紙の本
東日本大震災以後のリアルに触れた気がした。
2021/05/31 14:53
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投稿者:タオミチル - この投稿者のレビュー一覧を見る
東日本大震災の原発事故の被害により人が入ることのできなくなったエリアができた。この日本の一角に、かつて普通に人が暮らした場所に検問が置かれることになろうとは...。福島の中通りに故郷を持つものとして、そのエリアの存在は身近な場所でありながらも、きちんと問うて知ることには、実は憚りもある。
この作家は、記者の目を持ち、そのエリアに迫り、人々に出会い、時に問うて、検問のある町のリアルに迫った。形式は個人的な日常を描いたエッセイ集だが、私は迫力あるドキュメンタリーを読んだような読後感。
紙の本
私ノンフィクション
2016/06/29 23:57
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投稿者:つよし - この投稿者のレビュー一覧を見る
この人の文章はドキドキする。痛々しいまでに自分をさらけ出しているから。でも、ナルシストではない。自分のことがどうしようもなく嫌で、自分を抑えつつ、それでも、さらけ出すしかない、というギリギリの線を狙ってきている。原発、震災という手垢にまみれたテーマが新鮮なタッチで描かれている。沢木耕太郎の「私ノンフィクション」という考え方に近いと感じた。
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プロローグを読んでいたら、胸の内にあらわれた黒い空洞。それはずっとあったのに、見ることを避けて過ごしてきただけだったのかもしれない。思いと言葉を繋げられず、ただ歩き回ることしかできなかった夜を思い出した。(←半分読了時の感想) (全編読了後の感想→)過去と現実と追憶と書籍の間に自分がいるような感覚。読み終えて、予感が確信に変わりました。同じ時代を生きる作家の作品を読むこと・読めることの醍醐味。心も体もたかぶっています。言葉が瓦礫になり、言葉を失った著者が、おそらく命がけで紡ぎだした言葉。その言葉と同等か、それ以上に見る者を捕らえて離さない多くの写真。尋常でない私小説に出逢えたことに、感謝、感謝。
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非常に読みやすい…が、一気に読み終えられるかと言えばそうでは無い。背景に漂う何かに、心臓を軽く締め付けられているかのような、そんな気配を感じながら、途中途中で息継ぎをしつつ読み進める…。そして、その読後感はひと言「ひどく疲れた」。目の前に貼り付けられた私小説という名の現実に、窒息するかと思う程に…。
これはいつまでも手元に残しておきたい一冊です。
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「小説」ではないだろう。個人的な記録、だと思う。
被災地とそうでない地との境界、そして自分と他者との境界、についての。
エピローグの中に
「私ほど事故後の双葉郡を見てきた人間はいない。私はそう自負していた。
そんな私の心を挫いたのは、ある難病を抱えた若い女性作家が私に言った言葉だ。
『自分が今まで福島県のことを書かなかったのは、福島を消費したくなかったからです』
彼女は福島県双葉郡の出身だ。
私はこの言葉にやられた。」
とあるが、福島のことを書くことが、「福島を消費」することとは思わない。
思わないが、書くことを「消費」と言うならば、むしろ消費してくれと思う。
まして「私ほど事故後の双葉郡を見てきた人間はいない」とまで自負するのならのであればなおのこと、書きたいと思ったことを書けるだけ書いてくれたらいいと思う。
しょせんよそ者だという卑下は無意味ではないか。よそ者だろうが、その地の人を唸らせ共感させてくれるほどのものを書いてくれればいい。ただそれだけのことだと思う。
福島の出身だろうとその時福島に住んでいようと、全てを見ることは出来ない。その場にいて見た人が、見たことを、見て思ったことを書いてくたらいいと思う。
全てが記録だから。
文学に、文章に出来るのは、記録すること。記録することで、忘れさせないこと。それだけだから。
忘れられること、消費すらされない場所や事柄になること、そのことをこそ恐れる。
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震災後、数々のテレビや雑誌の特集記事を目にすることでなんとなく知ったような気分になり、年月が経つたび、その記憶は表層にもなくなりかけている自分に最近気がついた。そんな中、この本を読み、本当にいろんなことを知らなすぎた自分に恥ずかしくなった。岡さんの生の感情とリアルな写真の数々に、全く違った観点から、震災も含めて生きることについて、人間関係についてじっくりと考え直す機会となった。素晴らしいルポルタージュだった。高校生とか若い人にこの本ぜひ読んで欲しいな。
