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漢文脈と近代日本(角川ソフィア文庫)
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漢文脈と近代日本 (角川ソフィア文庫)

著者 齋藤 希史 (著)

漢文は、言文一致以降すたれてしまったのか、それとも日本文化の基盤として生き続けているのか? 「政治=公」から切り離された「文学=私」を形成し、近代にドラスティックに再編さ...

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漢文脈と近代日本 (角川ソフィア文庫)

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漢文は、言文一致以降すたれてしまったのか、それとも日本文化の基盤として生き続けているのか? 「政治=公」から切り離された「文学=私」を形成し、近代にドラスティックに再編された漢文脈を辿る。【「TRC MARC」の商品解説】

漢文は言文一致以降、衰えたのか、日本文化の基盤として生き続けているのか――。古い文体としてではなく、現代に活かす古典の知恵だけでもない、「もう一つのことばの世界」として漢文脈を捉え直す。【商品解説】

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評価内訳

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2014/09/28 18:11

投稿元:ブクログ

文体が思考の枠組みを形作るという視点に立って、近代日本の漢文脈テキストの文体の変容から、時代人の思考の枠組みの変化の関係をとらえようとする本。多少長かったものの、面白かった。

2016/10/14 16:24

投稿元:ブクログ

前島密が将軍慶喜に「漢字御廃止之議」との建白を上げ,仮名専用論を称えたのは、1866(慶応2)年末のこと。前島は明治政府になっても同様の意見書を政府関係機関に出し、また右大臣岩倉具視や文部卿大木喬任らに建議している。
 森有礼が漢文を簡易英語に替えることの可否を、アメリカの大学教授に尋ねたのは1872(明治5)年のこと。
 そして福沢諭吉が、漢字二千字から三千字への削減という自説を、編著の小学校用国語読本に添えて示したのが1873(明治6)年だった。
 以後、大正・昭和とこの漢字廃止,制限論可否の議論は延々と続く。今日の常用漢字の範囲をめぐっても賛否両論は避け難い。

 これらの議論に,一海知義のエッセイ「日本語の中の漢字文化」では、漢文調による権力のこけおどしの例として、明治憲法や教育勅語(原文は漢文で六朝の美文の模倣だった)それに敗戦時の詔書などをあげている。

 以上の背景をもとに本書を読むと,なかなか興味深い。幕藩体制のもとで、特に寛政の改革により正当化された朱子学をもとに,幕府・各藩の教化体制の制度化があり,やがて近代日本の成立と展開を、漢文脈との関わりで追ってみたもの。

 明治と云うと言文一致の二葉亭四迷を先ず思い出す。しかし本書の切り口は「明治初期では、現代かそうでないかの境界は、文語と口語の間にあったのではなく、漢文と訓読文の間にあった」。この訓読文が文明開化にふさわしい文体とされたのだとする。

 そして「日本の近代は,漢詩文的なるものから離脱することに依って,もしくはそれを否定することに依って,あるいはそれと格闘することによって成立した」その延長にわれわれは生きている、と。

 「漢文脈でこそ表現しうることがあることに気づくことで、現代日本語の世界を相対化し、その限界と特質を知ることが」できる、と本書はむすぶ。

 登場する人物はザッと眺めても多士済々。服部南郭/藤田東湖/近藤勇/大沼枕山/頼山陽/徳富蘇峰/森田思軒/山路愛山/福沢諭吉/中村正直 /久米邦武/森春濤/森鴎外/夏目漱石/永井荷風/谷崎潤一郎/ 芥川龍之介/国木田独歩/田山花袋/島崎藤村/柳田國男等々。

2014/08/31 10:33

投稿元:ブクログ

・ 明治の所謂文豪に関して何となく思つてゐること、それは漢文の素養があるといふことである。具体的に説明できないまでも、その作品から漠然と漢文の素養と 言つたり思つたりしてきた。私にはまともにそれが説明できないのである。ところが、これを具体的に説明してゐる書があつた。斎藤稀史「漢文脈と近代日本」(角川文庫)で ある。おもしろい。蒙を啓くとはかういふことなのであらうと思ふ。「この本は、近代日本のことばの空間を漢文脈という視点から考えることを主眼とします。」(「はじめに」11頁)「近代日本という時空間は、文体にしても思考にしても、漢文脈に支えられた世界を基盤に成立すると同時に、そこからの離脱、 あるいは、解体と組み換えによって、時代の生命を維持しつづけようとしました。」(同前13頁)そこで、本書でそれを具体的に見ていかうといふわけであ る。
・北村透谷「漫罵」、教科書にも載る有名な文章、「一夕友と与に歩して銀街を過ぎ、木挽町に入らんとす、第二橋辺に至れば都城の繁熱漸く薄らぎ、家々の燭影水に落ちて、はじめて詩興生ず。」と始まる文章は本書で扱ふ典型的な漢文訓読調の文章であらう。こんなのは私達には書けない。かういふ語彙 も、かういふ文体を操る術もない。そこで、私はこれを漢文の素養といふのだが、これでは説明にならない。そこを本書は説明する。ただし、これはさう簡単に できるものではない。単純に、素読に長けてゐるとかと言つてすむものではないからである。最重要キーワードは士人、士大夫であらうか。近世日本に於いては 武士階級である。例の昌平黌や藩校もこれに関係してをり、それは更に「修身・斉家・治国・平天下」といふ有名な条目に至る。つまり、素養といつたところ で、それは決して農、工、商のものではない。あくまで士の素養であり、その「学問は士族が身を立てるために必須の条件とな」(33頁)つてゐた。だからこ そ、「天下国家を論じる文体」「慷慨する幕末の志士」などといふ見出しも出てくるのである。私は、漢文の素養と言ふ時、何となく一般庶民のものではない、 たぶん武士に属するものであらうと思つてゐた。しかし、かういふきつちりとした流れの中にあるとは考へなかつた。まして「漢文で読み書きすることは、道理 と天下を背負ってしまうことでもあった」(34~35頁)などといふことであるとは。透谷の「漫罵」も当然この中に位置するのであらう。「爰に於て、われ 憮然として歎ず、今の時代に沈厳高調なる詩歌なきは之を以てにあらずや。(原文改行)今の 時代は物質的の革命によりて、その精神を奪はれつゝあるなり。」この一文は透谷が没落武士の子として生まれたからこその文体と慷慨であらうか。あるいは、 単なる浪漫詩人の感慨であらうか。たぶん、これは透谷流の悲憤慷慨であり、天下国家を論じる文章なのである。この時代の人々には、わざわざ鷗外を出すまで もなく、このやうな知識と技が身に染みついてゐたのである。鷗外や漱石が優れてゐるのではない。この時代の士であれば、知識の多少、技術の拙劣はあつても、誰もがこのやうな文章を扱ふ術を心得てゐたのである。逆に言ふと、「石炭をば早や積み果てつ。」と始まる鷗外の「舞姫」は、���その基調が『感傷』にあることをより効果的に示すために、言文一致体でもなく、『普通文』たる訓読体でもない文体を採用」(228頁)したのであつた。さう、これから知れる如く、近世から近代初期にかけては、漢文訓読体=普通文なのである。これもまた私には考へられないことであつた。「士人的エトス、あるいは士人意識」(31 頁)とある。これが漢文脈の命であらう。

2015/08/15 20:50

投稿元:ブクログ

良い本でした。分かりやすい!
日本語が漢文脈に対して具体的にどう関係していきたかは置いといて、まず、言葉を受け入れるとはどういうことかを知ることにも役立つ。

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