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新史論/書き替えられた古代史 3 聖徳太子と物部氏の正体 (小学館新書)
著者 関 裕二 (著)
従来の古代史観を根底から覆す、著者渾身の新史論。3は、古代史の謎を解く鍵を握る2つの怪物、「物部氏」と「聖徳太子」の正体を明らかにするべく、ヤマト建国から6世紀末に至る日...
新史論/書き替えられた古代史 3 聖徳太子と物部氏の正体 (小学館新書)
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商品説明
従来の古代史観を根底から覆す、著者渾身の新史論。3は、古代史の謎を解く鍵を握る2つの怪物、「物部氏」と「聖徳太子」の正体を明らかにするべく、ヤマト建国から6世紀末に至る日本の古墳時代を振り返る。【「TRC MARC」の商品解説】
物部氏と蘇我氏、聖徳太子との密約とは?
ついに、聖徳太子の登場である。聖徳太子を語ることは、これまでずっと史学界のタブーとされてきた。しかし、この不可侵の聖者の正体を解き明かすことができれば、絡まり合った古代史の謎は一気にほどけていく。ここで不可欠なキーワードとなるのが、ヤマト建国から6世紀末までの古墳時代をリードし続けた物部氏である。聖徳太子の出現と時を同じくする物部氏の衰退。物部氏は、長きにわたった政治力を、救世主たる“聖徳太子”に託したのではないか。そこに、今まで語られることのなかった物部、蘇我、聖徳太子の「密約」があったのでは、と著者は見る。
古代史の謎を解く鍵を握る二つの怪物――「物部氏」と「聖徳太子」の正体を明らかにすべく、この第3巻では古墳時代の歴史を振り返る。5世紀に物部氏と天皇家の葛藤の中で躍り出た古代版織田信長ともいうべき雄略天皇。6世紀初頭、北陸から彗星のごとく乗り込んできた謎多き“始祖王”継体天皇。そして勃興する蘇我氏と物部氏の対立は本当にあったのか。歴史はダイナミックに展開する。その中で『日本書紀』が隠そうとしたものが次第に明らかになってくる。
【編集担当からのおすすめ情報】
法隆寺のある斑鳩の里はもともと物部氏の土地だったとは知りませんでした。また玉虫厨子の捨身図の解釈も大変ユニークで面白いです。
このシリーズを読んで明日香、奈良を旅すると本当に面白いです。特に飛鳥寺の蘇我入鹿の首塚には感動しますよ。【商品解説】
目次
- はじめに
- 序章 「出雲」とは何だったのか
- 「蘇我氏=悪人説」への疑義/蘇我氏はスサノヲとつながる/蘇我氏見直し論/「出雲」は日本海勢力の隠語/スサノヲとアメノヒボコの活躍/ほか
- 第一章 古墳時代と瀬戸内海
- 四世紀は空白の世紀?/ヤマトが誕生した喜びを伝える仁徳紀/幻の騎馬民族日本征服説/王朝交代説は「流行」だった/欠史八代も無視できない/イデオロギーに固執する古代史学者たち/河内王権は治水のための政権だった/ほか
- 第二章 古代版織田信長・雄略天皇の謎
- 物部氏と百済の七支刀/朝鮮半島南部の国々は日本に助けを求めた/倭の五王の登場/中国の冊封体制を拒んだ日本/雄略天皇はたくましい国家を作った/葛城氏繁栄の痕跡/吉備の繁栄/誰が雄略天皇を後押ししたか/ほか
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残念ながらデビュー作である「聖徳太子は蘇我入鹿である」の疑問は、更に増す結果に・・・
2019/05/30 12:28
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:多摩のおじさん - この投稿者のレビュー一覧を見る
20年前に出版され当時は、独自の展開で魅了された著者のデビュー作である「聖徳太子は蘇我入鹿である」を基本に、
シリーズ「新史論/書き替えられた古代史」 の3巻目として副題「聖徳太子と物部氏の正体」を展開しているもので、デビュー
作のレビューで記述した下記の3つの疑問が解決されているかと手に取ってみましたが、「先代旧事本紀」により蘇我入鹿の
母が物部系は納得いくものの「聖徳太子は物部の母を持つ蘇我入鹿である」(p.201-204)と、今回も同じ理論が展開され
その3つの疑問が解かれることはなく、加えて入鹿の父である蝦夷を「入鹿と善徳を別人に見せかけるカラクリ」(p.204)と
唐突な理論で、そのカラクリの具体的内容の明記がなく、更に疑問が増す結果でした。
ちなみに、善徳と蝦夷との関係を調べたところ推古天皇18年(610年)の記事に現れる蘇我蝦夷の年齢は、『扶桑略記』の
記述によると25歳となり、推古天皇4年(596年)の「大臣の男 善徳臣を以て寺司に拝す」の時点では蝦夷は11歳となること
から、善徳は蝦夷の兄と推定されているようです。
確かに著者の指摘のように、蘇我稲目の娘である堅塩姫の子(用明天皇、推古天皇)は蘇我馬子が支持した親蘇我系
であり、小姉君の男子(崇峻天皇、穴穂部皇子)が馬子に暗殺された反蘇我系の指摘や、穴穂宮のあった石上は物部系
の石上神宮がある物部系の土地であり、小姉君の子・穴穂部間人皇女は蘇我系の用明天皇との間に聖徳太子を設け
「物部氏と蘇我氏の間の子が改革を実行した」(p.208)は、納得できるのですが・・・
おわり(p.216)には、『「聖徳太子は母親が物部氏で、蘇我入鹿ですよ」と胸を張って答えられる。』とデビュー作の大胆な
持論は、そう簡単には変わることはないのですね・・・
(デビュー作の3つの疑問)
1点目が父親は?であるが、「大々王」つまり「穴穂部間人皇女」から「聡耳皇子」が生まれ、また母親は?であるが、
蘇我馬子から「蘇我善徳」が生まれた2つの系図を「元興寺」をつくるという共通項でひとつに纏められるかということ
2点目が物部鎌姫大刀自は、物部守屋の妹ではなく姪であると著者自身の指摘があることから、物部守屋の妹から
生まれた「蘇我善徳」と「蘇我入鹿」とを同一化した系図は成り立たないこと
3点目が「今まで、「日本書紀」によって前代未聞の大悪人とされ、聖者である聖徳太子の一族を滅ぼしたとされる
蘇我入鹿こそが、飛鳥の聖者、聖徳太子その人であったことになるのだ。」ですが、これは「大悪人とされた蘇我入鹿=
聖徳太子が、聖徳太子自らの一族を滅ぼした」と自己矛盾を生んでいること