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なかなか強烈な本ではある。帰りの新幹線で一気に読んでしまった。こういううつ的な気分に共鳴するのは性格的なものなのかもしれないが。
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震災を普遍的に捉えず、あくまで個人に拘る事で、福島原発の崩壊の様がより際立って、この本の中にある。写真もたくさんあって、これも強く訴えるものがあった。
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震災のときに自分を大切にしてくれるひとも大切にしたいひともいないということに気づいてしまった女性が居場所探しに行ったお話。
未曾有の事態ってひとに忙しさとか都会だとなんだかんだ寄る場所とか、時間を潰す何かを見つけ易いから普段気づかないふりをしていたさみしさを突きつけるんだ。
さみしいからきっとフラットに被災地のひとを見ることができて。そんな彼女だから本来大変とされる被災地のひとたちが逆に手を差し伸べてしまう。だからそこが彼女の居場所になっていく。
そういう意味でひとが描かれていてこういう立ち位置であの場所のことを記したひとはいないんだろう。
でもあたしはだめだった。それは自分もそうだからなんだろう。すごく傷ついたことがあるひとはその痛みを知ってる分優しい。
だからほんとは使命感とか同情とか言いながらやってきた自分が癒されていく。
それは果たしていいのかって海南島に行き始めてからずっと考えてるから。
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記者あるいはひとりの人間が被災地とどう向き合うか、あるいは向き合わないのか、その心の振れが描かれていた
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筆者の、全く飾らない素直な言葉に、好感が持てた。
福島にすむ人たちや、原発作業員の人たちの生の声が書かれてある。
東日本大震災から、3年半がたち、もう、あの日の事が過去のことになっているのだと、この本を読んで強く感じた。
だからこそ、多くの人に読んでほしい内容だと思う。
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原発の取材を先陣を切って行った週刊誌の女性記者。
いつのまにか、仕事の熱意からなのか、個人的な思いからなのか、福島を訪れる動機が分からなくなる。
福島に住む人の感覚と、東京に住む人の感覚は全く異なる。その両者のあいだを行ったり来たりするなかで、同じ日本にいるはずなのに、どこか決定的に違う世界にいるようなそんな感覚に巻き込まれる。
そうした両者の思いを一人の人間が受け止めることは難しい。次第に、著者の意識が壊れていく過程も、とてもリアルに伝わってくる。
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震災、原発のことを書いているんだけど、説教くさくないというか、本のもつ温度、距離感みたいなものがとても好きな本。言葉では何も伝わらないものもある、でもこの本の言葉から伝わるものがあるという矛盾。
働いている人、住んでいる人、今まで遠かったけど、ぐんと想像しやすくなった。身近だった。
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週刊誌記者の著者が震災直後、福島に派遣されたのを機に福島通いをはじめ、深入りしすぎたため、双極性障害を煩ってしまうという話が人物別のエピソードとして語られる。2012年12月の衆院選までが本編で、その後のことはエピローグに記されている、という大きな流れがあるものの、ところどころ、出来事が起こった後から始まってたりするので、そのたびに戻って読みかえす必要があり、すんなりとは読めなかったが、そうした技法ゆえなのか、彼女が見た風景が普遍的なものとして自分の中に立ち上がってくるような気がした。著者本人や取材されている人たちのプライバシーを吐露してしまうカタルシスも静かにだけどこの作品には存在している。その点からしてもこれは私小説と言える作品かも。取って出しではない、練りに練られて書かれた、味わい深い作品。僕もこのような作品を書けるようになりたい。
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半径20Km圏内のこと。
こんなにリアルで身近な日常を描いてくれた、撮ってくれた筆者の方に感謝です。
忘れちゃいけない。