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戦後の国家と日本語教育
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  • カテゴリ:一般
  • 取扱開始日:2014/06/11
  • 出版社: くろしお出版
  • サイズ:21cm/358p
  • 利用対象:一般
  • ISBN:978-4-87424-621-4
  • 国内送料無料

紙の本

戦後の国家と日本語教育

著者 山本 冴里 (著)

戦後の国家政策の中で、日本語教育はどのような意味を持たされてきたのか。大きな政治的影響力を持つ人々が日本語教育に期待した役割を検証し、現在日本語教育に関わる人々がどのよう...

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戦後の国家と日本語教育

3,780(税込)

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商品説明

戦後の国家政策の中で、日本語教育はどのような意味を持たされてきたのか。大きな政治的影響力を持つ人々が日本語教育に期待した役割を検証し、現在日本語教育に関わる人々がどのような流れの先にいるのかを明らかにする。【「TRC MARC」の商品解説】

著者紹介

山本 冴里

略歴
〈山本冴里〉早稲田大学で博士号(日本語教育学)取得。山口大学留学生センター講師。専門は日本語教育学・複言語教育・多言語教育。

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評価内訳

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2015/04/08 21:49

投稿元:ブクログ

毎日少しずつ読んで、読了。
これまで日本語教育史的なことは、日本語教育能力検定試験対策以外でほとんど触れてこなかったけど、「国会の場で日本語教育がどう語られてきたのか」を軸にし、政治との関わりがすごく分かりやすく書かれていたこの本はとても興味深かった。

以下、特によかったと思うところの引用。

「新宿という巨大な行政単位で、顔も名前も知らない人が作る多言語版と、同じ階に住み顔を合わせて作るに言語版。そこには、自分のために知った誰かが動いてくれているという感覚があり、知った誰かのために自分も参加する/し得るという「組み込まれ感」があるものと想像する。問題の大きさが変わることによって、問題の性質は変わるのだ。(p.253)」

「日本の公の場において用いられている言語は、圧倒的に日本語だ。利用者負担なしで供される教育も、日本語によって行われている。したがって社会参加のために日本語能力が必要であるという議論は成り立つが、その社会参加は、国会で強調されたような、治安維持の側面とイコールで結ばれるべき概念ではないはずだ。社会参加といったとき、そこに含意されていなければならないのは-『その構成員が存在しても治安が乱されない』という馴化や無色化ではなく、育ちつつあるその構成員が感じる、周りの社会に組み込まれているという感覚であり、その社会をより良きものにしていこうという意志なのではないだろうか。(p.258)」

「何よりもまず、この先、この地域の地政学的な重要性は確実に増していくこと、にもかかわらず、日本・中国・韓国は、地理的に近接し、人種的にも近い人々が暮らしながらも、互いへの反感や侮蔑、憎悪が簡単に発火しやすい状態にあることが理由である。日本政府が繰り返し述べてきたように、言語を学ぶことは、理解と尊重に繋がる可能性を持つ。だからこそ、互いに言葉を学び、互いの枠組みに精神と身体を入れてみることを学ばなければならない。(p.282)」

「第三の流れ。それは外国人として意識されながら、なおかつ中長期的な日本滞在が考えらえる人々のための日本語教育だ。(中略)今後の世界ではさらに〇〇国人と呼ばれるカテゴリとは異なる国や地域で/と関係をもって働く人が、増えていくはずだ。そして、日本人ではあれど日本語を第一言語としていない人や、外国人であっても日本語を不自由なく用いる人が多くなっていくはずである。同時に、日本人か外国人か、という枠組みと、日本語能力の程度を表す枠組みとのズレが顕在化する。(中略)十全なる日本人性の達成/回復や好意的な対日理解の醸成のためではなく、他者と関係を築き、社会的な生活を営み、自分の未来を築いていくための言語教育が、ますます必要になっていくのではないだろうか。そうした場合には、第三の流れはより力強く、そこに日本語教育は、日本に暮らすマジョリティの日本語話者を、含みこんでいくものになるだろう。(pp.318-319)」

「国会の場で繰り返されてきた『問題にならないだろう』(そのゆえに特別な支援は必要ないだろう)という希望的観測は、ことごとく外れている。ゆえに国政の場にいる人に対しては、根拠のない希望的観測に頼った繰り返しをやめ、受け入れようとしている人々の生活に、人生に、しっかりと目を向けてほしい。(中略)何のために日本語教育を行うのかという問いは、どのような社会を作っていきたいのかという問いと直結するはずだ。筆者は暮らしていて組み込まれ感があり、充実し、愛着を感じるからこそより良いものにしていきたいと思えるような社会を作っていきたい。だから自分自身も、他者と関係を築き社会的な生活を営み、自分の未来を築いていくために多様な言語を学びたいし、教師の立場にあるときにも、そうした教育実践を目指していくつもりだ。(p.328)」

「称場理念は複数を設定することが重要だ。そして、場合に応じて使い分けるのではなく、つねに互いに関連付けた形で、互いにブレーキを掛け合い、制限しあうことができる状態で掲げることが必要だと思う。施策としては、いずれの理念にもある程度沿うことのできる、折り合いについたものを実施すること。これを意義あるものと考える。(p.332)」

「個人がよそものたる言語と付き合う、その付き合い方については、二つの方向性があるように思われる。よそもののまま道具として使いこなすことと、自分自身の第二の言語となさんとすることである。仮に後者をより望ましいものとするならば、言語学習とは、個々人が彼/彼女にとっての外語=よそものたる言語を、自分自身の第二の言語へと育てていく過程として把握できる。(p.333)」

「けれどそうした『分けられない』子供たちは、大人たちは、これから先の世界で増えていくはずだ。そうした現実を捉えようとするときに、境界という概念を用いることは有効だと思われる。境界の概念を強い要することによって、何が分けられようとしているのかということを、何が繋げられようとしているのかということと結び付けながら、思考していくことができるからだ。
カテゴリを作り、境界線を引くという行為自体は、善でも悪でもなく、おそらくは人間の社会定期性質に深く含まれているのだろう。だが、境界が設定されるとき、当然のように切り離されようとしているものが何なのか、その境界設定にどんな妥当性があるのかということについては、幾度も確認を繰り返していかなければいけないのではないか。(p.335)」

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