうまく分析=記述することが、できていないのである。自らの〈読み方〉のモードを相対化するためにも、〈世界文学〉の現在形とポストコロニアル批評のテクストをきちんと読まねば、と痛感させられる。その意味でも、わたし個人にとってたいへん教育的な一冊だった。

2014/08/13 14:02

投稿元:ブクログ

 そうして「彼ら」は日本にまでたどり着いて、結局宗教的に、まず占領することはできなかったわけだ。このアフリカの村ように。
 それは戦国時代から、日本のトップの人間が、「彼ら」に対して容赦せず、警戒し、かつその言動に抵抗できる知識や教養を貪欲に摂取していたからだろうか。彼らの世界戦略を瞬時に見破ったからだろうか。この小さな島国で戦争ばかりしまくっていた民族なのだから、それぐらいすぐに見抜いただろう。よくぞ島国が、「こう」はならなかったものである、というのが、読後のまず第一の感想であって、「アフリカ人がかわいそうだねえ」とかは思わなかった。
 思うのは、「日本と違って、こういう風にアフリカはやられたのか。なるほど、よくわかった」という、何百年と続く「白人とそれ以外」の戦いの一端を目撃しているような、ドキュメントのような一冊だった。
 だが、そうは読んではならない空気が世間にはあるだろうし、そう読むことは何か無教養でだらしがないことであるというイメージがなぜか私の中にすり込まれてあり、ゆえに私はたぶん、「この小説の構造は、円環的なものから直線的なものへとなっていて……」といったことを言って、それで終わるべきなのだろうと思う。

 が、とりあえず自分でここはチェックだなと思ったところを書けば、まず最初に銃が登場するのは、P69。銃が登場したとき、「あ、この世界、銃があるんだ」と感心したものだ。それまで、いったいこの話は、いつの時代なのか、まったくわからない。三千年前と言われても納得していただろう。
 あと主人公の暴力がとても良い。主人公の暴力たるや誰もおさえられない。とにかく暴力、そして不運がものすごい。幸せと富と豊かさの絶頂でありながら、息子同然の子を殺し、祭りで殺し、そして最後の集会で殺し。この主人公の「どうしようもない怒り」を理解出来る人は、なんとなくいるだろうし、なんとなくいない。だが、主人公はなぜここまで怒り狂っていたのか。何に焦っていたのか。この小説は、白人とそれ以外の、文明的な公平な対比を描いたものと同時に、この「怒り」……どうしようもない怒り、これは白人が来る前からある怒り、白人が来ても続く怒り……敵味方すべてに怒り続ける主人公は、とても深い。
 また、イナゴが喜びの対象となっているのが面白い。大概イナゴ=悪のイメージだが、ここでは違う。これも、なにやらすり込まれたものを払拭させられる感じがする。
 双子をすてる習慣とか、神聖な蛇や、森の呪いの効果が白人に全く効かない、それから最下層被差別民が真っ先に改宗していくところなど、急激に世界観が代わっていく様の流れが面白かった。
 ちなみに、白い人間についての話題、初登場は121ページであるが、黒人のアルビノの話題も出てきていて、ほんと細かいところをついてるなあと思いながら読んだ。
 そうして、そうして、この村は平定される。パクスはピースであり、最後の注には「平和」をもたらすとあると書いてあり、いや、これはアフリカも日本も同じだと、決して思ってはならない、思ってしまっては、何かしら短絡思考の、低レベルな人間だと世間様に思われるという思考回路が私の中に生まれるので、なので、「実に見事な小説であった。なるほど、この平和によって、この村の悪習はなくなったわけだ、良い面もあれば悪い面もある」と、何か深い感慨を得たような気持ちで思うしかないのだった。

2014/01/16 01:39

投稿元:ブクログ

キリスト教の流入と植民地化により、アフリカの部族社会が崩壊していく様子が、1人の男の目を通して描かれる。
とは言え物語が大きく動き出すのは半ばを過ぎてからで、前半は馴染みのない風習や儀礼に代表される土着文化が生き生きと描かれ、非常に興味深い。
余談だが、久々に登場人物の名前がなかなか覚えられない……という体験をしたw

2014/03/01 00:13

投稿元:ブクログ

小説の前半に描かれる、呪術と迷信が跋扈する19世紀のアフリカ社会を描く筆致、その異様な迫力に圧倒される。年代的にはアチェベはそれら時代から少し隔たっており、本書を読むことは、作者が自らの拠り所としてのアフリカ社会の伝統を手繰り寄せる行為に立ち会う作業とも云えそう。
旧社会を代表するオコンクォの破滅を描くところで小説は終わるが、その先を描かないところにアフリカの深い自問があるのか、と思う。アフリカ現代を知りたいと感じる。
新訳を出版した光文社に拍手。

2015/07/28 02:11

投稿元:ブクログ

「アフリカ文学の父」チヌア・アチェベ。
まだ当時、イギリス植民地だったナイジェリアの出身。
キリスト教徒の熱心な教育を受けると共に、土地の慣習や文化にも慣れ親しんでいた。
そんな作家が、植民地化前夜にあたる時期のナイジェリア(イボランド)を描いた作品。

読んでよかった。本当に読んでよかった。
第1部のイボ語のことわざや口伝の慣習、その土地の宗教観は読んでいるだけでもワクワクする。
特に音楽的な描写は本当に楽しくて、「太鼓奏者がスティックを持つと、大気が震え、ぴんと張った弓のように緊迫した。」(p.84)や「心の耳をすませば、エクウェ、ウドゥ、オゲネが奏でる、血の沸き立つような入り組んだリズムが聞こえてくる。そして自分の笛の音もそのリズムと絡み合い、華やかで哀愁漂う旋律を添える。全体としては陽気で快活な調子。しかし、笛の音が抑揚をつけて響き、ついで短い断片になっていくのを聞きとると、そこに悲しみや嘆きの趣を感じることができるのだ。」(p.21)「太鼓が奏でているのは、紛れもなく、格闘のダンスだ。速く軽快で、陽気なリズムが、風にのって運ばれてくる」(p.75)など、読んでいるだけで体の底からリズムを感じるようなアフリカンミュージックの鼓動!

第2部と第3部。
キリスト教宣教師。
元の土地の宗教では救われなかったり弱者であった人々を筆頭に、改宗していく…その気持ちはよくわかる。
でも、宗教の善し悪しを話しちゃいけない。温厚に話し合っている場面ですら、その壁を越えたり壊したりしちゃだめだと、苦しくなる。
しかも「宗教は政治と一緒にやってきた。」
そして第3部のラスト1行の、この衝撃。

チヌア・アチェベは、コンラッドの「闇の奥」を批判した人であるらしい。
アチェベを読んだ後に「闇の奥」を再読したら、また何か変わるかな。
今は、アチェベの他の作品や、紹介されているアフリカ文学を読んでいきたい。